085話 いざ神聖シュバルツシルト帝国へ(実際は別に神聖でもなければ特にシュバルツ的でもないただの帝国)
▼大陸暦1015年、真秤の月24日
空から見下ろした帝都アイゼンベルグの全容は、一言で言うなら大樹の年輪のようだった。
皇族の住まうノイエ・アイゼンベルグ城を中心とした同心円状に8層にも渡る城壁が張り巡らされ、エリア毎に仕切られた町並みが広がっている。
勿論中心部に近づくにつれ、下級階層、中流階層、富裕層、下級貴族、上級貴族……と住民の資産や社会的地位も上がっていく。
それに応じて、物理的な高さもノイエ・アイゼンベルグ城に近づくにつれて階段状に上がっていく。元は丘を切り崩して設計された都市らしい。
「さて、到着です」
今回初めて神聖シュバルツシルト帝国へと足を踏み入れるセレスティナとクロエは、前日に一日かけて帝都の隣町まで移動してそこで一泊し、この日の朝にアイゼンベルグの正門近くへと着陸した。
テネブラやアルビオンではまだ残暑の厳しい時期であるが、大陸北部に位置するシュバルツシルト帝国の特に上空には早くも冷たい空気が広がっており、空路で突っ切って来たセレスティナ達は飛行用絨毯にコタツを設置し、長袖で落ち着いたデザインの秋服に袖を通している。
「でっかい城ね……」
セレスティナの隣で、用心の為に黒豹の耳と尻尾をシックな侍女衣装の中に隠したクロエが、城を見上げて呟いた。
「大きさ自体はアルビオンの王城と同じぐらいですけど、高い場所にあるのと姿に優雅さが無くてむしろ要塞っぽいのとで威圧感増し増しになってますね」
外務省の資料で調べた情報では、元々ここがまだシュバルツ王国だった頃は長閑な避暑地として観光や交易メインで近隣諸国と友好関係を築いていたらしい。
その後、シュバルツ王国が軍事大国となり大陸北部を統一し、神聖シュバルツシルト帝国に改名した際に、今の新・アイゼンベルグ城に改築したそうだ。
「元のシュバルツ王国の気風を知る方からすると、どうしてこうなったと言いたくなるでしょうね……」
「そこはどうでもいいけど、じゃあ、“神聖”ってのはどこから来たの?」
「それは勝手に名乗ってるだけみたいです。この件でアンジェリカさんに確認を取ったところ、神学的には神聖という称号は精霊神やそれに類する高位精霊に認められたり褒められたりした存在でなければ名乗る事はできませんので、それなりの根拠や証拠が必要になってきます」
その観点で言うと、神聖シュバルツシルト帝国の国名に関しては神殿の認可を得ておらず、当初は神殿側も非難声明を出していたが最近は神殿の方針そのものが政治から距離を置く方針にシフトしつつあり無関係を決め込むようになっている。
ちなみに、“聖杯”については神官のアンジェリカが精霊神リャナン・シーから製法を賜ったものであるのでセーフ判定だ。
「…………なんか名前負けしてるんじゃない? 帝国って……」
「まあ世の中には共和国を名乗る独裁国家なんてものありますし」
「……なるほどさっぱりわからんわ……」
地球基準の理論でクロエを無駄に混乱させつつ、セレスティナは帝都正面にそびえ立つ大きな正門をスルーして少し右手にある貴賓客用の副門を目指す。
貴族や大商人専用の門で、ここから平民エリアの頭上に架けられた橋を通って富裕層エリアまで直接入ることができるのだ。おまけに待ち時間も少ない。
正門の兵士よりも身なりの良い恐らくは騎士階級と思われる門番二人が、馬車ではなく徒歩で現れたセレスティナ達を見て驚いたような表情を見せるも、流石にいつも上流階級を相手にするだけあって即座に紳士的な微笑をたたえた。
セレスティナもまた、余所行き用の笑顔を浮かべて、落ち着いたブラウンのドレスの裾を摘み一礼する。
「テネブラから来ました筆頭外交官のセレスティナ・イグニスと申します。デーゲンハルト外交官もしくは代理の方へのお目通りをお願いいたしたく存じます」
「それははるばる遠いところを……………………って、今何と!?」
少女二人連れなのも手伝って彼女の言葉を思わずスルーしそうになったが、一瞬にして騎士二人は戦場に居るかのような空気を纏い腰の剣に手を伸ばした。剣を抜いてこそいないもののいつでも斬りかかれる体勢になっており、彼らが訓練を積んだ練達の剣士であることがよく分かる。
彼らの発する殺気に呼応したか、クロエもまた大振りの軍用ナイフに手を添え、飛びかかる直前の野生動物のように膝を軽く曲げて前傾姿勢を取る。
そんな中、セレスティナ一人だけは殺気を抑えたままで、クロエを手で制しつつ会話を続けた。
「再度申し上げますが、テネブラの外交官、セレスティナ・イグニスです。以前の外交官会談の席でデーゲンハルト閣下に我が国からの親書をお預けしておりまして、本日はそのお返事を受け取りにと伺った次第です。こちらが身分証明の外交官バッジですが、上の方から通達とか受けておられませんか?」
一触即発の空気を弛緩させる落ち着いた声音で、セレスティナは騎士達に問いかける。
その問いに対し騎士達はセレスティナ達から注意を逸らさないまま器用に首を横に振った。この手の重要問題に関して通達漏れがあることは考え辛いので、残された結論としては帝国側はテネブラと積極的に対話する意欲に乏しいという事だろう。
想定内ではあるがセレスティナとしてはやはり面白くない。それでも彼女は溜息を飲み込んで言葉を続ける。
