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遠征不在の心得



 次の日の夕刻間近。時貞ときさだは昨日行長達が稽古をしていた庭へと先にやってきた。


「おう、待たせたな!」

「お待ちしておりました行長ゆきなが様……と、おたあ殿?」


 行長の後ろにはおたあが一緒についていた。


「せっかくだから、こいつの役目のために後で色々と世話をやってもらおうと思ってよ」

「おたあ殿に、ですか?」


 刀の稽古に女性であるおたあがお世話をするということがいまいち結びつかないでいる時貞。


「まあ、後で分かるから。それよりほら、木刀だ。まず刀を扱う基本中の基本をお前に教えないとな」


 持ってきてくれた木刀を時貞に手渡す。


「まず刀の持ち方からだ。教えるからしっかりよく聞いとけよ!」

「はい、お願い致します」

「まずは構えてみろ」

「こう、ですか?」

「ほら、刀が下がり過ぎている。構えるときはこのぐらい上に向いていないとだめだ。この体制を常に保っておくこと」


 行長が木刀を上向きにして修正する。


「この状態を、常に……っ」

「木刀も案外重いだろ? だがこれが本当の真剣だったらこれ以上に重いからな」

「そう、なのですね……っ」

「柄を強く握り過ぎている! あまりここに力を入れすぎるな!」

「は、はい!」


 基本の教えは数時間続いた。


「せいっ、せいっ!」


 辺りが暗くなり、庭にある篝火を灯して明るくし時貞は教えられた素振りを何度も何度も繰り返した。


「ん、基本の飲み込みが早いおかげかだいぶ様になってきたな」

「はい、有難うございます!」

「だが、まだここは基本だ! 実践して初めてものになる、ここで安心はするなよ!」

「はい!」

「これを自主的に毎日怠らずやれよ。よし、基本はこれぐらいにしてと、んじゃおたあ、庭に出て」

「はい、主」

「え、ええ??」


 行長ではなくおたあが木刀を持って庭へと歩んでくる状況に予想外の展開に驚く時貞。


「よろしくお願い致します、トキ様」

「あの……少々お待ちください、行長様、どういうことですか? 何故おたあ殿が庭へ?」

「何故って、おたあがお前の稽古の相手をするからに決まってるだろ」

「そ、そんな!?」


 行長の予想外の発言はいつものことだが流石にこの状況での発言に理解が追い付けなかった。


「俺との相手じゃお前は力不足だ。だからまずはおたあを相手に稽古をつけようと思う」

「おたあ殿は女性ですよ。怪我でもしたら大変なことに……!」

「ふふん、そういうか。お優しいことだな。しかし、その優しさが後悔することになるぜ」

「え……?」

「おたあ、準備しろ」

「はい、主」


 時貞の心配をよそにおたあは躊躇することもなく木刀を手に取り準備を整える。


「あの、本当におたあ殿を相手に始めるのですか?」

「始める、ぐずぐずしないでトキも構えろ!」


 行長に有無を言わさず時貞はおたあと対面し、木刀を構えることにした。


「よろしくお願い致します、トキ様」

「はい、よろしく、お願い致します」


 複雑に思いながらもお互い一礼して木刀を構える。


「じゃあ、まずおたあが先に攻めてトキは木刀を受けろ」

「「はい」」


 するとおたあの気合が明らかに違うのを感じ取った時貞。


「はっ!」

「くっ!?」


 おたあが素早く踏み込み、木刀が時貞に向かって勢いよく振り下ろされ、先ほど行に教えられた通りに木刀を横に構え、受けの姿勢をして受け止めた。その一撃が行長ほどではないものの勢いは遜色なくおたあの力強さを木刀から体全体に感じた。


