073話 イストヨーク協定(調印文書に署名するだけの簡単なお仕事)
▼大陸暦1015年、真秤の月9日、“イストヨーク協定”締結
二国間会談とそれに続く外交官会議での他国担当者との顔合わせから約一月が経過した。
あれから連日のように王都に飛んだり魔国首都に飛んだり海に飛んだり森に飛んだりと極めて忙しい日々を送っていたセレスティナであるが、その甲斐あって驚くべき速度で今後の両国間の関係を決定付ける文書が起草され、修正を入れられ、研ぎ澄まされていくことになる。
もっともそのせいで母国の盛大な建国祭に参加できず、セレスティナ本人も彼女の帰りを待つ家族や友人も少し寂しい思いをしたが、国の将来を考えるとまあ必要なコストである。
そのような尊い犠牲を一部出しながらも、遂に今日この日、場所は以前に勇者リューク達と共闘して二国間の平和を妨害する犯罪組織に大打撃を与えたイストヨークの街で、未来の歴史教科書に“イストヨーク協定”と記されることになる一連の外交文書の調印式が執り行われた。
場所は元G&C商会の館を接収した建物を使っており、現在は王宮の国務省が買い上げて今後のテネブラとの外交の拠点となる事務所兼式典会場として使われることになった次第だ。
「――以上の協定書の内容に同意し、魔国テネブラとアルビオン王国の二国間の友好と繁栄に向けてより一層尽力します。テネブラ外務省筆頭外交官、セレスティナ・イグニス」
「同じく。アルビオン国務省外交官、フィリップ・カルバートン」
緊張した面持ちでセレスティナが署名する一連の協定の内容は主に二部構成で、一つはテネブラとアルビオン両国の主権と尊厳を再確認して国交を回復すること。二つ目は国交回復に伴い人と物の移動を一定のルールに基づいて開始すること。要は貿易の再開と不当に拘束された国民の帰還である。
その後、アルビオン王国の外交官であり子爵位を持つ糸目の青年フィリップがセレスティナに比べるとのほほんとした様子でサインし、最後に立会人であるエルフの女性ラピストーカが羽ペンを走らせた。
立会人と言ってもただの演出で法的根拠は何も無い立場であるが、女神か天使を思わせる真っ白い布を巻いたようなドレスを身に着けた彼女の姿は幻想的で、エルフ族という特殊な出自も相まって人間と魔族の橋渡しを演じるには最適という意図での人選なのであろう。
「これを持って本日、大陸暦1015年真秤の月9日から、これら一連の文書の効力が発揮されて両国の友好の歴史は新たなる一歩を踏み出すことになるでしょう」
「なるでしょー!」
吹っ切れが足りない棒読みの早口でラピストーカがそう宣言し、お揃いのドレスで着飾った娘のポーチカも後に続く。その微笑ましい声を聞きつつ、セレスティナとフィリップは固く握手をし、集まった観衆から盛大な拍手が響き渡った。
「ところで、フィリップ外交官殿。この度無事に国交と国民帰国の道が開けたことで、以前に宰相閣下と個人的な契約として結んでいました件が終了しますので、お預かりしていた国宝についてもここで返還いたしたいと思います」
「セレスティナ外交官の誠実な対応に、王国を代表して感謝を申し上げます。僕個人的にもそれらを無事に持ち帰れば今後の出世の材料になりますから有り難いですね」
見かけによらず意外と野心家な一面を見せ、セレスティナが差し出した美術品や宝飾品を受け取るフィリップ。これらは以前に王都で犯罪組織『金鹿の尖角』のアジトからクロエが奪還してきた品々で、国家間交渉が前進する以前の貴重な取引材料だった物だ。
そして調印式終了後、早速第1回目の貿易へと移ることになる。
テネブラからは新型万能薬“聖杯”30本を売却し、アルビオンからはイストヨークやその周辺の町で愛玩用に捕らわれていた魔族女性達18人を受け渡した。
獣人特有の動物を模した耳を落ち着かない様子で小刻みに動かしている彼女達は、この日はこの街の宿で一泊し、明日以降軍務省と外務省のスタッフに護衛されてテネブラへと帰国することになる。
「“聖杯”につきましては、効き目が強すぎて一体どこまで癒せるのか、国内でもまだ検証しきれていない状況です。なので暫くは、もし効果が見られなかった場合に病状その他を所定の書式でレポート頂ければ使用後でも返品・交換に応じます」
