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魔物の国の外交官  作者: TAM-TAM
第6章 北の帝国の会戦前夜
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090話 アイゼンベルグ会談に潜む罠(知ってた)

▼大陸暦1015年、黒鉄蠍(第10)の月1日


 時は流れ、遂に帝都中心部にそびえるノイエ・アイゼンベルグ城へと招かれし日がやって来た。


「まあ、こんなものでしょうか」


 拠点となる応接室に置いた全身鏡の前で、久しぶりに儀礼用のドレスへと着替えたセレスティナが事務的にそう言った。


「気の無い台詞ね。だったらそんなヒラヒラした服なんか着なきゃ良かったのに。そういうの苦手なんじゃなかったの?」


 こちらは着慣れた侍女服に身を包んだクロエが疑問を投げかける。

 今日のセレスティナの格好は、艶やかな銀髪の上に黒いドレスハットを載せ、黒ベースに白のアクセントを入れたパニエ大増量のふわふわドレスを纏い、白い長手袋と白いストッキングで手足を固め、足元は黒い編み上げブーツとモノクロ版画の世界から抜け出してきたような格好だ。

 唯一、紫の魔眼が色彩を放ち、見る者の注意を否応なく引き付けていた。


 また、帝都の外で1週間待たされていたという設定(・・)を遵守する気は全く無いらしく、朝風呂上がりで石鹸やシャンプーの香りを漂わせている。

 本人に言わせれば外交特使への不当な扱いに対する静かな抗議も兼ねているらしいが、クロエの目ではちまちましすぎて意味が無さそうとのことだ。


「苦手ですよ。パニエやらフリルはまるで可愛い女の子みたいで、クールな大人の私には似合いませんから」

「……もう一々突っ込むのも面倒臭いわね……」

「ですが、先日の手紙だと今日の会談で命が狙われるのはほぼ確実のようですし、最悪の場合戦闘になることを考えると派手に動いてもパンチラをタダ見されないように対策する必要があるんです」


 そう理由を説明してセレスティナは、自身の右足首を持って頭より高い位置まで持ち上げる。母親譲りの身体の柔らかさとバランス感覚が光るが、そんな大胆なポーズを取っても城塞都市の城壁のように幾重にも盛られたパニエが鉄壁の防御を展開し、ガーターストッキングに覆われた太ももの肌が僅かに見えるのみだった。

 セレスティナ自身が提唱するパンチラ第二法則――『パンチラの価値は女子力に比例し見える頻度に反比例し布地の市場価格とは相関を持たない』――に則った作戦という訳だ。


「どうせいつもみたいに濡れたら張り付いてスケスケになるのに」

「人を濡れ透け担当キャラみたいに言わないで下さいっ!」


 北国での濡れ透けプレイは下手をすると死人が出る。足を下ろしたセレスティナは慌ててその不本意な未来図を頭から振り払った。


「でも、戦闘になったとしても魔術師のティナがそんなに激しく立ち回るもんなの?」


 怪訝そうに尋ねたクロエに、その質問を待ち構えていたかのように今日のビックリドッキリ新兵器を紹介し出すセレスティナ。


「実はこの手袋、最近新しく開発してみたのですが魔術的な絶縁体で編み込んでまして、これの上からだと魔封じの枷の影響を受けないんです。その代わり私も手先から魔術が撃てなくなりますので足技が重要になってくるということです」

「ホント、色々考えるのね……」


 アルビオンの王城でもそうだったが、城に入るとなれば防犯の観点でもほぼ確実に魔術封じの道具の装着を命じられるだろう。特に今回は状況が状況なので対策は取れるだけ取っておいた方が良いのは分かりきっている。

 とは言え、セレスティナのように過去に立ちはだかった障害をことごとく対策して乗り越えて来るような変態技術者はそうそう居ないはずで、そんな相手をこれから迎え入れる帝国を思いクロエはつい苦笑いが漏れた。


