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更なる予想外の試練

 益田好次ますだよしつぐこと過去に存在する若き頃の時貞ときさだの父親が小西一族に配属されて数日が経過した。キリシタン再建復興計画の話を聞き動揺から加担を保留にした好次を説得させなければならない上に、遭難者である赤髪の男、ロルテスの面倒を見ながら潜伏活動第一段階として薩摩の鬼と呼ばれる大名、島津義弘しまづよしひろのキリシタン極秘支援のための謁見という厳しい課題があるなかで、時貞に更なる別の試練が待ち受けていた。

 それは戦国の世ではごく当たり前で単純な、とあることがきっかけだった。


「好次殿、私の父を説得させる……無理強いをさせるわけにもいかず、しかしそれでは行長ゆきなが様が困ってしまう……どう説得させるべきか……」


 時貞はこの前から行長に下された追加命令に頭を抱えながら廊下を歩いていたところだった。


「はっ、でやっ!」

「おや、あれは行長様と武士の皆さん」


 時貞が偶然庭に面している廊下を通っていたときに行長が数人の男たちを交えて表で刀の稽古をしていた。互いに木刀で鍔迫り合いをしていたところでそこから駆け引きのような打ち合いが繰り広げられ、木刀の弾き合う音が軽快に庭中に響き渡っていた。


「次、来い!」

「お願い致します!!」

「でやあ!!」

「ふんっ!!」

「凄い……! 遠目から見ても戦場さながらの稽古。本気で手を抜いていない。ひしひしと力強さを感じます」

「でやああっ!!」

「はあぁ!!」

「うわっ!?」


 行長の木刀は上へ弾き、木刀の力強さに負けた相手の木刀がその強さに敵わず高く宙へと飛ばされた。


「切り込みが甘い! そして振り上げたときに大振り過ぎて隙があった! そんなんじゃ敵にやられるぞ! 次だ!」

「はいっ! 有難うございます!」

『流石は百戦錬磨の戦国キリシタン大名小西行長様。やはり威厳だけではなく稽古でも手を抜かないあの迫力と実力は本物ですね』


 行長の木刀捌きで次々と相手にしている男たちを圧倒しているのを時貞はこの城へ来て初めて目にかかり暫し、見惚れてその場に立ち尽くしていたときだった。


「おや、トキ様」

「…………」


 声が聞こえない時貞は遠くにいる行長を見やっている。


「トキ様、トキ様!」

「え!? あ、お、おたあ殿! いらっしゃたのですか!?」


 集中して見ていた時貞は何回かでおたあの存在に気づいた。


「私も通ったばかりですから。本日は主がじかに武士の皆様に稽古をつけてらっしゃるのですね」

「ええ、行長様はやはり立派な大名様ですね」

「宇土の一国を治めるだけでなく、幾多の戦を乗り越えていらっしゃいますから」

「ですね。あ、ところで赤髪の方の様子は如何ですか?」


 時貞が別件などで離れている間、ロルテスの看病はおたあに任せており、様子を伺っていた。


「ええ、相変わらず塞ぎ込んでいるみたいに虚ろな状況で。しかし、少しずつではありますが水分と粥一杯の食事を取ってはいるみたいで」

「然様ですか……」


 相変わらず演技を続けていることを内心感心にも似た呆れた思いをしている時貞だが、互いに約束事を交わしているだけに堅実に守るようにしていた。


「おたあ殿、今宵の夕餉ゆうげの刻限は私が彼の面倒を見ますのでまたお膳運びお願いしますね」

「はい。お刺身の盛り合わせを提供致します」

「あれ? 刺身はこの前も出していませんでした?」

「トキ様お刺身好きですよね? 本日も新鮮な海の幸を取り入れていますのでご堪能くださいませ」

「あ、はあ……それは贅沢ながらありがたいですね」


 しかしここのところほとんど刺身が食事に出ていることに時貞も内心別の料理も食べてみたい気もしたが、おたあの献身的な行いを無碍に出来ないとなかなか言い出せないでいる。しかしロルテスは生魚が苦手で食べさせようにもまた嫌々ながら食べることが想像出来たことをきっかけにことを閃いた。


