072話 外交官会議の後に・2(魔族だけど何か問題とかある?)
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やがて会場を覆うざわめきが鎮まってきた頃、アーサー王子の落ち着いた声が再び響く。
「皆も分かっているとは思うが、我が国が責任を持って迎えた客人だ。無駄に刺激することは控えて欲しい。……すまぬな、話の腰を折ってしまって。では続けるがよい」
「勿体無いお言葉にございます。……さて、本題ですが、神聖シュバルツシルト帝国及びルミエルージュ公国からお越しの代表者の方々に、こちらの書簡と我が国の新しい特産品である新型万能薬“聖杯”とを本国にお持ち帰りして頂ければと存じます」
そう言ってセレスティナは封蝋の押された手紙と精緻なガラス細工の小瓶とを取り出すが、直接渡そうとすると相手方が後ずさる為、助けを求めるように周囲を見回す。
彼女の視線を受けて、勇者パーティからアンジェリカとアリアが進み出て、銀のお盆に載せてそれらをデーゲンハルトとジャンヌの手元に届けた。実は事前打ち合わせの通りであるがそれを感じさせるようなわざとらしさの無い自然な所作だ。
ちなみに書簡の内容は、主に国家間交渉の提案や拉致国民の返還要求、そしてテネブラの外交官バッジを身に着けた者――つまりセレスティナが以降は外交官権限を当然持つものとして振る舞うことを通告する書類からなる。後者は通告であり相手方の許可を求めていないのがポイントだ。
だが両国の外交官は、そのようなありきたりな書類よりも同時に渡した“聖杯”の方に興味が向いているようだった。
「“聖杯”って、もしかしてフェリシティ姫殿下の毒をお癒しになられた、あの?」
「その件につきましては他国事情ですので私の口からは言えませんが……バジリスクの毒程度なら跡形も無く快癒した実績はございます」
いち早く仕事用の顔つきに戻ったジャンヌの質問に、セレスティナが慎重な答えを返す。そこへ割り込んできたのは不快感を露にしたデーゲンハルトだった。
「“聖杯”だと? 魔物風情が作った物に聖の名を冠するのは我が神聖帝国や精霊神への冒涜ではないかね?」
そのあんまりな言い分にセレスティナより先に、名称考案者であるアリアの柳眉が跳ね上がったがそれはさておき。
セレスティナは落ち着いた態度を崩さずに反論する。
「それには異議を申し立てます。魔族だから無条件に邪悪だという論調は、先の“人魔大戦”時に流布された悪質な政治的宣伝でしかなく、事実とは異なります」
500年以上昔に起きたという、魔族の中ではリアルタイムで覚えている者が居るが人間の時間感覚だと歴史教科書の中だけの出来事に言及しつつ彼女は言葉を続ける。思えば、人間の国々で世代交代が急速に進む中このように急速に最初はただの方便だった言葉が真実へと摩り替わり認識が歪んでいったことが関係悪化の大きな一因になってはいないだろうか。
「……にも関わらず未だに我々魔族は存在そのものが精霊神に疎まれなきゃならない人類の敵みたいな扱いなのでしょうか。この点、神官殿のご見解は如何ですか?」
「その問題につきましては、神殿でもまだ最終的な解答は出せていない状態ですわ。魔族の大使殿の仰られた点に加えて、魔族と人間族との間で子供が生まれたという事例も各国で複数件確認できておりまして。これは生物学的にも魔族と私たち人間族との間に種として大きな隔たりが無いことを意味しているだけでなく、元は一つの人類から分岐したという仮説も提唱されておりますの。ですのでまだ追加の情報を集めている段階ではありますが、魔族であっても愛の精霊神リャナン・シーの庇護下に含まれる可能性も十分ございますわ」
神殿を代表したアンジェリカの回答にセレスティナが満足したように一つ頷くと、デーゲンハルトへと向き直る。
「だ、そうです。神殿の威光を政治利用する方がむしろ冒涜的ではないですか? それとも、魔族が作った薬を使うのが嫌だと仰るのでしたら受け取り拒否をなさいますか? 折角の万能薬をみすみす手放したのを上に知られた時にどんな処分が下るか責任は持ちませんけれど」
「ふん! 生意気に揺さぶりを掛けてるつもりか!」
セレスティナに不機嫌そうな一瞥を向け、デーゲンハルトはひったくるように親書と薬瓶を懐に収めると続いて近くに居た糸目の青年へと絡みだす。
「そもそもフィリップ外交官、今貴国にこのような者が来ているなどと一言も報告を受けていないのだが? 何故外交官会議の席で報告しなかった!?」
「いやぁ、聞かれませんでしたからねぇ」