「っと!」

「おたあ、もう一丁!」

「ふんっ!」

「わ、ちょっ!」


 行長の指示でおたあは次の一手を振りかざす。それをかろうじて受け止めるも衝撃で手の痺れが脳に伝わる。


「トキ、その体制を保ちながら、おたあ連続でかませ!」

「はああっ!」

「わ、ちょ、ちょ、待っ……!」


 おたあが勢いを更に加速させ、素早く木刀を連打し始めた。それを必死に受け止める時貞ではあるが。


「く、う、ちょ、っと……あっ!!」


 手の痺れに耐えられず、思わず木刀を落としてしまった。


「っつう!?」


 おたあも流石にそれを見かねて木刀を振り下ろすのを止めた。


「トキ様、大丈夫ですか!?」

「え、ええ、大丈夫……」

「トキ、木刀を落としたらダメだろ! 刀は武士の命、魂だ! それを手放すということは命を手放すと同じ! これが戦場だったら不利になるし、その時点で即死だろう!」

「は、はい! 申し訳ありません!」


 行長の叱咤に時貞が深く謝罪する。


「もう少し加減すればよかったです。トキ様に怪我でもさせたらと思ったら気が気では……」 

「大丈夫です、怪我はしていませんので心配はいりません。しかし、おたあ殿はお強いですね。感銘を受けました」

「特別に主に稽古をつけてもらっています。このご時世、敵が攻めてきて籠城戦になって武士の者になにかあれば城を守るために護身術として鍛えさせてもらっています」

「そうなのですね。護身術以上の実力で本当に驚きました」

「トキ、感心している場合じゃねぇだろ! 敵相手だったら感心している状況じゃねぇだろうが! その自覚を持て!」

「はい、面目ありません……」

「ったく、お前のそういうところは悪くねぇが……まあ今日はもう遅い。稽古はここまでにしようか。寝るぞ!」

「はい。行長様、おたあ殿、本日は有難うございました!」

「ええ、こちらこそ有難うございました」

「明日から鍛錬しておけよ!」

「承知致しました、こちらの木刀お返しします」

「これから鍛錬するんだろ? それはお前のだ、とっとけ!」

「あ、はい! 大切に扱わせていただきます!」


 夜も更け、三人が稽古を終えた姿を好次よしつぐが廊下の端から見ていた。


♰ ク ♰ ロ ♰ ノ ♰ シ ♰ タ ♰ ン ♰


「せい、やぁ!」


 朝早くから時貞は祈祷を終えた後、庭の片隅で昨夜の鍛錬を自主的に行っていた。教えられた素振りを何回も繰り返し、腕や握っている手が痛みだしてもめげずに木刀を振っていた。


「お早う御座います。あら、トキ様。早朝の鍛錬ですか?」

「あ、おたあ殿。お早う御座います」


 そこへお膳を運びにやってきたおたあが部屋へとやってきた。


「そうと分かっていれば手拭いをご用意致しましたものを……」

「いえ、私が自主的に行わせてもらっていますので。あ、もう朝餉の刻限なのですね。遂、没頭していました」

「さあ、汗もかいているでしょうから着物と袴を着替えてください。用意しているその間手拭いを持って参りますので」

「手間をかけます」


 時貞は一端朝の鍛錬を止め、おたあは部屋に朝餉が乗ったお膳を置くとすぐに手拭いを取りに戻っていった。


「ふむ。いつも思うこと、刻限が分からないと困りものですよね。大体は太陽の動きで察するものですが、没頭しているとつい忘れてしまう。身近に何かあれば……あ!」


 時貞は不意に思い出したかのように懐から隠している十字架を取り出した。その十字架の真ん中に丸みのある窪みには時計が埋め込まれていたことを思い出した。


「これ、確か刻限を確認出来る時計というものがはめ込まれていました。これを目安に見れば今どの刻限か分かる、はずですが……見方が詳しく分からないのが難点ですね……」


 戦国の世に時計というものが普及していないこの時代は線香時計や太陽の動きの憶測で刻限を見るもので、時貞も時計を実際見たのは長崎で留学していた先に南蛮人と出会い、その持ち物を見たことしか記憶になく、実際の時計の見方を詳しく聞いていなかった。


