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長編小説 3 『限りなく純粋に近いグレイ』  作者: くさなぎそうし
最終章 郷花堅乱(ごうかけんらん)
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最終章 郷花堅乱 PART7

  7.


「……また騙したんですね」


 彼は心の底から呆れていた。

「バーでやったオセロもこうやって引き分けに持ち込んだんでしょう? 本当に何度騙されればいいんだか」


「そうよ。だってこうでもしないと薫君と一緒にいられないじゃない」


 二つの石は碁石とオセロの石だった。彼女は初めから両方の石を持っていたのだ。


 最初から薫が逆にすることを狙って、いや逆にしなくても自分に都合がいいように石を表示するつもりだったのだろう。反対の手を確認してなかったなと彼は肩をすくめた。


「どんなことがあったって、私はあなたを欺き続けるわ」


 葵は舌を見せながら続ける。

「あなたと一緒にいられるのなら……もう薫君と離れたくない。もうこんな思いはしたくないよ」


「……葵さん」


 口元が自然と緩む。

「約束は約束です。このまま騙され続けるのも悪くない」


「そうでしょ? どうせ薫君は私に一生勝てないんだから、諦めた方がいいよ」


 ……葵と一緒なら、上手く逃げることができるかもしれない。


 抱いてはいけない感覚が彼の中に侵入していた。その感覚は蔦のように張り込み自分の気持ちを絡めとっている。

 葵となら――。


「……そうですね、諦めることにします」


 大丈夫かもしれない――。


「うん、お願いだから諦めてよ」


 葵は音を立てずに唇を合わせてきた。薫の心臓が一気に高まる。

 目の前には葵がいる。お互いに偽ることなく昔のままで、純粋に柊薫として見てくれる人物が目の前にいる。


「いいんですか? 僕達は血が繋がっているかもしれないのに」


「関係ないわ」


 彼女はきっぱりといった。

「これから私達はずっと一緒にいるのよ? 誰にも遠慮する必要なんてないよ」


 そういって彼女は再び薫の唇を奪ってきた。彼女の熱が唇を通して伝わってくる。


「神様にも遠慮しなくていいんです? 神社でこんなことしていいんですか?」


「もちろんよ。半年以上待ったんだから、神様だってわかってくれるわよ」


 葵はするりと緋袴を脱いで、薫に寄り添ってきた。自分の心臓はすでに壊れそうだ。久しぶりの感触に、気後れしつつも胸が高鳴るのを押さえきれない。


 葵と一緒にいたい、この先どんな困難があったとしても。

 葵と一緒になら、どんな辛い道でも生きていける――。


「葵さん」


 薫は彼女を抱きしめたままいった。

「今頃ですが、愛情という気持ちがわかったかもしれません」


「え? 今頃? 遅すぎるよ」


「すいません。でもいいたくなったんです」


 葵の眼を焼き付けながら続ける。

「僕は今、初めて生きたいと思いました。本当に心の底からです。葵さんと一緒にいられると思うと、表現しようのない感情が沸いて来るんです。この感情はきっと愛情だと思います」


「……そっか。それならよかった」


 葵は薫の耳元でひそめいた。

「大丈夫。私が薫君を染め変えてあげる。決して一人にはさせないよ」


 ……ずっと一緒だからね。


 二人で愛を語り合い、何度も体を求め合った。一つになった後はイギリスでの生活に夢を馳せ合った。


 薫は自分の夢を語った。

 自分がバーテンダーで、彼女がシェフ。宮崎で出会った、夫婦のように――。


 明るい材料はここにある。もう人を殺さなくてもいい未来がある。ただ平凡な毎日を送ることだけに身を任せるだけの日々が。そう考えるだけで体を覆っていた闇が浄化していく。


「お店の名前は何がいい?」


「そうですね。まだ考えていないですが、お互いの色が入った名前がいいですね」


「それはいいわね。どうしようかなぁ……」


 その瞬間、襖の奥から松明のような淡い灯りがぽつりと見えた。一瞬の出来事だったが、薫は感覚を研ぎ澄まし耳に意識を集中した。


「……見回りの人かな」葵は目を凝らして襖の奥を見た。


 じゃり、じゃり。


 足音は一つではない。少なく見積もって二、三人だ。

 ぞろぞろと玉砂利が引きずる音が波のように流れてきている。


 じゃり、じゃり、じゃり……。


 何かがこの境内に迫っている。何かミスをしたのだろうか、ばれないように細心の注意を払ってきたのだが。


「大丈夫。この神社には抜け道があるの」


 彼女はそういうと、胸に垂れ下がっている黄色の勾玉を掴んだ。祭壇の前に進み、飾ってある榊を左手で避けて窪みに勾玉を差し込んだ。すると、何かの鍵が外れる音が聞こえた。


