4
翌朝,浅い眠りから覚めたオリヴィアは,別荘内にレーヴェがいないことに気付く。
何処に行ったのだろうかと外の方を眺めると,日差しが差し込むベランダで一人腰を下ろしていた。
あまり見かけない様子だったのでゆっくりと近づくと,彼は気配を察して振り返った。
「やぁ,今日は早いね」
「昨日の今日だから……レーヴェこそ,此処で何を?」
森を眺めている,という訳ではない。
よく見ると,彼は両手で何かを抱えていた。
大事そうにしているそれをオリヴィアは覗き込むが,その瞬間にハッとする。
彼の手中で,小さな鳥が横たわっていた。
「この子……」
「寿命だよ。最期に僕の所まで来たかったみたいだ」
見慣れない綺麗な色をした,老いた鳥だった。
死に場所を探して,此処までやって来たのか。
もう,飛ぶだけの力も残されていないのだろう。
微かに動き,レーヴェの方を力なく見上げる。
すると彼は目を合わせて微笑む。
「大丈夫。僕が傍にいる」
言葉が通じたのだろうか。
小鳥はその後,眠りにつくかのようにゆっくりと瞼を閉じた。
彼の手に身体を預け,小さく身体を丸める。
そうして暫くして,動かなくなった。
「あ……」
「誰かに看取られる,というのも美しい死に方の一つなのかもしれない。一人で死ぬのは,やっぱり寂しいからね」
少しだけ俯いて,レーヴェは言った。
命を落として尚,何分経っても彼は小鳥を手放さなかった。
こうやって,今まで何人もの命を見送ってきたのかもしれない。
穏やかでそれでいて寂しげな背中を見て,オリヴィアは胸を騒がせた。
日が昇った頃,レーヴェは小鳥を両手に抱えて,ベランダ近くの茂みへと歩み寄る。
土に還すつもりだということは,オリヴィアにも理解できた。
手伝う,と言うまでもなく手を貸す。
穴を掘り,そこに遺体を収めて土を被せる。
たったそれだけの事だが,僅かに盛り上がった土が哀愁を漂わせる。
小鳥を埋葬し終えると,彼は振り返らずに問う。
「オリヴィアは,自分の進む道を見つけられたかい?」
「……私は,ずっと前から見つかっているわ。貴方が手を差し伸べてくれた,あの時から」
「そっか……そういわれると,何だか嬉しいな」
レーヴェが今,どんな表情をしているのか,オリヴィアからは見えない。
覗き込むつもりもない。
ただ,彼の姿がとても遠くにあるように見えた。
次第に自分の元を離れていきそうな錯覚を感じ,思わず口を滑らす。
「今,此処にいることが,こうしていることが,私にとっての旅なの。だから……」
「オリヴィア?」
「いえ……何でもないわ。忘れて」
貴方と一緒にいたい。
その言葉を寸前の所で呑み込む。
それは自分本位の思いだ。
彼の意志を汲み取らない,独り善がりなものだ。
300年以上生きたレーヴェにとって,それがどんな思いにさせるのか,オリヴィアには見当もつかない。
だからこそ,何も言えずに別荘へと戻るしかなかった。
朝食を終え,オリヴィアは仕立ての休憩ついでにレーヴェの様子を見に行く。
彼は自室で外の景色を見ながら考え事をしていた。
こちらに気付いた様子もなく,ぼうっとしている。
ジェイドの一件以来,彼は外に赴かない。
元は死ぬ方法を探すために情報収集を行っていたのだ。
新しい仕立ての依頼もなく,外出する理由はない。
声も掛けられずに静かに立ち去ったオリヴィアは,沸き上がる不安を抑え切れなかった。
「あの人は,私の呪いがレーヴェの不死を消すと言っていたわ。もしそれが本当なら,レーヴェを殺すのは……」
だが,そんな状況にも変化が訪れる。
以前断られたナタリアが,再び二人の元にやって来たのだ。
用件も変わらない。
オリヴィアが応対できる訳もなく,レーヴェが彼女との話し合いに応じる。
前回と違って,彼は何処か警戒しているようだった。
「……また来たのかい?」
「レーヴェ様! どうか,考え直してはくれませんか!?」
「何度も言っているけれど,僕はレーヴェ・トライドールじゃない。君とは何の関係もない」
「何故認めて下さらないのですか!? 当主の座に,そして王の座に就きさえすれば,その権力で望むものが全て手に入るんですよ!?」
「望むもの,ね。生憎だけど,君の考えているものの中に,僕の望みはないと思うよ」
望むもの全て,という言葉に反応しながらも拒絶の意思を崩さない。
寧ろそれが余計に逆撫でしているようだった。
どれだけ言ってもその場を動かないレーヴェに対し,暫くしてナタリアは落胆するように肩を落とす。
同時に少しだけ,彼女の雰囲気が変わった。
「どうしても,引き受けてはくれませんか……?」
「君達の問題だ。君達の力で成し遂げればいい」
「……分かりました。そこまで頑なだと言うなら,私にも考えがあります」
嫌な予感がする。
隠れて様子を見ていたオリヴィアは,不安を覚えて顔を覗かせる。
