084話 各国の思惑・2(魔国の選択)
▼大陸暦1015年、真秤の月17日
魔国テネブラ外務省、その省長であるサツキ・ノエンス女伯の執務室にて――
この日、外交官セレスティナに新たな指令が公式に出されることとなった。
「セレスティナ外交官には、本日付けで、北のシュバルツシルト帝国での勤務を命じる。まずは先日届けた親書の返信を受け取り、それから可能であれば無条件の外交会談への道筋を立てること。良いわね?」
「了解しました。謹んで拝命いたします」
びしっ、と敬礼し、議会の承認印の押された正式な辞令を受け取るセレスティナ。ジレーネを始めとした仲の良い職員達の拍手が部屋に響く。
「ねえねえ、それで、帝国ってどんな所なのかな? どんな所なのかな?」
ジレーネがはーいと元気良く挙手して繰り出してきた質問に、サツキ省長は暫く「んー」と呻ると、ようやく一言。
「……何て言うか、質より量?」
「いや色々途中の経緯すっ飛ばしてますからそれ……」
眉間を指で押さえつつ、セレスティナが疲れたように言葉を継ぐ。
「ええと、テネブラの感覚だとどこの国も同じように見えるかも知れませんが、人間族の国の中では国力に占める軍事リソースの割合が最も高いいわゆる軍事大国ですね」
「ふむふむ」
「それで、皇帝の命令が絶対と言うトップダウン型のお国柄ですから、農村辺りから無理矢理徴兵してきた人達に最低限の訓練と武器を与えて物量で攻める作戦を得意としてる辺りが先程サツキ省長の言われたところだと思います」
「うわぁ……」
彼女の説明にサツキ省長も、「そう、それが言いたかったの」と偉そうに腕組みしてふんぞり返っている。
それとは対照的にジレーネなどはドン引きの表情だ。物量作戦の不毛さと厄介さを本能で感じ取ったらしい。
とは言え帝国の事情には弁明すべき点もあり、大陸北部の寒冷な気候の故に食糧事情が良くないこと、その代わり国土のあちこちにある鉱山から良質の金属や石材といった資源が採掘されること、寒さが天然の要害となって守りにあまり気を遣わなくても良いこと、これらが重なってどうしても外征志向になってしまうという訳だ。
当然の如く、主な輸出品は鉄や貴金属や石材で主な輸入品は食料や綿織物の類だ。一応海産物や毛織物なども輸出することはあるが主流からは外れている。
「そうすると、お土産にお菓子とかは期待できない感じかな?」
「あたしはお酒があれば良いわー。寒い国だから温まる為のお酒は良いのが色々置いてるでしょ?」
毎度の如く飲み食いに帰結する秘書官と省長になんとも苦い表情を浮かべるセレスティナ。アルビオン王国の時に比べて更に危険度の高そうな任命地にも関わらず心配する様子を欠片も見せてくれないのは信頼の証とポジティブに受け取って良いのかどうか。
「まあお土産は何か適当に見つけてきますから……それで、ついでにアルビオンで聞いてきた帝国についての最新情報もお伝えしますね」
そう言ってセレスティナが愛用の仕事用鞄の中から手帳を取り出す。外交会談やお茶会で得た情報をこまめに纏めてあるものらしく、こうやって国外で得た生の情報をフィードバックしないと長年国際交流が途絶えていた外務省の資料は下手すれば百年前で止まったままになっているのだ。
いずれは胸の谷間から極秘メモを取り出す荒業にも挑戦してみたいが、今はまだその時ではない。
「まずは帝室の現状からでしょうか……今の皇帝はヴォルフラム・フォン・シュバルツシルトさん。お歳は五十手前で約百年前に神聖帝国に改名して以来6代目とのことです」
本人も優れた戦士らしく武闘派で、穏健な政策だった先帝の頃と比べるとアルビオンとの国境付近の小競り合いが目に見えて増えているとのことだ。
その先帝陛下は若くして病死しており、ヴォルフラムは18歳で帝位を継いでから約三十年間の長期政権を保っている。
それから、次代を担う皇子・皇女が4人。
兄から順に、剣士そして将軍として頭角を現しているエドヴィン第一皇子24歳、魔術師と軍師の才を見せるジークバルト第二皇子22歳、祖父に似て穏健派と噂されるアルテリンデ第一皇女18歳、末っ子でまだまだ発育途上のマルクハインツ皇子9歳、いずれも個性と才能豊かな子供達だ。
次期皇帝たる皇太子は長子であるエドヴィン皇子となっているが、第二皇子のジークバルトもその座を諦めておらず兄弟間に確執があるとの噂もある。しかし、今の所は真偽不明の域を出ない為、鵜呑みにするのは危険だろう。
「他に特筆するとしたら、帝国の戦力を支えるルードヴィッヒ技術長官率いる魔道具開発部の存在が挙げられます。そこで作られた兵器がここ百年の帝国の軍事的躍進を支える片翼になっているようです」
勿論テネブラを含めて他の各国にも同様の研究機関は存在するが、帝国の場合は戦闘向けに特化して人員を割いているのと人体実験も厭わない強引な開発を進めているのとで技術革新のスピードが速いのだと言う。
