083話 各国の思惑・1(帝国と公国の動向)
※昨今の無断転載問題を受けて、各章の冒頭に著作権表記を入れることにいたしました。
お読みになる際のテンポや没入度を崩してしまい大変申し訳ございませんが、ご理解の程を宜しくお願いいたします。
――――――――――――――――――――――――――――――
Copyright (C) 2016-2017 TAM-TAM All Rights Reserved.
この小説の著作権は著者:TAM-TAMに帰属します。
無断での転載・翻訳は禁止させて頂きます。
――――――――――――――――――――――――――――――
▼大陸暦1015年、真秤の月11日
大陸北部を版図に収める、神聖シュバルツシルト帝国――
軍事大国として名を馳せているが、この国の歴史は実のところあまり古くない。
約百年程前に、それまで幾つかの国に分かれていた大陸北部を高い軍事力に物を言わせてことごとく撃破し吸収し併合した時に、戦勝国であるシュバルツ王国から現在の国名に改めたのだ。
その軍事力を支えるのは、各種鉱山による豊富な金属資源と戦闘に特化し歪な発展を遂げた魔術研究、更には皇帝の絶対的権力により命令一つで徴用できる人的資産。つまりは自国民の人権や人命にあまり頓着しないお国柄という事である。
建国以降、長大な国境線を挟んで睨み合うアルビオン王国とは大小幾度かの衝突があったものの、最近は軍事的に大きな動きが無く、ただそれは帝国が融和路線に転じたと言うよりは次なる大侵攻の準備を進めていると見る向きが強く、それ故アルビオン側は警戒を続けている。
さて、その帝国の首都である帝都アイゼンベルグ。その幾重にも及ぶ防壁に囲まれた城塞都市の中心部で威風堂々と市井を見下ろすノイエ・アイゼンベルグ城にて、この国の権力の頂点にして不可侵なる絶対者である神聖皇帝ヴォルフラムに対し、不敬にも、そして勇敢にも異を唱える少女が居た。
「――父上!」
今しがた配下の諸侯を集めて開いた会議を終え、厳重な警備体制に囲まれた議場から退出した皇帝に、重く頑丈な扉の外でずっと待っていたのか即座に声を掛けてきたのは、薄桃色のドレスに身を包み金銀のアクセサリで飾った一人の年若い女性。
「ふむ、アルトか。何事だ?」
偉大なる皇帝陛下の移動中に直接話しかけるのは、一つ間違えばその場で無礼討ちされても文句を言えない程の非礼である。
にも関わらず皇帝ヴォルフラムは皺の刻まれた厳しい顔つきを和らげ、彼女に向けた。
多少の不作法が許される数少ない人物の一人である彼女は、皇帝の第三子であるアルテリンデ・フォン・シュバルツシルト皇女。母親に似て整った面差しは可愛らしい少女を卒業し美しい大人の女性としての気品を帯びている。艶やかなダークブラウンの髪と出るところの出たメリハリのある体型は食事に美容を始めとし一切不自由のない生活を送っている証拠だろう。
彼女は形の良い眉をきりりと引き締め、中年期を過ぎかけて尚も武人としての高みに留まる偉丈夫である父親を見上げ、言葉を続けた。
「畏れながらお伺いさせて下さい。魔界と戦争を起こすという話を聞きましたが、真なのですか?」
「さてはまたエドかジークが口を滑らせたと見える……困ったものよ」
立派に整えた顎鬚を軽く撫でながら、アルテリンデの兄にあたる二人の皇子に言及するがそれも束の間。
「答えから言うならば、否だ。害獣を征伐することを戦争とは言わぬよ」
「言葉の定義を問題にしている訳ではございません! ……デーゲンハルト卿が持ち帰った“聖杯”の効能で弟が夜中に咳で苦しめられる事も無くなったというのに、恩を仇で返すおつもりなのですか?」
幼い大切な弟で、帝国第三皇子でもあるマルクハインツを思い、アルテリンデの声に様々な感情が篭もる。
生まれつき身体が弱く、特に気管支の不調を起こしがちな彼だったが、先日の外交官会議の場でセレスティナが提供したテネブラ特産品である新型万能薬“聖杯”によって無事根治を見、その報せは本人や家族は勿論の事、帝都全体を大きく喜ばせたのはまだ記憶に新しい。
