070話 ターニングポイント(章タイトル回収)
▼大陸暦1015年、戦乙女の月11日、二国間会談翌日
一夜開けて翌朝。湖畔の街シルフィレークの正門から少し離れた場所で、セレスティナ達5人は二日ぶりに集まっていた。草原の上に絨毯を広げ、帰還準備を進めているところだ。
「本当にお疲れ様でした。後の歴史家はきっと、今回の会談が歴史の転換点だったと評価するに違いありませんっ」
まるで年頃の乙女のような花の咲く笑顔で、セレスティナがサツキ省長達3人をねぎらう。
難しい交渉が纏まった勢いで昨晩は酒が進んだらしく、デアボルス公爵とヴァンガードがやや辛そうにしている中、酒豪のサツキ省長だけはけろりとした様子で応えた。
「それは大袈裟じゃないかしら。結局細かい話は保留になって昨日のうちに調印とかはできなかったんだし」
「いえ、それでも世界平和に向けた大きな一歩なのは確実ですから、歴史の教科書に残るレベルですよ。それで……残る懸案点と言いますのは?」
早速仕事モードの顔つきになったセレスティナに、指折り数えるサツキ省長。
「んーと、王国からの要求で結論が保留になってるのが、まずは拉致被害者の帰還人数に目標値とか決めない事」
「あぁ、こちらの手元に行方不明者リストはあったとしてもその中で何人がアルビオンに捕らわれて存命かとか正確な数字を割り出すのが不可能ですからね……目標値を設定するとなるとこちらの想定とあちらの想定と実際の数字との間で迷走する気がします」
問題点を少し考えてセレスティナが言葉を続ける。
「じゃあ人数を指定しない代わりに期限も決めさせないのはどうでしょう。未帰還者が残ってるうちに収束宣言出されると困りますから、とりあえず何年か続けてみてから着地点を探る感じで」
「なるほどねぇ。他には待遇が良くて帰国を望まない子なんかの扱いとか……」
「んー、無理やり言わされてる可能性を考えると一度は帰したいところですよね。ご家族も心配してるでしょうし」
「それと、最恵国待遇って奴を要求してきたわ」
「抜け目無いですね……そこは本国に戻ってから議題に上げましょう。個人的にはどの国とも同じ条件で対等に接したいと思ってますので別に良いとは思いますが……」
明らかな重要案件に次々と対応していく二人を見て、事務屋のデアボルス公爵が温かな笑みを浮かべると同時に、ヴァンガードとクロエの武官組は思わず目を丸くした。
「凄いな……ティナはもうすっかり一人前の外務省職員なんだな」
「小さい頃から、あたしなんか及びもつかないぐらい頭良かったからね。なのになんで普段はあんなに……」
二人が発した感嘆の言葉に「いやいやいや」と小さく首を振るセレスティナ。実際、彼女が目指す敏腕巨乳外交官への道のりはまだまだ遠い。
「あと魔国からのカウンター要求としては、ティナが言ってた探索者相当の資格の標準化に、それからこの街で別そ……ええと、領事館とか用意して欲しいってお願いしてきたわ」
「万が一、王国側が魔獣の資源的価値だけに目が眩むと魔獣狩猟権を利権化して魔獣退治するのに何故か税金取られることになりかねませんから、そうなるより早く権益に食い込みたいところですね。別荘の方は……まあ、通ると良いですねとしか……」
現在進行形で魔獣被害に悩まされている層にはとてもお聞かせできないコメントを発しつつ、やがて出発準備が完了してセレスティナが移動用の絨毯の前方にお行儀悪く胡坐で座り込んだ。広げたドレスの裾で隠れて気付かれないと本人は思っているところが微笑ましい。
「さて、話の続きは移動中ゆっくりとするとして、出発しましょうか」
「うむ……できればそっと離陸してくれるとありがたいな」
