~第一章~ 内に秘め事を
「……………………………………………………………………」
再び意識が落ちたままどれぐらい経つだろう。
『あれから眠りについてもう感覚さえもおかしくなっていそうです。起きたらどうなっている? ……ただ今までとは違う』
それは前に感じた頭が眩むどんよりとして漆黒というよりもヘドが混じりあったような闇や、鉛が体中に圧し掛かっていた体の重さがあのときよりも軽くなったように思える。
それに加えて自分がどこかで寝ているであろう。
自身がちゃんと確保されているような安心感がある。
この前のような不安感というものが強く感じられない。
むしろ守られているとも思えた。
その甲斐あってか、意識が早めに回復するのを実感し。
「…………………ん」
呼吸を整え、そして瞼に微量な力を入れる。すると今まで開けられなかった瞼がゆっくりと開けることが出来た。
「…………んん……むぅ……!」
しかしすぐには開けられない。
ずっと暗闇のまま閉じ切っていた目にとっては瞳孔が充分に開ききれておらず、眩しさを感じずにはいられない。
でも、早く覚まして体を起こしたい。
その気持ちも逸っており、言うことを利かない体にもどかしさを覚えた。
それから漸く半分以上開くことが出来た。数回瞬きをしながら目を慣らす。
本当に長い間眠っていたように思える。
目を開けて最初に飛び込んできたのは木で出来た天井。
張りがありながらもどこか風情漂う造りである。
それを見た彼は改めて自分は屋根の下に存在していることを認識した。
次に実感したのはちゃんと掛け毛布で身が包まっていたこと。
彼は体がどれだけ動くのかを確認するためにまずは首だけを数回左右に振りながら辺りを見回す。この場所は仕切られた一角の部屋。綺麗な屏風や几帳が周りに仕切られており、部屋の隅には数個大小様々な葛篭が置かれていた。そして蔀の隙間からは朝日が漏れ差し込んでいるのが見える。
そして最初に耳に聞こえたのは数羽の雀の声。可愛くも涼やかな声が心地よく染み渡る。起きた時間は朝だということを目が覚めて初めて実感した。
「…………あぁ……」
彼が次に試したのは溜息。
「……寝、すぎて……しまい、ました……ああ……」
すんなりではないものの、不安定ながら声が出た。
こうして確認しては何度も自分の身が無事であることを実感し、それでまた更に安堵する。
「……では起きて、みましょうか……っ」
全体に力を入れてみる。だが流石にすんなりとはいかない。体のだるさが重みとなって完全には抜けきれていない。なので慎重にゆっくりと手や腕で上体を支えながらゆっくりと上体を起こした。
「はあー……ふうー……」
そして、上体が完全に起き上がり、深呼吸をして気持ちを整える。
「……こんなに長く眠ったのは、久しぶり、でした……」
落ち着きを取り戻し、改めて左右全体を見渡す。部屋の一角を囲う木の温もりが肌身に感じる。ゆっくりと空気を吸っては吐く。身元を確認するといつの間にか純白の寝間着に変わっていた。
「……ここは……どこのお屋敷……なのでしょう? 少なくとも、私の住んでいたところでは、ない……」
見覚えのない風景に思考をこらしていると廊下の方から早足ながらも荒々しい足音が近づいてくる。
「っ!?」
「おう! 無事に目が覚めたようじゃねぇか! なによりなにより!」
突然几帳の仕切りから来訪者が現れた。
彼は咄嗟に掛け布団を上半身覆い隠してしまう。
掛け布団の隙間から見えた彼の目に飛び込んできたのは薄栗色の癖っ毛のある長髪に、左下よりに結止めをしている。細長い目は綺麗な黄金色の強い瞳を宿し、細長の整った顔。何よりも大柄で男らしさ引き立つ引き締まった肉体。ざっくばらんに軽快に通った声。そして唐草模様の柄に白と黄金色が交った高価な反物の着物を纏い、それを大胆に着崩している。
「ああっと、そんな驚くなって! 安心しな、お前を悪いようにはしねぇし!」
「………………っ」
青年はなだめさせようとするが、彼は初めてみる青年に警戒心剥き出しに睨んでしまった。というよりも風貌や体格や声量から威圧を感じてそれが更に畏怖感をかもしださせたのだと思う。
「ああ、ええっとだな、そんな怖がらなくても……って、あの時の状況を考えると無理もねぇけど」
「………………」
折角声が出せるのに彼は中々声が出ない。出せなかった。
それよりも警戒心の方が強く前に出てしまう。
このときの彼は気が動転し、冷静ではなかった。
「まあ、まず起きたらここがどこか、どういう状況か説明する必要があるから入って大丈夫か?」
「…………」
