第六章 玄冬の『豪』雪 PART7
7.
頭にハンマーを振り落とされたような衝撃が走る。足が一瞬硬直し、自分が立っているのかどうかすらわからない状態に陥っている。
だが想定内の範疇だ。
「……どういうことだ?」
「今いった通りだよ」
フォンは機械的な口調で繰り返した。
「お前はここで死ぬ。それで作戦がようやく終わる」
「……なぜだ? 俺は祖国を裏切っていない」
「ああ、今のお前は白だ」
彼は大袈裟に肩をすくめた。
「だがこれからフェイカーのように黒く染まるかも知れないだろう? なんだ、本当に記憶は戻っていないのか」
フェイカーが黒? 本当の記憶?
不吉な気配が全身を襲う。
「意味がわからない。はっきりといえ」
「オレの前に姿を表したフェイカーは本物じゃなかったんだ。あいつこそフェイク、黒幕だったんだよ」
「そんなことはどうでもいいっ」
リーはフォンの言葉を飲み込まず激しく叫んだ。
「本当の記憶とは何だ? なぜお前が俺の記憶を知っている?」
「その様子だと大分記憶が戻ったようだな」
フォンは嘲りながら唇を舐めた。
「お前の幼少の頃の記憶はオレ達に都合が悪かったからな、改変させて貰った」
凍てついた風が自分の体を巻き込んでいく。
記憶が思い出せないのではなかった、そもそも記憶自体が変えられていたのだ。
フォンは申し訳なさそうな顔をして頬をぽりぽりと掻き始めた。
「……本当に知らなかったんだな。しょうがない、一つ教えてやるか。お前は玄司を引き出すための囮だったんだよ。お前の母親は瞬で間違いない。オレとも血が繋がっているんだからな」
……フォンとも兄弟だと?
何をいっているんだ、こいつは。
リーの心境とは別に彼は淡々と隠された秘密を話し始めた。
「柊玄司は日本の隠蔽された神を探し当てた。それが日本のスパイの眼に止まったんだ。それで中国にやってきたというわけだ。お前を守るためにな」
……父さんはやはり辿り着いていたのか。
ならばなぜ、こんな面倒な作戦を立てたのかが気になる。
「玄司は瞬にもその内容を話さなかったんだ。だから、お前に目をつけたというわけだ。だが母さんは馬鹿だよ。玄司に本気で惚れて、オレたちから逃げられると思ったんだからな」
「何をいってる? お前は何の話をしているんだ」
「お前の母親もスパイだということさ」
心臓に思いっきり杭を打たれたような痛みが走る。先ほど自分が殺されるという言葉より重いものだった。
「母さんは『蘇我』一族の血を引いている。オレたち一族のな」
「『蘇我』一族? あれはただの歴史上の人物じゃないか。それに――」
リーがいおうとした言葉をフォンは遮った。
「滅亡したとでもいいたいのか? 『藤原』氏に潰されたと」
「そうだ」
リーは首で頷いた。
「現代までその血筋が残っているなんて馬鹿げている」
「本当にお前は何も知らなかったんだな。くくくっ」
フォンは笑いを噛み殺していった。
「いいだろう。オレは今、お前に全てを話したくなった」
フォンは何かの紙をこちらに投げた。リーは受け取って眺めようとしたが、手が悴んで中々ページが開けない。
恐る恐るページを開くと、そこには『藤原』氏と『蘇我』氏の歴史がずらりと書いてあった。
「そこに書かれてあることが全てだ。お前達、アマテラスを崇拝する神社は『藤原』家を祖先としている。そのため、アマテラスを絶対の神だと崇めてきたんだ」
「俺の先祖が『藤原』家だというのか?」
「そうだ」
フォンは唇を舐めた。
「オレ達の一族は日本を退くことになり、今まで各地を彷徨い中国を拠点に動いていた。そして今、やっと日本に復讐を果たす時がきたんだ」
……そういうことか。
自分の中で細い糸だったものが練り上げられ、強固な線になっていく。リーがいた諜報機関は日本に復讐を果たすため存在していた。つまりは円滑な外交というのは名目上のことだったようだ。
正直今はそんなことなど、どうでもいい。
「あの組織は全て『蘇我』一族なのか?」
「……まさか」
フォンは大袈裟に手を振った。
「中国が多民族国家ということはお前も知っているだろう? いちいち、大昔の悔恨で一つの組織が作られるわけがない。親父の独断状での作戦だ」
