最終章 郷花堅乱 PART6
6.
葵は真剣な表情をしていた。先程まで笑顔で蕩けていた表情とは一線を画している。
「薫君の居場所は残念ながら日本にはないわ。でも私は薫君と一緒にいたい。だから私はこの日を選んだの」
「……わかっています。ですがなぜイギリスなんです?」
「イギリスはこの情報を正確に知っているの。天皇様と女王陛下が密接に繋がっているからね」
彼女は淡々とした口調で続ける。
「イギリス側の極秘情報も日本は握ってるみたい。それが何かはもちろん知らないけど、イギリスなら私達は普通に生活できるわ。あくまでも慎ましい生活しか送れないと思うけど」
薫はごくんと唾を飲み込んだ。そんな提案が出るとは思ってもいなかった。
しかし――。
「葵さんが僕のことを考えてくれているのは嬉しいです。けどそれはできません。僕はもう一つ果たさなければならないことがあります」
「だめっ。それだけは絶対にだめよ、薫君」
葵は大きな声で制した。
「復讐を果たしても何も生まないことはわかるでしょ。薫君はすでにたくさんの犠牲を払ってきた。もういいのよ、復讐を考えちゃだめ」
「……そうはいきません」
彼は目を逸らさずにいった。
「根源はフォンの父親にあります。あいつをこの手で殺さなければ、僕は自分の使命を果たせない」
「……薫君。自分の使命は生まれた時から決まっているものではないわ。それは自分が決めることなの」
「…………」
「私だって憎いわ。殺してやりたいくらい……。でも私はそれよりもあなたと一緒にいたいの。もしどうしても復讐を果たしたいというのなら、私もついていく」
「それこそだめです」
薫は大きくかぶりを振った。
「葵さんを巻き込むわけにはいかない。復讐を果たせない可能性の方が大きいです」
「薫君と一緒に死ねるのなら本望よ」
葵の眼が鋭く光る。
「だけど薫君のことを考えたら、私は死んでも行かせたくない。矛盾しているけど、私達は再スタートを切るべきよ」
「…………」
もちろん、別の選択を考えたことはある。誰も自分を知らない世界で、一度も触れたことがない世界で、ただ夜空の星を眺める生活を。
もちろんそれはただの空想だ。
頭の大部分では、新しい土地に行っても逃げ回るだけの生活しかないと思っていた。スパイの影に怯え、自分が殺害してきた者の骨を引き摺りながら……。
しかし今、目の前には葵と一緒に暮らす選択肢がある。自分の心には身を引き裂きたくなるような衝動が走っている。
「無理です。僕はあまりに人を殺してきています。今更真っ当な道は歩めない」
「そんなこと、ないよ……」
彼女は目を潤わせながら薫に近寄ってきた。
「今までの道のりは自分の意思で決めてきたわけじゃないでしょ? それがどれだけ辛い道を歩んできたか私にはわかってる。私もスパイとして様々な訓練を送ってきたわ。人殺しの怖さも知ってる。だからもうそんなことをすべきじゃない……」
彼女の言葉が自分の心を惑わせる。仮にイギリスにうまく逃亡できたとしても、身の安全が保障されているわけではない。二人で進む道には茨の道しかないのだ。彼女を巻き込むわけにはいかない。
「僕だって葵さんと一緒にいたい。だけどこればっかりはできません」
「じゃあ、なぜこの場所に来たの?」
彼女は強くいった。
「私に会いに来てくれたからじゃないの? それとも自分の考えが正しいかどうか確認しにきただけなの?」
「もちろん葵さんに会いたかったからに決まっています」
「……じゃあ、一つ勝負をしましょう」
彼女は手のひらから一枚の白い石を出した。
「これはオセロの石よ。裏はもちろん黒。これを飛ばして白が出れば、私と一緒にイギリスに逃げる。黒が出れば、私は薫君と復讐を果たす。それでどう?」
薫が黙っていると、葵が畳み掛けてきた。
「薫君とオセロで引き分けた時のお願いはこれでいいわ。私のお願いを何でも一つ聞くといったわよね?」
イギリスに強制的に行くという願い事をされるよりはましだ。彼は勝負を受けることにした。
「いいですよ。その代わり、黒が出たら僕一人で行くという条件でです。葵さんをこれ以上巻き込むわけにはいかない」
「薫君がここに来た時点で私はとっくに巻き込まれてるわ。私もあなたをここに呼んだことでもう引き返せないの」
「しかしあなたが呼んだという証拠はない」
薫は手を振った。
「僕が推測したことだということにすれば、葵さんはまだこの神社に身を置くことができる」
「そうかもしれない。だけど私は薫君と生きたいの」
彼女の真剣な声が響く。
「一緒にいたいからこそ、お互いがうまくいく道をずっと考えてきたのよ。だからお願い――」
――こうやってお互いの心臓を触らないとわからないでしょう? 二人のことは二人で決めましょう。
葵の眼に浮かんだ涙が薫の決意を鈍らせる。
しかし、しかし――。
「あの時、誓ったよね? 同じ川に身を投げようと。例え川の流れがきつくても行き着く先は一つになると。私達はすでに流されているの」
「…………」
これ以上説得しても無駄なようだ。この勝負で決めなければならない。
「……そうですね、わかりました」
薫は葵に石を投げることを促した。
「葵さんの気持ちはわかりました。ではお願いします」
……外すわけにはいかない。
薫は心の中で誓った。どちらの面が出るかなど、自分の眼で見れば飛んでいる最中に回転で計測できる。
今回だけは負けるわけにはいかない。
「……一回勝負だからね」
葵はそういって石を右手の親指で上空に飛ばした。それを両手で挟んだ。
「……ちょっと待って下さい」
彼は葵の手を掴んでいった。
「さっきのルールを逆にしましょう。僕は白面しかみていない。黒面が存在するとは限りません。白が出た時にはイギリス行きは諦めて下さい」
飛んでいる時に裏側から眩しく光が発っせられていた。黒石があそこまで光るはずがない。あれはどちらも白だ。
オセロの石ではなく碁石を使っている可能性がある。
「それでいいのね?」
薫は小さく頷いた。もちろん白が出たとしても、一人で行くつもりだが。
葵が右手を取り除くと、その上にはまぎれもなく黒の石が乗っていた。
「……決まりね」
彼女は口元を緩めながらいった。
「薫君は私と一緒に今からイギリスに向かう。それでいいわね?」
葵の目から冷徹な光が消えていた。何かがおかしいと思うのだが、納得するしかない。
「わかりました。僕も覚悟を決めましょう。イギリスに向かいます。葵さんと共に」
「……やっぱり薫君は物分かりがよくて助かるわ」
葵はにっこりと笑い、薫の近くに寄ってきた。
「小さい頃も素直でいい子だったからね」
葵は両手から石を離して薫に抱きついた。そこには二つの石が握られていた。