おもむろにナタリアが取り出したのはナイフだった。
やけに光沢があり,買ったばかりに思える一本。
話し合いの場に不釣り合いな凶器に,場の空気が固まる。
まさかレーヴェに危害を加えるつもりなのか,とオリヴィアが思った瞬間だった。
あろうことか,ナタリアはその切っ先を自分の喉元に向けたのだ。
断られるのなら,ここで命を絶つとでも言うのか。
突然のことに,オリヴィアは声を上げる暇もない。
咄嗟に反応したレーヴェが,いつになく慌てながら飛び掛かる。
「馬鹿なことを……!」
喉に突き刺さる寸前,レーヴェはどうにかナタリアの腕を掴み取る。
手に握られた凶器を取り上げ,割と呆気なく場は収束した。
思わず胸を撫で下ろすオリヴィア。
だが,次第にその異変に気付く。
彼の様子がおかしい。
何かに耐えるように,その場に固まったまま動かない。
そしてその後,両膝を屈し,胸の辺りを抑え始めたのだ。
「っ……!?」
「レーヴェ!? どうしたのっ!?」
レーヴェの表情が苦しそうに歪んでいる。
死の呪いなど,最早関係ない。
今まで見たこともない様子に,オリヴィアは彼の元に駆け寄る。
ナタリアは複雑な顔をしながら,現れた彼女を見た。
「ごめんなさい,仕立て屋さん。私も手段を選んではいられないんです」
「貴方! 一体何をしたの!?」
「不死の呪い,生の呪い。呪いを持っているのは,彼一人だけじゃないんですよ」
意味深な言葉を頼りに,オリヴィアはナタリアが行ったことを悟る。
「まさか,私達と同じ呪いを!?」
「あら,貴方も何かしらを抱えていたんですね。でも,これで終わり。私に触れた時点で,レーヴェ様にはもう,私以外の言葉は届かない」
「何ですって……!?」
「さぁレーヴェ様,行きましょう。私と共に,生まれ育った故郷へ」
ナタリアの呪いの正体も,何が発動の鍵になったのかも分からない。
ただ人を洗脳させる類のものだという事は理解できた。
つまり王の座を拒む彼を,呪いを使って無理矢理従わせようとしているのだ。
震えていたオリヴィアの両手に,少しだけ力が込められる。
しかし,何よりも先に冷静な声が響いた。
「触れた人の心を惑わす魅了の呪い……確かに強力だね」
「!?」
「近場の街で噂になっていたよ。最近,得体の知れない呪いを持つ子が,周辺に探りを入れているってね。でも言った筈だよ。僕は,あそこには戻らない」
それは紛れもなく,彼自身の言葉だった。
「レーヴェ! 大丈夫なの!?」
「うん,オリヴィアの声もちゃんと聞こえる」
「あ,あぁ……! 良かった……!」
自力で呪いを凌いだのだろうか。
先程と違って苦しんでいるようにも見えず,レーヴェは微かに笑みすら浮かべている。
ナタリアも,彼が呪いを耐えきったことに驚きを隠せないようだった。
「どうして……私の呪いが効かないなんて……。こんなこと,今まで一度も……」
「さぁ。僕にもよく分からない。生の呪いが,君の呪いに抵抗したのかもしれない。でも,一つだけハッキリとしていることがある」
一旦区切って,彼はナタリアを見上げた。
「この気持ちは,美しくない」
「え……?」
「捻じ曲げられた意志,進む道が歪められた感覚。僕にはこれが,美しいものとは思えない」
「な,何を,言っているんですか?」
「美しさは,一種の憧れなんだ。恋しいことと美しいことは,違うんだよ」
「わ,訳が分からないです……! 一体何を……!」
ナタリアには,今の会話が理解できないようだった。
だからあえて,レーヴェはもう一度だけ明言する。
「もう一度言う。ナタリア,僕は君の元には戻らない。この先,何があっても」
「っ……!」
呪いを使っても尚レーヴェは従わず,ナタリアは手段を失ったようだった。
彼女は耐えかねたような顔をして,その場から逃げ出す。
オリヴィアもその後を追おうとはしない。
代わりに去り際の瞳が,一瞬だけ昔の自分と重なったように感じた。
「これで少しは,彼女も懲りたかな……?」
「レーヴェ……彼女が呪いを持っているって知っていたなら,どうして……」
「……穏便に済ませたくて,話し合いでどうにかしようと思ったんだ。なるべく彼女に触れないように,細心の注意を払ってね。でも……」
辛そうな声でレーヴェは吐露する。
「刃物を喉に突き立てようとした時,あれがブラフだと分かっていても……止めずにはいられなかった。考えるよりも先に,身体が動いてしまったんだ……」
不意にレーヴェの身体がよろける。
息を少し乱しながら,オリヴィアの身体に寄りかかる。
「レーヴェ?」
「ごめん……少し疲れた。暫く,こうさせてほしい」
魅了の呪いを受けた以上,大なり小なり影響を受けている。
もしかすると,気力だけでナタリアの誘いを断ったのかもしれない。
オリヴィアは,小柄な彼の身体をゆっくりと支えた。