文字通り青い顔を二日酔いで更に青くしたデアボルス公爵の言葉にセレスティナが「承知しました」と敬礼で応え、絨毯に編みこんだ《飛空》の魔術を起動した。
魔力という名の動力を得た絨毯がコップの水も零さない程の安定性を発揮しながらふわりと浮かび、静かに上昇していく。
「そう言えば、ヴァンの方はどうだった? リューク達と会ってきたのよね? どう? 勝てそう?」
やがて絨毯が巡航速度に達し姿勢も気持ちも落ち着いた頃を見計らって、クロエがヴァンガードに問いかけた。
最初に強さから聞くところがクロエらしいが、彼女なりに正統派な実力では同期最強のヴァンガードの事を誇りに思う部分もありその彼の強さが他国にどれ程通用するか気になっているのだろう。
「あぁ……対峙して分かったが、自然体で飄々としてるのに身のこなしには全く隙が無かった。俺とは比べ物にならないぐらい場慣れしてやがる……」
「……そんなになの?」
予想以上に深刻なコメントにクロエの顔も険しさを増す。二国間会談の時にお互い護衛として随伴していたが、終始気を張っていたヴァンガードに比べてリュークの側には余裕が感じられた。
その差を実感して力不足を嘆くヴァンガードだったが、そこにセレスティナがフォローを入れる。
「大丈夫です。ヴァンガードさんは今年卒業して16歳になったばかりですからこの業界ではヒヨッ子同然ですし、まだまだ伸びますよ」
「言ってる事は正しいがまだ15歳のセレスティナ君がそれを言うのはどうなんだろうね……」
なんだか遠い目をするデアボルス公爵に、乾いた笑いを返すセレスティナ。
そこに今度はサツキ女伯が口を挟んできた。
「でも空中戦だったら竜人族の天下だから勝てるんじゃないかしら? 地形効果って奴で。ほら、ティナが通常の戦闘には強くてもベッドの上だと大幅に弱体化するのと一緒」
「――ぶふぉおッ!?」
いきなりの暴露にヴァンガードは、酔い覚ましに飲んでいた水を噴き出す。飛沫がかかりそうになりクロエが顔をしかめながら絨毯を拭く為のハンドタオルを取り出した。
「うわ、汚いわね」
「げっほ! げほっ! さ……サツキ女伯、それはセクハラに当たるのではないのか?」
「何を仰いますやら。ティナってああ見えて意地っ張りと言うか漢らしいと言うか、か弱い女の子扱いされることを望んでない節があるのよね。つまりあたしはティナを女子とみなしてないからセクハラには該当しないわ」
澄まし顔で酷い事をのたまうサツキ女伯。言うなればハムスターやリスなんかと同じで雌雄に関係なく愛でる用の小動物枠だ。
とは言え現代日本基準でのパワハラに該当しそうだが、分かりやすい強さを基準としたテネブラの縦社会ではそれを問題視する風潮はまだ無いし、仮にあったとしても理不尽な鉄拳制裁がデフォルトの軍部からどうこう言われる筋合いはないだろう。
「それにね……セクハラしたくてもティナって胸が無いから揉みようが無いし」
「そこがいいんじゃ……ってそうじゃなくてだな! 話を戻すと、戦って最強を証明するには小細工無しで正々堂々の真っ向勝負であるべきだろう」
「男の子よねえ」
ヴァンガードのあまりに真っ直ぐな回答に呆れたようにサツキ女伯が肩をすくめる。裏腹にセレスティナの中にある男子の魂は彼の言い分に共感を覚えていた。
「分かります。河原で正面から殴り合ってその後友情を深める展開ですね。私も憧れてはいるのですがなかなか機会が無くて……」
「……いや、ティナは殴り合いしたら駄目だろう……」
ヴァンガードの尤もな指摘にしょぼーんと肩を落とす。腕力・耐久力共に彼女の大きな弱点であるのは勿論、それ以上に物理戦闘で顔に傷がつくのを家族や友人が許さないオーラをびしびしと感じ、改めて女子の不便さを思い直すのだった。
▼その日の午後
