077話 人に害なす怪魚を退治せよ!(なるべく無傷で)
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迫り来る大海蛇を迎え撃つべく、セレスティナは《飛空》のかかった杖に乗り、少し上空へと浮き上がった。アリアも後ろに座って背中から抱きついている。
濡れた銀髪は絡まないように手早くアップに纏め、杖の先には洗濯物のように白い帽子とアリアの服を引っ掛けて、多少間抜けな光景だが戦闘の邪魔になりそうな要素は全て排除済みだ。
「それにしても、やっぱりあたしの眼に狂いは無かったわね。スケスケ白ワンピ、凄く良いわ。趣深い。でもちっともエロくない」
「もうその話はいいですから……」
海水に濡れた白い服が身体にべっとりと張り付いて、肩甲骨や背骨のラインに加え下着の色柄までも鮮明なまでに浮かび上がらせているセレスティナに、アリアが後ろから勝手なコメントを投げかけた。
それを適当に流すセレスティナの注意は既に海中に向けられている。対処のタイミングを間違うと一口で飲み込まれてしまうので、勝てる自信のある戦いでも油断は大敵なのだ。
やがて、水面下の影が大きくなり、それに伴って向けられる殺気ももはや痛みを感じる程に強く、鋭くなり――
斜め下から、大量の水を巻き上げて巨大な怪魚が襲い掛かる。
大海蛇の名に恥じない縦に長い流線型の体躯はともすれば刺さりそうな程に鋭く、日光を反射してキラキラ輝く鱗とヒレは無機質な美しさを持ち、大きく開いた口の奥は吸い込まれそうなぐらいに黒く暗い。
「きゃっ!?」
予想以上の迫力に思わず女の子っぽい悲鳴を上げるアリア。
だがセレスティナは避けるそぶりを見せずに真正面から受け止める。大海蛇の噛み付き攻撃を下手に避けるとすれ違い様に鋭利なヒレで切断する二段攻撃の餌食になってしまうからだ。
「《防壁》っ!」
大海蛇が鋭い歯の並んだ巨大な顎をまさに閉じようとした瞬間、セレスティナの《防壁》が展開され、がぎん、と硬い音を立てる。
口の中に広がった《防壁》がつっかえ棒のようになり、大海蛇は口を閉じる事も開いて抜け出す事もできず、釣り上げられそうな魚のように暴れ始めた。
身体の大半がまだ海中に浸かったままの大海蛇は巨体の重量と推進力を最大限に発揮してセレスティナを水中に引きずり込もうとするが、彼女の《防壁》と《飛空》は力負けしておらず、むしろ少しずつ大海蛇を空中に引き上げている。
ただ、女子力の低さゆえに今のセレスティナが同時に使用できる魔術の数は二種類が限度であり、この状態で更に攻撃に転ずるには彼女一人だと手数が足りない。
先ほど跳ね上げられた大量の水が土砂降りのように身体を叩く中、彼女は敵から目を逸らさずに背後に呼びかける。
「アリアさん、お願いしますっ!」
「おうよっ!」
事前に打ち合わせていた役割分担の通り、攻撃担当のアリアが大海蛇の側面に回り込むべく杖から飛び降りて、水面にすとんと着地した。セレスティナがたまに使う《防壁》の足場利用とはまた違った方式で、水の魔術を応用して足元の水流を操作することで一時的に床のように固める小技らしい。
ともあれ、暴れ狂う大海蛇の影響で波打って安定性の良くない水面を軽やかに移動したアリアは、真横からその銀色に輝く頭部に向けて渾身の攻撃を放つ。
「行くわよ、秘密兵器――“深淵なる海底の刃の滅殺断頭斬”っ!」
魔眼解放によりアリアの右目が光を放つと、同時に彼女の持つ杖の先の宝石が青く輝き、そこから円盤状の蒼い刃が飛び出した。
極限まで薄く、鋭く研ぎ澄まされた水の刃が、尚も暴れ続ける大海蛇の首筋へと高速回転しながら迫る。
そして、何の手応えも残さず、さながら柔らかく焼き上げたチーズケーキをナイフで切り分けるが如く、綺麗な断面を残して大海蛇の頭と胴体とを、分断した。
一撃の元に倒されて大量の血で海面を染めつつぷかっと浮かんだ魔獣の巨体――というよりはむしろ、それを仕留めたアリアの新技にセレスティナが目を輝かせて歓声を上げる。
「ふおおおっ! お見事です! もしかしてそれが、先日お願いしていた切断魔術ですか!?」
「そうよ。“深淵なる海底の刃の滅殺断頭斬”って言うの。結構苦労したけど天才のあたしにかかればこんなものね」
ふわりと隣に降りてきたセレスティナに、魔力消費の激しい魔眼を普段の状態に戻したアリアが得意げに胸を張る。
「なるほどなるほど。水を薄く圧縮して刃を鋭くするところまでは私も試しましたが、回転させるのは流体独特の挙動で盲点でしたね。水属性に関してはやっぱりアリアさんにお任せして正解でした」
例えて言うなら木を切り倒すのに斧を硬く鋭く加工しようと試行錯誤していたところにチェーンソーを持ち込まれた感覚だ。そんなちょっとした敗北感を覚えつつも素直に賞賛し、アリアの業績を労う。