「それは太っ腹……と言いたいところですが実使用の情報は貴国にも益があるということですよね。宜しいでしょう、こちらも存分に利用させて頂きます」
高価な薬ゆえ、効かなかった時のフォロー体制も万全だ。これもセレスティナの発案だが貴重なデータはある意味目先の現金よりも大きいのでマーリンを始めとした現場からも理解が得られていた。
また、金貨にして1000枚以上にも達する“聖杯”の売却益は、基本は軍務省の懐に入るが、アルビオンの貨幣をテネブラで使うには難しい問題がある為にここイストヨークで一定の額が消費されることになる。
主に帰国する獣人達への“お見舞い品”名目で衣服や装飾品やお土産用のお茶やお菓子やお酒だ。特に嗜好品の類は国力が豊かなアルビオン王国の方が充実しており、帰国者達も始めは戸惑っていたものの途中から女子特有の買い物時における狩猟本能に火が着いたようで黄色い声を響かせ盛り上がっていたのが印象深い。
街の経済の活性化にも繋がるので領主のリチャード辺境伯としても喜ばしい話なのは間違いなく、それ故の根回しもあったのか予想されたトラブルも起きずに帰国者達は久しぶりに平和で楽しい一時を過ごすのだった。
「…………女の人の買い物って……疲れますね……」
「……ティナもたまには自分の性別ぐらい思い出しなさいよ」
そんな中、外務省の代表として午後から夕食時までお店巡りに付き合わされたセレスティナは、戦闘時以上に疲労困憊して宿の部屋に戻ったらしい……。
▼大陸暦1015年、真秤の月10日
翌日。
帰国者達が国境付近で待機していた軍務省の都市警備隊と合流し魔国首都に向けて出発したのを見届けた後、セレスティナ達は外務省へと《飛空》で戻り、省長に報告を行っていた。
「――という訳で、あとはヴィレスさん率いる第8警備隊の方々が1週間後ぐらいにこちらまで送り届けて下さる手筈です」
「そう。ヴィレス嬢の部隊なら女性比率も高いし安心かしら」
ちなみにヴィレス嬢とは鬼人族の盟主コルヌス侯爵の従姉妹にあたる女性のことだ。巨大な戦斧を軽々と振り回す、見た目も戦いっぷりも漢らしい女傑であるが、コルヌス侯爵に似て寡黙ながら面倒見の良いタイプで都市警備隊の中でも姉御と慕われている。
女子ばかりからなる帰国者の先導兼護衛としては最適な人選で、彼女が居るからこそセレスティナもこうやって一足先に報告に帰って来れたと言える。
「今後は移動が困難な冬場を除いて1、2ヶ月に1回ぐらいの頻度で、昨日と同様に貿易と帰国者の返還が行われる事になりますので、私が不在の時でも業務が回るようにサブの担当者を準備しておいて欲しいのですが……」
「そうね。何人か候補を見繕っとくわ。聞いた感じ、買い物ツアーみたいな役得もあることだし、行きたがる子は多いと思うから」
隣でジレーネがはーいと元気良く手を挙げて売り込んでくるのを黙殺しつつ、わざとらしいアンニュイ顔でサツキ省長が返した。今ではむしろサツキ省長以上にジレーネが居ないと外務省の業務が滞るからだ。
「さて、それはそれとして」
こほんと咳払いするサツキ省長。セレスティナが持ち帰った協定書を額縁のような保管用ケースに収め大事に執務机に仕舞ってから、彼女に優しい眼差しを送る。
「ご苦労様。ありきたりだけど、本当によく頑張ったわね」
「あ、いえっ、私の力だけではなくて、魔国でも王国でも色んな人たちに助けられましたから」
恐縮しつつ返事を返すセレスティナであるが、その言葉は謙遜ではなく本心だ。これまでの巡り合わせ一つ一つが彼女の糧となり力となりそして経験値となっており、もし一人きりならここまでの成果は到底無理だっただろうという自覚がある。
「否定はしないけど、それを差し引いてもティナの不断の努力があってこそなのは間違いないんだし、そうだ、ご褒美にまた尻尾でモフモフしてあげようか?」
「おおおっ! ティナの乱れ姿を拝めるチャンス!?」
「いやいやいやいや、そういうのは私なんかには過分の褒賞ですから辞退します……って、なんでジレーネさんまで期待顔してるんですか!?」
「そう? ……それじゃあこっちはどうかしら?」
