007話 上覧試合・2(激戦開始)
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『さあ、いよいよ最終戦。今年のファイナルを飾るのは、フォルティス公爵家、竜人族のヴァンガード・フォルティス。そしてイグニス侯爵家、魔眼族のセレスティナ・イグニス。この二人の対戦よ』
これから対戦する二人を紹介したフォーリウム学長の声に合わせ、闘技場に上がったヴァンガードとセレスティナの二人が一礼する。ヴァンガードは手を胸に当てた騎士の礼、セレスティナはドレスの裾を摘み上げた淑女の礼だ。
それに合わせて観客席から万雷の拍手が鳴り響く。学院の行事なのでコロシアムのような無軌道な野次や声援が飛ぶ事のない、厳粛な場だった。
『実は魔術師の女子がこの上覧試合に望むのは57年ぶり、最終戦に出るのは実に約700年ぶりの2回目だわ。その時の子もイグニス家のご令嬢でゼノスウィル参謀長の妹君だった訳だけど、流石は魔術の名門ってことよね』
セレスティナを純度100%女子と言って良いかどうかは人によって言い分もあるだろうが、いずれにしても魔術師の女子は戦闘で、特に火力面で不利となるので、なかなか戦闘型が育たない。
魔術を扱う器官は脳と密接に関係しており、男女間の脳の特徴の差がそのまま魔術の特性の差に結びつくからだ。
一般に男性脳は集中処理、女性脳は分散処理に強いと言われており、魔術の扱い方で表すと総魔力量が同じ場合は一つ一つの魔術の出力が男性の方が高くなる訳だ。戦闘では特に攻撃魔術の火力と防御魔術の硬度に大きく影響を及ぼす。
反面、同時に複数の仕事を行うのは女性側が得意であり、こちらは魔術の複数展開力に影響する。男性の魔術師には一度に一つしか魔術を展開できない者が多いが、女性魔術師だと《飛空》で飛びながら攻撃魔術を落とすように二つか三つを同時に扱える者が多い。
ちなみにセレスティナの母セレスフィアは、戦闘はからっきしであるが簡単な生活用魔術を5つ同時に操って家事を片付ける神業の持ち主である。
また祖父ゼノスウィルは一度に一つの魔術のみ扱えるが、条件が揃えば軍勢を壊滅させる程の攻撃力やドラゴンのブレスすら寄せ付けない程の防御力を出せる。
セレスティナの場合、脳を含めた身体の構造は完全に女性側のため祖父に比べると単発での魔術の威力は数段劣る。但しこれは比較対象がおかしいだけで同年代の中ではトップのヴァンガードよりも僅かに劣る程度だろう。
また、魔術の展開力についても男性の意識が女性脳を完全に使いこなすにはまだまだ至らず、今のところ同時に2種類展開するのが限界である。
年齢的にもまだまだ発展途上で、今後の伸びしろに期待されるところである。
「さて、どうだ? どちらが勝つか、今晩の酒代を賭けてみるか?」
「普段なら乗るところじゃが、今回は遠慮しておく。わしも内心は竜の小倅に勝って貰いたいと思っておるからの。ただ、わしの弟子であり孫じゃ。そう簡単には負けぬじゃろうよ」
最前列の席で賭けを持ちかける総司令官に、参謀長が苦い声で返した。大陸最強の魔術師が手塩にかけて育てた愛弟子である可愛い孫娘ということで、やはり軍務省に入って自分の跡を継がせたい思いが大きいのも当然のことだ。
それに、相手は身体力・魔力共に最強クラスの竜人族である。20メートル四方に区切られた台上で魔術師が立ち回るにはあまりに不利な相手だ。
「お手柔らかに……と言いたいところですが、かなり本気ですね」
「何年もずっと同じ班でティナを見てきたからな、ティナの実力は誰よりも知ってるつもりだ。油断する気はない」
「勿体無いご評価をありがとうございます。それでも、そのヴァンガードさんの全力を今日は乗り越えさせて頂きます」
20メートル四方の闘技台の中央でセレスティナと向かい合うヴァンガードは覇者のオーラを纏いつつ会話を交わす。動き易くも仕立ての良い騎士のような服装の上に急所をミスリル板で補強した防具を着けた彼には一分の隙も見当たらない。
手には殺傷力の高そうなミスリルと鋼の合金製の槍を持ち、気の弱い者なら向き合っただけで降参してもおかしくない威圧感を受ける。
短杖を握るセレスティナの手にもじっとりと汗が浮かんだ。祖父に連れられて何度も魔獣退治に赴いたことがあるので体躯が大きく力の強い相手と戦うのは慣れているが、不利になっても撤退できない“負けられない戦い”は人生でもまだ2度目だ。