「あ、そうです! おたあ殿、今宵の夕餉の献立に追加したいものがあるのです」

「追加、ですか?」

「ええ、そんなに手のかかるものではないと思うのですが……」


 時貞ときさだのいい提案でおたあに夕餉の追加について説明をした。


「よっし! いいかお前ら、次の戦に備えて鍛錬を怠るな! いつ如何なるときでも出迎えられるように各自自主鍛錬をしておけよ!」

「「「「「はっ!」」」」」

「一端稽古はここまで! メシを食って英気を養えよ!」

「「「「「有難うございました!!」」」」」


 時貞とおたあが話し込んでいる間に行長たちの稽古に一区切りつき、稽古をつけてもらった武士たちは大きく野太い声で挨拶を済ませ庭を後にしたようだった。


「あ、朝の稽古が終わったようですね」

「本当に。主に水と手ぬぐいをお持ちしないと……」


 おたあと共に時貞も行長の元へついて行くことにした。


「ふぅ……やっぱ夏が近いだけに日差しが強くなってきてやがるな……!」

「主、お疲れ様で御座います」

「行長様、稽古お疲れ様です」

「おう、トキにおたあ!」


 行長の顔や体からは大量の汗が流れており、思わず着物を脱いで上半身裸になる。


「お暑いでしょう、さあ手ぬぐいです。あと飲み水をお持ち致しました」

「ありがとなおたあ! 丁度喉が渇いてたんだ!」


 水に浸した手拭いを体中に吹きながら竹筒に入っている水を口に含む。


「もう夏で御座いますものね」

「ああ。だが武士であり大名である俺が暑いってだけで稽古を怠ると示しがつかねぇだろ?」

「立派で御座いました。行長様の刀裁きは力強さを感じます」

「そりゃまあ数々の戦に出てるんだから当然だろ! いつまた戦の命令が上様から出るか分からねぇんだからな!」

「戦い、か……」


 眉を若干顰め気味に囁く。時貞にとっては戦いほど恐怖なものはない。


「おう、そうだ! トキにも俺との稽古をつけてやろうか!」

「け、稽古? 私に?」

「これからの計画実現と俺の重臣になっているからには、やはり何かあったときに備えて挑むのが男ってもんだ!」

「あ、あの行長様……私は……」

「そうと決まれば早速手合わせするか?」

「え、と……私実は……」


 時貞が急に戸惑うような素振りを見せるが行長は汗を一通り拭き終わり、竹筒に入っている水を一気に飲み干すと二本の木刀を持ち庭へと向かう。


「いいから、早く来い!」

「あ、はい……」


 断るに断れず、力のない返事で眉を顰めながら草履を履いて庭へと赴く。


「ほら、お前の分の木刀だ」

「ありがとう、ございます……」


 時貞は行長に差し出された木刀を手に取る。


「丁度、お前がどれだけの実力があるかを知ってみたかったんだ! さしよりそっちから先手を打たせてやる。受けとめるから遠慮なく振り下ろせよ」

「……」


 時貞は無言で行長と対面し、姿勢を正して一礼をし、柄の部分を握って木刀を構えた。

 

