091話 大逃走劇(なんかよく分からない魔術で)
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「《雷撃》!」
「――ぐっ!」
「――がっ!」
初手、セレスティナが放った得意技の《雷撃》が足元から地面に沿って火花を散らし、彼女の左右から剣を振り上げようとした兵士達を直撃した。
立て続けに彼女は軽快なステップを踏んでその場でターンをしつつ、足先を起点に次の魔術を構築する。
「《氷刺棘》っ!」
背後から斬りかかろうとしていた兵士を含め、全方位を牽制するように無数の氷の槍がセレスティナを囲むような軌跡を描き地面から飛び出した。
「ぬぅっ!? 《防壁》!!」
会談用に設置された簡素なテーブルが巻き込まれて粉砕される中、危うく串刺しにされそうになったデーゲンハルト外交官が《防壁》を展開しつつ後方に退がる。
「……んむぅ。やっぱり足技だと狙いが甘くなりますね……」
その結果にセレスティナが不満げに呻く。彼女としては文官を傷つける趣味は無く牽制目的で放った《氷刺棘》なのだが、指先から扱う場合に比べると精度が落ち、意図せず直撃コースになる事故が起きてしまった格好だ。
「魔封じの枷があると言うのに……もしや故障か!? くそっ! 保安部の連中は何をしておったのだ!? ええい、聖盾騎士団を呼んで来い!!」
毒づきながらもデーゲンハルトが距離を取り、その間に衛兵達が庇うように割り込んでいく。
実際のところは魔封じの枷自体は正しく機能しているがセレスティナの手袋の効果で《苦痛》を遮断しているだけだ。彼女はとばっちりを受けた保安部の主に女官の皆さんに心の中で謝りつつ、先程の《氷刺棘》で稼いだ時間を有効活用することにした。
「てやー」
気の抜けた掛け声と共に、両手首を拘束する魔封じの枷に向けて蹴り上げるように足を高く上げる。
次の瞬間、爪先に小さく生み出した《水斬》が手枷を止める金具を切断し、がしゃりと音を立てて足元に転がった。
淑女としては眉をひそめる振る舞いであるが、重ね着したパニエが都市の城壁の如き防御力を発揮しているので乙女(似非)の秘密は無事守られた点は追記しておく。
両手が自由になった彼女は、役目を終えた魔力絶縁素材の手袋を脱いで鞄に入れ、運良くテーブルの破壊に巻き込まれずに残った帝国からの無礼な条約書も証拠品として鞄に突っ込み、愛用の雷竜の髭で作った杖を手元に呼んで、これで戦闘準備完了だ。
「さて、それでは死にたくなければ道を開けて下さい」
「舐めるなっ!」
天幕を後にして元来た門へと引き返そうとするセレスティナを、訓練された動きで5人程の兵士が取り囲んだ。
全員が油断無く魔術師相手に特化した魔剣魔術師殺しを構え、熟練兵の連携と明確な殺意とをもって一斉に振り下ろしてくる。
「《水斬》!」
そこに、セレスティナの魔術が一閃した。リング状に形成した水の刃を自分の周囲で高速回転する軌道で展開し、兵士達の剣を受け止める。
澄んだ金属音が5回響き、それに続いて兵士達の持つ魔術師殺しが刀身の中程から綺麗に切断されて地に落ちた。
「――なっ!?」
「次は首が落ちることになりますが宜しいですか?」
本人としては凄みのある笑顔を浮かべたつもりだが帝国の軍人や外交官に比べると迫力不足なのは仕方ない。それでも彼女の魔術の危険度は伝わったようで、兵士達は一歩二歩と下がっていく。
剣士の側としては極めて不利な間合いであるが、一瞬で首を落とされかねない未知の魔術があるのを知ればどうしても及び腰になるのは仕方が無いだろう。
「っ! 投降するなら悪いようにはしない! 大人しくしろ!」
尚も立ち塞がる者や横手から襲い掛かってくる相手も少人数居たが、ことごとく剣を斬り飛ばして無力化し、決死の覚悟で突撃を敢行する兵士は《雷撃》で昏倒させていくセレスティナだが、やがてある事に気付いた。
「……一つお聞きしたいのですが、帝国は私をどうしたいのですか? 兵士さん達の様子を見てると私を殺したい組と生け捕りにしたい組とが居て指揮系統の統一がされていないように感じるのですが……」