「これどうやってみるのでしょう、長い針と短い針が別にあって、もう一本の針は常に右回りに小刻みに動いている……これ、どう見ればいいんですか……?」

「トキ様、トキ様!」

「ん? あ、おたあ殿、いらしていたのですか!」

「どうなさったのですかぶつぶつと呟かれて」

「い、いえ、こちらのことです! あ、手拭い持ってきてくれたのですね!」


 咄嗟に十字架クルスをしまいながら話を逸らす。


「ええ、こちらで汗をお拭きとり下さい」

「有難うございます」


 手拭いを受け取るとまず顔や額からさきに汗をぬぐい、首回りにうなじに沿って拭っていく。


「髪を短くしたので拭きやすいですね」


 自身でばっさりと長髪を切って不揃いに短くなった髪に思わぬところで利便良く拭えることに不意に呟いたあと、おたあが後ろからあることを告げた。


「トキ様。こちらへ来る途中、あるじにお会いしました。伝言を託って、朝餉を食べ終わった後に重要なお話があるから玉座の間へ参上せよと。今回は従者や武士の皆様を含めた重要事項だそうです」

「行長様から? それでしたら参らねばなりませんね。ということはおたあ殿も、ち……好次殿も同じく玉座の間へ参上されるのですね」


 咄嗟に「父上」といいかけそうになったがおたあは好次が時貞の息子という自覚もなければ全く知らない。思わずはっとし、言い淀みながらも焦りを気づかせないように濁しながら別の話題を振ることで逸らした。


「はい、皆様参られるでしょう。皆様を集めるということは余程の事柄とお察ししますが」

「それを聞いたならば猶更急いで朝餉を済ませないと」

「トキ様、新しい手拭いです。こちらで改めてお体をお拭きください」

「はい、お借りします。すみません目の前で失礼して……」


 水に浸した二枚目の手拭いを差し出し受け取ると、おたあに気を利かせて上半身の着物を脱ぐ。


「トキ様の部屋から葛籠の中から新たな着物を取り出しますので脱いだ着物は置いてください」

「お手数かけます」


 おたあは時貞の同意を得て部屋へ入り、葛籠から着物と袴を取り出す。


「脱いだ着物お預かりします」

「ええ、あとお見苦しいところを見せて申し訳ないです」


 上半身裸になって汗を拭っているところをおたあを気にかけながら声をかける。


「お気になさらず、主がいつもされているので……」

「そう、ですね。この前もされてましたし……」

「……あの、もし差し支えなければ背面の方を拭うの手を貸しましょうか?」

「え、は、な、おたあ殿が……!? そ、それこそ更に申し訳が……っ!」


 急に時貞の背面を拭うと名乗りを上げただけに驚いた表情と覚束ない声でおたあを見やる。


「背面は届かないでしょう。その辺りは私が拭いますのでお座りください」

「え、はぁ……」


 断るに断れないことに内心気が気ではなかったがされるがまま従うことになった。恐る恐る縁側に座る。


「お背中失礼します」

「お、お、お願いします……!」


 桶の水に浸した手拭いの冷たさが直に伝わるがそれが涼しさに変わり、初夏の季節には丁度いい心地よさとなった。そしておたあの絶妙な拭き加減で背中全体に拭きわたった。


「力加減は如何ですか?」

「ええ、気持ちいいですよ。水が冷たくて暑くなるこの季節に丁度いいです」

「夏も到来でこれから湿気の暑さも相まってきますから、水分はこまめに補給してくださいませ」

「お気遣い傷み入ります。さあ、汗もすっかり拭えました。ありがとうございます」

「そういっていただいて……その、光栄です……」


 おたあが消え入るような声で喋るために時貞は思わず振り向いて様子を伺う。


「……おたあ殿、どうなされました?」

「あ、いえなんでもございません……さあ、お着物をご用意致しましたので着替えを」


 なんだかソワソワと落ち着かない様子ではあるが目元を鉄の仮面に覆われてよく分からない。


「はい、着替えましょう」


 部屋へ入るとおたあが葛籠から出していた着物があった。まず履いている袴を脱いで上の下に着る着物と上に着る着物を二重にを羽織りそこから袴を履き、紐を回しながら前へ結び、着替えは完了した。


