080話 世にもえげつない森林魔術(見解には個人差があります)
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杖にしがみつくようにして掴まり、頭を低くしたセレスティナは、地面すれすれの高さを疾駆する。
その際、的を絞らせないように左右に動きながら、稲妻のような速さと軌道をもって森への突入を目指していた。
「っ! 何考えてるの!? 地面に激突しても知らないわよ!?」
森の中からエルフが毒づく声が聞こえ、続けざまに何本もの矢が飛んでくる。注意深く見定めると射出の起点が異なっており、それはすなわち相手が複数人であることを意味している。
だが変則的な横移動に加えて身を低くした相手に対する撃ち下ろしは射角が取りづらく、セレスティナはその殆どの攻撃を避けずにやり過ごし、当たりそうな何本かは急加速することで回避した。
「慣れてますから、心配ご無用ですっ!」
蔦を束ねたような捕縛用の矢を掻い潜り躱しつつその声に応えるセレスティナ。
仮に《防壁》で止めると着弾点から絡みついて足止めを食らう関係上、リスクは高くともスピードを重視したい意図だ。
やがて、弾幕の雨を抜けた彼女は木々の間を突っ切ると同時に大きく減速し、森の中特有の少し湿った地面へと身軽に着地した。
森に一歩入っただけなのに、日光は木の葉をフィルターにして柔らかさを増し、空気もひんやりと清浄なものになっていて、この大いなる森を構成する木々の強い力を感じる。
「どうも、お邪魔します」
周囲に向けてしゅたっと手を挙げつつまずは挨拶。見たところ、エルフの迎撃者の人数は3名で、セレスティナを三方から囲むように油断無く木の枝を渡って位置取りをする。
3人共に女性で、エルフ族を特徴付ける尖った耳をして草色の短衣を腰帯で締めてスレンダーな身体を覆い、ボトムは茶色のズボンを穿いた動き易そうな姿だ。
セレスティナがイメージしていたエルフ像よりも活発で野生的な印象だったが、流石にミニスカート姿で木の枝を飛び移るのはチャレンジャー過ぎるだろうと思い直して納得した。
それと、3人共顔立ちがよく似ていた。白金のような薄い金髪にエメラルドの瞳を持った切れ長の目にシャープな顎の美人さんで、長寿ゆえに子供が産まれにくいエルフ族にしては珍しい三姉妹だろうか? と疑問を抱きつつも、まずは発言を続ける。
「早速ですが、まずは話を――」
胸に飾られた外交官バッジを示しつつ自己紹介をしようとしたが、エルフ達は取り付く島もなく更に攻撃を激化させる。
入り口とはいえ彼女たちの森に一歩足を踏み入れることで、挑発されたと受け止めたのかも知れない。
「話か。ならば動けなくしてゆっくり尋問してやるわ! 野蛮なニンゲンめ!」
推定次女が、怒りの炎を目に宿しつつ続けざまに矢を射ち出し、それにタイミングを合わせるように他の二人もそれぞれ別方向から攻撃を放った。
だがセレスティナはそのことごとくを得意の空中機動でひょいひょいと避ける。
「ぐっ! 何故当たらない! 《飛空》ができる動きじゃないわよ!」
「動けなくされてえっちな尋問受けるなら、もっとお胸の大きなお姉さんの方が良いですから」
恐らく先方の望んでいるものとは違う回答を返しながらも、慣性を無視した動きでセレスティナは空中をピンボールの弾のように飛び回る。
彼女がここで使っているのは、《飛空》を改良して開発した《短飛空》の方だ。持続する《飛空》と違って一瞬しか効果を発揮しないが、その分即応性と推進力の大きさとに利があり、このように空中での急激な方向転換に役立つのだ。
時折、木の枝の間に《防壁》を引っ掛けて簡易的な足場にしつつ、空中を跳ねるように少しずつ移動して有利なポジションの奪い合いを続ける。
セレスティナの見立てでは、長女と思われる長ズボンのお姉さんは冷静で狙いも正確だが、半ズボンで眩しい太ももを晒した次女は短気で狙いが甘い分を数で補うタイプで、膝丈ズボンの末妹はまだ戦い慣れていないのか位置取りや戦い方に未熟さが見られる。
平穏な話し合いを望むセレスティナとしてはここで攻撃魔術を叩き込んで台無しにすることはできないので、彼女達の連携の穴に最大限つけ込んで平和裏にこの場を制圧すべく、一番煽り耐性の低そうな次女に向けて手招きした。
