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昼下がりのラサンの街。

レーヴェは伝えられた通り,例の喫茶店へ赴く。

身を隠すような帽子も被らずに表を歩いているので,通りすがる人々の殆どが,彼の姿を二度見した。

見慣れない,白髪赤眼の中性的な少年の姿。

目を引くのも当然だったが,彼に気を配る余裕はなかった。

足を組みながら客席に座るジェイドは,割と簡単に見つかった。

軽く手を上げ,やって来たレーヴェを同席に誘う。

紅茶を持て成されたので,一応彼は一口飲んだ。


「わざわざ出向いてくれたこと,感謝する」

「いえ,これは僕達が決めた事なので」


あえてレーヴェは,決めたと答える。

それはジェイドが提示した案に決心を付けたという意味だった。

ジェイド自身,彼から改めて死の許可を得ようとしていた。

その意図を読み取ったようで,少しだけ肩の力を抜く。


「彼女から大体の話は聞いた,という認識で良いだろうか?」

「ある程度は」

「だったら話は早い。既に彼女には血液を採取する器具を渡してある。それを利用すれば,君を安らかな死へ導ける」


核心に満ちた言葉に,レーヴェは暫く両目を閉じ,また開ける。

それから謀殺を企てるジェイドの思惑を探った。


「結局の所,貴方は自分の利のために僕を利用しているだけなのでは?」

「そこは否定しない。貴方の存在を知ったのは偶然ではあったが,貴方が死ねば俺達の形勢は逆転する」

「本当に彼女……オリヴィアに危害を加えたりはしないのかい?」

「誓ってしない。残されたオリヴィア嬢の安全を保障するのは,切っ掛けを作った俺達の責任だ。この先何不自由ない生活が送れることを約束しよう」


確かに次期帝王候補を倒したとなれば,彼女は貢献者として称えられる。

元の侯爵令嬢と同じような,裕福な生活を送れるかもしれない。

ただ,言葉だけでは幾らでも言える。

レーヴェの死後,ジェイドが手の平を返すということも考えられなくはない。

彼が信用に足る男なのか,それを見極めなくては死ぬに死にきれない。


「君の言葉は,本当に信用できるのかな?」

「俺が彼女を切り捨てる? それだけはあり得ない。何故なら,彼女は君を殺すことの出来る唯一の存在で,証人だ。不老不死の王をどうやって殺したのか。そもそも眉唾物の君の存在と,その方法を証明できるものがなければ,俺の立場も危うくなるからな」

「彼女の安全が保障されてこそ,今回の計画は成功すると?」

「信用してくれ,なんて安易な言葉よりは分かり易いだろう?」


ジェイドは紅茶を飲みながら,レーヴェに問いを投げる。

問われた彼も,それ以上の追及はしなかった。

ジェイドにとって,オリヴィアはルーファス家でのし上がるために必要な存在らしい。

そんな彼女を切り捨てるという事は,自身の立場を捨てるという事。

ある程度の理屈があると理解し,レーヴェは一言忠告する。


「彼女は死の呪いから,自分の家族からも裏切られたんだ。どうか,彼女を見捨てるような真似だけはしないでくれ」

「……余程,大切な人なんだな」

「当然だよ」


レーヴェは口をつけた紅茶を見下ろす。

水面に自分の顔がゆらゆらと揺れて映っていた。


「始めは気紛れだったのかもしれない。失意の中で自殺しようとする彼女が,どうしても見過ごせなかったから。でもこの3年間,共に過ごしていて思い出したことだってある。父や母と呼べる人と過ごした,幼い頃の日々を」