「さて、着替え終わりました」

「では、こちらの着物は洗濯致します。お膳を引きにまた訪れますのでお召し上がりください」

「はい、お願いします」


 おたあが脱いだ時貞の着物を綺麗に畳み、そのまま持って部屋を後にする。


「この時計の見方をどう読めばいいのか……と、そんなことを考える暇はない。朝餉を食して玉座の間へと急がねば。その後からでも考えましょう」


 十字架クルスについている時計については後で考えるとして、朝餉の献立は質素ながらご飯、汁物、漬物、煮つけ、そして焼き魚が鍛錬の空腹を満たしてくれたのであった。


♰ ク ♰ ロ ♰ ノ ♰ シ ♰ タ ♰ ン ♰


 朝餉を食した後、おたあの言伝ですぐ玉座の間へ急いで向かった。


「時貞、参上仕りました」


 その周りには小西一族に仕える武士、好次、そしておたあが揃っていた。そして最後に行長が玉座の間へ入ると全員揃って一礼をした。


「さて、これで全員だな。面を上げよ」


 行長の了承によって全員面を上げた。玉座に座るときの行長は普段と違って大名の風格を感じさせた。

「お前たちを呼んだのには重要な話がある。大阪城におわします上様、豊臣秀吉とよとみひでよし様の具合が悪いことは書状を通じて皆、重々理解していると思う。これは豊臣一派に所属する俺たちにとっては重大なことで、この先の小西一族の命運を大きく左右されるものだと気を引き締めて心得てくれ。それを機会に、俺はしあさってより大阪城へ出向くことにした。側近である石田三成いしだみつなり公からの書状によって、様子を見るのも兼ねている。いつこの宇土城へ帰って来られるか分からないが、この場に残る者に留守を願う。差し当たって、トキ、おたあ、好次、そして他数名をこの城に残そうと思う。残り全員は大阪城へ出向くために同行を頼む。誰を連れてこの城に残すかはこちらで決めることとする」


