第一章 青春の『華』花 PART6
6.
「ええっ、それは本当なの?」
葵は驚きを隠せず思わず大声を出した。
「内宮にはアマテラス様じゃない神様がいるっていうこと?」
葵自身、伊勢神宮にはつい最近行ったばかりだ。だがそんな話は一度も聞いたことはない。
「もちろん、本当ではない可能性の方が高いです。父親の受け売りなので信憑性はありません」
「そうなんだ……。それで、どんな内容なの?」
「中身まで話していいでしょうか」リーの眼から再び不気味な光が漏れ始めている。
「う、うん。お願いします」
心臓の鼓動が早い。それは先ほどの高揚感とは全く違ったもので、不吉な予感に満ちたものだ。
「……わかりました。ではお話させて頂きます」
彼は小さく頷いて続けた。
「アマテラスはご存知の通り、天皇の神様として祀られています。しかし明治時代まで天皇が内宮に参拝した書籍が残っていないんです。創建した持統天皇もです。これはアマテラス以外の神の祟りを恐れてのことだ、という考えを元に作られた話です」
リーは淡々とした口調で話し始めた。
アマテラスが伊勢神宮に祀られる前の時代。
第十代天皇・崇神天皇は皇居にアマテラスと『倭大国魂神』と呼ばれる二つの神様を祀っていた。
だがそれも束の間に国中に疫病が氾濫してしまう。
この疫病はもしかすると二つの神を同時に祀っていることから来るものかもしれない、と考えた崇神天皇は二つの神の祀る場所を変更することにした。
そして時が流れ、第四十一代・持統天皇が今の伊勢神宮(三重県)の内宮に移したとされている。持統天皇とは第四十代・天武天皇の妻であり、数少ない女帝だ。
日本書紀によれば、この夫婦はおしどり夫婦で大変仲がよく、二人三脚で政治を進めていったと書かれている。伊勢神宮にアマテラスを祀ったのも夫の気持ちを汲んでのことだったらしい。
しかしここで一つの疑問が発生する。
天武が祀っていた神は『男』だが、今のアマテラスは『女』だということだ。
この謎は全て、二人の血が関係している。持統と天武の血は時代を分けた『藤原』氏と『蘇我』氏の血が流れているのだ。
持統の父・天智天皇は大化の改新で知られる中大兄皇子だ。大化の改新とは天智と『藤原』鎌足が『蘇我』入鹿を暗殺し『蘇我』一族を衰退させた事件を指す。ここから『蘇我』氏は力を失い、逆に『藤原』氏が勢力を増すのだ。
つまり持統には『藤原』氏の血が流れている。
また天武は壬申の乱で天智の子孫を破り、天皇の座を奪い取っている。彼の血には『蘇我』氏の血が流れているためだ。
二人はこんな複雑な関係を持ったまま、仲がいい夫婦として過ごせたのだろうか?
もちろんアマテラスを『女』としたのは持統自身が女性なので、女性の権威を高めようとしたという説もある。
だが本質は父親への復讐から、夫の信念を打ち壊すためではないだろうか? 夫に反して日の神様を『女』としたのではないか?
この持統天皇の隠蔽により、歴代の天皇達は伊勢神宮に参拝できなかったと推論されている。
「うーん、なるほどねぇ……」
葵は眉間に皺を寄せながらいった。
「私には難しすぎてついていけなかったけど、内宮の神様の性別が違うんじゃないかということはわかったよ」
「それだけ伝わっていれば十分です」
リーは大きく頷いた。
「あくまで可能性の話ですけどね。もし天皇を神と崇めていた戦前の時代にこんな話をしていたら、僕は首を切られていると思います」
そういって彼は自分の首に手を当てて滑らした。
淡々と話すリーに畏怖の念さえ感じる。巫女である自分より博学なのはもちろん驚く所だが、そこに知識を総動員して推理を進めている人は初めてだった。
「これは私から離したらいけないことなんだけど……」
葵は空咳をしていった。
「この熱田神宮の祭神様を紹介する時はアマテラス様が祀られているといわなければならないの。けどここの神様の正式名称は熱田大神様。そしてそれは『男』の日本武尊様ではないかという説もあるわ」
「それはまた面白い話だ」リーの頬がわずかに上がる。
「そうでしょ。なんでこんな説があるのかというとね。持統様は亡くなる前に日本武尊様の墓に向かったという記述があるみたい。老衰している状態でね。しかもその理由がわかってないの」
「……なるほど」
彼は顎に手をのせていった。
「それはよっぽどのことがあったと考えるべきですね」
「そうだと思う。でも私からしたら、どっちでもいいというのが本音ね。アマテラス様がいるからこの神社を崇拝してきたわけじゃないし。私の家族がこの神社に携わってきたことが一番大事だからさ」
「僕の父さんもそんなことをいっていました」
リーはくすりと笑い葵の意見に同調した。
「神様がいるから神道があるのではないと。先祖がいたからこそ、神道があるといっていました」
「やっぱりそれが一番大事だよね」
葵ははにかみながら答えた。
「ところでリー君のお父さんは何をしてる人だったの? 歴史の先生とか?」
そういうと彼の顔色が途端に変わった。眉間を寄せ狂気の色を帯びている、今までに見たことがない顔だ。彼女は背筋をぞくりとさせて硬直した。
「父は……神職についていたのかもしれません」
リーは無表情のまま告げた。
「僕には父の記憶がはっきりとはないのです……すいません」
まずいことを聞いたと彼女は思った。それ以上訊いてはならないという空気が漂っている。
「そっか……。変なこと聞いてごめんね」
「いえ、そんなことはありませんよ」
そうはいうが、リーの表情は深入りするなといっている。
この話題をこれ以上引きずるのは危険だ。最悪、二人の関係にひびをいれることになるかもしれない。
沈黙の中、歩いていると本日のメインイベントに到達した。気まずい空気を纏いながら葵は次の目的地を紹介した。
「えっと、ここが私が見せたかった場所です。実はここに三百年生きている椿があるの」
「へぇ、そんなに長生きしている木があるんですか。凄いなぁ」
リーの顔にぱっと笑顔が戻る。先程の表情とは一変し、いつもの穏やかなものになっている。
……よかった、いつものリー君だ。
葵は心の中で胸を撫で下ろし鳥居を潜った。