……納得の行く話ではある、嘘じゃなさそうだ。
中国政府は歴史や宗教よりも文化、思想を重視する国だ。わざわざ一族間での争いに首を突っ込むほどの余裕はない。つまり彼のいっていることはおそらく真実だろう。
つまり、最初から全てあの軍人に仕組まれていたということか――。
「お前は『藤原』家と『蘇我』家の間で生まれた子だ。だから、今まで生き残ることができたんだ」
「じゃあ、なぜ俺の両親を殺した? 情報源を殺すようなことはしないだろう?」
「もちろん、当初は殺す予定なんかなかったさ」
フォンは肩をすくめた。
「だが一足先に日本のスパイがやってきたせいで、作戦は失敗したんだ」
日本のスパイ。きっと葵の両親だろう。二十年前の電車事故などではなく、きっと中国のスパイに殺されたのだ。
「結局、オレらの手元に残ったのはお前と玄司が残した短歌と勾玉だけになった。だからお前の記憶を頼り探ったんだ。
しかし自白剤を使ってもお前は何も吐かなかった。すでに玄司が何らかの処置をしていたんだろう。代わりにお前は自らで記憶を閉じ込めた」
「父さんが……俺に…………」
「お前は心を閉ざし、全く動かなくなった。数日後、お前は動くようになったが、お前は自分のことを『こはく』と呼び、母親は『日向』だというようになった。それまでは自分のことを『かおる』と呼び、母親は『瞬』だといっていたのにだ」
……そうか。そういうことか――。
一つ一つの疑問点が消えていく。自白剤を打たれたために舞い戻った記憶。それは予め呼び起こされる記憶だったのだ。これこそが自分に二面性を作り出していた原因だ。
玄司はきっと自分を生かすために敢えて別の記憶を埋め込んでいたのだ。それは真の情報を引き出させないため。自分の命を守ってくれるために処置を施してくれていたのだ。
薫である自分に、琥珀としての記憶を――。
「だからお前を生かす他なかった。どうだ、納得いったか?」
再び記憶が蘇る。玄司は家を燃やされ大佐の前で懇願している姿だったのだが、あれは必死に抗議している絵だったのだと思い直す。
どうして、今まで思い出せなかったのか、自分がはがゆい。
「お前は本当によくやってくれたよ。自分の両親を殺されても、日本に復讐するために殺人鬼になってくれたんだからな。本当に真面目だ。その勤勉さはやはり日本人のものだ」
フォンはナイフを手にとり、自分の指でナイフの精度を確かめた。
「母さんをやったのは日本のスパイだ。スパイは男と女の二人だ。男のスパイは母さんだけを殺すために、遠くからライフルで打った。それで母さんは死んだ」
瞬を殺したのは日本のスパイ。憎悪の渦がさらに昂ぶっていく。
「……それは本当か?」
「当たり前だ。オレはこうみえても、嘘をつくのが嫌いなんだ」
……くそっ。
リーは奥歯を何度もぎりぎりと噛んだ。どうやら母親の敵は日本人で間違いないらしい。
その時、瞬が後ろから撃たれた光景が蘇ってきた。その場面は火の中ではない。瞬の血によって、自分の視界が真っ赤に染まっていただけだった。
「まだ話は終わってない。最後までちゃんと聞けよ」
フォンはリーの表情を見て口元を緩ませた。
「女のスパイは母さんだけを殺して玄司とお前を日本に戻すつもりだったらしい。そりゃそうだよな、中国にばれちゃまずい情報を持っているんだ。だがその場で玄司も殺すっていう選択肢があるのにそれをしなかった。そこに油断が出たんだよ。そいつはそのまま家に入ろうとした。そこをオレが殺した」
……最高の感触だったよ。
フォンは冷淡な顔に歪みを作りながら嬉しそうに何度も相槌を打った。その仕草は自信に満ち溢れていた。
彼女が葵の母親・日向だろう。全身が引き裂かれるような恐怖が身を襲う。
「もちろん、その後のことはわかるよな? 情報を奪うためにすることといえば簡単だ」彼は右拳をぎゅっと掴んだ。「大事にしているものを握りつぶす、それだけだ。お前の命と引き換えにお前の父親は情報を吐いた。それが今回の作戦の鍵となったんだよ」
「父さんを殺したのは――」
「……親父だよ」
フォンは唇を歪ませてからいった。