 連ねた言葉に全員が了承をし、肯定の意を見せる。


「理解してくれて助かる。同行する者も残る者も気を引き締めてよろしく頼むな。俺からは以上だ。各自持ち場に戻ってくれ」


 全員が一礼をすると武士たちは各々持ち場へと戻っていった。


「トキ、おたあ、好次。お前ら三人は少しこの場に残れ」


 行長の言葉に三人はその場に留まった。


「聞いた通りだ。俺はこれから大阪に長期滞在へ行ってくる。向こうでは色々あったけどまだ豊臣一派の庇護を得ている身分上、様子も心配だしな」

「いつお戻りになられるのですか?」

「未定だ。少しばかりじっくりと入り組んだ話をしたい相手もいるから帰る頃になったら書状で伝えようと思っている。その間長らく留守にするが任せても大丈夫だな?」

「はい、お任せください主。旅の道中長くなると思いますので、早速女中たちと協力して非常食と丸薬と塗り薬を準備致しましょう」

「おう、頼むなおたあ。好次はまだ慣れない中で留守を任せるが大丈夫だよな?」

「は、お役目を果たしてみせます」

「そしてトキ、お前はちゃんと俺がいない間にやるべきことや鍛錬を怠らないこと。世話するやつもいるんだから責任持てよ」

「は、お任せくださいませ」

「おたあ、そして好次。すまないが俺の代わりに合間にトキの稽古の相手をしてやってくれねぇか? トキの実力は素人以下だからしっかり扱いてやってくれ」

「はい、武士の心得は幼少の頃から学んで御座います」

「私はこれから行長様たちの旅の準備に取り掛かりますので、合間でよろしかったら好次殿に稽古を頼めますでしょうか?」


 準備のために合間のないおたあは代わりに好次にお願いをする。


「ええ、お任せくださいおたあ殿」

「お手数おかけします、好次殿……」


 申し訳ないやら情けないやらで頭がいっぱいにお辞儀をする。


「いいえ、一緒に励みましょう」

「それからトキ様、例のお方のお世話もお願いします。食事はこちらで作りますのでお膳運びやお世話をお願い致します」

「はい、お任せください」

「じゃあ、俺からは以上だ。改めて各自持ち場についてくれ。解散!」


 行長の号令より三人はそれぞれの持ち場へと戻っていった。


♰ ク ♰ ロ ♰ ノ ♰ シ ♰ タ ♰ ン ♰


「失礼致します」

「はぁぁぁあ…………」


 刻限は昼。襖を開けると部屋の奥の褥で上半身を起こして体育座りで蹲って大きくも重いため息をついている青年。時貞は見かけた瞬間呆気にとられた驚きをした。


「ロ、ロルテス、殿……」

「……トキ君、おーそーいー……!」


 体制を変えず顔を横に向けながら、眉を八の字に顰め睨みつけるように不満を漏らした。


「お待たせして申し訳ないです」

「おーなーかーすーいーたーしー……」

「動いてなくてもお腹は空くものですね。お待ちかねの昼餉ひるげですよ」

「やっとか……! 朝なにも食べてないからお腹空いて気が気でなかったよ……」


 空腹で気が沈んでいるロルテスに時貞の手にはお膳があった。


「喜んでください。ロルテス殿の昼餉が少し豪華になってますよ」

「え、どういうこと?」

「この度念願のお粥から白ご飯へ、そしておかず一品を貴方に提供することが出来ました」

「え、本当に!?」


 それを聞いたロルテスの表情は一変して明るいものへと変わった。


「病人食から普通の食事に試してみては、と私が願い出たらおたあ殿から了承を得られたのです。これで正常な貴方にも少しは空腹を凌げられるのではありませんか?」

「これは助かるよ! 流石トキ君、気が利いてる!」

「褒めても何もでませんけどね」

「俺にとっては感謝感激だよ! おかず一品てどんなもの? 肉だったら嬉しいんだけど!」

「肉は出ません。貴方へのおかずはこれです」


 ロルテスに差し出す一品のおかずは。


「ふーん、これは岩魚イワナの姿焼きだね。川魚、か……」


 一目見ただけで魚の種類を一発で言い当てた。


「数十年この国に滞在しているだけに詳しいのですね。栄養もありますし、少しでも元気にというおたあ殿の計らいでしょうね」

「まあ、まだ刺身などの生魚よりかはいい方か……うん、ありがたい方だね」


 渋々ながらも空腹が勝っているためにロルテスなりに納得した。


「では、いただきましょう」


 時貞は静かに食前の祈りを捧げた後に昼餉ひるげにありつく。


「毎日熱心なお祈りだね」

「習慣ですよ。これは幼い頃から欠かさずやっていることなので」

「そう。ま、俺には関係のないことではあるけど。うーん! 白ご飯がこんなにおいしいと思ったのは久しぶりだ! そして念願のおかず、うん、生魚じゃない! いい塩加減で臭みもない! これをテンプラにしてもおいしいんだけど、贅沢は言えないか」


 まともな食事を噛み締めながら時貞ときさだが城の事情を知ってもらうためにあることを通達することにした。


「あ、そうです。城の主である行長様がしあさってより大阪へと出向かれるそうです」

「城の主が大阪へ、へえ! それは随分と遠い所へ向かわれるもんだね」

「とても重要なことみたいで、様子を見に行かれるそうです。その間ここの主は長らく留守になります」

「期間はどのぐらい?」

「未定なんだそうです。帰る頃合いになったときに書状を送ると申していました」

「ふーん……」

 