「ん……?」


 行長が何か違和感を抱いたが。


「……トキ、まず俺に向かって勢いよく木刀を振り下ろせよ。いいか、俺相手に遠慮も加減もするな!」

「は、はい……!」


 緊張もあってか柄にいつも以上に力が入り、真剣な表情で行長を見据える。

 おたあも廊下から二人の様子を眺めていた。


「よし、こっちも受ける心構えは出来た。トキ、打ち込んで来い!」

「はい! やああああ!」


 勢いをつけて木刀を振りかざして行長へと一直線に向かい、時貞は行長の木刀へ向かって力の限り振り下ろした。それと同時に木刀の接触音が庭中に響いた。


「ふーん……」


 行長は両手に持っていたはずがいつの間にか片手で時貞の木刀を受け止めていた。そしてこんなことを発した。


「受けるときの衝撃と重みが全然違う。全くと言っていい程、弱いな」

「え?」

「手は抜くなって言っただろ。俺だからって遠慮してるのか?」

「い、いえ、そんなはずは……」


 これ以上にないほど全力で振り下ろしたはずだが、行長には全く手ごたえを感じていない。むしろ無表情で余裕すら感じさせる。


「トキ、もう一振りだ! 次は持ちうる力を出して本気で!!」

「は、はい!」


 時貞はもう一度距離を置いて木刀を構えなおすと柄をきつく握りしめて表情も真剣と同時に焦燥に混じったような顔つきをした。


「行きます、はあああっ!!」

「……はあ」


 向かってきた時貞の木刀をため息交じりに何の気なしに両手持ちを片手持ちに変えて受け止めた。


「あ……っ!?」

「それがお前の、本気か? じゃあ今度はこっちが攻め手だなっ!」

「っわ!」


 行長は突如短髪入れず、受け止めた木刀に力を込めると片手で薙ぎ払うように弾き返した。


「ああっ……!」


 その勢いがあまりにも早く強く、その衝撃で木刀を放しそうになったがどうにか堪えるも。


「次、二刀目!!」

「えっ!?」


 時貞の怯んだ隙をついて行長が間髪いれず木刀を勢いよく振り下ろされようとすると。


『あ、ああ……やられる……怖いっ!!』


 時貞の記憶が突然走馬燈のような黒い影が刀を自身に振り下ろされる映像が重なり、無意識に体が悪寒が走ったかのように恐怖に震え上がった。


「っくぅ!!」


 気づいたときには反応が遅く、咄嗟過ぎて受けが追い付かず、観念したかのように目を瞑ってしまった。


「………………ん?」


 振り下ろされた木刀の衝撃が走るかと覚悟をしたが目をいっとき瞑っても何も起きないことに恐る恐る目を少しずつ開ける。


「トキ、戦死確定」

「え、あ……」


 行長の言葉に目を開けると頭の上には寸でで止まっており、木刀の切っ先が目の前にあった。


「はあ……頭を殴られるかと思いました……」


 気が付くと震えは止まっておりほっとしたのも束の間、行長が深刻そうに時貞に痛烈な言葉を告げる。


「トキ……重大なことを単刀直入に言う。戦力外、そして武士として論外だ」

「……っ!?」


 行長の短い言葉ながら予想以上に心に重みを痛感した。


「俺も何人か、何十人か大したことのない、手応えのない武士や侍を見て相手をしてきたが、これは素人を通り越して赤子を縊るような手応えのなさを実感したのは俺として衝撃だった」

「あ、の……」


 そして行長は心に深く突く発言をする。


「トキ、お前は刀を握ったことはおろか、一度も戦ったことがないだろう」

「…………」


 行長の言葉に時貞は黙ったまま返せなかった。


「刀の握り方が覚束なかったし、基本中の基本である立ち振舞いや姿勢も全く出来ていない。基礎体力も筋力も細身で人並み以下。そして振り下ろす勢いも力も皆無。その基本がなっていないのは戦っていない確実な証拠だ」

「あ、う……」


 何も言い返せない。図星と意標を突かれ過ぎて行長の一言一言が心を抉る様に深く突き刺さり、表情も悲痛に曇ってしまった。


「お前の住んでいた時代は平和になっているのか? 刀を使う機会もなかったのか? 男児たるものこの世では戦えないといざ敵に攻められたときに身を守れず、家系や国が滅ぶ。特に俺たちが今関わっている秘密裏にしている例の活動にも、最悪支障が出兼ねないぞ」

