気まぐれな竜王様
――熱い、全身が灼けるように熱い。
左肩から熔けた鉄を流し込まれているような熱さが、全身へと回っていく。
怖い、目の前にいるこの方が怖い。
何の前触れもなく牙を突き立てるこの方からは、冬の風のような冷たい恐怖を感じた。
「最後に一つ、望みを聞いてやろう。 お主の望みを一つだけ聞いてやろう」
肩口に牙を突き立て噛み付きながら、竜王様が聞いてくる。
私の望み? 何かあるだろうか? こんな小さな私が叶えて貰いたいような望みが?
ああ、でも、たった一つ叶うならば――。
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あるところに、一匹の竜が住んでいました。
竜は、世界の端から端まで一飛びでどこへでも行くことができ、
空高い雲の上から、地の底のモグラにも声を届かせることができ、
天を衝く巨大な山を、息の一吹きで崩すことができました。
竜にできない事はありません。
人々は竜を畏れ敬い、竜の逆鱗に触れぬように、様々な物を竜に差し出します。
ある国では、何百何千人もの人間が山を削って土地を作り、その土地には立派なお城が建てられ、竜へ捧げました。
別のある国では、何十何百人もの人間が動物や野菜を育てあげ、それらから美味しい料理を作って、竜へ捧げました。
また別のある国では、何人何十人もの人間が知恵と技術を凝らし、数々の立派な工芸品を作り上げて、竜へ捧げました。
そしてまた別のある貧しい国では、何人もの人間が竜への生贄として、竜の住処へと捧げられました。
そしてまた一人、家族を失った少女が、竜の住処へと捧げられたのです。
少女に親類は居らず、貰い手もなく、仕事もありませんでしたが、貧しい故郷に少しでも役立とうとしました。
自分を育ててくれた故郷に、その身一つで報いる為に竜への捧げ物となったのです。
この物語は、その少女が竜の元で人として生きた物語。
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ガタゴトと音を立てて、鹿車が進む。
頭に角を持つ雄鹿は竜の下僕であり、引かれる車も引く雄鹿も含むその全てが竜の所有物である。
私は生贄として車の中に入り、故郷を離れたばかりだった。
窓から外を見れば、草木のまばらな荒れ果てて痩せた土地が窓の外に広がっており、
小石だらけでろくに整備されていない故郷の道を、鹿車は揺れ一つ無く進む。
どんな道でも揺れ一つなく進むこの車は、工芸に優れた国が作り上げたものなのだと教えられた。
座り心地の良さについウトウトしていると、外の景色が変わっていることに気がつく。
窓の外に映る風景は、痩せこけた故郷の景色とは違い、鳥たちが歌い草花が咲き乱れている。
あらゆる動物と植物があるというその土地は、肥えた土地を持つ国なのだと教えられた。
どこか遠くに感じられた外の景色に目を伏せていると、鹿車が走る音が急に静かになったことに気付く。
窓の外を見れば、つなぎ目の無い石造りの橋の上を進んでおり、橋の下には高い塔の立ち並ぶ街並みが見える。
つなぎ目の目立たない石造りの道は、この建築に優れた国が作り上げたものなのだと教えられた。
いつしか鹿車は止まり、私は長い旅を終える。
開かれた扉から外へと出て、故郷から遠く離れた地を踏んだ。
つなぎ目のない石造りの地面に降りた私を、小鳥のさえずりと、ピカピカ光る楽器の美しい音色が出迎える。
来た道を見れば、山のように巨大な城壁に存在する大扉が音も立てずに閉まっていき、
私が進むべき道は一つしか無く、戻る道はもうどこにもないことを感じさせた。
進むべき道を見れば、山のような城壁に守られるに相応しい立派な城が見えている。
石造りの城は、人ならざる者の為に作られた献上品なのだと、一目見て理解できる荘厳な空気に包まれていた。