「だとするとあとはお城に直談判しに行くしかありません。街の中で騒ぎを起こすつもりは全く無いですが、心配でしたらどなたか監視役を立てますか? 我々としましてはお城の担当者へお取次ぎ頂ければ良いですので、何なら確認のためにお城まで連行されるという体でも構いませんが」
「う、いや、まだ通すと決まった訳では…………」
門を押し通ることが規定路線のように話すセレスティナに対し、待ったをかける騎士達。そこへ、セレスティナからの目配せを受けたクロエが一陣の黒い風のように動いた。
「っ!?」
彼らも決して油断していた訳ではないが、その反応速度を上回る動きで一気に間合いの中まで滑り込んできたクロエ。
気付いた時には、年上の方の騎士の左手に黄金色に光る何かを握らせて鋭いバックステップで離脱していた。
「なっ、金貨!? それも帝国の!?」
皇帝の横顔の掘られた高額貨幣に驚きの声を上げる騎士達に、セレスティナは穏和な笑みを崩さずに再度言葉をかける。
「はい。お城へのお取次ぎという本来のお仕事の範囲外の業務をお願いする訳ですから、お心付けは必要だと思いまして。長年門番をされてる方でしたら、これの意味するところはお分かり頂けると思ってます」
金額的に、ただ帝都の中に入るだけであれば普通の旅行者に紛れて正門から正規の入場税を支払って入る方が安上がりだ。
にも関わらずわざわざ余計なリスクとコストをかけて副門を選んだのにはそれなりの理由がある。
一番重要な理由としては外交官として貴賓客用の門から招き入れられたという既成事実作りになるが、他にもこうやって位の高い門番とコネを作っておくことで城門までのフリーパスを手に入れることも今後を考えると都合が良い。
門番の顔を潰さないことで配慮を示しつつ、それでもいざとなったら力で突破できることも見せ付けて、セレスティナ達の作戦は成功を収めそうに見えた。
「ど、どうします? 何か良からぬことを企んでいたらわざわざこっち側の貴賓門から土産まで持って入ることもない筈だから信用しても良いとは思うのですが……」
「そ、そうだな。か弱い婦女子でそこまで危険そうにも見えないから城門までは監視付きで連れて行ってあとは上の判断を仰ぐのが良いだろう……」
女を武器にするつもりは本人には全く無いが、それでも一見か弱い美少女の姿はこういう時に有利なのは否めない。
仮にセレスティナが竜人族か獄魔族の体格と威圧感に恵まれた男性だったとしたら、きっと門にさしかかるよりも前に総攻撃を受けただろう。
あとはせめて威厳と胸があれば。
本人が望むも望まぬも魔眼族の少女の姿が外交官として有利に働くことに複雑な表情を浮かべながら、彼女が門番の騎士達に先導を頼もうとした時、太く鋭い声が響いた。
「何を揉めておるのだ!」
「ゲ、ゲオルグ隊長!」
詰め所の方から現れたのは、大柄で厳格な顔つきの中年男性。彼を見て騎士二人の身体が強張ったことから察するに、きっと外見どおりかそれ以上に厳しい隊長なのだろう。
それから、他の通行者の邪魔にならないよう一旦待合室のような休憩用の部屋へと通され、先程のやりとりの内容をゲオルグ隊長にも説明した。
貴賓客を想定したその部屋は内装や出てきたお茶も立派なものであったが、お菓子に限っては小麦が貴重なためかライ麦とじゃがいも使った素朴な味わいだったのが印象深い。
部屋の窓からは副門を通り抜ける貴族や大商人達の姿が見える。
彼らの中には馬車の他に、真っ白い毛並みをした“雪ラクダ”を使って移動をする者も多い。寒冷地に強く過酷な環境の移動に適した動物で、その美しい毛を使った織物や寝具は特産品としても良く知られている。
それはさておき、門番とセレスティナの両者から話を聞き終えたゲオルグ隊長はまず最初に門番から帝国金貨を取り上げてセレスティナに突きつけた。
「とにかくこの金は返す。栄えある我ら帝都警備隊は賄賂なんぞ受け取らない!」
部下の騎士達が「あぁ……」と嘆きの声を上げるのを一睨みで黙らせる迫力の面構えに真正面から相対するも、セレスティナは怯まずに落ち着いた様子で訂正を述べる。
「いえ、賄賂とは違います。賄賂は不当な便宜を図って貰う事ですが外交官の私がこちらの門から歓迎されて入ることは正当な権利ですから、それに対する心付けはチップと言いまして王国や公国では一般的な文化として根付いております」
「ここは神聖シュバルツシルト帝国であるぞ! それと、この帝国金貨はどこで手に入れたのだ? まさか商隊を襲ったとか言いおったらその時は――」
「それも誤解です。アルビオン王国でとあるお仕事をした際の報酬を帝国の貨幣で貰いました」
セレスティナの言い分に矛盾は見られず、帝国や帝都の臣民に対する害意も特に感じられない。そのような状況下で彼女を勝手な判断で拘留したり追い返したりするなら国際問題に発展する可能性もある。
難しい決断を迫られたゲオルグ隊長はもはや自分の手に余るのを認め、上の判断を仰ぐことにした。
「分かった……ではこれから城に問い合わせてみることにする。セレスティナ殿とクロエ殿は申し訳ないがあと暫くここで待っていて貰えるだろうか」
「了解しました。是非とも宜しくお願いいたします」
強制することはできず、“お願い”するしかない歯痒い立場のゲオルグ隊長であったが、それで要人との会談が早まるのであればセレスティナとしては十分に妥協できる範囲なので快諾の意を見せる。
馬を駆って城へと向かっていく彼を笑顔で見送るセレスティナとは裏腹に、強行突破の思いを募らせていたクロエが不満げな視線を向けてくるが、今回は気付かないふりをすることにした。