「それは、由々しき事態……っ!」


 キリシタン再建復興統一計画に支障が出る。その言葉に対して流石に動揺が隠せない時貞ときさだ


「木刀ですらあんな非力なんだ。その実力じゃ真剣ですら握ることも出来ないぞ」

「……行長様……私は……どうすれば……」

「……こうなりゃ刀の扱いを一から教える……幼少の頃からやってたならまだしも、齢十七にして初めて刀を握ったとなっちゃこりゃ骨折りそうだぞ」


 流石の悠長な行長もどうしたものかと頭を掻きながら悩んでいた。しかしそれ以上に悩んでいるのは誰でもない時貞である。


「しかし、トキは例の計画に必要不可欠の人材だ。外すことがないからには明日から徹底的に厳しく教えていくしかないだろ」


 許容の広い行長の発言に俯いていた時貞の顔が上がる。


「ご教授、下さるのですか?」

「正直いってあまりにもひどすぎる。それに急がないとな。明日またこの庭に集合な。周囲のことも考えて夕刻に再度集まるぞ」

「……はい、よろしくお願いします」

「トキ様……」


 その様子を見ていたおたあが心配そうに見つめていた。また更なる難解が発覚してしまい、次から次へと問題が山積みになっていくのを感じる時貞だった。


♰ ク ♰ ロ ♰ ノ ♰ シ ♰ タ ♰ ン ♰


 夕刻になり、空が夕焼け色に染まった頃。時貞の心は落胆していた。


『トキの場合は厳しくいかせてもらう。俺たちが秘密裏にしている例の活動にも、最悪支障が出兼ねないぞ』

「……はあ……」


 力のない溜息をして、肩は下がり気味。行長の昼の刻限の稽古をして言われた言葉を頭の中で思い出しては情けなく思い、目も俯いて気力もなかった。


「ねえ、さっきからどうしたの? なんか暗い顔しちゃってさ」


 目の前には赤髪の男、南蛮人のロルテスがいた。時貞は面倒を見るためにロルテスを匿う部屋に訪ねていた。


「え、ええ……本日庭で行長様が刀の稽古をしていたのですよ。それに付き合って少し疲労が溜まってしまいまして……」

「ほう、それはご苦労様。いや君の立場と同じで言葉をかけるならお疲れ様だね。強くなるには常に鍛錬だからね。いい心がけだと思うよ」


 今日あった出来事を正直に話す時貞。ずっとこの部屋から動けずにいるロルテスは退屈で仕方なく、心を通わせられる時貞との会話が唯一の楽しみとなっていた。


「しかし、現実は厳しいものですね……」

「そういうからには何か上手くいかないことでもあった?」

「城の主である行長様直々に稽古をつけてもらい、私の刀捌きに厳しくお咎めをくらってしまいまして明日から徹底的に稽古をつけてくれるみたいです。大変ですけど、行長様に応えるためにも一生懸命取り組まねばと思って」

「そっか、暗かったのはその理由があったんだ、大変そうだね。それって主君のため?」

「主君の……私は拾われた身の上なので元はこの城の人間ではありません。だから主君のため、というよりかは人として恩義を返すためといったところでしょう。そのためにも困らせるわけにはいかないので」

「恩義ね、そこは君の悪いところでもあり、いいところでもあるね」

「それは褒めているんですか?」

「どう捉えるかは君次第だよ。でも、どんな理由であれ主君のためというのであれば俺も、その気持ちは分かるな」

「ロルテス殿にも、尊敬できるお方がいらっしゃるのですか?」

「うん、心から慕える主君がいるよ。俺はその方のためだったらどんなことでも尽くす所存でいるくらいにね。海を越えて俺の故郷からこの国にやってきてかれこれ数十年以上になるけど、やはりあの方以外にお仕えするなんて考えられない。様々なことを教え、この国の文化や習慣の奥深さ素晴らしさを教えられ、俺の祖国に興味を抱いてくれて、そしていつかは祖国同士で交流を繋げていきたいと、心から願ってくれていた俺の主」


 ロルテスは隠すことなく正直に身の内の一部を打ち明け、語ってくれた。久々に蒼い目が光に反射する海のようにキラキラと輝くのを親身になって聞いていた時貞は感じていた。


「初めて聞きました。この国に来て長いこと経つのですね。その方はどんなお人ですか? ロルテス殿がそう仰るのであればとても素晴らしい方なんでしょうね」

「もちろんだよ! そのお方はね……」


 話しに花が咲きそうなときに人の来る気配を感じた。


「トキ様、おたあです。本日の夕餉ゆうげをお持ちしました」

「おっと、来ちゃったね……」

「おたあ殿、どうぞ」


 ロルテスは再び虚ろな青年の演技に入る。時貞の許可を得たおたあがご膳を持って部屋へと入ってきた。


「さあ、こちらが赤髪の君の夕餉とトキ様の夕餉で御座います。あと昼の刻限に話されてました追加の分もご用意させていただきました」

「有難うございます。おいしく味わわせていただきます」

「沢山食べて英気を養って、明日の稽古の活力にしてください。トキ様、私も明日見守りますので上達するといいですね」

「え、あ、はい、お気遣いありがとうございます……」

「それではまた後程お伺いします。これにて失礼致します」


 おたあは部屋を去ると、時貞の曇っていた表情は少し和らいだ。


「今日も豪華ですね」

「こっちは相変わらずの質素で味気ない、粥に薬湯と生姜湯……もういい加減この食生活から抜け出したい。肉だ、やっぱり肉がないとどんどん筋力が落ちて鈍っていきそうだよ」

「獣肉は更に贅沢ですから滅多に出ないのでしょうね。ですが基本肉を食してはいけないですよ、私の身分では……」


 教えに則り、時貞も幼少の頃から生き物を殺生しない、獣肉は食べないという習慣が身についていた。


「俺は生憎とその習慣とは今は関係ないから。動けるようになったら狩りにいきたいぐらいだよほんと。鶏肉じゃなくていいから兎の肉か猪肉、うんやっぱ猪肉が食べたい……!」