正解を述べるなら、後腐れのないようにセレスティナを亡き者にすることを主張するエドヴィン第一皇子側の兵士と情報収集や研究の為に可能なら生け捕りを目論むジークバルト皇子側の兵士とが同数ずつ配置されている故の齟齬なのだが、その点を馬鹿正直に答える者はこの場には居る筈もない。
「皇帝の命令を無視して好き勝手している配下が居るか、それとも第一皇子と第二皇子の不仲説が事実だったか……辺りでしょうか?」
「――なあっ!? そ、そ、そんな訳ある筈もないだろォっ!!」
セレスティナの推測に一人の兵士があからさまな動揺の声を発した。戦闘技術ばかり鍛えてるせいか本人の人柄なのか、こういった情報戦でのポーカーフェイスは苦手なようだ。
「成程。分かり易い反応をありがとうございます」
その返答で大体の事情を察した彼女は、納得した表情を浮かべて進軍を再開する。
もはや行く手を遮る兵士もおらず悠々と歩き去る彼女だったが、遠巻きにこちらを睨む兵士達の持つ魔剣を《水斬》で叩き折るのは忘れない。
「無益な殺生は望みませんが、魔術師殺しを残すと次は戦場で使われることになりますから、可能な限りここで戦力は削がせて頂きます」
その言葉にデーゲンハルトは、先程抱いた違和感の正体に思い至った。
「き、貴様っ! 魔術師殺しを知っているのか!? まだ実戦に出していない対魔物用の秘密兵器だと言うのに!?」
「実はアルビオン王国で見ました。どなたかこっそり横流ししてないか調査をお勧めします。――それでは、これにて失礼します。《短飛空》っ!」
「なっ、飛んだだと!? 馬鹿な! 《飛空》は使えないはず!」
最後に一つ爆弾発言を置き土産に残し、閉ざされた門の上を飛行魔術対策結界の中でも使える秘密兵器の《短飛空》で飛び越えたセレスティナは、急ぎ足で中庭を突っ切る。
やがて城門へと辿り着くと、丁度出入りの商人らしき者達が城に入るところのようで、下ろされた跳ね橋を豪華で成金趣味な馬車が悠々と渡っている場面だった。
「お勤め、ご苦労様です」
城門を守る兵士達にセレスティナはびしっ、と敬礼し、そのまま勢いと空気感に任せて何食わぬ顔で広く深い堀に架かる跳ね橋を渡りかけた時、背後から地響きと共に何かが足早に接近してくる気配を感じ、急いで振り向く。
「待てえっ!」
「逃がさぬっ!」
「衛兵、そいつを止めろおっ!」
口々に叫びつつ追いすがるのは、鍛えられた駿馬に騎乗し銀色に輝く全身鎧と馬上槍と大盾で完全武装した十数名の騎兵達。
単体で運用するのが常の“勇者”のような非常識な存在を除けば、城内でそして帝国内でも間違いなく最精鋭部隊であろう彼らの正体を、セレスティナも噂に聞いて知っていた。
「対魔族・魔術師戦に絶大な戦果を挙げると言われた聖盾騎士団ですか……」
ただでさえ硬い鋼鉄製の全身鎧に更に防御魔術を上乗せした堅牢な重装備で馬に乗って高速接近し、その勢いから馬上槍で串刺しにしてくるのは、確かに魔術師にとって天敵のようなものだろう。
このまま城の敷地外まで逃げて《飛空》を起動するかこの場でも《短飛空》で飛び上がれば離脱は容易いが、それでは面白くないとセレスティナはまたゲーム廃人のような笑みを浮かべた。
「戦場で初見でぶつかるのは不利ですから、ここは少しでも聖盾騎士団の情報を調べて本国に持ち帰りたいですね」
決して自分の楽しみの為ではないとこの場に居ない誰かに向けて言い訳し、足を止め杖を構えて迎撃の態勢を取るセレスティナ。
眼下では堀に張られた冷たい水が冷たい風に揺らめいており寒々しいが、馬車が通ることを想定した跳ね橋は頑丈で足場としては十分だ。
ちなみに、騎士団の声に応じて跳ね橋を護る衛兵が槍を構えようとしたがセレスティナが片手間に放った《水斬》に穂先を斬り飛ばされてあっさり無力化していた。
「まずは小手調べ――《火矢》!」
横薙ぎに大きく振った杖の軌道上に生まれた20本程の《火矢》が高密度の弾幕となって騎士達に殺到する。