 ロルテスが口に指をあてて思案気になった。


「何か考え事ですか?」

「いや、これはいい機会だなと思って」

「いい機会?」

「俺の今の状態をどう打開しようかと考えあぐねていたところだったんだ。これはいい具合に巡ってきたなと思ってね」

「治ったことを明かすのですか?」

「主が留守の間、いい具合に完治した言い訳が作れるよ」

「またそこに演技をいれるのですか?」

「元々俺は演技で君以外の人物を欺いているんだ。そろそろ普通の青年になるためにも自然に戻る手立てを考えてたんだ。長期間の留守なら丁度いいかなと思ってね」

「いっそのこと打ち明けた方が楽なような気がしますが……」

「最初からしたなら最後までやり通す。他愛ない軽い嘘だったらそこまでやる分、溝は深まらない。そこにはぜひ、君も共犯になってもらいたいんだけどな」

「それはお断りします! 我が主を欺くなんていう行為などとんでもないです!」


 正当な考えを持つ時貞はただでさえ隠し事を持っているにも関わらず、行長を裏切るような行為が心底いやで素直にロルテスの策に乗りたくなかった。


「おっと、言い方が悪かったね。是非、俺の完全復帰のために協力をしてもらいたいのです。どうか願いを聞いてもらえないでしょうか」

「今更丁寧に言い直したって駄目ですよ」

「その分君へのお返しはするさ。俺に出来る範囲であるなら」

「取引みたいなことを持ちかけたって駄目です!」


 懲りずに粘るロルテスだがお人好しの見た目と性質に反して、こうと決めたら決意を変えない時貞は頑なに拒否し続ける。


「あら、機嫌損ねちゃったかな。冗談半分で言ったのに通じないね。自然を装ってくれたら後は俺自身でこなすだけなのに……」

「自然にこなすって、でしたら私は必要ないのでは……っ!?」


 突然、一瞬ではあったが脳がグラッと揺らぐような感覚と空間が歪んだ錯覚を見た。その直後急に頭痛のような謎の痛みによって片手で頭を抑えた。


「く……っ!?」

「トキ君……トキ君!」

「……あ、え……私……?」

「どうしたの、急にぼうっとしだしたと思ったら頭を抱えて、痛むのかい?」

「……っ、胸元が」

「胸元?」


 時貞は懐に潜めていた十字架を不意に取り出した。


『また……微かですが、熱を帯びていたかのような……』

「それ、君の十字架クルスかい? 凄く立派だね」

「え、あ、はい。これは父上の形見なのです」

「形見……ひょっとして君の父親は……」

「ええ……でも、今は少し違う状況にあるのですが……」

「ん、それはどういうこと?」

「あ、いえ、こちらの話しです」


 先の未来で亡くした父親、この時代にいる若い頃の父・好次のことが脳裏に浮かべながら口にしたが、ロルテスには詳しい事情を教えていない上に、行長から今の状況を混乱させるわけにはいかないという理由で約束を交わしているために言うに言えない状況であった。


「あれ? 君の十字架クルス変わった型をしているよね? ……これってまさか時計?」


 ふと、ロルテスが十字架クルスの窪みにある時計の存在に気付いた。


「っ!? ロルテス殿、時計をご存じですか!」

「俺は持ってないけど、存在なら知ってるよ。でもこんな十字架クルスは初めてお目にかかったよ。珍しい形状もしているし、施している細工も繊細。時計のある十字架クルスなんて南蛮人の俺でも見たことがない、というか時計という物なんて俺の国では皇族や貴族しか持たない貴重なものを、まさか君が持っているなんて驚きだよ……」

