079話 エルフの森の玄関で(番人さんに出会った)
▼大陸暦1015年、戦乙女の月27~28日
一旦王城に戻ったセレスティナ達は、お土産と討伐証明を兼ねて、アリアが切り落とした大海蛇の頭をクリストフ宰相に献上した。
出発して翌々日に討伐対象の首を揚げて帰って来る非常識にも宰相やアーサー王子ともにそろそろ慣れたもので、早速近日中に帝国と公国の使節団を招待して報告会兼食事会の席で見せてやることにしようと語る彼らの目は悪戯好きの少年のようなそれになっていた。
その後に聞いた話であるが、食事会の席で依頼をあっさり完遂させたと伝えた時の両国――特に船の受注を目論んでいた公国側使節の顎が外れそうな程に呆然とした顔は王子曰く「傑作だったぞ」とのことで、セレスティナは少し気の毒に思いながらもアンジェリカやフェリシティ姫としては溜飲の下がる結果となった。
ともあれ、無事に大海蛇の素材とついでに依頼料も手に入れたセレスティナ達は、王都でアリアと別れて今度は逆方向の東側へと飛ぶ事になる。
帰還した翌日に出発という強行軍だがセレスティナもクロエも気にした様子はなく、見送りのリューク達をも呆れさせていた。
「そんな連日の飛行魔術でもへばらないとか、ティナのその小さな胸のどこにそれだけの魔力があるんだろうな」
「あれ、リューク知らないの? 優れた魔術師は魔力器官に栄養が取られちゃうから、どうしてもこう、あんまり大きくならないのよ」
「め、迷信ですそんなのっ」
説得力のあるような学説を唱えるアリアにセレスティナが反論する。本人の中ではまだまだ魔力も胸も発展途上で成長限界を認めるには早すぎるのだ。
「反証として、もし魔力と胸力が反比例するのならアンジェリカさんのそのメロンのようなお胸にはメロンの種粒ぐらいの魔力しか宿らない事になりますが実際には人間族の魔術師として見ればなかなかの水準ぎゃふんっ――」
「ど、どこがメロンなんですのっ!? 失礼ですわっ!」
アンジェリカの抗議(物理)がセレスティナを黙らせる。その拍子に二つのメロンがゆさっと揺れるのを皆見逃さず、今のセレスティナの言が失礼かどうかは主観の問題なのでさておき事実かどうかを疑問視する声はなさそうだった。
やがて、不撓不屈の精神で復活したセレスティナが、メロン繋がりの話題で「それにしても……」と無念そうに語りだす。
「これからはイストヨークでの協定締結までノンストップになりそうですから息抜きできる暇も無さそうで……夏の間にアンジェリカさんの水着姿を拝観したかったのですがとても残念です……」
「あー、期待してるとこ悪いけど、アンジェの水着って手首足首まで覆う感じの深海まで潜れそうな重装備だから」
「うむぅ、思ったのとは少し違いますが、それはそれで!」
「それでじゃありませんわっ!」
がばっと胸の前で両腕をクロスさせ、夏場にも関わらず厚手の法衣を一部の隙も無く着こなしたただでさえ硬いガードを更に堅牢にするアンジェリカ。そこにクロエが申し訳無さそうに口を開いた。
「……うん。なんかゴメン。ティナは連日の暑さで頭がおかしくなってるから……」
「……冬場は寒さでおかしくなるパターンが今から見えてくるようだ」
そんなリュークの突っ込みは肯定も否定もせずに流し、いよいよ出発準備を整えたセレスティナ達。地面を離れた絨毯の上からびしっ、と敬礼して出発を告げる。
「では、ちょっと一っ飛び行って参ります」
「それじゃあ、またね」
「どうか、お気をつけ下さいまし」
「ラピス達にも宜しくな!」
「お土産待ってるからねー!」
そうして、彼女達はアルビオン東部へ向けて進路を取る。
魔獣の巨体を保存用に氷漬けにして《飛空》のかかった絨毯からロープで吊り下げながらの移動なので、普段は半日で到着するところを丸一日かけて移動し、一旦イストヨークの街で一泊。ついでにエルフの女性ラピストーカから手紙を預かってエルフの森へと届ける流れになった。
▼大陸暦1015年、戦乙女の月29日
そして翌朝。
日が昇ると同時にイストヨークを出発したセレスティナ達は、まだひんやりと爽やかな朝の風が残る時間に、今回の目的地であるエルフの森――地図上の正式名称ではシャーディングウッド大森林と呼ばれる森林地帯を見下ろしていた。
深い緑色をした原生林は、遥か上空からようやくその全域が見渡せる程に広大だ。