ちなみにテネブラの軍務省資材部はセレスティナの友人のマーリンが入省して以降女子力が底上げされており、目玉商品の“聖杯”以外での最近の主だった成果は各種ポーションの風味が向上して飲み易くなったのとドライシャンプーを開発してサバイバル系女子から喜ばれたことが挙げられる。
個人の武勇を重視するテネブラでは戦術・戦略的な考え方が遅れているのと、優れた魔術師が多く魔道具に頼る場面があまりないことが、帝国の開発部との温度差の要因にあるのだろう。
また、この場では誰も指摘しなかったが、セレスティナの述べた「ここ百年」というのも地味に突っ込みどころで、百年前の建国時からルードヴィッヒの名前は帝国史に登場している。
表舞台に本人が登場しないことも相まって、執念で生き続ける枯れ木のような老人説や代々同じ名を襲名する一族説や若い娘の生き血を啜って若さを維持している説や更には非実在説までもが入り乱れているが、アルビオンで調べた範囲では真相にまで辿り着けなかった。
「帝国の狂気の錬金術師ってところかしら……案外ティナと話が合ったりするんじゃないの?」
「……研究内容に興味はありますが倫理観の欠けた方は技術者として尊敬できません」
サツキ省長のからかうような言葉に口を尖らせて反論するセレスティナ。
いずれにしても、国の上層部に好戦派が多くて要注意と締め括り、帝室の話へと一旦戻って来た。
「……ここは、話の合いそうな穏健派のアルテリンデ殿下と是非お会いしたいところですね。それでできれば一緒にお風呂入ってじっくり外交会談を執り行えれば……」
「あー、難しい話はお風呂ですれば視聴者離れ対策になるもんね!」
舞台や芝居にも造詣の深い歌鳥族ならではのコメントを返すジレーネの後ろから、耳を文字通りピンと立てて会話を聞いていた兎獣人のラァナがおそるおそる挙手する。
「あのぅ……国境近辺での争いが増えたって話だったけど、もしかしてテネブラとも……?」
「んー、実際に大きい全面戦争がってのはここ暫く無いけど、ちょっと前に状況が緊迫した事はあったわね」
サツキ省長が言うには十年と少し前に、国境付近に位置していた帝国側の町にとあるダークエルフの兄妹が襲撃をかけてそこを滅ぼしたことがあったとのことだ。
位置的に人攫いの拠点としか考えられずそんな町を攻め込み易い場所に据えた帝国側の失態であるが、それでも国際的な観点からすると先にテネブラ側が手を出したとも見られるので、セレスティナとしては少々頭の痛いところである。
そして、その滅んだ町を含む帝国東部を領地としているゼクトシュタイン公爵が復讐戦に意欲を向けているという話もあるが、帝国と魔国の間は険しい山と急な川によって阻まれており、なかなか大軍を送り込める状況でない為に大規模な衝突には至っていない。
「ま、その辺差し引いても国境付近がピリピリするのはどこの国相手も同じだからティナが過度に気にする程の物でもないかしら?」
そうサツキ省長が締めようとしたところでセレスティナが口を挟む。
「あの、一応、その時の状況を記した資料とかありましたら準備しといて下さいますか? 相手側が問題にしてくる可能性がありますので」
「仕方ないわねぇ……じゃあウェネフィカ、ちょろっと調べといて?」
「は。承知しました」
要請を受け、面倒臭そうな声でサツキ省長はこの件をダークエルフの女性ウェネフィカに丸投げした。彼女は歴史の研究や編纂が得意で軍務省の資料室への入場許可も得ているため、最適な人選と言えるだろう。それにもしかすると襲撃者のダークエルフのことを個人的に知っているかもしれない。
彼女に任せれば間違いないと安心したセレスティナは、お願いします、とウェネフィカに向けて一礼し再度手元のメモに目を落とす。
「それから、国境と言えば、特に最近帝国では交易船を使ったルミエルージュ公国との取引が増えつつあるようです。軍事衝突に備えてアルビオン王国に鉄材を始めとした資源類を渡したくない意図だろうと王国関係者は推測していました」
先日セレスティナが大海蛇を討伐した結果、長らく停滞していた貿易船もまた動き出し、帝国・公国間の直接の取引が活発化することだろう。
それは取りも直さず、大陸を揺るがす戦争へのカウントダウンが再び進み始めたことを意味しており、平和的解決を望むセレスティナに一層の緊急感や焦燥感がのしかかる。
「つまり、そういった事情で帝国の軍事的動きを警戒して、公国よりも先に帝国に行けということなのですね?」
「んー、そこまでは考えてなかったわ。寒い時期に調印しに帝国に飛ぶのは御免だから先にそっち片付けて、冬の間は南国のルミエルージュでのんびりとバカンスを楽しみたいの~」
「…………左様でございましたか……」
セレスティナの焦りも露知らずにだらけきった回答を寄越すサツキ省長に、思わず溜息交じりの雑なリアクションになってしまう彼女だったが、そこを責めるのは酷というものだろう。