「このっ! 舐めやがって!」
「セオードナ、攻撃が雑になってるわ。漫然とした撃ち方だと機会を捉えることも機会を作り出すことも――」
「分かってるわよ!」
どう見ても分かってない様子の次女が再度矢を放つ。だが狙いは良くても軌道とタイミングが見え見えな攻撃はセレスティナには対処がいとも簡単で。
「《突風》!」
飛んで避けるでもなく、防壁で止めるでもなく、風を起こす魔術で弾いて右斜め上に逸らした。そして軌道を変えられたその矢は、今度は樹の枝の上で次の矢をつがえていた末妹へと向かっていく。
「ええええええええええええええっ!?」
「ザーフトラ!?」
自身を襲う理不尽な展開に避けるのも忘れて悲鳴を上げたその時、舌打ちしつつ長女が動いた。自分が乗っている樹の幹に手の平を当て、この森で生まれ育った者独自の魔術回路を組み上げる。
「彼の者を護る盾となれ――《樹柵》!」
その魔力は幹から下降して地面の下で複雑に絡み合った根を通じ、末妹が乗った樹に作用した。突如その枝がまるで生きているかのように動き、縦横に複雑に絡み合い、末妹を護る柵のような形状を作り上げて、迫り来る矢を防ぐ。
「おおー、今のがエルフ族秘伝の森林魔術ですか。なかなか便利そうで面白い魔術ですね」
「まだまだ、面白いのはこれからよ。《封縛》!」
長女が再度樹の幹に手を当てて魔術を発動。すると今度はセレスティナの周囲の枝や蔦が全方位から彼女に向かってうねうねと伸びてきた。
彼女達が使っていた矢と同じ、相手を絡め取り行動を封じようとする動きだ。
「なるほど、さっきの矢はこの魔術を応用して――っとぅ!?」
《短飛空》を発動し咄嗟に捕縛の包囲網を潜り抜けたセレスティナに、間髪入れず次の攻撃が襲い掛かった。次女の魔術は樹の根を槍のように尖らせて貫こうとし、末妹の魔術は樹の枝を鞭のようにしならせて打ち据えようとする。
セレスティナもそれらの攻撃を飛行と防御の魔術で何とか防いでいるが、先ほどまでと比べると攻撃の激しさが増しており余裕が無いのは一目瞭然だ。
「エルフの魔力三人分を同時に相手取るのは……さすがに、厳しいですね」
「そう思うなら、早く落ちなさいよっ!」
次女が苛立たしげに吼えるが、三姉妹の熾烈な攻撃は少しずつセレスティナを捉え始めており、本来は大樹を支える役割を持つ強靭な根の一撃を受け《防壁》ごと吹き飛んだ小柄な敵を追いかけつつエルフ達は戦場を移動する。
「あわわわわっ! 今のはちょっとやりすぎなんじゃ……!?」
「……いや、手応えが感じられなかったから、多分わざと弾き飛ばされて間合いを取ったのよ」
やがて、逃げるセレスティナが澄んだ水の流れる川の上に差し掛かった時、長女の操る蔦が遂にセレスティナの持つ杖に巻きついた。
「ようやく捕まえたわ…………いや、まさかこの場所を狙ってた?」
「川の真上でしたら、樹の並びが途切れて枝も根もあまり届かなくなりますから、覚えたての魔術の練習には丁度良さそうですので」
足の下を結構な勢いで流れる川を気にした様子もなく、蔦の絡まった杖にぶら下がる不安定な体勢からセレスティナは、先程まで散々見せられた魔術の再現に挑戦する。
「さて、上手く行けばお慰み。《封縛》!」
絡んだ蔦を逆手に取って、エルフが得意とする森林魔術を発動させる。魔術回路の構成、流す魔力の強さ、作用する対象への樹木を介した経路の構築、いずれも抜かりない筈だった。
「…………おや?」
だが、セレスティナの魔術は不発に終わる。森の木々は微動だにともせず、その結果を最初から知っていたかのように長女が冷たく「無駄よ」と嘲笑する。
「森林魔術は、私達とこの森との協力関係があって初めて実現可能になる秘術。ここで生まれて育った同胞以外に、この森は心を開かないわ」
「……あー、流石は長老樹の眷属。つまりこの森自体がある程度の意思を持って、エルフ族以外の魔力波形は受け付けないように選別してる訳なのですね……」
折角の新魔術が失敗に終わったにも関わらず落ち込む様子も見せず、すぐに問題点の抽出と改善に着手するセレスティナ。まずは樹木が術者をエルフか否か判断している条件についての分析から試みる。
「何をしたいか知らないけど、そろそろ観念しなさい!」
