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長編小説 3 『限りなく純粋に近いグレイ』  作者: くさなぎそうし
第六章 玄冬の『豪』雪(ごうせつ)
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第六章 玄冬の『豪』雪 PART5

  5.


 一月七日、人日の節句。


 粉雪が降る中、リーはフォンと共に伊勢神宮の内宮に潜入していた。


 警備の人間はフォンの予想通り大幅に増えている。今回はそこが狙い目だった。


 警備に関わっている人間には派遣のものもいる。フォンの情報網で警備に務める人間をピックアップすると、こちらに有利な人間を見つけることができた。


 大抵の人間は何かしら人に知られたくない弱い部分を持っている。今回の場合は金をちらつかせるだけで交渉が成立した。借金を抱えている人間が二人程いたからだ。その二人の名義を借り、彼と共に二人で潜入している。


「やけに連中は張り切っているな。これじゃここにお宝があるといっているようなもんだぜ」


 フォンは周りをきょろきょろと見渡し、自分の持ち場を確認している。

 彼と共に移動していると、不意に話しかけられた。


「時にヘイ。お前はここに日の神の正体を記した物があると思うか?」


「……どうしたんだ、フォン?」


 体が無意識に硬直していく。

「そのために俺達はここにいるんだろう?」


「確かにそうだ。ただお前がどう思っているか知りたいんだ」


「もちろん、俺もここにあると思っている」


「……そうか。じゃあ質問を変えよう」


 フォンは無表情のまま尋ねてきた。

「日の神はスサノオで間違いないと思っているか?」


「当たり前だ」


 リーは一喝した。

「どうして今頃になってそんなことを訊く? 俺達の意見が合ったから、ここにいるんだろう?」


「ああ、そうだ。ただお前には別の考えがあるような気がしてな」


 フォンは煙草を咥えながら、再び矢を向けるような目でリーを見つめた。


「なあ、ヘイ。四神というのはどこの国でも同じ方向にあるのかな? オレ達が考えている方向でいいのかな」


 質問の意図がわからない。リーは訝りながらも応対した。


「それはそうだろう? 四神の方位が決まっているのには理由がある。背後に山があるから玄武、左に川があるから青龍、右に大道があるから白虎、前方に海があるから朱雀だ」


「ああ。それで間違いない」


 フォンは踵を返し、リーに背を向ける。

「だがここは日本だ。日本から見ると出雲の上には山がない。代わりに海がある」


 フォンの眼には冷たい光が宿っている。


「何がいいたい?」リーは無表情を装いながらいった。


「日本では方位が逆に変わるんじゃないかといってるんだ。オレ達が考えている方向が正しいとは限らない」


「……確かにそうかもしれない」


 自分の体が反射的に震える。

「しかし出雲で赤い勾玉が見つかった。何も怪しむ必要はない」


「まあ、そうなんだけどな」


 ……まずい雰囲気になってきた。


 心の奥底でフォンに対して恐れを抱く。彼はすでに気づき始めているようだ。ただの勘といいつつも視線は鋭い。いつでも動けるよう感覚を研ぎ澄ませなければならない。


「……そういえば楸田馨と呼ばれる人物を調べたよ」


 彼は唇を舐めていった。

「こいつの名前は偽名じゃない。だがオレが辿った情報網ではこいつには隠れ名があった。こいつには琥珀という名があるんだ」


 リーは驚嘆し彼から目を背けた。フォンはどこでその情報を手に入れたのだろうか。


 自分についている盗聴器は全てマスターにだけ発信されているはずだ。そしてフォンはマスターとはしばらく連絡を取らないことを決めていた。


 それなのになぜ、その名前を知ることができる?


「お前の名は本当に馨だったのか? それとも琥珀なのか? あるいは両方なのか? どれなんだ、一体」


 リーの中でも燻っていた疑問を打ち出される。ただしどれが正解なのかは未だにわからない。自分の名が琥珀でもあり、琥珀でもない気がするのだ。


 全ての答えは幼少期の記憶にある。


「どっちだっていいさ。俺は中国人だ。日本人じゃない」


「まあ、そう気張るなよ」


 フォンは蛇のように睨みを効かながらいった。

「どうした、らしくないじゃないか。冷静さがお前のウリなのに」


「俺の出生を知っているのはお前の父親だけだ。本人に訊けばいい」


「親父が、はいそうですかと答えるはずがないだろう」


 彼は舌を出して両腕をぶらりと上げた。

「オレは親父に自分から話し掛けたことなんか一度もないぜ。わざわざ危険物に手を突っ込むようなことはしない」


「……変わった親子だな」


 そういうと、フォンは笑った。


「スパイとしては正当なしつけだと思うがな」


 彼は頭を掻きながら続ける。

「何でもかんでも人に聞いたって駄目だ。自分で考えなければ生きる道はない」


「………………」


 否定も肯定もせずフォンの話に身を傾ける。ここで答えれば、彼は間違いなく疑問を持つからだ。

 きっと彼の中では推測に過ぎないのだろう。今は黙って耐えるべきだ。


「オレはお前の本当の名が最後のキーになると踏んでいる」


 フォンは吸殻を携帯灰皿ですり潰して話を巻き戻した。

「琥珀なら矛盾点はない。だが馨だというのならば、もう一度最初から考えなければならない」


 彼は語気を強めて続けた。


「馨という名前には色が入っていないからな。香色というのはあるが、それは肌色に近いものだ。なぜ黒色が入った名前が存在しない? それは他に隠された情報があるからだろう。なあ、そう思わないか?」


