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長編小説 3 『限りなく純粋に近いグレイ』  作者: くさなぎそうし
最終章 郷花堅乱(ごうかけんらん)
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最終章 郷花堅乱 PART2

  2.


「もちろんです」


 薫は口元を緩ませていった。


「……本当に会いたかった。会ってはいけないのだろうけど、それでも会いたかった。あなたに――」


「私もよ、薫君」


 葵から薫と呼ばれ、やはり自分の真名は薫だと確信する。伊勢神宮に入った時、ここが自分の故郷だと確かに感じた。一瞬にして頭の中に膨らんでいた無数の泡が弾け、幼少の頃の記憶が蘇っていった。


「ところで葵さんのことは真名でお呼びしたほうがいいですか?」


「……んー、どっちでもいいよ」


 彼女は笑いながら答える。

「どっちも私の名前だからさ。薫君が好きな方で呼んで下さい」


「そうですか。では前と同じく葵さんと呼ばせてもらいます」


「うん、そっちでいいよ。そっちの方が私的にもしっくりくるし」


「話をする前に一つ謝らなければならないことがあります」


 薫は軽く頭を下げた。

「僕はあなたのことをスパイという身分でこの一年間一緒にいました。そのことを謝らせて下さい」


「……まったく。本当にその性格は変わらないのね」


 葵は小さく肩を揺らして笑った。

「……私だって一緒じゃない。お互いが同じ境遇にいたんだから、それはなしにしましょう」


「……そうですね。では、そうしましょう。今からが真実の語り合いということになるんですね?」


「そうよ。だけどその前に確かめないといけないことがあるわ」


 彼女はこくんと小さく頷いた後、薫を覗き込んだ。

「あなたは私の目から見ても間違いなく薫君だとわかる。だけど確認が必要なの。今から話すことは薫君以外には聞かれるわけにはいかないから」


「……そうですね。では、何なりとどうぞ」


「ありがとう。じゃあ手始めにどうやって今まで生きてきたか教えて下さい」


 葵は姿勢を正していった。

「あなたは今の世界では生きていないことになってるのよ。あの死体があなたではないという証拠を見せて貰わないといけないわ」


「そうですね。僕も自分の存在の証明が必要になると思っていたので、その点は考えています」


 彼は冷静に述べた。

「まずあの死体はパンという人物です。僕の復讐相手でもあり、あなたの復讐相手でもある人物です」


「同じ諜報機関の仲間というわけね」


「そうです」


 薫は首を縦に振った。

「彼の父親に僕の父親は殺されました。でも僕は何も知らずに、日本を敵と思い込み中国の諜報機関に入ったんです」


「……そうだと思った」


 葵は重々しく頷いた。

「あなたがスパイになるとしたら、そういった事情がなければおかしいもの」


「ええ。僕は最初から殺されることを前提としてスパイに仕立てあげられたんです。しかしそれに気づかせてくれたのは葵さんですよね」


 薫は葵の手紙を取り出した。『星に明かりを』と書かれた手紙だ。


「うん、私が最後に残した手紙をきちんと理解してくれたのね」


 彼女がくれた手紙には三つの鬼灯が描かれており、一文だけが残っていた。結果、それが薫の命を助けてくれた。


「そのつもりです。しかしその話は後にしましょう。まず僕の証明を先にしなくてはなりません。彼が僕を殺すとすればそれはナイフだろうと検討がつきました」


「どうしてナイフだと思ったの?」


「彼にとって殺人はゲームなんです。どうやって相手を殺すかと考える事自体が彼にとって趣味みたいなものといった方がいいかもしれません」


 フォンは薫に執拗なまでナイフの技術を教え込んだ。自分の分身を作るかのようにだ。

 ナイフで一番大事なことは相手に傷を負わせることだと強調し、一度で仕留めることよりも空振りが一番まずいと彼は強くいった。


 まず、最初に腹を狙うこと。心臓は小さく動いている敵に対しては狙えるものではない。

 だが例外もあった。


「二重スパイの時は遠慮なく心臓を狙えといわれました」


 薫は自分の胸を指していった。

「彼にとってそれは美徳のようなものだったんでしょう」


「なるほど、それで二重スパイになりえる薫君にはナイフを扱うと読んだのね」


 薫は首を縦に振って肯定した。


「彼がナイフで来る場合の時に備えて、僕は弛緩剤を入手して置きました。そして伊勢神宮に突入する前に彼の鞘に仕込んで置いたんです。彼は相手を刺す前に、必ず自分の指で確かめる癖がありましたので、自滅を狙ったんです」