初歩の攻撃魔術だが、今のセレスティナの魔力なら1発直撃しただけでもそこらの兵士は火達磨になって転げ回るぐらいの火力だ。
「「「聖なる盾の加護を! 《防壁》!!」」」
それを迎え撃つ騎士団が、構えた盾に魔力を込める。すると彼らの前方を覆うように防御の力場が広がった。
恐らくはその盾が防御魔術を組み込んだ魔道具にもなっているのだろう。しかも移動中に狙われると弱い騎馬まですっぽり覆う大きさを見せて、抜け目無く弱点をカバーしている。
炎の矢が立て続けに着弾し、轟音をあげ赤い光と煙が舞い散るが、大盾を構えた聖盾騎士団達はそのままの勢いで飛び出してくる。
その盾には傷も煤もついておらずに新品と変わらぬ銀色の輝きを保っており、防御力の高さに流石のセレスティナも舌を巻いた。
「常動型の防御力強化に加えて《防壁》の上乗せですか……思ったより厄介ですね。では次――《水斬》!!」
次に選んだ攻撃魔術は、水を極限まで薄く鋭く研いだ《水斬》。セレスティナの今の手持ちの中では金属防具に対し最も有効な攻撃魔術だ。
鋼鉄の剣をもあっさり切り裂く蒼いリング状の刃を5枚程横一列に並べて射出し、騎士達も再度《防壁》を張ってそれを受け止める。
「無駄だっ!」
大盾にぶつかった《水斬》はそれを切断しきることなく散らされたが、勝ち誇る騎士達には見えていない部分、つまり盾の表面には確かに切り裂いた後が真っ直ぐな溝のように残っていた。
これなら3、4回同じ場所に正確に撃ち込めば破壊も可能だろう。確かな手応えを感じてセレスティナが小さく笑みを浮かべる。
だがそうこうしている間に騎士たちは既にすぐそこの距離まで迫っている。このままで居ると物量と勢いに押し潰されてしまう事は想像に難くない。
「最後はこれで――《弧雷》っ!」
「効かぬと――って、うぉッ!?」
放物線を描くことで盾や《防壁》迂回するえげつない電撃魔術が、先頭を走る騎士の脳天に直撃する。
しかし実のところ電磁気学的には、防御魔術の有無に関わり無く、全身を覆う鋼鉄の鎧を着込んでいれば電流は金属に沿って流れるので中の人体にはほぼダメージが徹らない。
それでも、騎乗していると電撃の流れは騎士本人だけで止まらずに、更にその下に居る馬の胴体や脚を通って地面へと流れ落ちることとなる。
従って、騎士本人は平気でも馬は電撃に耐えられず、びくんと一つ痙攣してここまで全力疾走した勢いのままに突っ伏す羽目になった。
「ぐわあっ!!」
「何だっ!?」
騎乗していた騎士は重い鎧を着込んだまましたたかに地面へと投げ出され、後続の騎士達もそれに足を取られたり慌てて横に避けたりすることで一瞬動きが止まる。
その様子を見届けたセレスティナは、時間切れを悟り踵を返して跳ね橋を駆け出した。靴が木の板を踏み鳴らし跳ね橋特有の甲高い足音が響く。
しかし、胸部に余計な重量が無い分女子の中でも脚は速い彼女であるが、馬と競争するのは流石に無謀だ。
立て直した騎士達が馬を駆って怒涛の勢いで殺到して来る。
「逃がすか! このまま蹴散らしてやる!」
セレスティナがようやく橋を渡りきり、後を追う騎士達が橋の中央付近まで到達した、その時――
突如、セレスティナの背後で、木材の割れる音と共に鬨の声が悲鳴へと変わり、その後大きな水音がその全てを飲み込んでいった。
実は逃げる途中に彼女は足元に《水斬》を出して少しずつ切れ込みを入れており、殺到する騎士達の重量に橋が耐え切れず傷に沿って崩落したという訳だ。
「やっぱり切断系の技は使い勝手が良いですね。今度改めてアリアさんにお礼を言わないと……」
新しく習得した魔術の便利さに気を良くしたセレスティナは対岸から改めて騎士達の様子を確認する。
鎧の重さで水底に沈んでいたら何らかのフォローをしようとは思っていたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「……エアバッグ、でしょうか? 重装騎士の数少ない弱点なのですが、それも対策済みとなると技術庁はなかなか侮れませんね……」