城の前から一頭の雄鹿が私の前にやってくると、城の方へ向き直り進むべき道を先導するように歩き始める。
私は雄鹿に導かれて一歩一歩と足を運び、数々の彫像が囲む道を進んでいき、城の入り口へと連れられた。
雄鹿は城の入り口の前で座り込むと誰かを待つ、どうやら雄鹿達は城の中に入れないようだ。
待っている間に城を見上げていると、城の中から一人の使用人が現れた、
黒いドレスと白いエプロンをあわせた使用人の格好をした女性は、私より少しだけお姉さんな印象を受ける。
「長旅お疲れ様でした。 竜王様がお待ちです。どうぞこちらへ」
踵を返して城の中へと進む使用人の後に続き、城の中へと進んだ。
城の中に入ると、何人もの使用人が私を迎えて頭を下げてきた、
慣れない経験に戸惑う私を他所に、案内役の使用人は城の中を進んでいく。
遅れて見失ってしまわぬように、私は必死で追いかける。
案内役の使用人は、私が見失わないように、時々歩を緩めながら城の奥へと案内してくれた。
「竜王様はこちらにいらっしゃいます。 失礼のないよう……」
広い城の中を進み案内されたのは、長い階段を上った先の部屋だった。
黄金で縁取られた扉の向こうからは、人ならざる者の気配がある。
緊張と未知への恐怖に固まっていると、扉の向こうから「早う入れ」と声がして扉が独りでに開いた。
心の準備が半端なままだったが、急かされた私は部屋の中に足を踏み入れる。
「お主が儂への捧げ物か?」
部屋の中に居たのは、天蓋付きのベッドに腰掛け、テーブルに置かれた金貨袋の中身を弄んでいる女性だった。
所々肌を露出させたドレスからは真っ白できめ細かい肌を覗かせ、
黒く不思議な光沢を帯びた艶めかしい長髪は、二つに結われて垂れており、
真夏の太陽のようなギラギラした眼差しの黄金の瞳は、縦に裂けたような瞳孔で私を見ている。
美しさと異質さと恐ろしさが同居しているような女性が、私の前に居た。
「――儂の姿に驚いておるのか? この地を統べる竜王が、このような姿である事に」
私の心の内を見透かすように、その女性――否、竜は言った。
驚いたのは本当だ。 私の聞いていた竜の姿は、山のように巨大な胴体に、鋼よりも硬い鱗に全身を覆われ、
刃物よりも鋭い牙や爪や角を持ち、空を覆い尽くす程巨大な翼や大木のように太い尻尾を持つと聞いていた。
だが、私の目の前にいるという竜は、人の女性によく似た姿だった。
山のような巨体はなく、鉄よりも硬いという鱗は見当たらず、刃物のような牙や爪や角もなく、
空を覆うという巨大な翼も大木の幹のように太い尻尾も存在していない。
それでも、縦に裂けた瞳孔を持つ黄金の瞳と、
ただ座っているだけで感じる強烈な存在感が、彼女が竜である事を確かに証明している。
噂とは違う竜の姿に驚き、呆気に取られていた私は、我に返ると自分が何者であるか告げた。
自分が竜への捧げ物であることや、自分の名、どこでどう育ったかを告げる。
竜は金貨袋の中から金貨を取り出し、手に取った金貨を眺めながら、私の話に耳を傾けていた。
「――お主が何者であるか、しかと聞き届けた」
私の話が終わると、竜はその口を開き、手にとって眺めていた金貨を口に放り込むと、ゴリゴリと音を立てて噛み始める。
竜は金貨を齧りながらも、口を全く開かずに同じ調子で言葉を続けた。
「お主は、儂への捧げ物として、その身命全てを儂の思うがままにされる義務がある」
言葉を続けながら、口に含んだ金貨をテーブルの上の皿に吐き出す。
吐き出された金貨には歯型が付き、薄く伸ばされ折れ曲がっていた。
「儂の事は竜王様と呼べ、他の捧げ物達と同じように」
竜は、自分の呼び方を定めさせる。
私はこの竜を――竜王様と、そう呼ぶ事を命じられた。
「――早速だが、こちらへと近う寄れ。 早く」
再び命じられ、天蓋付きのベッドに――竜王様の隣へと誘われる。
私を隣に座らせた竜王様は、ギラギラとした眼で私の身体を眺めると、青い舌を見せて舌なめずりをした。
