009話 上覧試合・4(そして決着へ)
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「本気……だと……?」
ヴァンガードの竜眼に不満の色が浮かぶ。彼は武人の誇りに賭けて、これまでも手を抜いた戦い方など一切していないからだ。
だが、セレスティナの真意は彼の想定とは別のところにあった。紫水晶の瞳を悪戯っ子のように輝かせながら彼女は言葉を続ける。
「はい。なんだかんだでヴァンガードさんの攻撃は私を気遣ってくれているようですから。今の急降下……えっと、竜突でしたか、あれも寸止めとは言わないまでも土壇場で急所から穂先を逸らすぐらいの余裕は残していたようですし」
「いや、そりゃあまあ、ティナはひ弱というか、か弱いからな」
「竜人族が硬すぎるんですよ」
ミスリルの防具の質もあるだろうがセレスティナの魔術をあれだけ受けてまだ動けるのは率直に言って化け物じみている。
しかし見た目からは分かり難いが決して攻撃が効いていない訳ではない。ヴァンガードが不利を悟ったからこそ未完成の竜突を仕掛けてきたのが動かぬ証拠だ。
「とにかく、今のが全力と言い張るのでしたら次は全力を超えた力で来て下さい。私を倒すつもりなら、それくらいでないと全然足りません」
付き合いの長い彼からしてみれば、セレスティナがこのような挑発をする時は十中八九何らかの意図があり、裏でえげつない罠を用意しているものだ。
その罠ごと喰い破る自信はあるが、この場合リスクに晒されるのがヴァンガード本人よりもむしろセレスティナの側の身の安全だという一点が、どうしても躊躇を生み出す。
「…………………………………………」
ヴァンガードはしばし黙考し、やがて渋々と首を縦に振って再び上空へと舞い上がった。
「……わかった。だが、狙うのは腹にする。だがら避けるにしても絶対にしゃがむんじゃないぞ。胸でなく腹なら、刺し貫いても即死はしない。すぐに処置すればきっと助かるからな」
「承知しまし――」
『それは駄目よ』
そこに、審判のフォーリウム学長が駄目出しを挟む。この試合は学院行事の延長なので危険と判断した場合は教師が介入できることになっているのだ。
『女の子のお腹に傷を負わそうだなんて、子供が産めない身体になったらどうするのよ。狙うなら右胸にしときなさい。肺に血が溜まって地獄の苦しみを味わうけどすぐに保健室に運べば死にはしないから』
「ちょっ!? あのっ!」
勝手に被弾部位を苦痛が増す方角へと変更されてセレスティナが抗議の声を上げたが、学長の教育的指導が彼女にも飛び火する。
『大体、ティナも何でそこで頷くのよ。男同士の決闘じゃあるまいし、女なら心臓よりも子宮を優先で護るのは当然じゃないの』
「ふぇえ!? し、し、しし、しきゅっ!? はっ、はしたないですよこんな人の多いところでっ!」
セレスティナには刺激の強い単語だったようで、顔を真っ赤にしつつ両手をうがーっと振り上げたりして苦情を申し立てる。
そんな中、生々しいガールズトークは聞かなかったことにしたヴァンガードが上空から声をかけてきた。今度はドーム状の屋根ギリギリの位置、先程の倍ぐらいの高さまで飛び上がっており、本気度を窺わせる。
「さて、準備が出来たら教えてくれー!」
どうやら律儀に彼女が戦闘モードに戻るまで待っていてくれたらしい。セレスティナも短杖を斜め上方に向けて構え、上空に向かって声を張り上げる。
「こちらも常在戦場! いつでもどんと来いですーっ!」
一瞬で気持ちを切り替え、男子には刺激の強いさっきの会話は無かったことにした。
闘技場を静寂が支配し、ピリピリと帯電するかのような緊張感に包まれる。
「行くぞおおおおおおおおおおっ!!」
それはもはや落下でも急降下でもなく、下を向いただけの飛翔。
獲物を狙う隼のように、速く、鋭く、正確で、そして勇敢な一撃だった。
避けるのは間に合わない。防御しても恐らくは《防壁》ごと持っていかれるだろう。
その決死の一撃を正面から見据えながら、セレスティナは彼の竜突を“破る”ための魔術を発動させる。
「《突風》!! 最大出力!!」
セレスティナの得意属性である風系統の魔術の一つ、あるポイントから指定した方向に向けて風を発生させる、主に子供の悪戯か夏の暑さを凌ぐ時に使われるものだ。
つまりは無害な生活用魔術であるが、彼女の魔力量で全力を出せば瞬間的に大型台風を凌ぐ程の暴風を起こすことが可能になる。
「風か!? 無駄だっ!!」
強力な風を正面からぶつけて押し返す対処法は当然ヴァンガードも想定している。
それに備えた対策も万端だ。
穂先のみを突出させ、後ろの部分を保護する六角錐状に張られた《防壁》、これの真の目的は空気抵抗を軽減し突進の速度を更に上げるところにあった。
いくら強い向かい風に晒されようとも、こじ開けて進めば良い。
ヴァンガードが勝利を確信した、その瞬間――
彼の体が、がくんと前方に流れた。
「――な!? ま、まさかっ!」
セレスティナの放った《突風》は、ヴァンガードの突進を押し留める目的ではなかったのだ。
