075話 そうだ海へ行こう・2(準備編)
▼大陸暦1015年、戦乙女の月24日
結論から言うと、セレスティナが要望を出した大海蛇討伐の話は無事に受け入れられた。
宰相のクリストフは大海蛇が居座る事による国益と駆除される事によるそれとの間で悩んでいたが、安価・迅速に駆除することで自国の勇者の高い実力を喧伝しつつ他国に恩を売る選択肢を選んだという訳だ。
「セレスティナ外交官が無報酬も厭わずに独断で魔獣退治に赴くとしても、法的に止める手段が無いのが現状であるからな。であればこちらで手綱を握っておく方がまだマシだろう」
応接室の立派なソファに深く座ったクリストフが半ば諦めたように息をつく。隣に座るアーサー王子も難しい顔をしているが、国の事情よりも民の安全を気にかけるアンジェリカは明らかに安堵した様子だ。
「但し、形式としてはあくまで“三国共同での勇者リュークへの依頼”として、ティナ殿にはアドバイザーとしての同行者という立場に留めさせて頂く」
「はい。テネブラの目指す今後の国際的な役割としても望むところです」
アーサー王子の言葉を受けて、良い笑顔でびしっと敬礼するセレスティナ。
次なる課題は同行者の選定だ。今回の討伐のメインプレイヤーはセレスティナなので勇者パーティからは誰か一人付き添えば条件を満たすことになるが、こちらはアリアの立候補によりあっさりと決まった。
「海上戦ならあたしの出番よね。それに“聖杯”探索の時はあたしだけ留守番だったから今度はあたしもティナと冒険したいー!」
そう言って横からセレスティナに抱きついて揺さぶるアリアは輝く笑顔で、セレスティナに冒険の醍醐味を説いて聞かせる。
「冒険は良いわよー。突然の大雨で濡れ透けになったり、増水した河を渡って濡れ透けになったり、あとは滝の裏の隠し洞窟を探して濡れ透けになったり」
「……何で水難ばっかりなんですか……?」
そんな女性特有なスキンシップの気安さにリュークが仲間になりたそうな顔でこちらを見るが、正直なところ貧乳同士で抱き合っても別に楽しくないのでセレスティナはやんわりと引き剥がしつつ曖昧な笑顔だけ浮かべて返答の代わりとした。要人の集まる中で真面目な話をしている最中なのでお馬鹿な男子学生のような会話は封印だ。
やがて落ち着いたアリアがソファに座り直して紅茶に口をつけた頃、アーサー王子が話の続きへと戻る。
「さて、話を続けて良いか? 依頼料についてだが、金貨1000枚ぐらいなら出せる用意がある」
「――ぶふぁっ!?」
その数字に庶民出身のアリアが思わずお茶を噴きかけた。
「……兄上。その金額は相場より高いの? 安いの?」
激しくむせ込んでリュークに背中をさすって貰うアリアに先日の自分を重ね合わせて少し遠い目になりつつそう尋ねるフェリシティ姫。それに兄王子は答えて言う。
「あそこまでの大物の討伐依頼は前例が少なすぎて相場などあって無きようなものだからな。だが予算の観点だとティナ殿が前に言った通りで大海蛇征伐は船一隻を使い潰す覚悟が必要だから、先の外交官会議の席でフィリップ外交官の交渉の結果、討伐予算として二国から金貨数千枚規模の拠出を受ける話になっている」
つまりは、船を建造する想定で大規模予算が付いたのだが、セレスティナ参戦の結果船が不要になりそうなのでその分を潤沢に依頼料に使えるという話である。
「それで、きっと受注目当てで最近ルミエルージュ公国のとある造船商会の営業が王都入りしてるのだが……船の破損無く討伐完了したと知らせる事になれば、些か心苦しいな」
「まあ、兄上ったら。わたしとしては縛り首にならずに済むだけ幸運だと思うわ」
悪い笑顔でくつくつと笑いあう兄妹。造船技術が高く商機にも聡い公国らしい振る舞いであるが、彼らに言わせれば情報不足の勇み足といったところだろうか。