そう言われるも「どうぞ」という一言が簡単に出ない。しかしここがどこだか知る必要があり、自分の状況を把握する必要がある。彼は子どもではない。物心が分かる立派な青年である。ここは肯定するしかないと悟った彼は返事の代わりに縦に頷く。
「おう、じゃ入るぜ!」
その動作に気づいた青年は大股に数歩、彼に近づいた後に床にどかっと胡坐をかいて大柄に座る。彼は思わず身をすくめ、目を合わせない。耳を傾けるので精一杯のようだった。
「とりあえず、目が覚めてよかった。お前、あの時から五日間目覚めなかったんだ。起きなかったらどうしようかとも思ったからよ」
『五日間? そんなに私は深い眠りについて……でも、もっと眠っていたようにも感じる』
声を出さない代わりに彼は思う。自分が五日間の眠っていたと知った。深い闇を彷徨っていた彼にとっては一年にも匹敵するような長さだった。
「この前のこと、覚えてたりするか? っていってもお前、倒れてずっと寝たままだったしな」
『……この声。聞き覚えはある。……確か、私が死んでいないことを確認してくれた。それがこの男、か……悪い人ではない、憶測だが……』
顔を動かさず、横目で見やることで確認出来た。
「一応聞くが、お前が倒れていたときのこと覚えてたりするか?」
「……っ……ぁ……っん」
彼は思い切って喋ろうと試みるが何故か喉の器官や体が無意識に震え、上手く話せない。喉元を抑え、震えを抑えようとするが止まらない。
先ほどまではちゃんと声を出していた筈なのに。
「声が出ないみたいだな」
「……っ、……っつ!」
否定の意味で首を数回横に振るものの、思うように声が出ず、何故だか痙攣ししぼんでいるかのように発することが出来ない。
「無理はするな。あれから五日間も眠って体のだるさで声態が鈍っている。いっときすりゃあ声がちゃんと出るようになる。なんで分かるかって? 実は俺の一族は薬を扱っていたんだ。それを幼少の頃から学んで身についているから体のどこが悪いかも分かるし、状態も熟知している。お前が死んでないことを診断したんだぞ? 俺がいなかったら今頃鴉の餌か野晒し状態だったぜ?」
「……」
「とりあえず倒れていたお前を俺が連れてきたってだけは分かってるか?」
彼は青年の言葉を聞いて納得し、小さく縦に頷く。
「よし! わかりゃあいいんだ。んで、まずこの場所だけど、ここは俺の屋敷。つまり俺の住む居住地だ。ここなら安全だから安心して休んでいいぜ」
「………………」
彼は視線を矢の明後日の方向に向けたまま、聞くばかりで相変わらず沈黙を突き通す。青年は指図せず、構わず会話を続けた。
「お前倒れる以前の事を覚えているか? ここから数里先の林の道で。俺がお前を偶然見つけ出した。しかも、お前の全身が血塗れの状態で……」
「………………!!」
青年からその言葉を聞いた瞬間、彼の脳裏にある光景が浮かぶ。
それは明々と揺らめく炎に包まれる情景。
飛び交うおぞましい断末魔。
血塗れになった自分の姿。
そして目の前の黒い影。
その黒い影は鬼の形相で睨み、嘲笑う光景が脳内に木霊となって走馬灯になって巡り。
「っっ、っっ!!」
彼は瞼と瞳孔が一瞬で見開き、思わず狂ったように体を羽交い絞めにしたり、爪を立てたり、頭を抱えて蹲った。
「あっと、すまねぇ! ……いやなこと思い出した、か?」
「……ぁ、ぁ、う、うぅうぅ……!!」
荒い息で胸を上下揺らしながら、その額や顔からは冷汗が流れ伝う。
艶のある綺麗な髪の毛をぐしゃりと鷲掴みにし、握り潰すかのように指の間に挟みながら恐れ唸る。
「不覚な聞き方だった。大丈夫だから落ち着け、な? すまねぇ……野暮なこと聞いた。お前、見るからに相当ツライ思いをしたんだな」
「……っ……ふっ……ふぅ……」
息はまだ少し荒いがどうにか落ち着きを取り戻してきたのが目に見える。
「大丈夫か、続けるぞ。お前の身に何があったかは敢えて聞かねぇ。まあ、それでお前が倒れていた状況に驚いたけど、外傷がなかったから本当によかった。ただお前が着ていた服はほぼ血だらけでもう着れる状態じゃなかったから寝ている間、勝手に破棄しちまったけど衣服はこっちで用意するから心配しなさんな」
「………………はぁ」
浅い呼吸をして平静さを取り戻す。そして再び視線を背けたまま青年の声に耳を傾ける。
「それと急な話ではあるが、俺はお前を匿うことに決めたからよ。一人くらいなら寝食を提供するし。これで安心だろ?」
屋敷の青年は笑顔を向ける。彼は口を噤んだまま軽く首を傾げ、疑問を伝える。
「その、なんで匿うかって問うと……言っちゃわりぃが……お前身寄りがねぇんじゃねぇか?」
「…………っ!」
彼は眉を僅かに顰める。それを見逃さなかった青年はやはりと察した。