「その“聖杯”こそが先の会議の俎上に上がったのだ。命の精霊神より授かったとも言われる聖なる杯、その噂が真であれば“聖杯”を取り扱う資格を有するのは我が神聖帝国を置いて他に無し、という主張が多数を占めておる」
「そんな……」
清々しいまでの帝国至上理論にアルテリンデが言葉を失う。
またこの場ではあえて言及しなかったが、アルビオンへと送り込んだ密偵により“聖杯”の主要原料がテネブラの火吹き山に住む魔獣の素材である事の報告も受けており、この“征伐”に意欲を示す配下も多かった。
皇帝をはじめとした上層部はこの好機に何としてでも新型万能薬の利権を独占し、これまでにことごとく侵攻を押し戻してきたアルビオン王国に対して国際的に有利な立場を築くことを狙っている。
そしてアルビオンさえ打倒してしまえば、軍の戦力が高くない商業国家のルミエルージュ公国は戦わずして帝国の軍門に下るだろう。
「魔界の外交官の方は交渉を希望していると聞き及びましたが……」
「そんなものは命乞いに等しい。奴等が我が国を恐れている証拠だ」
「彼らも和平を結ぶ価値を認識しているものと私は思います。それに、この国の民もまた平和を望んでおります」
「ふむ。余も平和を望んでおるぞ。我が神聖帝国が大陸を統一し平定してしまえば国同士の仮初めの休戦期間より優れた平和が訪れるのは自明の理だが、これに異論はあるまい?」
尚も食い下がるアルテリンデだったが、その言葉は皇帝の心には届かず見えない甲冑に阻まれる。
父祖の代からの悲願である大陸統一が現実味を帯びて、帝国の上層部が勢いづいているのはもはや疑いない。
だがそれは焦りと表裏一体であり、この件に関する1日の決断の遅れがあれば最終的な大陸統一に向けてのスケジュールが1年遅れかねない、そのような根拠の無い思いに囚われているようだった。
「さて、アルテよ。お前は美しくて勉強もでき心優しい自慢の娘だが、目先の感情で政務や軍事に口出しするのは賢き者の行動ではないぞ。余にはまだやるべき仕事が多い。暇があるなら友達を呼んで茶会でも開いていなさい」
「父上………………」
終いに、皇帝は軽く手を振って娘との会話を打ち切り、侍従を引き連れて城の奥へと歩き出す。
後には、悲しそうな顔で俯き佇むアルテリンデ一人が残されていた。
▼大陸暦1015年、真秤の月14日
一方、大陸南部の商業国家ルミエルージュ公国でも、外交官のジャンヌ女史がセレスティナから託された書簡と“聖杯”を巡り、活発な議論が繰り広げられていた。
公国首都であるサンクエトワールの中心部、海沿いで気候が良く景色も美しいこの都市の景観に更なる彩を添えているのが、街の中枢に位置する優雅な造形をしたラ・エトワール大宮殿。
その宮殿の壮麗な大会議室で、一人の官僚が報告の為に声を発する。
「まずは“聖杯”の効果報告から致します。公正を期すべく、症状が好転しなければ返金という条件でオークションにかけてみたところ、落札したのはロッソグループ会長のリッシュ・ロッソ氏でした」
「ああ、皇帝病を煩っていたとか言う」
「はい。それで、件の万能薬の効果でその皇帝病が跡形も無く完治し、これでまた酒が好きなだけ飲めると大変お喜びの様子でした」
「ほう、あの難病までもか……」
報告官の淀みない言葉を受け、会議室に集まった面々――公王を始めとした大公爵や国の政務を担う上級貴族達から驚きの声が上がる。
新型万能薬の効力が予想を上回るものだったらしく、新たな商売道具候補の登場に商売人の顔を覗かせていた。
そんな中、一人の男性が挙手して、先程の報告官に一つの質問を投げかける。
端正な顔立ちに手入れの行き届いた横にピンと跳ねる口髭の中年男性で、芝居役者然とした軽そうな印象に反して現時点で公国のナンバー2の地位にあるルージュ家当主、ジェラール・シャルル・ド・ルージュ大公爵だ。
「ところで、そのオークションでの落札金額は幾らだったんだい?」
「はっ。金貨2350枚で落札したとのことです」
「ありがとう。どれぐらい効くのか分からない薬にポンとそれだけ即金で払うのは流石と言うか何と言うか……」
奴隷からセクシーランジェリーまで各種商品を取り扱う数多の商会を束ねる大元締めで、平民階級出身ながら国内でも5本の指に入る大富豪であるリッシュ氏だからこそ可能な大盤振る舞いだろう。
