第1話:桜屋
俺たちの始まりは小さな廃工場だった。地味な街中にあり、昔はそこで細々と「桜漬け」を作っていた。高が漬物だろうと思うかもしれないが、設備はなかなかのものだった。段ボール詰めのパック漬物を運ぶベルトコンベヤがあり、照明も四方に設置されていた。
跡取りがいなかったその工場は、経営者のじいさんが死んだあとすぐに廃工場となった。
そして、俺たちの溜まり場になった。
当時中学生だった俺たちは、反抗期・思春期の真っ最中で、徒に悪巧みが好きだった。そして、その頃に受けた影響が後にどれ程の余波を残すのか、知る由もなかった。
俺たちは学区で評判の不良集団となっていた。「元・桜漬け工場」をアジトにしていることから、“桜屋”と呼ばれるようになった。
「…今日もヒマだな」
アジトの貯水タンクに寄りかかって腕組みをする。俺【三条 早羽】は、一応“桜屋組”のリーダー。我流だが、ケンカは滅法強い。
「なぁ水乃、お前いっつもその本読んでるけど。何それ?」
「カミサマの本」
「...はぁ?」
こいつ【水乃 宗太】は、喧嘩ではまったくもって役立たず。酔狂なヤツで、いつも本を見ながらブツブツと呟いている。そのくせ、いざとなるとものすごく頭の回転がいい。弁舌上手というのか、言葉でヒトを操っているようだった。
「早羽も読んでみる?」
「いや…いい」
実を言うと、宗太のあの淡白な笑みが少し苦手だった。焦点の合っていない瞳も、やけに白い肌も苦手。でも、“水乃宗太”という総合的な人間評価としては上々。アイツの纏っているオーラが好きだったからかな。
最近の“桜屋”はどうも集まりが悪い。一人一人が突出した特技とワケありな過去を持つメンバーたちだ。互いに細かいことには口を出さない・追求しない。これは暗黙の了解なのだ。
することもなく、ちょっとだけ宗太の本を覗いた。聖書のようだ。しかも英語表記。
…読めない。
結局つまらなくなってしまい、段ボールの山の上に腰を下ろした。
そのとき、物凄い勢いで鉄扉が開いた。壁にぶつかった反動で扉が半壊し、錆びた蝶番が軋む音が余韻を残している。
赤みがかったロングヘアをなびかせ、一人の少女が居丈高に歩いてきた。その少女はベルトコンベヤのすぐ後ろにある小さなマンホールの蓋を開け、何重にもロックのかかった金庫を開けた。
とても慣れた手付きだ。
「おい、三条!お前には言ったはずだぞ?」
金庫の中身がほとんどカラの状態なのを見て、彼女【宮国 アキ(みやくに あき)】は眉間にしわを寄せて、早羽を見下ろした。
「私が留守の間は金庫の管理はフェルエールに任せると、言ったはずだ」
「フェルは急用で国に帰った。今ごろ故郷で伝説更新中」
「本業に戻ったと?」
「まぁ、そーいうことだ」
アキは深いため息をついて、やれやれとでも言うように額に手をやった。
アキは“桜屋”内では数少ない女の子で、言葉遣いこそ荒っぽいが、気が利くしっかりものだ。金銭管理は全て彼女が行い、資金調達も主にアキの仕事。どこから調達してくるのかは、誰も知らない。
フェルエールはこの頃すでに名の通った“殺し屋”だった。
西欧のとある町で生まれたフェルエールは、皇室御用達のボディーガードである父を持ち、幼い頃から英才教育を受けた。武器の扱いや気配の消し方、果ては礼儀作法まで全てを叩き込まれた。史上最年少の13歳で皇后様のボディーガードに抜擢され、国中の伝説となった。
しかしその後革命によって皇室は頽廃し、追われる身となった。殺しては逃げ、殺しては逃げ。それを繰り返しているうちに、伝説の神の子は、狂気に満ちた悪魔に成り果てた。
どういう経緯で日本へ流れついたのかは誰も知らない。
「そういや綾祈が三条と話をしたいと言っていた」
「悠人が?俺と?」
【綾祈 悠人】は“桜屋”では最年長。その割に精神年齢は低く、いつも無邪気で能天気なヤツだ。
「また良からぬイタズラでも考えているのだろう」
「へぇ…面白そうじゃん」
アイツが考える〈イタズラ〉は並大抵のガキどもには出来ない。とても本格的で、現実味があるから面白い。やっと退屈しないで済みそうだ。
「悠人のやつ、今度は何企んでんだろ」
楽しみでたまらない。
次の〈イタズラ〉は選りすぐりの“桜屋”メンバーで行おう。きっとまた上手くやれる。
第1話:桜屋 end