「お主は、儂に食われて貰おうか」
その言葉に理解が追いつかないままに、竜王様の両手が私を捉え、抵抗も出来ぬままに、ベッドの上に押し倒された。
悲鳴を上げる暇も与えられず、青い舌が覗く口を大きく開き、真っ白で鋭利な牙で私の肩口に噛み付く、
痛みよりも先に、私は本能で理解した。
――この竜にとって私たち人間は、気まぐれに弄ばれる存在であり、あの金貨と同じ価値しか無いのだと。
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――熱い、全身が灼けるように熱い。
左肩から熔けた鉄を流し込まれているような熱さが、全身へと回っていく。
怖い、目の前にいるこの方が怖い。
何の前触れもなく牙を突き立てるこの方からは、冬の風のような冷たい恐怖を感じた。
「最後に一つ、望みを聞いてやろう。 お主の望みを一つだけ聞いてやろう」
肩口に牙を突き立て噛み付きながら、竜王様が聞いてくる。
私の望み? 何かあるだろうか? こんな小さな私が叶えて貰いたいような望みが?
ああ、でも、たった一つ叶うならば――。
「ぇを……」
灼けるような痛みと、凍えるような恐怖に耐えながら、なんとか声が出る。
「名前を……、あなたの名前を、教えてください」
私を食らうという、この竜の名前を知りたい。
世界から恐れられている、この竜の名前を知りたい。
幼い頃に私が憧れ遂に会えた、この竜の名前を知りたい。
「……」
竜王様は、私の肩口に噛み付いたまま、動かなくなってしまった。
どこか困惑しているようで、でもどこか楽しそうな竜王様は、やがて一つの言葉を紡ぐ。
「儂の名は――――」
その名前は、どこか神秘的で、でも意外なほどに、この竜王様に似合わない名前だった。
その名前を聞いて私は満足する。
左肩から流れ込む激痛に耐えかねて気を失い――そして人としての生を終えた。
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――不思議な香りがする。
鼻孔をくすぐる不思議な香りは、とても甘美なものに感じられた。
目を開き周りを見回せば、私はベッドに寝かされているようだ。
ベッドの側にある椅子には、テーブルに肘をつき頬杖をついている竜王様が居た。
「目覚めたか。 良い香りであろう? 人に献上された香木というものに火を付けた」
テーブルの上には三本足の黒い壺のようなものがあり、壺の中からは白い煙が天井に向けて伸びている。
辺りに漂う不思議な香りは、そこから漂っているようだった。
「お主を食うのはやめにした」
竜王様が、そう告げる。
食べるのをやめにしたと聞き、それを理解した時に私の腕が自然に左肩へと伸びた。
肩口に痛みは無く、傷跡らしきものも無い。
「――ただ、お主の事は気に入った。 見てみよ」
そう言うと、竜王様は部屋の隅にある姿見を示す。
私はベッドから下り、姿見へと歩み寄った。
鏡には、一糸まとわぬ姿の少女――私が映る。
見慣れた自分の身体、噛まれた筈の左肩にも傷は無くなっていたが、身体のある部分が決定的に違っていた。
少女の顔の左側、左目の瞳孔が縦に裂けており、竜王様と同じ黄金の瞳になっている。
「お主は最早、儂と同じ竜であり、そして儂に捧げられた儂の所有物だ」
後ろから竜王様の手が伸び、首に回された。
後ろから抱きついてきた竜王様の手を、私は優しく撫でる。
世界を統べ、人々に畏れ敬われ、出来ぬことの存在しない竜は、
私を竜にし私の主となった、とても気まぐれな竜王様でした。
創作意欲があっても文章力がおっつかない
なら短編みたいのを書いて経験を貯めればいいじゃないで書いたもの
金貨の辺りから竜の価値観を思いついてパパッと仕上げたものを手直しして投下
城での生活とかも書きたかったけど能力とモチベが追いつかずカットしました
強くなりたい