「情報を吐いた後、また日本に戻られちゃまずいからな。その情報を失うわけにはいかない。今のお前にならわかるだろう? 情報を引き出した人間はただの肉塊だ。家畜以下の存在だ。必要ない」
ふふふ、ハハハ、あーはっはっハッハッハ。
フォンは右手で自分のこめかみを押さえながら狂ったように笑い出した。咳き込みながらも腹をよじり笑うことを止めようとはしない。
静寂をもたらしていた粉雪が彼の笑いを皮切りに身を引き裂くような豪雪へと変わっていく。
こいつだけは許すわけにはいかない。
「お前と過ごした日々は退屈しなかったよ。冷静に人を殺すことをお前から勉強させて貰った。親父も驚いていたよ、とんだ上玉が入ったとな」
奥歯がガタガタと震え上がるが堪える。身が千切れそうな焦燥感が数秒ごとに襲ってくるが耐えるしかない。
「俺があの施設に入ったことから決まっていたことだったのか……。この作戦から暗殺者としてではなく、スパイをするということは」
「当たり前じゃないか。お前には小さい仕事しか回って来なかっただろう? 失敗してもいいようにオレがずっと補佐してきたんだ。ありがたく思えよ?」
彼は煙草に火をつけながら続ける。
「まあ、今回の件でお前は日本を敵に回したんだ。お前の住む場所はどこにもない。あの世だけだ」
「………………」
「よかったな、これで念願の家族心中が果たせるじゃないか、羨ましいよ」
今ここに復讐相手がいる。自分の中で一瞬にして殺意が固まっていく。体が緩やかに闇を吸収する。
この感覚は今までに何度も味わったものだが、これ以上のものはないだろう。
「……複雑な気分だが、嬉しいよ」
リーは抑揚のない声でいった。
「やっと復讐相手が見つかったんだからな。この場で借りは返させてもらう」
「これ以上笑わせるなよ、ヘイ。何の道具もなくオレに勝てると思ってるのか?」
彼は嘲るような顔でリーの顔をじろじろと見る。
「いっただろう、潜入する時には不測の事態を想定しろと」
「……ああ、もちろんわかっている」
リーはガラスの破片を持ち直した。
「早く掛かってこいよ。警備員が来るぜ」
「ふん、口の減らない野郎だ」
そういってフォンは頭に掛けてあるゴーグルを下げた。これで夜とはいえハンデはないだろう。
フォンの構えから、いつもの彼だと思い直す。いつもの定石ならこのまま一直線に向かって来るだろう。
だからこそ柔軟に対応しなければならない、囲碁のように全体を視野に入れなければ。
フォンの突進にリーは全力で横に避けた。
「びびってるのか、ヘイ?」
フォンは振り返り口角を上げた。
「いつものお前ならナイフを奪いに来るだろう。ああ、そうか。ナイフの使い方をオレに教えて貰った義理があるもんな。義理堅いな、ヘイは。殺し方は全部オレから教わったもんな」
「……殺しの経験でいえば、俺の方が上だ」
リーは鋭い視線を彼にやった。
「ここで殉職して大佐のように階級を上げたらどうだ?」
「そうか、親父はもう大佐になったのか……」
フォンは驚き竦み上がった。
「オレものんびりとしてるわけにはいかないな」
「なんだ、知らなかったのか。親子だというのに連絡くらいまめにいれたらどうだ」
「……そうだな。お前を殺した後でゆっくりと挨拶でも交わすとするか」
再び直進攻撃が来る。彼のナイフの軌道は目を瞑っていてもわかる。だがこのままここで戦闘を繰り広げていても拉致があかない。
日本のスパイに目をつけられればお互い逃げ場はない。
「得意なのはナイフだけか。フォンにしては芸がないじゃないか」リーはおどけた感じでいった。
「まあ、そういうな。奥の手はとっておくもんだ」
「あの世で披露しても意味がないぜ? 勿体ぶるなよ」
「ちっ、今日は本当によく喋るな」
彼は舌打ちしながらナイフで自分の指の感触を確かめている。そこには憎悪の感情が浮かんでいた。
「そんなに早く死にたいのか、ヘイ」
「お前よりは長生きすると思うがな」
「そうか……そんなに早く両親に会いたいか」
大袈裟に唇を歪ませ何かを取り出す。
「じゃあさっそく、優秀な殺人鬼に褒美をくれてやろう」
フォンは素早く何かを地面に叩き付けた。地表を覆っていた雪が突然、空中に舞う。
「鬼には灯が必要だ。両親と同じ所にいけるよう道を照らしてやるよ」




