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長編小説 3 『限りなく純粋に近いグレイ』  作者: くさなぎそうし
第六章 玄冬の『豪』雪(ごうせつ)
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第六章 玄冬の『豪』雪 PART3

  3.


 数日後。


 リーは葵の様子を覗くため神社に向かっていた。もちろんやってはいけないことだと理解している。だが彼女と本当に姉弟なのか、一目見て自分の気持ちに区切りをつけたかった。


 だが何度神社に通っても、彼女の姿は見当たらない。まさか仕事を辞めてしまったのだろうか、頭の中に残っている彼女の残像がリーの胸を締め付けていく。


 ……彼女がそんなことをするはずがない。


 葵は熱田神宮の娘だ。例え養子だとしても、ここで育ったことに誇りを持っているはずだ。彼女は恋愛感情で全てを捨てるような人ではない。それに蒼介の眼差しは自分の子に向けるものだったと感じる。


 正殿の前で立ち止まる。彼女と共に参拝した時に、草薙剣の話を聞かせて貰った所だ。彼女は自分にわかるように、丁寧に話を進めてくれた。


 ただ一つだけ疑問に思う点を除いては――。


「……あら、あなた」


 突然後ろから呼ばれ、リーは振り返った。すると、知らない老婆が目の前に立っていた。

「宮司さんの娘さんと一緒にいたわよね。確か春頃に」


「ええ、そうですが」


 きっと葵とデートした時に見られたのだ、とリーは思った。


「最近ね、彼女を全く見ないのよ」


 老婆は悲しそうな声を上げた。

「いつも話し相手になってくれていたんだけどね。どこにいったのかしら」


「そうですか……」


 やはり葵は神社に来ていないらしい。


「それにしても娘さん、だいぶ大人になったわね。昔はおてんばさんだったんだけど、この頃はすっかり落ち着いてしまったわ」


「昔というと?」


「小さい頃の話よ」


 老婆は嬉しそうに語る。

「悪さばっかりしていて、よく怒られていたのよ。人の話を聞かないでよく遊び回っていたけど、今じゃ聞き上手になってくれてね。本当に人が変わったみたい」


「…………」


 これ以上話してもしょうがないと思ったのか、老婆は頭を下げた。どうやら宮の方へ向かうようだ。


 老婆に別れを告げ、葵の自宅に向かうことにする。彼女の部屋を見ると、電気は点いておらず留守のようだった。


 部屋の前にたつと、扉のドアノブに手が伸びてしまいそうだった。このドアノブを捻れば、畳の上で座っている彼女が微笑んでくれるのではないか、そんな思いが脳裏に霞んでいった。


 たくさんの葵の姿が、表情が、色褪せることなくリーの中に刻まれていた。それは様々な色で満ちていた。


 出会いは何色にも染まっていない白だった。何も知らない状況の中で、様々な色を塗り合いながら惹かれていった。


 葵は特に白が似合う女だった。純粋で高潔で、黒い点は一つもない。自分が天岩戸神社の生まれだと知っても、熱田神宮に対する思いは変わらず、それまで以上に巫女として誇りを持っていた。



「一年に一度しか会うことができなくなった時は、お互いにしかわからないメッセージで時間を決めよう」



 出雲での初めての夜だった。葵と天の川を眺めて星に願いを浮かべた時だ。


 お互いに手紙を送って合図を出そう。お互いに川の流れに身を任せようと誓い合った。


 ふと、足が郵便受けに伸びる。もし彼女が同じ気持ちでいてくれるのなら、きっと自分に対して手紙を残しているに違いない。


 楽観的すぎる考えに彼は笑いながら郵便受けを開けた。そこには様々な色に染まった広告が詰まっているだけだった。


 ……あるはずがない。


 自分が葵にした仕打ちを考えれば当然だった。そっと扉を閉めようとした時、黄色の広告と共に一枚の手紙がずり落ちた。その手紙は彼女の字で書かれてあった。



 『星に明かりを』


 

 鬼灯が描かれてある絵葉書えはがきだった。たった一言書かれてあるだけで、宛先も何も書いていない。


 しかしよく見ると、小さな青い鬼灯の中に葵という字が緑色のペンで描かれてあった。きっと自分に対して残してくれているのだと直感が働く。


 なぜ鬼灯の絵葉書なのだろうか。葉書の中には三種類の鬼灯がある。一つは青く未熟なもの、一つは枯れて実だけが残っているもの、一つは成熟したものが双子で繋がっているものだ。彼女の名が書かれてあるのは未熟な鬼灯の中だった。


 彼女の話を邂逅する。鬼灯の実を見ると眩しい光を纏っており虹のように輝いていた。


 確か鬼灯の話をしたのも七夕だ。まさか彼女は七夕の日に再び会おうといっているのだろうか。『星に明かりを』というのは七夕の日を表しているのだろうか。


 ……しかしそれはない。


 彼は首を振って思考を巡らせた。七夕の日以外で会おうとして手紙を出すという話だった。やはりこれには何らかの意図が含まれているに違いない。


 リーはその手紙を掴みとり葵の家を後にした。



 細いアスファルトを歩きながら帰路へ向かう。葵と何度も星を眺めながら歩いた道だった。あの頃は夏の星が輝いていたが、今では冬の星がリーに光を発している。


 南東の方角に冬の三角形が見える。子犬座のプロキオン、大犬座のシリウス、オリオン座のベテルギウスが見えない線を描きながら綺麗な正三角形を作っていた。


 葵とは一緒に見ることができなかった最後の四季の三角形だ。一人で見る星は味気なく、星の輝きまで弱まっているようにさえ感じてしまう。


 彼はそこから四つの星をなぞって繋げた。双子座のポルックスとカストル、御者座のカペラ、牡牛座のアルデバラン、オリオン座のリゲルと七つの星を順に結ぶと大きなダイヤモンドの形となる。