フィリップ外交官と呼ばれた男性がのほほんとした答えを返すとデーゲンハルトの額に青筋が浮かんだ。一見すると地味な青年だがデーゲンハルトの迫力ある顔と声を間近にしても怯んだ様子を少しも見せず、大国の外交官だけあってやはり一筋縄ではいかない人物のようだ。
「えっと、それでは、今お渡しした書簡に対するご回答につきましては後日改めてお伺いに上がることにします。引き続きご歓談を楽しまれて下さい」
そう言い残すと、今日のところはしがない使い走りでしかないセレスティナは、これでお仕事終了とばかりに一礼して退出して行った。
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「フォローありがとうございました。お陰で思ったよりも順調に任務完遂できました」
少し後、“風乙女の憩い館”の裏口を出た所にて。満天の星空の下、お土産に詰めて貰った高級料理の包みを抱えながらセレスティナが後から合流した勇者リューク達3人にぺこりとお辞儀をした。
「いや、美少女を助けるのは俺の使命だから別に構わないが……それにしても、折角の夜会なのにイブニングドレスじゃなかったんだな」
袖や裾がふわりと広がった慎ましい黒のドレスにリュークが残念そうな視線を向けるのに対し、苦笑いを浮かべるセレスティナ。
「ああいった露出が大きくて身体の線もくっきり出したドレスって、色仕掛けしてるみたいでフェアじゃない気がするんですよ。たまたま女の人に生まれたってだけで女を武器にするのは、中身で勝負するのを諦めてるみたいで……」
彼女の貧相な体形ではそもそも絶望的に似合わない点はひとまず置いて、持論を展開する。彼女の感覚では性別や容姿は交渉のカードにすべきではないいわゆる聖域になっており、未だに持て余している部分もあるのかも知れない。
「それに、あの手のドレスは背中が大きく出てて苦手なんです。これ見よがしにわざわざ晒す意味がわかりません。最初の面のチュートリアル相当の中ボスでも弱点はもう少し気の利いた防御をしてますよ」
「うん。言ってる内容はさっぱりだけどティナが女子として残念なのは再確認したわ」
アリアの謎の上から目線にセレスティナは「ぐぬぬぬ……」と呻るが、このまま続けても逆転の目は見えなさそうなので潔く話題を変えることにした。
「……そう言えば、仕込みの弓兵の方にもお見事でしたとお伝え下さい。タイミングも狙いもドンピシャで、お陰で会場の沈静化が早く済んで助かりました」
「あぁ。あれは見ててびっくりしただろうなあ。矢を素手で止めるとか、俺もできなくはないけどわざわざリスク抱えてまでやりたいとは思わないからな」
勿論、セレスティナの細腕だけで飛来する矢を止めるのは無理なので仕掛けがしてあった。目の前に極限まで範囲と効果時間を絞った《防壁》を張って先に矢を止めてから悠々と掴む事で誤魔化したのだ。最小限の規模で魔術回路を展開したので、あの場でそれに気付いたのはアリアぐらいのものだろう。
とは言え飛来する矢を見切って防いだのは彼女の自前の動体視力の賜物であり、事前の打ち合わせがあったとしても割と難易度の高い技なのは変わらない。
「まあ、ティナはあたしと同じで邪皇眼持ちだからあの程度の攻撃は見切って貰わないとね」
「わ、私のはただの魔眼ですっ!」
アリアの一族への編入を断固拒否するセレスティナ。実際はアリアの右目もただの魔眼であるが突っ込むだけ無駄なので誰もあえて指摘しなかった。
「それで、あの場には魔術の使い手も多かったでしょうから、できるだけ周囲に被害の出ない形で攻撃が無意味なことを見せたかったんですよ。派手な魔術なんかを使われると折角の料理が駄目になってクロエさんに折檻されてしまいますし……」
「折檻されるのか? もしかしてエロい奴か!?」
「水責めは!? 水責めはあるの!?」
「そこに食いつくんですの!?」
豪勢な夕食の包みを大事そうに抱えつつしみじみと語るセレスティナにリュークとアリアが詰め寄り、アンジェリカに引き剥がされる。思えばこういうやりとりも最近は日常の一部分のようになっているのに気付き、つい笑みがこぼれた。
「そんな訳ですので、その弓兵の方には後日改めてお礼をしたくて、各国大使のお見送りが終わった頃にまた顔を出させて下さい」
「そういうとこ、律儀だよなぁ」
「外交官の信用は国の信用に直結しますから」
後日、セレスティナがお礼にと持たせた“聖杯”(業務用)の効果で警備の弓兵の田舎の母親を長年苦しめていた関節痛が奇跡的に完治し、それ以降近所の悪ガキ達から“快足説教ババア”と恐れられる逸話が生まれたらしいが、それはまた別の物語である。