「……」

「オリヴィアは僕にとって,旅の友で家族なんだ。そんな彼女が,僕の願いを叶えたいと辛そうな表情で言った。僕は,彼女を苦しめるようなことはしたくない」


長年孤独に生き続けたレーヴェからすれば,オリヴィアは最早他人ではない。

思いの込められた言葉を聞いて,ジェイドは少しだけ目を丸くする。

それから何かに気付いたように,微かに笑った。


「俺は貴方のことを,トライドール家を捨てて不老不死に甘んじた,世捨て人だと思っていた。だが,その考えは間違っていた」

「?」

「レーヴェさん,貴方は歴とした人間だった」

「……化け物なんて言われたことのある僕に,その言葉は勿体ないかな」


そう言われるだけの資格はない。

レーヴェは悲しい表情をするだけだった。

昼の日差しが徐々に降り始め,室内の客達も入れ替わりで顔触れが変わっていく。

ジェイドは自身の提案を否定されなかったことで,踏み込んだ話へ進めた。


「もし貴方が望むなら,今夜にでも準備を整えるが」

「……もう一度,オリヴィアと話をしなくちゃいけない。その気があるなら,別荘まで一緒に来てくれないかな? そこで,決着をつけるよ」

「承知した」


どの道,この件はオリヴィアがいなくては成立しない。

彼女は今頃,一人で何を思っているだろうか。

悲しげだったレーヴェは,一転して決意を抱いた表情に変わる。

二つ返事で頷いたジェイドと共に,彼女が待つ別荘まで足を運ぶことにした。

ラサンの街を出て,人通りの少ない森の中を進んでいく。

互いに会話はなかったが,元々親しい間柄でもないので,気まずい雰囲気にはならなかった。

葉擦れの音と,落ち葉を踏む足音だけが周囲に響く。

だが屋敷の前まで辿り着いた瞬間,レーヴェが不意に足を止めた。

ジェイドも思わず立ち止まり,彼の様子を窺う。


「どうした?」

「……様子がおかしい」


只ならぬ気配を感じ取ったのか。

よく見ると,玄関に近い窓が割られて開け放たれている。

レーヴェは息を呑み,ジェイドの視線も鋭いものへと変わる。

何者かが侵入したのは明白だ。

玄関の鍵も開いていることが分かり,慌てたレーヴェは室内に響くように大声を上げた。


「オリヴィア! オリヴィア,いないのか!?」


返事はない。

広間にも仕事部屋にも,オリヴィアの姿はいない。

もぬけの殻になっている。

ただ,何者かと争ったような跡が残されている。


「これは一体……野盗にでも襲われたのか……?」

「いや,野盗じゃない! 彼女の身柄を目的とした人の仕業だ!」

「何ッ!?」


オリヴィアには死の呪いがある。

だが弓矢といった直接触れないものであれば,彼女に通じる。

幾ら誰も屋敷内にいないと言っても,既に攫われた後の可能性もある。

レーヴェは戸惑うジェイドを置いて,外へと飛び出した。

彼女の手掛かりを追って,周囲を見渡す。


「オリヴィア……! 今,助ける……!」


一人置いてきたのは間違いだった。

日が落ち始めた森の中を,レーヴェは駆け出した。







「はぁっ……はぁっ……」

「このッ……! いい加減に諦めなさい……!」


闇が包み込み始めた森の中,オリヴィアは息を切らしながら逃げ続けていた。

館から一目散に飛び出したこともあって,明かりなどない。

持っているのは,自ら採取した血の小瓶のみ。

そんな中で,微かにナタリアの声が聞こえる。

姿までは見えないが,歩みを止めればすぐにでも追い付かれる。

彼女もかなりの執念を持って,オリヴィアを追っているのだ。

ただ,一つだけ不可解な点がある。


「どうして,私の居場所が分かるの!?」


オリヴィアは,木々を背にしながら逃げている。

入り組んだ森の中で,人を見つけるのは至難の業の筈だ。

しかし,ナタリアとの差は縮まらない。

まるでオリヴィアの居場所が分かっているかのような追跡ぶりである。

何か,重要なものを見落としているのではないか。

オリヴィアは走りながら後方を見る。


すると,あることに気付く。

今まで彼女が通って来たのは,道すらない茂みの筈だった。