 葵にこの話をしたかった。日本の巫女でありながら、西洋の神話にも興味を持ってくれる彼女の笑顔が宙に浮かんでは儚く消えていく。


 葵と熱田神宮で見た星も双子座だった。双子座は彼女の誕生日であり、付き合ってもいないのにキスをせがまれた。


 リーはたじろぎながらも葵の唇に触れた。あの感触が今でも鮮明に残っている。そのことに妙に心が揺れていく。


 ……葵の誕生日は三月三日だが、自分の誕生日は……?


 今まで思い出すことができなかった記憶が舞い戻る。自分の誕生日は両親が菊酒を飲んでいた日だ。


 菊酒を飲む日は重陽の節句(九月九日)だ。


 ――忘れるわけがない。父さんもお前と同じ誕生日だからな。


 父親の声が脳裏を掠める。父親はクリスマスに誕生日プレゼントを渡そうとしていたのだ。一体、自分の誕生日はいつなのだ?


 ――いいじゃない、今日はお祝いの席なんだから。


 宮崎のバーでの葵との会話が蘇る。あれはもしかして節句の祝いではなく自分に向けられた言葉ではないだろうか、だがどうして葵が自分の本当の誕生日を知っている?


 ……意味がわからない。俺は本当は誰なんだ?


 自分が葵の弟ではないと仮定すると、彼女の双子の相手は――。


 宮崎のターゲットだった楸田馨が頭の中に浮かぶ。もしかすると楸田馨という人物は本当に実在しているのかもしれない。彼が本当に彼女の弟だという可能性もある。


 一つの弱い灯火が着実に大きくなっていく。その虚ろな影が明確に姿を現していく。


 ……仮にだ。


 仮に楸田馨が葵の姉弟であるならば、なぜ天岩戸神社で会釈を交わさなかったのか?

 交わさなかったのではなく、交わせなかった。


 なぜか?


 中国のスパイに監視されていたからだ。中国のスパイに監視されていたことがわかっていたからだ。


 誰がわかっていたのか?


 挨拶を交わすのはどちらか一人が気づけばいい。だが挨拶を交わさないとするとお互いに理解していなければならない。


 楸田馨だけでなく、葵自身も――。


 灯火は炎となってリーの心を焦がしていた。燃え尽きた後、残ったものは彼女の真の姿だった。


 まさか葵は…………葵もスパイなのか――?


 自分の推測を即座に打ち消す。マスターは葵がスパイではないと断定していた。彼女がスパイであることを根底から掻き消していたのだ。それに彼女には出生の秘密がある。そんな人物がスパイになどなれるはずがない。


 しかしそのマスターでさえ二重スパイとしての疑いが生じているのだ。彼の言動が正しいとは限らない。


 ……一体、何が正しいのかわからない。


 リーは夜空に溶け込むようにゆっくりと目を閉じた。浮かんだ景色には碁盤があった。そこに白と黒の石はなく、ただ十九本のラインが轢かれてあるだけだった。



「部分だけでなく全体を。この碁盤が全てじゃない。碁盤の奥にこそ、真理があるんだから。常識を疑う発想を持つようにね」



 美里の一言がリーの意識に溶け込んでいく。常識を疑う発想。部分だけでなく全体を。 


 正しいことなんて元々ない。そもそも正義などこの世にないと思っている自分が全てを信じていることが滑稽だ。


 自分の直感だけを信じて真実を探し出さなければならない。


 ……思い出せ、彼女の言葉を。彼女の意思表示を。彼女が含ませたメッセージを。


 葵に意識を集中する。すると彼女が口ずさんだ歌が蘇った。



 春ツバキ

 夏はエノキに

 秋ヒサギ

 冬はヒイラギ

 同じくはキリ



 季節は何度でも巡り合う。


 春の花があれば、夏の花があり、秋の花があれば、冬の花がある。それは日々季節を感じ取れる日本だからこそ、味わえる景色だ。


 葵との思い出を駆け巡る。


 最初の出会いは冬だった。初デートが春であり、初めて体を繋げたのが夏だった。葵のことを愛おしく思う秋が来れば、一年を遡る冬には別れがやって来た。


 葵の表情は一年を通しても、どれ一つとして同じものはなかった。同じ色でも青と緑のように、微かなニュアンスの違いがあった。


 季節は何度でも巡り合う。


 春の星があれば、夏の星があり、秋の星があれば、冬の星がある。


 一年を通して見れる星も…………ある。



 ――私ね、きっとこの葵って名前じゃないと思うの。熱田神宮の宮司の娘じゃないから。



 ――葵という花はないのよ。真名があるのなら、葵の字が入った花の名前がいいな。



 ――ここは暖かいから、たくさんの向日『葵』で埋まるの。その光景を見るだけで、私は一人じゃないって思えるんだ。



 ……そういうことか。


 葵の手紙を再び覗き込む。鬼灯の絵に、一言添えた小さな手紙。


 ……やっと、わかった。


 彼は胸に手を当てていた。その心臓がどくんと高鳴っていく。


 ……今やっと、わかったんだ。


 葵の、いや、彼女の本当の願いが―――。

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