「魔力波形をエルフっぽく偽装してみたらどうでしょうか……《魔力変換》して《封縛》!」
長女が蔦を引っ張ってセレスティナを手繰り寄せようとしたその直前、セレスティナの魔術が再度完成を見る。
すると、今度は森がその魔術に応えた。周囲の木々から無数の蔦が伸び、三姉妹へと襲い掛かったのだ。
「まさか!?」
「嘘でしょ!?」
長女は驚きつつも軽やかに跳んで、次女も虚を突かれたが何とかギリギリで回避した。
「イヤああああああああああああああああっ!!」
だが、未熟な末妹は油断していたのか為す術も無く捕まってしまった。
「た、助けてええええええ! お母さああああああん! お婆ちゃああああああああああん!!」
何気にエルフ達が三姉妹ではなく親子三代であることが暴露されたがそれはさておき、末妹改め孫は両手両足を拘束され樹から吊り下ろされて、もがくことすらままならない。もしズボン姿でなかったらお嫁に行けなくなるぐらいの羞恥プレイだ。
「さて、ではお孫さんを解放して欲しければ、族長さんか長老樹へのお目通りを要望いたします。あ、私はテネブラ外交官で魔眼族の魔術師、セレスティナ・イグニスと申します。人間族ではありません。西側から来たのが紛らわしかったですかね」
そしてようやく会話ができる状況になり、川岸に降り立ったセレスティナが自己紹介をする。
彼女の要求にエルフの長女改め祖母はひとしきり呻ると容易く折れた。どの種族でも孫が可愛いのは共通ということか。
「魔国の者だったのね……私はエルフの弓士フーチェラ。それと娘のセオードナに孫娘のザーフトラ。条件は飲むわ。だから先に孫を解放して。樹を傷つけない方法で」
「分かりました。では口約束だと反故にされると困りますので念書にサインを――」
「いいから早く降ろしなさい。私達エルフ族は誇り高き森の民。ニンゲンやダークエルフのお仲間と違って嘘はつかないし約束も必ず守るわ」
「え。でも、この前別の場所でお会いしたラピストーカさんってエルフの方は思ったこととつい逆の事を言ってしまう気位の高いツンデレさんでしたが……」
控えめに反論するセレスティナが発した一つの人名に、今度はセオードナが反応した。
「ええ!? ラピストーカを知ってるの!? 私の幼馴染で月光みたいな銀髪で私と同じぐらいの歳の!?」
「……いえ、エルフの見た目でお歳は把握できませんので何ともですが、お手紙も預かってきましたので後でお渡しします……ともあれ、まずはザーフトラさんを降ろしますね」
そこまで言うとセレスティナは、ザーフトラの吊るされた樹に触れて新魔術の構築の為に集中を始める。本来《封縛》は術をかけた本人が自在に締めたり緩めたりできるものだが、今回は初めて挑戦した魔術だったので扱いに慣れておらず、必要以上にきつく縛られていたのだった。
更には森の民エルフ達の目の前で森の樹を傷つける訳にもいかず、彼女は《封縛》の効果を逆転させた新魔術を即興で開発することにしたという訳だ。
「これで植物性の素材による戒めを解除するようにして、と……うん。応用すれば縄抜けにも使えそうですね……では行きます。《魔力変換》して、《封縛解除》!」
「きゃあっ!?」
セレスティナの新魔術は果たして効果を表し、戒めを解かれたザーフトラの身体が落下して、悲鳴とともに下を流れる川に尻餅を突いた。
「ザーフトラ! 大丈夫!? 怪我は無い!?」
「う、うん。平気……って、あれ?」
祖母と母の二人に手を引っ張られ、ザーフトラは濡れた太ももを白く輝かせながら陸へと上がる。
と、そこで周囲の皆は違和感を覚えた。彼女のズボンは確か膝丈だった筈……
反射的にセレスティナが川の下流方面に目をやると、そこには今まさに水流に流されている帯と茶色いズボンと、そして紐のついた白い小さな布切れが。
「……紐パン?」
考えてみれば当然だ。
ゴムを始めとした伸縮素材が無く衣服は帯や紐で結んで着用するのが基本のエルフの被服文化と、植物性の戒めを解く効果を生じさせる《封縛解除》の魔術が出会ってしまえば。
「イヤああああああああああああああああっ!! あたしのパンツがああああああああああっ!!」
とうとう泣きながら短衣の裾を押さえてその場に蹲るザーフトラ。
紐パンを解いて脱がすという、世にもえげつない森林魔術の誕生した瞬間だった……