「どっから逃げのびてきたかは分らねぇが、今の世情は不安定だ。身寄りのないまま外へ出ても、のたれ死ぬのがオチだ」
「…………」
口には出さなかったがその変わりに顔に影を落とし、眉と目が垂れ、肩が下に落ちている。自分の現状を把握し、理解し、悟った様子が態度に出た。
「だからここをお前の家として居てくれて構わない。俺に任せとけ、な?」
「……」
無言の変わりに彼は少しだけ顔を青年の方向に傾け、顔を見る、がすぐに目が泳ぎ、顔を下に背ける。
「まあ、声が出ないのはしょうがないにしても!」
青年は突然腕を伸ばし、彼の顎を取ると自身の方向にぐっと向かせた。
突然の行動に彼は驚いて抵抗が出来ず、されるがままになっていた。
「ちゃんと人の話は顔を上げて、目と目を合わせて、面と向かうもんだ! それぐらいは人として、礼儀として、分かってんだろ?」
「……っ」
正論である。
世話になっておきながらこの屋敷の主である相手に顔を合わせないのは無礼な態度。
それは彼も十分に分かっている。
しかし、自身の事に捉われていた彼にとってはそんな作法すらも気にする余裕はなかった。
「それに俯いていたら気分が塞ぐし、気が沈む。ちゃんと上を向け!」
「……」
面と向かいあったおかげでまともに顔を見られた。
威厳が強く宿る黄金色の瞳の青年がしっかりと彼の目に映っており、青年の力強くも心ある声がしっかりと耳に、脳に、心に焼きつき、その間は嘘のように体の震えは止まっていた。彼は首を縦に振り、肯定する。
「ん、わかりゃいいんだ!」
納得すると掴んでいた顎を放してくれた。
「それに男の俺が言うのもなんだが、お前世にも稀な美貌の持ち主だ。それが陰に沈んじゃ勿体ないぜ」
「!!??」
それを聞いた彼は顔を赤くしながら激しく首を横に振り、否定を表す。
「嘘はつかん。世の女や物語の竹取のかぐや姫ですら嫉妬してしまいそうな欠けどころのない容姿端麗だぜ。こりゃ俺んとこの腰元どころか男も虜にしちまうぜ。ヘタすりゃ男ですりゃあ手出しちまいそうだが、おっと! こんな事言ったけど、俺にはそんな趣味ねぇから勘違いはすんな! ただ、この俺ですら容姿には自信あったが負けを認めざるを得ないほどの美貌ってこった。くやしいってもんだ!」
「――――」
単刀直入に真正直に感想をいう青年に彼は益々俯いてしまう。
「それに初めて見るが、瞳は特に綺麗だ」
彼の切れ長の瞳孔は澄んだ碧翠色を宿していた。
「……っっ」
しかし彼にとってはまたも激しく首を横に振る。目を覆い隠したくなる衝動に駆られ、咄嗟に目を瞑ってしまう。
「まあ、確かにこの国にその髪や眼は珍しい色ではあるけど、俺にとっては羨ましいくらいの瞳だ。その瞳は神に授けられた特別なもんだ。まるで選ばれし者の象徴みたいだな」
「…………」
「じゃあ次に伝えることがある。この屋敷にいる家臣や従属、腰元もお前の事情は知っている。俺がいない間、知らないことがあったら遠慮なくそいつらに聞いてくれ。ここにいる以上は俺が身の上を確保してやっから安心しとけ!」
青年の顔は頼りがいのある笑顔を湛え、輝いていた。胸を張って言い切るその姿に戸惑いながらもほんの少しの希望が内に宿った。
「よし、まだ色々と話すことはあるがとりあえずはメシにしよう! 俺も腹が減った! お前の分はここに持ってくるから待っとけよ!」
「……ぁ」
顔の表情から納得した青年はそういって勢いよく立ち上がり、その場から去って行った。いなくなって漸く、心の安定を取り戻した。
「……はぁ……私は、怖くなったのか……人が……。結局、この屋敷の主の名を聞けなかった……」
無意識に震えていた喉の器官が治まる。手を前に握り締めると何かが彼の掌に当たった。彼の胸には首から下げた飾り紐。
飾られていたのは肌身離さずずっと下げていた首飾り。それを納め、目を瞑り胸に押し当てる。
『お世話になっておきながら、この先私の身分は、名は、誰にも言ってはいけないようです……だから託してくれたこれも、見せてはいけない……私の胸の内に……』
彼の手に持つ首飾りを強く握りしめ、強く心の中で誓う。
「父上、母上……それでも私は掲げた誇りを、決して忘れたりはしません」
カチカチカチカチ――
規則正しく、刻み奏でる小さな金音。
彼は首から下げたそれをすぐに胸の内に隠した。
身の安全は確保出来たものの、これから先、自分がどうなっていくのか不安も募っていたときだった。
みあこです、作者です。
投降したこの時点では梅雨入りですね。新年を迎えたあの日が五ヵ月が五日後なのではというような早さで進んでいます。
年を重ねるごとに時間の感覚は早くなっていきますよ!与えられた時間はみんな平等!悔いのない人生を過ごしてください!
以上!