もし仮にこの先“聖杯”を安定して仕入れる事ができれば、値段はそれなりの水準に落ち着くであろうがそれでも莫大な利益を生み出すことに疑いは無い。
「ではそれを踏まえて、ジャンヌ君が持って帰ったもう一つの爆弾とも言える、魔界との外交会談に応じるかどうか、皆の意見を聞きたい」
当代の公王であるルミエール家当主ルイが、厳かに告げて参加者を見回した。アルビオン王国やシュバルツシルト帝国とは違いルミエルージュ公国での公王の権限や権力はそれほど大きくない為、この場の会議は出来レースではない真の意味での議論となるのだ。
それは組織として健全なことであるが、その分会議の緊張感や発言の重みが違うので、なかなかの重労働となる。
「まあ、話聞くだけならタダだし、最初から突っぱねる事もないでしょう」
「それに、アルビオン王国の側は魔界と協定を結んだ模様にございます。ここで手をこまねいていると新型万能薬の利権が王国に占有されかねません」
率直に思うところを言い合う参加者達。総合すると“儲けになるなら魔物と手を組むのもそこまで抵抗は無い”という意見が多数であり、商業国家らしい割り切りの良さを見せている。
だが勿論懸案は有り、一つは彼らにとっては未だ未開の魔境であるテネブラと本当に国家間交渉ができるのかという疑問。もう一つは公国の意思決定を魔界側に伝える手段の不足だ。
「流石に外交使節を魔界に直接送り込む訳にはいかないと存じます。そうすると魔界の外交官がこの国を訪れる時を待つことになりましょうか……?」
「いや、それについては一つ手がある」
そこで再度、ジェラール大公爵が挙手をし、わざとらしく場を見回して少しの間を置いてから構想を披露した。
「我が娘のシャルロットがアルビオン王国への留学中に偶然、魔界から来たというセレスティナ外交官と顔見知りになったとのことだ。であるから我がルージュ家を通してアルビオン経由で我が国の返答を伝える事はできるぞ」
テネブラを信用できるかの問題についても、まずは一度話し合ってみないと始まらないのが実情だ。場所は勿論公国内か場合によってはアルビオン王国に設定してまず会談の席を準備したい、それがジェラールの意見だった。
「あいわかった。ではこの件については反対が無ければジェラール大公爵に一任しよう。但し、経過は逐次議会に報告する事。モノがモノだけに抜け駆けは許さぬからそのつもりで」
「安んじてお任せあれ……ああ、抜け駆けと言えばこの情報も伝えておこうか」
芝居がかった仕草で一礼した後、ジェラール大公爵が思い出したようにフランクな口調に戻る。
「娘からの手紙で、そのセレスティナ外交官についての報告も書いてあったのだが、ポンコツ可愛くて魔術師としては凄まじい力量を有していたとのことだ」
外交官としての能力評価に触れられていないのは、シャルロットの居る前でセレスティナが外交官としての仕事をしていなかっただけで、別に他意は無い。たぶん無い。
「それから、彼女はアルビオン国内の魔物……えー、分類上は魔獣と呼ぶらしいが、それらを退治する仕事を積極的に請け負ってるらしい。どうも魔獣の様々な素材が目当てだそうだ」
「ほう……」
「つまり、魔獣は資源の一種だから、彼女がこの国に入るより前に一部の希少動物と同様に“魔獣狩猟税”を設定して合法的に分け前を頂く手もあるかな。ルージュ領はその方向で導入予定ということを、一応報告しておく」
この国に名を連ねる5人の大公爵はいずれも王家の末裔でありそれぞれが領地に対する独自の徴税権を持つ為、特にこの場で報告すべき義務は無いのであるが、愚直とも言える程律儀に伝えるジェラール大公爵。
「魔物の狩猟権か……成る程。タダで乱獲させるのも馬鹿らしい事ですな」
「こちらも、早速税務官に伝えて詳細を詰めさせることにしますか」
儲け話の気配に、彼以外の領主達も追従の様子を見せる。実に商魂たくましい者達ではあったが、話を切り出したジェラール大公爵が口髭の奥で小さく笑ったことには誰も気付かなかった。
(※)皇帝病……ここでは通風の事。贅沢な食習慣に起因することからこう呼ばれることもあったそうです。