「これから先、ティナをどうこうしようと思ったら、手枷足枷首輪で雁字搦めにしてやらないといけない訳ね……」

「もし私が保安責任者の立場だったら、見た目の悪い拘束具は廃止して魔封じのコルセットとか開発して手ずから装着させてあげたいところです」


 手をわきわきさせるセレスティナにジト目を向けるクロエ。いつものように話が逸れかけた頃、応接室のドアがノックされた。

 扉を開けた先に居たのは相変わらずいかつい顔をしたゲオルグ隊長で、帝城からの馬車の迎えが来たとのことだ。


「承知しました。こちらも準備万端です。ではちょっと行って来ますのでクロエさんは帝都の外で隠れてお待ち下さい」

「それは良いけど、ホントに一人で行くの? 危険なら尚更あたしが付いて行く方が……」


 いつになく真剣な顔で呼び止めるクロエに既に纏めてあった荷物一式を押し付け、セレスティナは心配無用と笑顔で告げる。


「実際問題、城内に入った後になってここから先は一人で来いと言われて分断されるのが一番危険ですから。もし私に何かあった時にはクロエさんに本国まで逃げ帰って情報を届けて貰う必要がありますし」

「……気持ちは分からぬでもないが、何かある前提で語られるのは()えある帝都警備隊としてもあまり気分の良いものではないな」


 出兵の話も手紙の件も知らない故に不本意そうな苦言を呈するゲオルグにセレスティナは少し困った顔で「失礼しました」と頭を下げ、それから送迎用の馬車へと乗り込んで行った。


 後に残されたクロエもまた、警備兵達に別れを告げて応接室を後にして闇に紛れるような色合いの黒毛皮のマントを羽織り、潜伏するのに適した場所を探し出す。


 野外活動が得意なクロエが本気で隠密行動を開始すれば、特殊な訓練を受けた者でなければ追跡して発見するのは不可能に近い。

 警告の手紙を受けたことで警戒レベルが大幅に上がっている事も踏まえて最善の配置であることは理解していたが、それでもクロエは寂しげに一つ呟いた。


「適材適所ってのは分かってるけど……それでも肝心な時にティナの側に居られないのは、なんか悔しいわね……」





 暫く馬車に揺られたセレスティナは、跳ね橋を渡ってノイエ・アイゼンベルグ城の敷地内へと入城し、馬車から降りたところで魔封じの手枷を嵌められ、軽く身体検査を受けてから城の兵士達に連れられて中庭を進んでいた。


「客人に対してこんな囚人を繋ぐかのような手枷を使うのは外交的にも問題があると思うのですが……これだと淑女の礼も取れませんし、何かの間違いじゃないですか?」

「あ、いや、自分下っ端なので知らないっす」


 白い手袋の上から両手首を拘束する禍々しい模様の刻まれた手枷を掲げてセレスティナが主張するが、兵士達は取り合ってもくれない。

 かと言って高圧的な訳ではなく、帝都まで単身でやって来た高位魔族への恐れがあるのだろうか、巻き込まれないように距離を置きたいオーラが顕著だ。


 余談であるが、“軽い身体検査”も戦闘経験の乏しそうな女官達がおっかなびっくりと服の上から少し触っただけのごく簡単なもので、お風呂に連れ込まれて洗ったり洗われたりしつつ偶然ご一緒したアルテリンデ皇女とこっそり情報交換する展開を期待していた彼女としては不満が残る内容だった。


 やがて、中庭を通過した先にある大きな門を抜けると、今度は景観を彩る植物も噴水も調度品も全く無い、むき出しの土が踏み固められただけの広い空間へと案内された。

 恐らく城内の兵士達の訓練場と思しきそこには百人近い兵士達が整列しており、彼らに囲まれる位置にある中心部には急遽こしらえたような天幕が広げられている。


「で、では自分達はこれでっ」


 見るからに錬度も装備の質も高いその精鋭兵達に仕事を引継いで、ここまでセレスティナを連れてきた兵士達はそそくさと退場し、そして中庭とを隔てる門が重い音を立てて閉ざされた。


「ついて来たまえ。言っておくが妙な行動を起こすなよ、正当防衛で叩っ斬られたくなければな」


 暖房の効いた室内ではなく吹きさらしの屋外での交渉はまるで戦地での調印式のようで、セレスティナを城内まで入れたくないという鋼の意志を感じる。


 そうして今度は居丈高な熟練兵達に連れられて中央の天幕へと近づくにつれ、支柱で屋根を支えただけの簡素な会談場所の様子が見えてきた。椅子は無く組み立て式のテーブルが一つだけあり、その向こう側には以前にセレスティナが会った事のある、飾り紐(モール)の掛かった黒い軍服然とした衣装の文官の姿。


「ご無沙汰しております、デーゲンハルト閣下」

「ふむ、久しいな。まさかまた会うことになろうとは思いもよらなかったがな」


 テーブルを挟んで対峙するデーゲンハルト・フォン・バウムガルデン外交官は、軍人あがりと言われても違和感が無さそうな長身と鋭い目つきでこちらを威圧的に見下ろしてくる。