「なるほど……そしてその後に薫君がとどめをさしたのね」


「いえ、そうではありません」


 薫はかぶりを振った。

「とどめを刺す前に彼は自決しました。きっと、僕にやられるのが心底嫌だったんでしょう」


「そうだったの……」


「後、もう一つの証拠はこれです」


 そういって薫は口を開いた。

「葵さんといた頃には銀歯をつけていましたよね? この銀歯はフォンから自決用に貰っていたものです」


 銀歯の中には毒が入っていた。人の命の軽さを知るきっかけになったものだ。

 だがこれはそれだけのものではなかった。


「この銀歯をフォンに差し込んで歯を割ろうと思ったんですが、その時に気づいたんです。ここにも盗聴器があるということを」


 葵はわかっていたという風に無言で頷いた。


「葵さんは元々わかっていたからこそ、間接的に僕に情報をくれたんですね」


 フォンの耳にはイヤホンがあった。それは銀歯から音声を拾っており、主に周波数が合う時だけに使用できるものだった。自分の部屋に隠されたラジオ型盗聴器を見つけた時、初めて葵の行動の本質を捉えることができたのだ。


「銀歯はそのままフォンの奥歯に差し込んでおきました。日本の警察は優秀ですから、すぐにこれを辿ると思ったからです。彼が中国のスパイだと判明すれば、情報を漏らすわけにはいきませんからね」


 警察は精密な盗聴器を身につけた中国人、リー・シュンを要注意人物と断定し、死亡解剖を行わなければならない。スパイと疑われし者をそのまま中国に送るわけにはいかないからだ。


「だからこそ彼の死因は凍死ではなく出血死ということにしたんだと思います。凍死であれば中国に送られる可能性がありますからね。これがそのイヤホンです」


 葵の前に出すと、手を振るだけで触ろうとはしなかった。


「ううん、その話が聞きたかっただけだから、もういいよ。私もね、出血死ということがずっと気に掛かっていたの」


 だってあの日、三重では大雪だったでしょ。彼女はそう付け加えた。


「出血死ということはありえないんじゃないかと思っていたの。おかげで薫君だと疑う余地はなくなったわ。これは単純な疑問なんだけど、どうやって今まで暮らしてきたの?」


「彼は暗号の解読を行なう人物だったんです。今までフォンとして日本で生活してきました。また彼と僕は体格も似ていたので、変装は容易でした」


 フォンとは兄弟だったという言葉は飲み込んだ。彼女にはそれを知られたくない。

 薫は歯を食いしばりながら続けた。


「僕はずっとフォンに救われたと思っていました。だけど現実は無常です。家庭を破滅に追いやった人物に恩を感じていたのですから……。おかげで積年の復讐を果たすことができましたが…………」


「私からもお礼をいわせてもらいます」


 葵は眉間に皺を寄せて真剣な表情でいった。

「彼は私にとっても大切な人を奪った人だったから……」


「そうですよね……」

 葵の母親、日向のことをいっている、と薫は思った。


「じゃあ、ここに来ていることは誰にも知られていないのね?」


「誰にもばれていないと思います」


 彼は頷いて肯定した。

「中国サイドにはあの巻物の情報しかありませんからね」


「……よかった」


 葵はほっと溜息を漏らした。

「わかっていたとはいえ、安心したよ」


「僕も自分の身分を証明できてほっとしています」


 彼女は正座を崩し胸に手を当てた。


「よし。じゃあ今度は私の番かな」

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