069話 未来を掴む戦い・2(交渉の基本は相互理解)
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「――とは言ったものの、出来ませんの一点張りだと交渉が前に進まなくなりますから、どこまでなら出来るかとかどんな条件ならできるかとか落とし所を探るのも交渉のうちです」
「その話、まだ続いてたの?」
王都の道具屋へ卸す予定の容量拡大鞄が壁際にずらりと並ぶ中、今日の作業を終えたセレスティナが大きく伸びをしつつクロエに先ほどの雑談の続きを切り出した。
「魔国が今後国際的な役目を担うとしたら、やっぱり魔獣対策の専門家として貢献するのが一番だと思うんですよ。アドバイザーとか狩りのサポートとか……」
「ふーん。まあ、言いたいことは分かるわ」
クロエからの気の無い様子の返事にもめげず、セレスティナは話を展開させていく。
「ですから、私達みたいな現地スタッフが魔獣退治のお手伝いをする体制を作り上げる事で、アルビオン側の魔獣被害を低減しつつ私も貴重な魔獣素材が手に入って両者ハッピーになれるという、明るい未来図が描けるんです」
そこまで聞いて、「うにゃ?」と首を傾げるクロエ。
「それって今までと何か違うの? あとその話、ティナの趣味が入ってない? 自分が素材とか欲しいだけじゃないの?」
「そこが重要なポイントなんですよ」
矢継ぎ早に繰り出される彼女の追及に、セレスティナは我が意を得たりとばかりに薄い胸を張った。
「交渉事の基本は相互理解と相互利益。お互いが必要としている物を把握して、条約を結んだ結果両者ともが前よりも得をするようにしないと、合意の形成なんて出来ませんから」
「口で言うのは簡単だけど、そういうのは面子の問題も絡んでくるのよね。あたしだっていけ好かない奴にご飯とか奢ってもらうのは願い下げだし」
「スケールは違いますが仰るとおりですね……」
苦笑いを浮かべつつもセレスティナが懸念点を挙げていく。戦闘民族揃いの魔国も現覇権国の王国も相手に頭を下げてまで和平を請うような性質の国ではないことは明白だ。
従って、5対5で両者が等しく得をする条件を提示したとして、どちらかの国が欲張って6や7を欲した時、交渉は決裂する危険がある。
「でも幸いなことに今回の会談の出席者は皆さん良識派揃いですから、分は悪くない勝負だと思ってます。あとはもう、信じて待つのみですね」
そう言ってセレスティナは部屋に常備してある季節のフルーツの盛られた籠からひょいと一つ手に取ってお嬢様らしからぬ大口を開け丸齧りする。
勝手に部屋から出られない身分だし夕食や入浴までにはまだまだ時間があるので手持ち無沙汰だが、最近は移動も含めずっと働きずくめだったのでたまにはこのようなゆったりした時間を過ごすのも良いかと思い直すのだった。
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“風乙女の憩い館”の第一会議室、避暑地での涼しい空気の中であるが会談は徐々に熱を帯びてくる。
「まず、各地の魔獣被害についてなのですが――」
サツキ女伯のほっそりした指がファイルをめくり、やがて一枚の報告書の上で動きを止めた。
「あの子からの報告によると、ルミエルージュ公国には魔獣を取り扱う商売まであるそうですわね。つまりはテネブラで密猟した貴重な資源を暗殺の道具にしたり闘技場で見世物にしたり、そういった不届きな者が跋扈しているということです」
「それについては、先日、貴国の第二王女殿下をバジリスクが襲った事件とも関係する話だけれど、そもそもバジリスクは飛べないし足もそんなに速くないんだ。だから魔国から王都まで一世代では到底辿り着けないし何世代もかけて移動するほど集団で纏まる生態系でもなくて、つまりは第三者の関与がないと王都に出現しない類の魔獣と言えるし、そうした案件で責任を追及するべきはテネブラではなくもっと他の国になりそうだね」
サツキ女伯の言葉にデアボルス公爵が補足する。魔獣被害の責任をまんまと他国に押し付ける気満々であった。
「とは言え、公国のやんごとなき家系のご令嬢から聞き出した話ではあるが、今の所証言のみで物証が無いからまだ動きづらいところだね」
「この件に関して今後も調査が必要でしたら、魔国の外交官も協力したいと申してました。見方によってはこちらも被害国ですので一緒に賠償金をふんだくりましょう?」
「成程……確かに我々としても人為的な暗殺計画だとしたらこのまま有耶無耶にできないからな。その時は助力を頂けるだろうか」
そう申し出るクリストフ宰相に、サツキ女伯が満足げに頷く。
「それはもう喜んで。魔国の外交官で良かったら幾らでも扱き使って下さいな。ただ、ちょっと気になるのは……」
面倒な仕事はセレスティナに丸投げし、色っぽい仕草で顎に指を当てると彼女は言葉を続けた。
「あの時狙われたのが、本当に第二王女殿下だったのかという疑問はありますわね。バジリスクは人の区別なんてつきやしませんから」