 だがセレスティナも荒事含めてこれまで幾多の修羅場を潜り抜けてきており、怯むことなくまずは手枷の件から苦情を入れた。


「それで、この手枷は帝国としての総意と判断しても宜しいのですか? 文書に署名するのに支障が出るのですが……」

「ああ、署名など必要としていない」


 その苦情を一顧だにせず棄却したデーゲンハルトは、自慢の口髭を撫でながら教師のような口調で言葉を続ける。


「そもそも国際的に国家が国として立つ為の要件とは何か。それは取りも直さず他国に信認と承認を受けることであろうに。国際社会に認められぬまま国を名乗ろうとしても、それはただ単なる辺境の反政府戦力や未開の蛮族に過ぎぬ」

「……併合した国々の再独立を嫌がる帝国らしい主張ですね」


 一般的に「国とは何か?」という命題を考えた時、最低限必要となる条件として領土、国民、主権、そして統治システムを有する事が上げられる。

 しかし、だからと言って例えばある国に属する一地方が独立宣言をして新たに国を名乗る事が常態化するなら何かと困ったことになるのは自明の理であるので、デーゲンハルトの言い分もそこまで間違ってはいない。


「ですが、テネブラの場合は大陸暦478年の“人魔大戦”以前は正式な国際交流がありましたし領土の境目も明確な国境線が引かれてますし、その辺の問題点はクリアしてると思います」

「時代の変化について来れない連中が何を言うか。帝国外務省の認識では魔界は魔物が蔓延るだけの政治的空白地帯に過ぎぬ」

「それが、先の親書に対するシュバルツシルト帝国側からの正式な回答ということですか?」


 独立国同士として対等な関係を望むテネブラに対し、利権優先で魔界を国扱いしない帝国側。これでは交渉が纏まる筈も無い。

 そう結論付けて落胆の色を見せて問うセレスティナに、デーゲンハルトは「そうだなあ……」とわざとらしく口髭をなぞりながら、一枚の重要書類に使われる特殊な羊皮紙を取り出した。


「そこまで言うのであれば、神聖帝国外務省としても特別に(・・・)魔界を国家として承認してやらぬこともないぞ」


 周囲を固める護衛兵を介し、繋がれたままの両手で“併合条約証書”とタイトルの振られたその書状を受け取ったセレスティナは、周囲への警戒を維持したまま走り読みすると、もう笑うしかない気持ちになった。


「帝国は世評に反して冗談のセンスがあるんですね。纏めると“ルイーネの町を攻め落とした償いとしてテネブラ王国は国土及び統治権の全てを神聖シュバルツシルト帝国に委譲し、帝国はテネブラ王国を国家として承認する”と読めますが、こんなのが通るとお考えですか?」

「通るさ。今の帝国にはそれを押し通すだけの力がある」

「あとは……突っ込みどころが多くてどこから指摘するか迷いますが重要な一点訂正しますと、今のテネブラは王国ではありません。魔王陛下による王政は三百年ぐらい前に終了しています」


 戦闘を嗜む魔族の習性上、国の頂点たる魔王が戦争の際も最前線で指揮を執るのが必然であるが、国の統治システムが複雑化するにつれて政務のトップと軍務のトップを兼任するのが難しくなった故の変化である。

 それは当時の、そして歴代最後の魔王が「俺は戦闘だけやりたいんだ!」と内政を側近に丸投げしたのが始まりで、それから軍務省側と内務省側に分かれて更に月日を経ることで部署が細分化されていったということだ。


 従って、強いて言うなら現在の統治形態で最も魔王に近いのはやはり軍務省長という訳で、国家戦略を定める際の会議では軍務省が内務省より一段高い発言力を持つことになる。


「ふむ、そうであるか……だがそんな些事はどうでも良い」


 が、そのような事情はデーゲンハルトには関係ないし、知ったところで何か変わるものでもない。彼の鋭利な目が嗜虐的な光を帯びて、セレスティナに究極の選択を突きつけた。


「さて、セレスティナ外交官に選択肢を与えてやろう。死にたくないならこの書状を無条件で受け入れ、以降は神聖帝国に残留し我らが覇道に尽力すること。そうすれば技術庁が生命と身柄を保証するとのことだ」