これも緊急時用に組み込まれた防御機能の一環なのだろう。水に落ちた彼らの肩や腹部から風魔術で瞬時に膨らました浮き袋が風船のように浮力を及ぼし、水面に浮かぶラッコによく似た格好でぷかぷか漂いつつ口々にセレスティナに向けて罵倒や悪態を連ねている。
馬達も橋の残骸に捕まり顔を水面から出しており、寒そうにしているが皆無事のようで一安心だ。
少し勿体無いのは騎士達の持っていた大盾が全て放棄されて沈んでいったことで、敵戦力分析の為に鹵獲したかったセレスティナとしては残念なところである。
夏場なら女子力へのダメージも気にせずに堀に飛び込むことも厭わないところだが、ここで寒中水泳して更にその後冷たい風の中を空路で帰国する気にはなれない。
早くも異変を感じ取って城内からロープや梯子を抱えた人達が駆けつけてくる中、セレスティナは後ろ髪を引かれる思いでその場から飛び去り、帝都の外で待機していたクロエと合流して一旦テネブラへと報告に戻ることになった。
▼その日の夜
自室の窓から見える美しい星空に目を上げながら、アルテリンデ皇女は肩の荷が下りたかのように「ふぅ」と一つ息をついた。
「姫様、今日は良いお顔をなさっておいでですね。やっぱりあの魔物の外交官の件ですか?」
「ええ。軍務大臣は大激怒してたし私も兄上達からチクチク言われたりしたけど、無事に逃げ延びたみたいで良かったわ。こういうのが甘くて皇族として不適格と言われる所以なのだろうけれど……」
「そ、そんなっ、姫様はお優しくてお綺麗で理想のお姫様ですよっ!」
慌てて侍女のエーファがフォローを入れるが、実際にこの日のセレスティナの大立ち回りでは死者こそ出なかったものの主に物的に多大な被害が出ている。
そして、「なんかよく分からない魔術で魔封じの枷を無力化し」「なんかよく分からない魔術で魔術師殺しをへし折り」「なんかよく分からない魔術で《飛空》禁止結界の中を軽々と飛行し」「なんかよく分からない魔術で跳ね橋を破壊して逃げた」となんかよく分からない報告を上げた兵士隊長が軍務大臣の逆鱗に触れて減給処分にもなった。ある意味彼もセレスティナの被害者だろう。
「本当は、最初っから城に来ずにさっさと魔界に帰ってくれてればこんなまどろっこしい事にならずに済んだのに」
「ですよねー。全くこれだから読解力の無い無教養な蛮族は」
自分達の手紙の伝達力を棚に上げて不満を口にする二人。
とはいえ結果を見れば堀に落水した聖盾騎士達は気の毒だがそれ以外は死者どころか怪我人すら殆ど出ておらず、魔剣をあっさり斬り飛ばす殺傷能力の高い魔術を駆使することから考えられないぐらいの軽微な人的損害であるのは間違いない。
アルテリンデ皇女としても、実は魔国の外交官は野蛮と対極側に居るのではとふと考えに至ったが、口に出してもエーファを含む誰も同意しないだろうと考えて一旦自分の心の中に仕舞うことにした。
そこに好奇心に駆られたエーファが口を質問を投げかけて来る。
「それで、その、皇子様達からご苦言を賜わった件って、今日の出入り業者のですか? やっぱりそれワザとだったんですか?」
「エーファ。本当にそれ聞きたい?」
「…………やー。世の中には知らなくて良い事ってありますよね。あたしもあえて聞かない方が幸せかなって思いました。あははは」
来たるべき婚礼に向けて衣装や家具や調度品等を多数用意することになった彼女だったが、よりによって今日のこの日にそれぞれの出入り業者を纏めて呼んでしまった為に城の内外を繋ぐ跳ね橋の降りる頻度が増えたことがむざむざ魔物を逃がした要因の一つになったと苦情を言われたらしい。
もし、仮に、万が一、あってはならぬことだが、それが意図的に計算された上で仕組まれたものだとしたら、皇女であっても国家に対する重大な背信行為として裁かれる危険性がある。
その場合、業者に連絡を取る際の事務処理を手伝ったエーファにも処罰が及ぶのは言うまでもない。
「……偶然って、あるもんですねー」
頬に冷や汗を流しつつ、満天の星空を見上げてエーファは酷い棒読みでこの話題にピリオドを打つことにした。