獲物を探す触手のようにわさわさと動き始めた立派な九尾から思わず距離を取るセレスティナ。その様子に何故かふふりと満足げな笑みを浮かべたサツキ省長は、どこからか取り出した重そうな皮袋を執務机に置いた。中身は硬貨が詰まっているらしく、じゃらりと金属音が響く。
現金ですか? とストレートに尋ねるセレスティナに、笑みを深めるサツキ省長。
「そうよお。今回の功績で議会から特別報奨金が出たの。あたしとしてはこれで外務省職員みんなで飲みにでも行きたいところだけど、やっぱり一番の功績はティナだから欲しい物があれば好きに使って良いわよ~?」
相当な大金に思わず歓声を上げるジレーネを横目に、セレスティナは難しい顔をする。お金には困ってないがあまり酒好きでもないので飲み会にもそこまで惹かれないのも正直なところだ。
「ティナの大好きなえっちぃお姉さんがいっぱい居るお店に行こうと思ってるんだけど」
「飲み会に使いましょう!」
「清々しくて良いわ。そうと決まれば……ジレーネ秘書官」
あっさり陥落したのを見て、サツキ省長が凛とした張りのある声で歌鳥族のメッセンジャーに指令を与える。
「これから各部署に伝達。本日は仕事を早めに切り上げて夕刻の鐘と同時にここを出てみんなで飲みに行くわよ。勿論お金の心配は要らないわ。それで通達後は繁華街に飛んでお店を予約してきて。かあいい男の子がお酌してくれる所が良いわあ」
「了解しました! 直ちに!」
美しいソプラノで元気良く返事をして、すぐさまジレーネは文字通り飛ぶように部屋から出て行く。その直後セレスティナの抗議の声が上がった。
「え? 男の子ってどういうことですか? 約束が違いませんか?」
「ふふん、ティナは分かってないわね。外務省は女所帯、すなわち外務省職員の行く所が必然的にえっちぃお姉さんの居るお店なのよ」
「そんなのアリですかっ!?」
尚も食い下がるセレスティナに、サツキは「それにね」と言葉を続ける。
「ティナっていつも慌しくて、たまにこっちに帰って来ても全然ゆっくりして行かないじゃない? だからみんな、一度ティナと飲みに行きたがってたのよ。そんな中で店員に目移りしたりしたら失礼じゃない?」
「うっ……」
痛い所を突かれて黙り込む。その隙にサツキ省長は手作りと思われる『今日の主役』と書かれたタスキとお姫様みたいな可愛らしい冠をセレスティナに被せた。
「え、ちょっ、こういうのは恥ずかしいです……」
「ま、これも仕事の内と思って。なんだかんだでみんなティナの事が気になってるから、可愛がりたーいとか遊びたーいとか弄びたーいとかの要望もよくあたしの所に上がってくるのよねえ」
「一部聞き捨てならない単語がありましたけど!? それって勿論相互主義の観点に基づいて私の方からも同じように素敵なあれこれを返す許可が降りるんですよねっ?」
「そんな小難しい理屈が酔っ払いに通用すると思って?」
「さ、詐欺ですーーっ!」
ジレーネが余程急いで回っているからか、館内のあちこちで立て続けに歓喜の叫びが聞こえる中、一人哀れっぽい声を出すセレスティナ。
「まぁ、ティナが総受けなのはもはや宿命みたいなものだから諦めなさいな」
そう言ってサツキ省長が、横から今日の主役の肩に手を伸ばして強引に抱き寄せた。身長差によりセレスティナの頬が彼女のたわわな横乳に密着し、思わず顔が赤くなる。
「――ふおおっ」
「くすっ、本当にティナは反応が素直でポンコツ可愛いわあ」
「い、異議を申し立てますっ。私はデキる大人の外交官ですからポンコツでも可愛くもありませんーっ」
説得力の無い主張を繰り出しつつ、サツキ省長に引きずられるようにしてそのまま外に連れ出される。窓から見える夏の終わりの空はこの上なく青く高く、眩しい陽光はまるで祝福の光のようだ。
眼前には、手付かずの未来が遥か先まで広がっている。まだまだ道半ばで障害は高く重いが、挑戦する価値は十分にある。不安よりも期待の勝った表情で、セレスティナは強く一歩を踏み出した。
第5章 魔物の国の転換点 ―終―
最終回っぽい締めですが、一応「第一部 完」の位置づけです。
もうちょっとだけ続くのじゃよー(亀仙流)