だが後ろに続いていたのは,明らかな獣道。

オリヴィアが辿った道筋を,克明に記している。

何故,自分が通った所から道が出来上がるのか。

そこまで考えた彼女は,ハッとして自身の呪いを思い出す。


「私が触れた命は,どんなものでも奪ってしまう。草木や,森の茂みも……!」


全ては死の呪いが原因だった。

触れた命全てを奪うオリヴィアの呪いは,辿って来た茂みの命すら奪っていたのだ。

言ってしまえば,彼女が通った場所は朽ちていく。

それが獣道となって,ナタリアを導いていたのだ。

このままではマズい。

足取りが生まれる森を抜けなければ,延々と追い回される。

オリヴィアは動揺する思考を回転させ,行く先の方向を変えた。


そうして辿り着いたのは,見知らぬ大きな湖だった。

闇を映す水面が広がり,風と共に微かに揺れ動いている。

人がいる気配もなく,所謂秘境なのかもしれない。

兎に角,この辺りには植物は存在しない。

川砂が満遍なくあることもあって,幾ら歩いてもオリヴィアの足取りが気付かれる心配はない。

ここをターニングポイントとすれば,上手く撒けるのではないか。


「ここまで来れば……」


そう思った矢先,直後に聞こえたのは風切り音。

一本の矢がオリヴィアの肩を掠め取った。


「う……!」

「手こずらせてばかり……!」


足を止めさせるつもりだったのだろう。

茂みから姿を現したナタリアが,持っていた弓矢を投げ捨てる。

掠り傷から膝を屈したオリヴィアは,迫る彼女の姿を捉える。

その瞳は黒い泥のように濁り切っており,思わず叫ぶ。


「自分の命と引き換えに私を魅了するなんて,馬鹿げているわ! どうして,ここまでの事をするの!? 私は,貴方を死なせたくないのよ!」

「どうして? そんなの決まっています。これは,私自身のため」

「何ですって? 死ぬことが,自分のためだとでも……」


そこまで言ったオリヴィアは,レーヴェの事を思い出して口を噤む。

死が救いにならないとは限らない。

ナタリアも,さも当然のように表情を変えなかった。


「呪いを持っている私達に自由なんてありません。今までもこれからも,呪いに縛られた生き方を選ばないといけない。まともな人生なんて,一生叶わない。貴方だって,そんな呪いを持っているから,人里離れた場所で暮らしているんでしょう?」

「……!」

「それでも,この呪いで私の功績が少しでも刻まれたなら……私は確かに生きたという証を残せるんです! 忌み子ではない,人々に讃えられるような証を!」


ナタリアも呪いが原因で,様々な人から虐げられてきたのかもしれない。

そして彼女の望みは,トライドール家として死ぬこと。

レーヴェを連れ戻す事さえ出来れば,貴族生まれの身として,何かを成し遂げたという目的を果たせる。

誰かの記憶に残る。

それはかつてオリヴィア自身が望んだ,美しい死に酷似していた。


「……貴方は,美しく死にたいの?」

「美しい? 何を訳の分からないことを……」


意図を掴めないナタリアは,おもむろに手を持ち上げる。

魅了の呪いを持つそれが,死の呪いを持つオリヴィアに近づく。


「私はただ,意味のない,後悔だけの死を選びたくないんです。こんな,どうしようもない呪いを持っていても,それだけは叶えたい」


後悔だけの生き方はしたくない。

それがナタリアの確固とした思いだった。

彼女の理由を知ったオリヴィアは,ここ数日の自分自身を思い返す。

彼のためと思って告げた,死への道標。

死を与えることが,彼を苦しめない唯一の方法だと思っていた。

しかし本当に,その結末を受け入れているのか。

何よりも自分自身が,本当に後悔しないのか。


「自分が……後悔しないために……」


呆然と呟くオリヴィアに,逃れるだけの猶予はない。

しかしその瞬間,ナタリアの腕を掴み取る者が現れた。

月夜の光に照らされて,その者の白髪が微かに煌めく。


「ナタリア,止めるんだ」


静かに,レーヴェがそう言った。




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