術の使用時にアリアが構築した魔術回路もきっちり目に焼き付けたので、時間のある時に練習を重ねればセレスティナにも使いこなせるだろう。
ただ、魔術の名称は無難に《水斬》辺りにしておこう、とこっそり心に決めるのであった。
そんな命名の件はさておき、便利な新魔術と貴重な魔獣素材の両方を一度に手に入れたセレスティナは鼻歌交じりにロープを取り出し、大海蛇の屍骸を輸送する準備を始めた。
一撃で首を落としたおかげで、魔道具の材料として有用な鋭いヒレも滑らかに輝く鱗も強靭な骨も完全に近い状態で回収できそうなので、目に見えて上機嫌だ。
「ティナって、まるで工作大好きな男子みたいね。服屋に行った時よりも楽しそうなのは女としてどうかと思うわ」
「……よく言われます」
海中から大海蛇にロープを巻きつけるのを手伝っていたアリアからの手厳しい一言に、慣れた様子で微妙な笑顔を浮かべるセレスティナ。
しかし、ふと、両者の顔が真剣なものに戻る。海中から新たな殺気を感じたのだ。
「まさか……もう一匹!?」
「どうやら、番だったみたいですね。あと一戦、いけますか?」
「当然っ。次もさっきと同じ手順で斬首する?」
魔力の残量もまだ余裕のようで乗り気なアリアに、セレスティナは少し考えて首を小さく横に振った。
「いえ、さっきの深海なる何とかを見せてくれたお礼に、水中で有用な魔術を一つ伝授しましょう」
「本当!? 意外と水の中で使える魔術って少ないからねー。って、“深淵なる海底の刃の滅殺断頭斬”だから!」
アリアの言う通り、実は攻撃用の魔術は水中で使い難い物が多い。
炎属性は論外として、氷や石のような物質系は水の抵抗で威力が大幅に落ちるし、セレスティナが得意の電撃も海の中では拡散して同行者が居た場合に危険に陥る。
《氷雪嵐》で周囲の水ごと凍らせる手はあるが、冷気に耐性のある相手には決定打にならない。
「では、私は攻撃と防御の2枠で手一杯になりますから、万が一水底に引きずり込まれそうになったら引き上げて下さい」
「分かったわ」
「あ、でも、もしもの時は《瞬間転移》で上空に逃げますから無理はしないで下さいね」
「それは見てる方が怖いからやめて……」
軽く方針を打ち合わせてセレスティナは《飛空》の維持を止めて、今度は自らの意思で海中へとダイブする。
服の裾を押さえて捲れ上がらないよう気をつけるが、前だけ防いでも後ろからは丸見えになって趣深い。しかし教えなければ気付かないのでアリアもあえて指摘はしなかった。
風系の魔術で気泡を出して息継ぎしつつ勝手の違う水中で待ち構えていると、水中で目が利くアリアが先に指差した方向から巨大な魚影が急速に近づいてくる。
抵抗の大きい海中とは思えない速さで飛来する2匹目の大海蛇は、1匹目よりも少し巨体で、恐らくは力も強いそうだ。番だとするとこちらが旦那さんだろうか。
立て続けの大物に、セレスティナの目が歓喜に輝きつつ攻撃のタイミングを慎重に見計らう。
そして、怪魚の大口が視界一杯まで広がった時、セレスティナの魔術が発射された。
「――《炸裂音波》っ!」
耳をつんざく、爆発か破裂のような轟音が海中に響き、大海蛇の巨体が内部からまるで巨大なポンプで大量の空気を詰め込まれたかのように大きく膨らむ。
それから慣性で突っ込んで来る体当たりを、直後に張った《防壁》で受け止めた。衝撃は防いだが体重差はどうにもならず急流に運ばれる木の葉のように短くない距離を一緒になって流されたが、既にこの時点で絶息していた大海蛇はやがて力なくぷかりと海面に浮かんだ。
「び、びっくりした~……耳がキーンってなってる……今の何だったの?」
大海蛇が完全に動きを止めたのを確認してようやく水上に顔を出したセレスティナに、達者な泳ぎで追いかけたアリアが唖然とした声で尋ねる。
「音波です。実は音は空中よりも水中の方が伝わり易いですから、指向性を持たせた音波を一気に叩き付けることで体内から破壊しました。これでほぼ無傷の尾頭付きゲットです」
魚類によく見られる頭から尾の先まで真っ直ぐな構造も相まって、無防備な口の中に叩き込んだ破壊音波が内臓に致命的なダメージを与えたということだ。
重ねると強くなる波動の性質上、マルチタスク型で火力の伸び難い女性脳でも複製した魔術回路を同位相で重ねる事で補えるので、セレスティナやアリアと相性も良く便利そうだ。
「へえ、じゃあ周囲を巻き込まずに一方向にだけ撃ち出す原理についてもうちょっと詳しく」
「良いですよ。ではまずは波動の基本特性からご説明しましょうか……」
いつぞやの変換器の時もだったが、新しい魔術や魔道具を語る時のセレスティナの顔はいつも心から楽しそうで、自身も魔術と共に育ってきたアリアとしても女子力が下がるのを自覚しつつ暫く色気の無いガールズトークに花を咲かすのであった。