「噂を聞いた限りではあまりまともな生活は期待できそうにないですね」

「無論、拒否するならここで朽ち果て、死体の手で血判を突いて貰うことになる」

「うむぅ……」


 無論答えは最初から分かりきっているが、セレスティナとしてはここで帝国の情報を持ち帰る為にも悩むフリをして時間を稼ぎたいところだ。

 それに、どうもちぐはぐに感じる点として、デーゲンハルトの言もそうだが周囲の兵達の様子を見ても、ここで彼女を殺したいのか捕らえたいのかはっきりしないように感じる。


 だが、考えても答えに辿り着かなかった彼女は結局直接訊くという暴挙に出た。


「私としては国を裏切ることはできませんからここで精一杯抵抗し討ち死にする所存ではありますが、《飛空(フライト)》を打ち消す結界に魔封じの枷に更には魔術師殺し(メイジマッシャー)まで持ち出されては八方塞がりです。ならばせめて死に行く憐れな者への手向けとして、そこまでして魔国領土を狙う理由ぐらいは教えて頂けないでしょうか?」


 既に兵士達がセレスティナの周りを取り囲み、どす黒いオーラを発した魔術師殺しの魔剣を抜いて構える中、萎縮した様子も見せず尋ねる彼女。

 デーゲンハルトはその言葉の中に少しの違和感を覚えたが、勝者の余裕の方が勝ったか尊大な笑みを浮かべてその思惑に乗ってきた。


「ふむ? ……まあ良いだろう。大陸の覇者たる者そのくらいの慈悲はかけてやらないとな。貴殿が以前に持ち込んだ“聖杯(ホーリーグレイル)”、あれは魔物風情が扱うには些か過ぎたる品だとは思わんかね?」

「いえ全く思いませんが」

「あれは神聖帝国たるシュバルツシルトで管理するのが最も精霊神の意志に叶う。従ってまずは火吹き山を押さえるべく動き始めておるのだ」

「――っ!? という事は、まさかレシピが帝国の手に!?」


 火吹き山に棲む虹色火喰い鳥の羽毛が“聖杯(ホーリーグレイル)”調合のキーアイテムになるのは一部の者しか知らない極秘事項である。帝国の耳の早さに思わず素で驚いた声が漏れた。


「製法そのものは我が国の技術庁に任せておけばどうとでもなる。状況次第では虹色火喰い鳥とやらを滅ぼして“聖杯(ホーリーグレイル)”をこの世から消し去ることの許可も得ておるしな。その場合は“聖杯(ホーリーグレイル)”は人の世には過ぎたる物だったと歴史書に記されるであろうなあ」

「つまり、製法そのものではなく一部の材料の情報のみが流出したという事ですか……」

「魔界で製法を知る者を探すという手も考えていたが、貴殿に情報を聞き出そうにもここで死ぬ気とあってはな」

「ええ、まあ……」


 その言葉に何とも複雑な表情で生返事を返すセレスティナ。もし彼女自身の頭の中にも“聖杯(ホーリーグレイル)”の製法が入っていると知れば帝国は何としてでも彼女を生け捕りにしてガチな方の拷問にかけて聞き出そうとすることだろう。


「ともあれ、大体解りました。要は利権問題に加えて、魔国(テネブラ)がこの先“聖杯(ホーリーグレイル)”の取引を本格的に始めるとすると各国に同じ条件で販売したとしても経済規模の小さな帝国が相対的に不利になるから最悪でも流通を阻止したい、ということですね」

「魔物の分際で頭が回るではないか。更に言うならこの証書もアルビオンとルミエルージュ両国へ向けたものだ。我々もこんな紙切れ一枚で魔界が簡単に手に入るとは思っておらぬよ」

「なるほど、牽制という訳ですか。そうするとテネブラを国と認めることで他国が手を出しづらくなりますし国際的な慣習が一転して帝国に有利に働くと」

「そういう事だ。一枚の条約で2手、3手分の利益を得る、これが我々外交のプロのやり方だ。貴殿のように外交ごっこで遊んでいる小娘には真似できまい。……さて、長話もここまでだ。最後に言い残す事はあるかね?」


 勝ち誇った表情で勝利宣言するデーゲンハルトに、だがセレスティナもまた不敵な笑みを返した。


「そうですね……聞きたいことも大体聞けましたし、遺言に代えて魔族らしく魔術のプロのやり方をご覧に入れましょうか」


 そしてデーゲンハルトが周囲の精鋭兵達に向けて手で合図を出すのと同時に、セレスティナもまたこの絶体絶命な状況からの脱出に向けて動き出す。



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