「今日も少し私の夕餉のおかずを分けますのでこれで凌ぐしかありませんよ」


 おたあが昼に言っていた通りに刺身の盛り合わせが今回は多めに色とりどりに誂えていた。ロルテスは呆れにも近い顔つきで告げる。


「そっちはまた生魚……君も好きだね……そんなに大好物なの?」

「用意してくれてるので粗末にするわけには参りません」

「だけどさ、ほとんど毎日食べてて飽きない? 俺だったら遠慮するよ」

「そんな酷いこと言えませんよ。居候の身の上でお世話をしてくださっているお方ですから」

「どうしてこの国の人ははっきりと思っていることを言えないのかな? そこだけは不思議で理解し難いよ。嫌なら嫌っていえばいいのに……」

「人の厚意と気持ちを無駄にすることを言うものではないと、幼少の頃から教えられていますので」

「はぁあ、不思議! これが日ノ本の不思議習慣、“建前と本音を使い分ける”。俺には一生理解できない習慣だよ」

「この国にいる以上、避けられない習慣ですがね。さあ、夕餉が冷めない内に戴きましょう。それに、飽きがくれば味を変えればいいのです」

「味を変える?」

「この刺身に一手間工夫をするために、本日おたあ殿に頼んであるものを用意しました。多分これですね」


 お膳に添えてある黒くて小さな鍋と窯のような蓋を開けると沸騰石ふっとうせきの入ったお湯が泡を立てて沸騰しており、その中には加えてあるものが浸して入っていた。


「これが味を変える工夫? ただのお湯にしか見えないけど」

「これは海藻の一種である昆布と鰹節から出汁を取っている鍋です。いいですか? これに刺身を入れて一括り、二括り、三括り……と、湯引きの刺身です」


 刺身を箸で掴み、湯引きした刺身を更に醤油につけて一口食べる。


「ん、見事に味が変わりました! 出汁も利いてておいしいです! 母上から聞いたことを覚えておいてよかったです」

「へえ、こんな食べ方があるのか。生じゃなかったら俺も食べれなくはないかもしれない。珍しくその刺身とやらに対して食欲が沸いてきそうだよ」

「ええ、沢山ありますので。どうぞ、お召し上がりください」

「君のやったことを真似すればいいんだね。じゃあいただくよ」


 ロルテスが箸で器用に刺身を掴むと時貞がやっていたように湯引きをする。


「三回ぐらいお湯に括ればすぐに通りますよ」

「うん、問題は味と食感だね。どうかな、と」


 ロルテスも恐る恐る湯引きした刺身を醤油につけて口にする。


「……うん、生魚の臭みがなくなってる。むしろこっちの方が食べやすいよ」


 どうやら気に入ってくれた様子だった。それを見た時貞も安堵の笑みを浮かべる。


「それはよかったです。どうぞ、まだありますからもっと食べてください」

「久しぶりに今夜は満腹で寝れそうだよ」


 ロルテスの箸が止まらない。最近病人食のお粥しか口に出来なかった分、そうしている内に刺身が早い段階でなくなっていった。


「満足でしたか?」

「うん、君の機転のおかげでどうにか今日の空腹は凌げそうだよ。こればっかりは感謝だね。この国の調理法、湯引きという工夫があるってことも学んだし、俺の国にはない発想だったよ。以降活用していきたいね。しかし、魚の肉だったら刺身や焼き魚だけに限らずテンプラにして食べればもっとおいしくいただけるけど、それには材料が必要なんだよね」

「てんぷら、とは?」


 初めて聞いた言葉に興味が沸いた。


「小麦粉という食用の白い粉に魚や野菜をまとわせてそれを油で揚げる食べ物のことさ」

「そんな珍しい食べ物があるのですか」

「サクサクの食感が溜まらないんだ! 一度食べればやみつき必須だよ! というか、材料があれば俺は作れるけどね」

「ロルテス殿は料理作れるのですか?」

「自慢じゃないけど、人並み以上に作れると自負しているよ。味付けも結構好評をいただいている実績もあるしね。俺の国では成せなかった新たな味付けに仕上げてみたいっていう思いが立ってきたみたいだ」

「それはぜひ食してみたいです! そのてんぷら、という食べ物など今まで食べたことがないです」


 想像のつかない食べ物だけに興味が更に強くなる時貞。


「それだったら俺が動けるようにならなきゃいけないってことだね」

「でしたらそろそろ、その演技に頃合いをつけた方がよいのではないですか?」

「そうだね。流石に俺もこの狭い部屋にじっとしてるのも性に合わないから、あの麗しいおたあ殿という女性やここの城の主にも信頼が出てきそうだし、少しずつ元気になっていくようにしていこうかな」