「ふむ……すると、実際に狙われたのは他の者で、偶然その場にいらっしゃった姫殿下が被害を被られたと……?」
「魔獣売買組織がルミエルージュ公国の中にあるなら、公国の権力争いの一環で今後邪魔になりそうな相手を国外で……という筋書きも、無いとは言い切れませんから」
「成程、な……」
サツキ女伯としては最近仕事中に読んだ推理小説で同様の真相があったので何となく言ってみただけの戯言であったが、王子と宰相の二人が真剣な顔で考え込んだところから意外と思い当たる節がありそうにも見えて、言った本人が一番意外そうな顔をしたりしたが、それはさておく。
差し当たりは、王国側としても公国から来た留学生達の身辺にそれとなく注意を払うということで魔獣売買組織についての話題は一旦閉じることになった。
「それで、魔獣被害については我が国が責められるいわれが無いことは明白ですが、その上で人道的な視点から一つ提案いたしますと、我が国の国民でも貴国の探索者と同等の条件で魔獣退治などの依頼を受けられるようにして頂ければ……というものがございますわ」
彼女の言葉に補足するなら、現状のアルビオン王国の探索者制度は国策であるので、探索者ギルドも国が運営しているしそれに所属する探索者達も登録するのに国籍制限は無いが基本的にはアルビオン王国への従属が求められる。
それ故にセレスティナ達は実は探索者ギルドに登録しておらず、魔獣退治の際は知り合いの探索者と同伴でないと報酬が受け取れないという微妙な立場に居る。
「他国にも同様の“傭兵”や“冒険者”と言った制度があるそうですが、いずれもその国内でしか通用しない肩書きですので、いざ国を離れた時に宝の持ち腐れになるでしょうし……」
ちなみに“傭兵”は神聖シュバルツシルト帝国の独自制度で、皇帝の権力が強いお国柄なので上の命令には逆らえずアルビオン以上に縛りが厳しい。
逆に商家の力が強いルミエルージュ公国の“冒険者”制度はやはり民間主体なので国家権力からは独立しており自由度が高い。
「ですから、それら“探索者”相当の資格を国際標準化して、魔獣退治のような公益性の高い依頼は他国籍の者でも受けられるような制度が確立できれば、魔族の戦力を魔獣退治にお役立て頂けることも可能になります」
「国際標準化か……考えたことはあったがその時は国にとってこれと言ったメリットが感じられず廃案になっているな……」
「今なら、魔国のフットワークの軽い外交官が戦力に加わりますからお得ですわよ? 依頼料も本人が言うには他にメリットがあるらしいから国内どこでも銀貨3枚で請け負うとのことですが……」
「それは、価格破壊が起きて最終的に現地の探索者達が困る事になりかねないから遠慮させて頂く」
サツキ女伯が敷いた経済的な罠をあっさり回避するクリストフ宰相。やはり長年国政の第一線を担ってきた相手なので一筋縄では行かないようだ。尚、金額の根拠は銀貨1枚を日当として行きの移動に1日、討伐に1日、帰りの移動に1日という計算だ。
そういう一幕はあったものの、全体的にサツキ女伯の提案は好感触で、他にも以前に実力不足のパーティが強力な魔獣マンティコアの討伐依頼を受けてしまい危うく全滅しかけた話題を引き合いに出した「実力や依頼遂行能力を客観的にランク分けして依頼の棲み分けを」という案が特に興味を引いていた。発案者は勿論ゲーム脳のセレスティナだ。
ランク制、と聞いてそういったアレコレが好きなアリアが「ほほぅ」と目を光らせたが流石に護衛中に口出しする無作法はせず、話はつつがなく進む。
「――さて、テネブラとしてはこれで出せるカードは全部出しました。あとは王国のご決断待ちになりますが……あたしは腹芸とかそういうのは苦手なのでストレートに行きましょう?」
二重の意味で“外務省の女狐”と呼ばれているサツキ女伯がしゃあしゃあと言い放ち、王国の代表者を促した。
視線がぶつかり合い、会議場の空気が一気に固く澄んだような緊張感を帯びる中、宰相は「少しお待ち頂きたい」と断りを入れて隣のアーサー王子と二、三筆談で言葉を交わす。
誰かが唾を飲み込む音さえも聞こえてきそうな静寂の中、やがて、クリストフ宰相の心なしか硬い声が発せられた。
「宜しいでしょう。二国間の国交を暫定的に回復し、人と物の行き来を少しずつ自由化することに同意しよう」
「賢明なご決断、賞賛に値します。共により良い世界を作り上げるべく励むことにいたしましょう」
歴史的な合意を形成し、サツキ女伯とクリストフ宰相とが握手を交わし、続いてすぐに細かい話へと移っていく。
暫定というのは、まだ互いの国民間に偏見がある中で一気に人の移動を解禁するにはリスクが大きすぎる為、少しずつ段階的に交流を増やしていく意図からのものである。
差し当たっては、二国にとって最もメリットが大きい魔族奴隷の魔国への帰国と“聖杯”のような魔国特産品の王国への販売を主軸に進めつつ国交のメリットを国内に説いていく流れになるだろう。
――かくしてこの日より、国家としてのテネブラが数百年ぶりに歴史の表舞台へと上がることになる。