午後、会談出席者の面々を魔国首都に送り届けたその足で、セレスティナはクロエを伴って軍務省の資材管理部門へと顔を出した。
カウンターを挟んで対応するのは、共通の友人の一人である人魚族のマーリンだ。
「ってことは、会談は上手く纏まったのね~。お疲れ様~」
「はい、おかげ様で。これで何とかアルビオンの方は国交の調印に持っていけそうですから、それを足掛かりに今度は残りの二国にアプローチを仕掛けたくて、先日お願いしていたのに加えて製品版を2本買いたいのですが」
「2本なら大丈夫よ~。じゃあ、ちょっと準備してくるわ~」
そう言い残し、彼女の陸上の主要な移動手段である弱めの飛行魔術がかけられた円盤に乗って奥の調剤エリアにふよふよと消えていく。
暫くして、出て行った時と同様にふよふよと、簡素な木箱を抱えて戻って来た。
「お待たせ~。ご注文の“聖杯”、業務用が50本と製品用が2本ね~」
「業務用“聖杯”って、なんかこう、頭おかしい響きよね……」
クロエが眉間を押さえる隣で、テキパキと代金と引き換えに商品を受け取って鞄に入れるセレスティナ。業務用とは言っても薬品そのものは製品用と同じでパッケージが違うのみだ。業務用は量産した簡素な瓶を使っているのに対し、製品用の方はマーリンを始めとした資材部の精鋭達がその腕を遺憾なく発揮して製作した芸術品のような瓶に詰められている。
他国にかなりの高値で販売する関係上、見た目にもとことん拘っているということだ。
尚、“聖杯”の製作と販売は軍務省が占有しているのが現状だが、セレスティナは製法の発見者報酬も兼ねて実費のみで買い取る事ができる為、これからの活動に備えて今回のような大人買いに至っている。
「確かに受け取りました。ありがとうございます」
数量を確認し終えたセレスティナは礼儀正しくお辞儀をした後、「機密と言う程ではないですが一応秘密でお願いしますね」と一つ前置きをして、今回の追加注文の背景を説明し出した。
「シルフィレークで明後日から二日間、人間族三国の外交官会議が行われます。既に会議のスケジュールなんかもきっちり決まってますので私は残念ながら会議には出席できませんが、二日目夜の立食パーティ時に宰相閣下の計らいで顔合わせをさせて下さることになりまして、北の帝国と南の公国の外交使節の方に今後の国交に向けた親書を渡す予定でいます」
ちなみにその親書は今こうしている間にサツキ省長に書いて貰っている。デアボルス公爵とヴァンガードが療養の為に直帰したのを見て「あたしも帰って寝たい~」と駄々をこねたが、今日だけは心を鬼にしてジレーネに引き渡してきた。
「なるほど~。それで“聖杯”のお試し用に1本ずつ配ってくるのね~」
「その通りです。魔国と付き合えばこんな良い事がありますよとメリットを提示する事で交渉をスムーズに進めたいな、と」
思えば、アルビオン王国ではまず交渉のテーブルに着くまでの道のりが長かった。人脈も名声も何も無いところからのスタートだったので仕方の無いことだが、残る二国でも同じ苦労を繰り返すのは端的に言って時間の無駄である。
顔合わせをセッティングするアルビオン側としても、ここだけの話であり本人には告げていないが、セレスティナが他国と交渉を開始するようになれば自国を襲う非常識なあれこれが軽減されるというメリットがある為、双方の利害が一致した格好だ。
「じゃあ、ティナお嬢様はこれからもう一勝負あるのね~」
「はい。“聖杯”が飛ぶように売れてマーリンさんの給料もアップするよう頑張ります」
「……あ~。量産が軌道に乗るまではあと少しかかりそうだから~、急がず程々でお願い~」
苦笑いで応じるマーリンに「了解しました」と応え、セレスティナ達は軍務省を後にするのだった。