「そうなのですか? 確かにこの国でも時計はないので珍しいといえば珍しいものではありますが、持っていてもどう時刻を見ればいいのか分からなくて……」

「ちょっと見せてもらっていい? どれどれ……現時刻、十二時五十九分五十七秒、と言っている間に三秒過ぎて、現時刻は昼の十三時丁度だ」


 十字架クルスを暫し拝借し、時計を覗くとすらすらと現在の時刻を告げた。


「え!? ロルテス殿は時刻が分かるのですか?」

「言ったでしょ、持たずとも俺の国で実物を見たことはあって実際に見方も学んだんだ」

「本当になんでもご存じなのですね!」

「時計を見るぐらいはお安い御用だよ」

「凄いです! あの、ぜひ私に時計の見方を教えてもらってもよろしいですか?」

「好奇心旺盛だね。まあ知らないことを知るのは悪くないけど、時刻の見方は知って損はないと思うよ」


 この経緯いきさつで時貞はロルテスから時刻の見方をより詳しく教えてもらった。


「……なるほど、これが時計の見方なのですね、とても興味深い」

「簡潔にだけど俺の説明は分かり易かったかな?」

「まだ把握するのに少し要しますが、ロルテス殿の説明は分かり易かったです!」

「それはよかった、なによりだよ」


 得意げな微笑みで知恵を教えたことに満足げでいた。


「また分からないことがあったら教えてもらってもよろしいですか?」

「それは今後のトキ君の働き次第かな?」

「私の働き次第?」

「時刻の見方を教えたということで俺の復帰協力、よろしくね!」

「え、ええええ!? ロルテス殿狡いです! そんな魂胆があったのですか!?」


 見事に自然にロルテスの欺き取引作戦にまんまと乗せられた時貞ときさだは今頃になって気づかされた。


「大丈夫だよ。君の悪いようにはしないし、言う通りにして自然に俺の復帰を見守ってくれればいいんだけだからさ」

「……やはり貴方に教えを乞うのをやめましょうか」


 当然と言わんばかりに時貞は拗ねてしまった。


「俺の言う通りにしてくれれば、君の不利益にはならないし強い味方になると約束するよ、ね?」


 ロルテスの懇願する姿と時刻の見方を詳しく教えてもらったことを回想し、難しい表情になりながら出した答えは。


「……今後取引まがいは控えてくださいよ。時刻のことを教えてくれて、実際助かってますし……」

「ありがとう! 恩に着るよ! じゃあ早速だけど作戦と実行日なんだけどね……!」

「全くもう……」


 呆れて機嫌を少し損ねているものの、ロルテスの口実さと笑顔を向けられたことでどこか許してしまいそうな自分がいることに戸惑っていた。

はいはい、毎度どうも!言わずともがな作者のみあこです。


 今回は日常を切り取ったなかで更なる転機へ続くための合間を書いてみました。


 ほんと何か大事件が起こらないと文章にした途端に心躍るようなものが足りなく感じるでしょう。

 現実社会でも歴史的大事件というのはそう滅多に起こらないものです。ただそういうのがやたら頻繁に起こっていたら、今頃日本は収拾がつかず壊滅に瀕していることでしょう。


 ただ、ここ最近では自然災害・天災が頻繁に起こっているのを度々ニュースで取り上げられていますよね。特に地震は避けられない日本の災害指定の一つとして挙げられていますが、どこへ行っても起こり得ることなので本当に他人ごとではないものとなっています。何かの前触れ、大規模の兆候ではないのかという専門家の推測も飛び交っているでしょうし、だからといってそれを完全に防ぐというのは不可能にも近いものもあります。今の時点では大事件よりも大災害に殺されそうな心境であることを感じています。


 私はこの作品を書いている度に時貞に秘めたる力をどう扱って周囲に影響し、左右していこうかと大きく悩むところです。時貞が周囲から受ける影響で変わることもありますよね。私が物語を書く中で一番難しいのは「何かを動かすためにどのような展開に持っていこうか」といったところです。私だけにあらず、他の先生方や作者さんたちにとって永遠の課題なのかもしれません。


 次回作もどのように構成しようか悩んでいる段階で作品を投稿するハメになりそうです。出来たら中断はしないようにしたいところではあります。それでは次話で!

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