彼女が設定した風向きは、彼女から見て斜め上の前方から手前に向けて、つまりヴァンガードにとって向かい風でなく追い風だ。
高速で迫り来る彼に対し、更に加速させ、空気の断層に乗せて弾き出し、突撃の軌道を強引に捻じ曲げることが狙いである。
そして、六角錐状の防壁もこの場合は風を受ける帆の役割を果たし、皮肉なことにセレスティナの目的を達成する一助となった。
「ふわっ」
上空を吹き抜ける突風の余波がセレスティナの銀髪とドレスを盛大に巻き上げる。
間抜けな声をあげつつ咄嗟にドレスの裾を手で押さえた時、頭の直ぐ上を大きく速い飛行物体が凄い勢いで通り抜けていくのが分かった。
そして、背後で岩を砕くような轟音。
突風が収まり、後ろを振り返って見ると、そこには観客席との仕切りになっている石壁に激突し、それに大穴を空けていたヴァンガードの後姿があった。
当然、闘技台の範囲からは外れており、場外になる。
『場外、ね。勝者、セレスティナ・イグニス!』
審判の宣言に、セレスティナが大きく息を吐く。
会場から降り注ぐ拍手の量は観客の規模から考えるとまばらで、場外での決着に肩透かしを食らったのだろう。だが派手に勝ちすぎると軍部から熱烈なスカウトが来かねないことを考えると彼女にとっては望むところである。
それから、まさかの敗北に肩を落とした様子で台上に戻って来たヴァンガードと固い握手を交わした。
「すみません。騙し討ちのような卑怯な勝ち方で。今の私には真正面から最強の座を勝ち取る栄誉よりも勝利の結果だけが欲しかったですので」
「いや、ルールに則ってる以上は立派な勝利だ。……それにしても、まさか《突風》をあんな使い方するとはな」
『そうよ。場外も立派な戦術、卑怯なんかじゃないわよ。それに、決着に至るまでの戦術の組み立ては今後の教材として使えそうな見事な流れだったわ』
ヴァンガードの言葉に被せるように、学長によるこの試合の総評が始まった。
『最後の《突風》でヴァンを場外に押し出すには、まず1回目の急降下攻撃を止める事で2回目に限界を突破させた攻撃を引き出す必要があったのよ。1回目の時点で風を当ててもコントロールが効く分まだ立て直せてた可能性が高いから』
更に言うと、ヴァンガードの未完成必殺技である竜突を引き出すこと自体、その前の段階で遠距離でも近距離でも戦える事を示さなければならず、そこに至るまでにはハードルの高い道のりが続いている訳だ。
『――という訳で、ティナはここまで計算ずくで戦って計算通りに勝ちを得たってことよ。さて、じゃあこの試合を観た生徒の諸君はこのことに気付いたかしら?』
言葉を区切り、教師の顔になって観客製の学生達を見渡す学長。
『ティナは実際には、《火炎嵐》とかのもっと高難度で威力の高い魔術も使いこなせるのだけど、この試合ではほぼ基礎的な魔術だけで戦ってたのよ。この意味は分かるかしら?』
「ふぇっ!? あの、ちょっ!」
まさかの暴露に手をわたわたさせて焦るセレスティナ。
軍務省の目を欺くために意図的に派手な魔術を使わなかったことが暴露されると、これからの薔薇色の就職戦線に悪影響が出てしまう。
『その理由はきっと――』
「や、やめてー! 許して下さーーいっ!」
『――強力な術とか技とかが無くてもちゃんと戦えるっていう、在校生の貴方達への激励のメッセージよね』
すてん、とセレスティナがすっ転んだ。ヴァンガードの手を借りて鼻を押さえつつのろのろと立ち上がる。
「おい、大丈夫か? どうしたんだいきなり」
「いえ、すみません、ちょっと色々気が抜けたみたいです……」
『若いうちは強力な必殺技とか派手な魔術とかに憧れるものだけど、どこかで限界を感じたり先天的に自分より強い者が現れたりして挫折することもあるわ。特に今年はヴァンの存在があったから、心を折られた子も多かったと思うわね。だけどそんな中で自分に足りない物を過度に羨むことなく、自分に出来る事を着実に伸ばして考えて工夫してそれに合った作戦を組み立てれば、格上を相手にしてもちゃんと勝てる。ティナはそのことを貴方達に教えてくれたのよ』
なんか意図せず良い話になってしまった。キュールを始めとした非・戦闘ガチ勢の面々は特に瞳をキラキラさせつつその薫陶に耳を傾けている。
セレスティナがほっと平たい胸を撫で下ろしていると学長の総評もまとめに入りだした。
『ヴァン。貴方の強さは今日の時点でかなり完成されたもので、貴方が負けるのはこれが最初でもしかすると最後になるかも知れない。だからこそ今日の敗北は貴方にとって貴重な経験になるわ。この経験を糧に、腐らずに精進して、もっと強くなりなさい』
「はっ!」
『ティナ。イグニス家の魔術師としての技術と頭脳を駆使した良い戦いだったわ。魔術師の弱点も克服済みのようだし、貴女も先生からは何も言う事は見当たらないけど、人生の先輩としてあえて一つアドバイスを贈るとするなら……』
「は、はい」
真面目な表情になって学長を見据えるセレスティナ。そんな彼女に学長は心底沈痛な溜息を吐き、一言。
『お子様に黒いレースの下着はまだまだ早いわ』
「お、大きなお世話ですっ!!」