「ここから逃げれば神社の外に繋がっているわ」


 彼女はほら穴を指差しながらいった。

「この近くにここの神社の人しか知らない小屋があるの。そこに本当の情報が書いてある本があるけど、それを動かさなければ一日いても誰にもばれないわ。私はここで時間を稼いでおくから、今のうちに薫君だけ逃げて」


 祭壇の裏には隠し階段が出現していた。長いこと使われていないようで、蜘蛛の巣が無数に張られてある。


「本当に大丈夫ですか?」


 彼女の身を案じてしまう。

「神社の者ではない可能性だってあります。もしかしたら中国のスパイかもしれない」


「そうだとしたら、私も後から逃げるわ。大丈夫、神社のすぐそばには義父さんの家があるから助けを呼ぶこともできるし。きっと薫君のせいじゃないわ」


「そうだといいんですが……」


「飛行機の切符は私がなんとかする。だから明日名古屋空港で会いましょう。空港での連絡は私達にしかわからない方法で連絡するわ」


 葵がそういうと、なんだか本当に実現しそうだ。

 自分の心が一気に軽くなっていく。


「……わかりました」


「愛してる」 


 そっと口づけを交わし、階段に足を潜り込ませた。


「……僕もです」


 絡まった唇を離し薫は脱出を急いだ。階段の奥深くに潜り込んでいくと、扉が閉まる音がした。


 どうやら葵が勾玉を外したらしい。彼は目を凝らして暗闇の中、出口を求めた。


 目の前には岩を削り掘って作られた人工的な洞窟があった。幅は狭く、大人一人がぎりぎり抜けられるくらいの大きさしかない。薫は身を屈め、乾燥した岩肌の表面の先を眺めた。


 どうやらこの洞窟の先には木で出来た扉があるみたいだ。ライトがない中でも自由に動けることを実感し、前に進んでいく。


 ……あの扉が腐っておらずきちんと開けばいいが。


 扉があるということより自分には未来があるという考えが頭を過ぎった。辿り着いた先にはきっと光が待っている。


 明けない夜はない。光が差せば闇は消えるのだ。当たり前のことを当たり前と思えることが何より嬉しい。


 辿り着いた先にはやはり木で出来た扉があった。そっと押すと、ぎぃと音を立てて簡単に開いた。どうやら手入れは行き届いているようだ。


 扉の奥に入ると、一つの部屋になっていた。部屋の中は天井から月の光が零れている。ガラスで出来た窓があり、北斗七星が彼の闇を払うかのように光っていた。


 辺りを見回してみたが、人の気配は感じない。どうやら誰もいないようだ。


 薫は胸を撫で下ろし部屋を見渡した。木で出来たプレハブ小屋らしく洋風な佇まいだった。きちんと掃除はされており埃は拭き取られている。家具も洋風で木製のベッド、電化製品、ソファーなど日常のものが揃っている。神社とはかけ離れた空間になっていた。


 部屋の中には葵がいっていた本棚があった。洋書が揃っており、どれもが分厚く彩度の濃い色をしている。きっとこの中のどれかが極秘情報を含んでいるのだろう。


 きっちりと整頓された本を目で追っていると、早くもイギリスについたように感じ頬が緩んでしまう。


 ベッドに腰掛けもう一度部屋を見渡す。


 ……何だろう、この違和感は。


 息苦しい雰囲気を覚える。何かが自分に警告を打ち鳴らしている。


 それは本棚からくるものだった。もう一度本棚を目で追っていると、一冊だけ微妙にはみ出しているものがあった。その時に一つの考えが頭を過ぎった。


 ……そういえば扉が閉まる音を聞いていない……。


 背筋を冷たい汗が糸を引いて流れ落ちていく。あれだけ音を立てていた扉の音が全くない。誰かが掴まない限りは消えるはずがない。


 振り返ると、薫よりも大きな背丈の男がこちらに散弾銃を向けていた。

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