「その方が身のためですよ。偽りは罪なのですから」

「偽りは罪、ね。流石はキリシタンってとこか」

「ちょっと! この部屋とはいえ、あまり大きな声でそんなこと口にしないでくださいよ!」

「ああ、そうだったね。互いに条件が一致して約束してたし、失敬したね……実際問題、君の……正確にはその身分はこの国にとっては危ういしね」


 ロルテスの発言に時貞は思わず目を見開いた。


「……キリシタンの現状を、やはり貴方もご存じなのですね」

「長崎辺り、幕府の取り締まりが強まっているからね。嫌でも噂を耳にするよ。役人たちが目を光らせて捜索していたり尋問したりしているのを何度も見かけていたからね」

「そんなに、ひどいのですね……その方たちは、何も悪いことをしていないはずです……」

「この国の最高権力者の判断が強く影響しているからね……君はその現実を知りながら、キリシタンとして、この先やっていけるの?」


 ロルテスからの厳しい現実に時貞は胸に十字を切った。


「ええ、私はこの教えと誇りを捨てる心算は毛頭ありません。他ならぬ行長ゆきなが様やおたあ殿、そして私の父上と母上が遺してくれたものですから……!」


 時貞の決心と決意は揺るがない。迷うこともない。

 支えるべき誇りを、進む標を見つけたから。


「頑なと捉えるべきか、信念と捉えるべきか。その傾向がこの九州の地は良くも悪くも特に根強いよね」

「今の状況が不利でも、歩みを止めなければ光は見えてくる。神の与えられし試練を乗り越えるためにも、私は行長様のお望みを叶えて差し上げたいのです」

「立派な忠誠心だね。迷いもなくまっすぐで、純粋で。悪くはない。じゃあ明日は気合いれないとね、稽古」

「……あ」


 決意を固めているものの、まず初歩的なところで躓いているのを思い出させられた。


「そう、ですよね……おたあ殿にも気遣われて、男として情けないです……」

「応援してたね。君のことを気に入っている様子でなによりじゃない」

「男児たるもの、女性の前で恥をかいてはならない。そう父上に言われましたのに……」

「そういう考え方するの? もう少し前向きに考えてみたらいいのに」

「ロルテス殿も私の実力を目の当たりにすれば、見るに耐えないと思いますよ」

「ふーん。でも、人には得手不得手とか向き不向きがあるから、そんな深刻に考えなくてもいいんじゃない」


 ロルテスの飄々とした発言に時貞は驚いてばかりいた。


「……ロルテス殿はそんな考え方をなさるんですか? 貴方の考え方はとても不思議です……」

「それをいうならこの国の考え方も不思議でしょうがないよ」

「お互いに違う……だからこそ、興味がつきないものですね」

「くくっ、だね!」


 お互いどこか微笑ましくも夕餉の刻限を満足に過ごした。

 はい、作者であってみあこです。


 この投稿の時点で長いようで短い夏が終わりました。でも、湿気と日差しの暑さはいっとき続きますよね。引き続き、熱中症と脱水症は万全な対策をしておいた方がいいと思います。


 今回は戦いをメインに話が繰り出されたのですが、時貞ときさだにとっては予想外の試練が立ちはだかりました。一回も戦いに出向いたことのない彼にとってはまさに『剣技』は慣れたものではないでしょう。それがまた、大きな壁となって立ち塞がることになっては二進も三進もいかないですね。

 戦国の世にとっては当たり前のことであっても、時貞ときさだの暮らしていた先の未来では『泰平の世』、つまりは頂点に統一した徳川とくがわ家によって平和であったということです。

 まあ、江戸の世も多少の内乱とか一揆があったりするものですが、約二百五十年の間はそれらしい大きな戦はなかったのですよ。あ、『ある大規模な一揆』を除いては、ですけど。大規模な戦というのは幕末から明治維新に移行してからというものですね。

 日本歴史を知ってから様々なことが繋がっていくものですが、この話しは『時代改変』へ向けての序章ですので、歴史にはない予想外のことや未知なる事象への突入ということになりますね。そこに時貞ときさだがどう成長していくのか見ものかなと思います。

 

 次回は戦いの心得について時貞ときさだがどう向き合っていくか、ということで話を進めます。

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