「それで、ティナ殿は難しい顔しているな? 報酬が不満だったか?」
「……あ、いえ、むしろ逆でした。王子殿下は割とケ……高い経済観念をお持ちでいらっしゃいますから、依頼料を渋めにご提示なさった場合に不足分を補って頂く要望を準備しておりましたが不発に終わりまして……」
「どうせ聖剣を貸してくれとかそういう類であろう。ティナ殿には現金で済ませるのが最終的に一番安くつくから…………おい待てコラ今ケチって言いかけたか?」
「ところでっ、報酬の分配の件ですがっ」
咄嗟に誤魔化してキリッと真顔になるセレスティナだったが、頬を伝わる一筋の汗が彼女がまだ一人前の交渉人になりきれていないのを如実に表していた。
それはそれとして最終的な報酬は、勿論討伐を完遂して戻ってからの話であるが、アリアが金貨600枚でセレスティナが残る400枚とそして大海蛇の素材と肉という配分に決まった。
ついでに、今後の他国での交渉に備えて、セレスティナの分は帝国金貨と公国金貨で半々の支払いとなったが、それが役に立つのはもう少し先の話である。
▼
その日の午後。
セレスティナとクロエはアリアに連れられて王都の大通りに面する商店街へと来ていた。
ここは中産階級を主要ターゲットとした生産と消費の中心地で、今では十分な地位と財産を得ているものの庶民出身のアリアとしては王侯貴族ご用達の由緒正しい高級店よりもこちらの方が安心するとのことだ。
とは言え、商店街入り口のアーチに掲げられた『人生で起こることは全て商店街の中でも起こる』の宣伝文句は誇張はあれど嘘ではなく、生活雑貨からちょっとした魔剣まで幅広い商品が買い手を求めて各店舗に並べられている。
そこに立ち並ぶ店舗の一つ、婦人用の服飾店で、試着スペースからお針子さんに連れられて出てきたセレスティナをアリアが歓声を上げて迎えていた。
「おおっ、予想以上に可愛いわ! やっぱり連れてきて正解だったね!」
「か、可愛くなんてありませんっ! 何ですかこの服! 薄いし短いし軽いし防御力低すぎませんか!?」
そう抗議するセレスティナの格好は、真っ白いワンピースに同じく白い鍔広の帽子で足元は素足にサンダルと、いわゆる夏のお嬢さん風味だったが、着慣れないノースリーブにミニ丈で肩や太ももを大きく露出しており恥ずかしそうに身を小さくしている。
「そんなことないですよ。お客様はとてもお綺麗ですから。それに雰囲気もまるで湖の精霊様のようで、絵画から飛び出てきた芸術作品みたいです」
「そうね。そんなに露出度の高い服なのに全然エロくならないのは凄い才能だと思うわ」
「その褒め方は嬉しくありませんっ!」
翻訳すると色気皆無ということだが、それを差し引いてもセレスティナの珍しい銀髪や整った顔立ちやすらりとした体形は日々美少女を相手にしているお針子さんにしても溜息を禁じえない程だった。
その銀髪も、トータルコーディネートを一任されたお針子さんの手によってツインテールに結われており、セレスティナの目指す格好良い大人の外交官から凄い勢いできりもみスピンアウトしてしまっている。
期待を超えた出来栄えに、「良い仕事したわ」とばかりにお針子さんに向けて親指を立てるアリアだったが、ふと一つの違和感に気付いた。
「……でも、その格好で黒い下着はいただけないわね。濡れてもないのに薄っすら透けて、ティナらしからぬあざとさだわ」
「――ふえっ!?」
指摘されて慌てて手で前を隠すが、その仕草さえもアリアとお針子さんの目には愛しく映るようでニマニマと生暖かい笑顔を浮かべて見守る。
「濡れたらどんな素敵なことになるか興味深いわ。ところで話は変わるけど今日は暑いし帰りがけに河原にでも寄ってかない?」
「話変わってませんしこの格好のまま帰る気は無いですから」
体形の問題もあるが胸元や腰周りがスカスカでセレスティナとしてはドレスの下に着るスリップ一丁で人前に出るように思えてとても頼りない。