森の外縁をを歩いて一周するだけでも丸一日はかかるだろう。人工物と比較するのは適切ではないが、大陸最大の都市である王都グロリアスフォートの市壁内面積よりも広い。
「……広いわね。こんな森の中から村を一つ探す訳?」
尤も、十万都市の王都に比べて、この森の中には“長老樹”と呼ばれる霊木の側に千人程度のエルフが暮らす集落が一つあるだけで、その人口密度は限りなく低い。
そんな中での不毛な探索を覚悟したクロエの言葉に、セレスティナは「いいえ」と頭を振った。
「探すだけなら“長老樹”の魔力を特定して空から降りればすぐだと思いますが……いきなり相手の聖地に踏み込むのは外交的にも非礼ですから、ここは玄関から正規の手順で訪ねましょう。丁度、大海蛇がドアノッカー代わりになりそうですし」
「あー、確かにそんなデカブツが空から降りてきたら見張りも何事かと思うわよね」
「そういうことです」
納得した顔のクロエに頷き返し、セレスティナはゆっくりと《飛空》の高度を下げていく。
やがて、森の西側に広がる草原に氷に覆われた魔獣の巨体がそっと着地し、ロープを解いてセレスティナ達自身も地上へと降り立った。
それから飛行用に使った絨毯を手際よく丸めてクロエが預かる肩掛け鞄に収納した頃、森の中から誰何の声が届く。
「――何者だ!? ここより先は我らの聖地! 即刻立ち去れ!」
高く凛とした女性の声であるが、その姿は森の木々に隠れていて見えない。
その声を受けてセレスティナが「私は――」と自己紹介しようと森に一歩近づいたところ、木々の間の闇の中から矢が射掛けられた。
「うおっ!? 《防壁》!」
誰だと問われたから素直に名乗ろうとした所を問答無用で攻撃され、驚きつつもセオリー通りの《防壁》を張る。
よく見るとその矢には矢じりが付けられておらず、木の蔦を三つ編みのようにねじり込んだだけの武器らしからぬ形状をしており、何らかの仕掛けがありそうだ。
その螺旋状の矢が《防壁》に阻まれた瞬間、蔦が解け、明らかに長さを伸ばして大きく広がり、左右と上方からセレスティナを《防壁》ごと絡め取るかのように迫って来た。
「――何とおおおっ!?」
予想外の挙動に慌てつつも、セレスティナは咄嗟に《防壁》の面積を一気に拡大し、蔦の先端を弾いて地面へと落とす。
落下した蔦は暫くは蛇のようにのたうって獲物を探していたが、やがて動力が切れたのか動かなくなった。その様子を見て、セレスティナは以前に恩師フォーリウムから聞いた話を思い出す。
「これが……エルフ達の操る、森林魔術……?」
森で生まれ、森で育ったエルフ達は、森の木々を味方につける術を会得すると噂に聞いた事がある。
魔獣の蔓延る僻地とは言え、地図上ではこの森はアルビオン王国の国土に含まれており、当然これまでに何度も硬軟様々の手法で交渉や支配を行おうとするお客さんが訪れたはずだ。にも関わらず少数のエルフ達が今も独立を保っているのは彼ら個人としての高い能力と合わせてこの魔術による森の中での防衛能力に源泉があるのは疑いない。
そしてセレスティナに知る由もないが、エルフ達はイストヨーク方面から来た彼女達をアルビオン王国の使節団または人攫いと認識しており、どちらにしても会話の必要を感じないので迷わず攻撃に出たという次第だった。
「……このっ! 撃ち合いなら負けないわ!」
血の気の多いクロエが愛用の銃型クロスボウを侍女服のエプロンから取り出すのを、セレスティナがそっと押し留めた。彼女の瞳は新しい玩具を見つけた男の子のようにキラキラと輝いており、付き合いの長いクロエは大体の展開が読めて猫耳と尻尾をくてんと垂らす。
「あちらの矢は殺傷能力が無いですからこちらも平和裏に行きましょう。クロエさんは大海蛇の後ろ側に隠れてて下さい」
「……一応聞くけど、ティナはどうするの?」
「私は、もう少し近づいてレアな森林魔術の秘密を解明……こほん、えっと、対話できる距離まで詰めて相互理解を深めてきます」
珍しい魔術を間近で見て技のバリエーションを増やしたいセレスティナに、クロエも慣れたか諦めた様子で溜息をついて肩を竦める。
そして、言うなりセレスティナは雷竜の杖を手元に呼び、早速《飛空》を起動すると、一条の槍のように森に向けて自分自身を“発射”するのだった。