「……考え過ぎだ」


 リーは冷静な声で諭した。

「確かに俺の親父は伊勢神宮の小宮司だったんだろう。だが――」


「だがなんだ? 母親は天岩戸神社で生まれた日本人だから、琥珀で間違いないというのか? お前の家と一緒に焼かれた女はただの連れ添いだというのか?」


「……俺にはわからない」


 絡まる謎にリーは頭を悩ませた。

「わからないんだ……。あの人が本当の母さんなのかさえ……」


 ……俺だって全てを知っているわけじゃない。


 ただこの流れはあまりにも順当すぎるということはわかっている。リーはそう告げたかったが、喉元で抑えていた。


「オレだってお前に訊かなくても調べることはできるさ……」


 フォンは溜息をついた。しかし眉間に皺が寄ったままだった。

「だがお前の出生に関しては一切の情報が出てこなかった。一切だ、一切だぞ。楸田馨で調べても、楸田琥珀で調べても何も出て来なかった。そこには何か隠された情報があるとみるべきだ」


「なぜ今頃になってそんなことを言い出す?」


 リーは頭を抱えたままいった。

「もう一度いう。俺の考えとお前の考えが噛み合ったから、今回の作戦は決まったんじゃないのか? なあ、そうだろう?」


 結局マスターに関する線引きはグレイとなっていた。今回の作戦はマスターの手順を踏んでいるが、情報源を入手した際、一旦フォンに預けることになっている。


 フォンは一度読んだ内容を忘れない特技を持っていた。仮にマスターが日本側のスパイだとしても、フォンが内容を一字一句覚えていれば、証拠物が無くても充分効果を発揮する。


「確かにそうなんだけどな。しかし何か引っ掛かるんだ」


「はっきりといえ。お前らしくもない」


 フォンはそうだなといって頭を掻きながら答えた。


「お前はオレの質問に感情的になって答えている。オレに何か隠しているだろう?」


「もちろん、何も隠していない」


 リーはかぶりを振った。

「敵の本拠地に攻め込んでいるんだ。気が張るのは当然だ」


「……お前の異変はここに入る前からだった」


 フォンは右手を振って否定した。

「自分では気づいていないかもしれないが、今のお前は感情が表に出るようになっている」


「それこそ気のせいだ」


 心臓がどくんと脈打ったまま答える。

「俺は何も変わっちゃいない」


「……変わっているよ。お前、オレが与えた銀歯を抜いているだろう?」


 リーの言葉を無視しフォンは続けた。

「以前お前は死ぬことばかり考えていた。だが今回の任務から明らかにお前は生きることを最優先に望んでいる。違うか?」


 銀歯。子供の頃にフォンと約束を交わした時。復讐を果たすまでは死んではいけないと彼に貰ったものだ。死ぬことはいつでもできると自分の心を落ち着かせる安定剤だった。


「ああ、あれはただの毒なんだろう?」


 淡々とした声で述べる。

「俺は死ぬつもりはない。だから外した。それだけだ」


「確かにオレはお前に死ぬなといってあの銀歯を渡した」


 フォンは禍々しいオーラをちらつかせながら、それでいて少年のように純粋な瞳で吟味する。

「しかしそれは任務中に迷いが生じては危険だという意味でだ。お前は今、迷いが生じている。この任務を無事にやり遂げていいかということでだ。忘れるな、お前の両親を殺したのは日本のスパイだ。お前の自由を奪ったのは日本だ。日本に復讐を果たすためにあの地獄の日々を過ごしてきたんだ」


「忘れてなどいないっ」


 リーは怒鳴り声を上げた。

「俺は日本に復讐を果たすためにここにいる。だからこそ、この場所に潜入している」


「……わかっているのなら、それでいい」


 彼は肩をすくめていった。

「無用な考えは捨てておけよ。今からが本番だ」


 フォンはナイフの鞘を確認し、暗視ゴーグルを頭に掛けた。彼から近づいてはならない程の圧迫感を覚える。その姿にはおぞましい殺気が滲み出ていた。


 フォンと離れ自分の持ち場につき辺りを見回すと、一本一本の成熟した檜達が自分に対しておかえりといっているように見える。


 どうやらここは何も変わっていないらしい。時間だけが止まっているようだ。


 ……何だろう、この懐かしい気持ちは。


 目を閉じて感覚に身を委ねる。檜の匂い、玉砂利の音、雪傘を被る宮、神に見つめられているような厳粛でいて心地いい空気。全てが自分を肯定してくれる。


 周りの景色に没頭していると、自分の意識が遠のくのを感じた。螺旋を描くように時が遡り、子供の頃の記憶が断片的に蘇っていく――。

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