何かの弾みで簡単に中身が見えてしまうと有り難みが薄くなるのを熟知している彼女としては、この格好は明らかにサービス過剰だ。
「残念……まあ、とにかく、予想以上の仕上がりであたしとしては大満足だわ。じゃあ一式買うからいつものように経費で王城にツケといて」
「畏まりました。いつもありがとうございます」
「え? 必要経費で落ちるんですか?」
そのやりとりに思わず疑問を口にするセレスティナ。
「だって、大海蛇狩りに行くならおびき出す用の餌は白ワンピのかあいい子が絶対良いに決まってるじゃない? つまりは依頼に必要な準備よ」
「え。これを着て戦闘に出ろってことですか……?」
釈然としない顔で着ている白ワンピースの胸元を摘んでスカスカと引っ張るセレスティナから、アリアは今度はクロエに向き直る。
「さて、じゃあ次はクロエの番ね。可愛いの選んであげるわよ」
「――うええっ!?」
困惑するセレスティナを高みの見物していたのがいきなり矛先を向けられ、思わず黒い尻尾がピンと上に伸びた。
「あ、あたしは海に出ないから浜辺で屋台でも回りつつ待ってるし、要らないわよ服なんてっ」
「クロエが水が苦手なのは知ってるわ。だからって夏の浜辺でその黒いメイド服じゃあ暑くて倒れちゃうわよ」
「そうですよ。クロエさんもたまにはお洒落してみるのは如何ですか?」
標的を分散させつつ道連れを増やす意図か、セレスティナもアリアに味方する。
「でも……あ、そうだっ。尻尾! あたし尻尾あるし既製服入らないから!」
「ご安心下さい。当店は少し前まで頻繁に獣人奴……えっと、獣人の従者をお連れした方にご利用頂いておりまして、サイズ合わせと同時に尻尾穴を追加するサービスも完備いたしております」
「うにゃー……」
お針子さんまで加わってこれで3対1だ。遂に観念したクロエは先程セレスティナが連行されて行った試着スペースへと引きずられて行くのだった。
暫くしてクロエの着せ替えが完了し、周囲の3人はほぅ、と息を呑む。
「あ……あんまりジロジロ見ないでよ」
白い半袖のブラウスに赤いチェックのミニスカート姿は健康的な褐色の肌と相まって活発な女学生のようで、これまでの侍女服姿とは大きく印象が変わる。
「凄く可愛いです。やっぱり女の人は衣装で化けますね」
隙を見てちゃっかりと元のドレスに着替えたセレスティナがしみじみと頷いた。頭の両サイドから流れ落ちるツインテールは解き忘れてそのままだったが、面白いので誰も指摘していない。
「あとは、そのスパッツが元気系って感じでポイント高いわよね」
「だ、だから見るなって言ってんのにっ!」
職務上激しい動きが想定されるのでこれだけは、と死守したスパッツの端がミニスカートの裾から僅かに見えているのはセレスティナのアイディアだ。
曰く、「見えたと思ったらスパッツだったってオチは期待させて手酷く裏切る不誠実な暴挙ですので、フェアに行くなら最初から少し見せておくべきだと思います」とのことで、相変わらずおっさん寄りの感性が残念さを際立たせる。
「そう言えば、キュロットも男受けは良くないんですよねえ。可愛くて実用的なのに」
「あたしみたいな探索者には必須なんだけどね。やっぱりリュークもスカートの方が喜ぶのかな?」
お針子さんとアリアがしみじみと語り出すところに、理系特有の謎理論を口走るセレスティナ。
「キュロットは量子力学的な観点ではバレなければスカートと同じですが、その分擬態が解けた時のショックも大きいですからね……」
「いや何言ってるか解んないからそれ」
アリアのもっともな突っ込みがセレスティナの額にぺちんと炸裂する。
そのような無駄話を交えつつも、この商店街でアリア達は夏用の服や日焼け止めやビーチパラソル等を買い込んで、海辺の町へと向かう準備を整えるのだった。