いや違う。負けられない戦いを恐怖に打ち勝って制した貴重な経験が既に1回ある。恐らくは目の前の絶対強者にはその強さゆえに得たことのない経験だろう。そう考えてセレスティナは不安を振り払うように不敵に笑い、杖を構える。
『では……始めっ!』
審判の声が静寂を破り、両者は同時に動き出す。
槍を構え攻撃態勢を取ったヴァンガードとの殴り合いを避けるように、セレスティナがまず大きく後方に跳んだ。銀髪とドレスをふわりと翻して闘技台の端近くに着地する。
「炎よ喰らいつけ! 《火矢》!!」
そのセレスティナの着地点を狙うように、ヴァンガードがまず戦いの号砲を放った。伸ばした左手の先に六芒星の形をした魔術回路が輝き、轟音と共に人の背丈ほどもある大きな炎の槍が発射される。
「《氷槍》!」
対するセレスティナは踊るようなステップで体を捻りつつ氷の魔術で応戦。短杖の先に正方形の魔術回路が灯り鋭い氷の槍を撃ち出し、ヴァンガードの槍を持つ右腕の肩口へと命中させた。
同時に、セレスティナのお腹の横を炎の槍が通過し、背後で炸裂音を響かせる。
『ティナの方が後から動いたのに魔術の着弾は両者同時だったのは、魔術回路の構築に要する時間の差だわね。ヴァンが決して遅い訳じゃなくてティナが早すぎるのよ。よほど使い慣れてるみたい、その証拠にティナの魔術回路は教科書どおりの形じゃなくて最適化されてるから』
魔術回路は回路要素同士の繋がりの関係性が合っていれば形状そのものに意味は無い。教科書には円形や六芒星で表わされるのが通例だが慣れた者は自分で使いやすいようにアレンジする事も多いのだ。
デジタル派のセレスティナの場合、縦線と横線だけで構成された正方形を好んで使っている。
それはともかく、ヴァンガードの右肩に命中させた《氷槍》だが、さしたる傷を与えた様子もなくあえなく粉砕されていた。竜の力による底知れぬ耐久力だけでなく防具の補助もあり、その堅牢さに舌を巻く。
「《石弾》!」
立て続けにセレスティナが短杖を振ると、5発程の石礫が散弾のようにヴァンガードへと飛来する。同じ魔術回路を複製して効果を倍増する、並列処理の応用技である。
「盾よ守れ! 《防壁》!!」
全ては避けきれないと判断し、ヴァンガードは防御の魔術を展開する。魔力で創られた六角形の盾のような力場が彼の眼前に現れ、飛来する《石弾》を受け止めた。
岩に楔を打ち込むような重い衝突音が5度響く。
《防壁》の硬さは魔力に比例し面積に反比例する。彼の高い魔力で展開した防壁は石弾を全て防ぎきったが、流石に無傷で済むことはなくあちこちに亀裂が入っており、恐らくあと1回か2回攻撃を受ければそこで破壊されてしまうだろう。
見るとセレスティナの杖の先には第二陣の《氷槍》が既に数本生まれている。ヴァンガードは《防壁》を張り直す為に一旦ボロボロの防壁を消したが、その瞬間にセレスティナの左手が閃く。
「《雷撃》!」
「ごあっ!?」
光ったと思った瞬間、既に衝撃が体を貫いていた。セレスティナの得意魔術にして独自開発魔術、《雷撃》だ。
この魔術は見てから防御や回避しようとしても間に合わない程の速さを誇り、それを武器に防御魔術を張り直す際の一瞬の隙間を狙い撃ちにしたのだった。
そしてヴァンガードが立て直した時には既に後続の《氷槍》が目前まで迫っていた。《防壁》を張る余裕も無いので横に跳んで回避するが、避け切れなかった2本が腕と足に命中した。
『今のがティナのオリジナルの魔術《雷撃》ね。術式は企業秘密だそうよ。この歳にして教科書に載ってない魔術回路を自力で組む才能は末恐ろしいわ』
「まあ、電気の特性は利点も欠点もよく知ってますから」
言い訳するように解説の声に応えつつ、ダメージを物ともせず立ち上がるヴァンガードの方に視線を戻す。
「それにしても、一向に効いてるように見えないのが悔しいところですね。こちらは《防壁》無しで一撃当てられたらそこで終了なのに。まるでシューティングゲームのボス戦やってる気分ですよ」
「シュー……? 新しい菓子か何かか?」
「いえ、こっちの話です」
「自分の方も、遠距離とはいえここまで一方的にやられるとは思わなかった。やっぱりティナはえげつねえな」
「ひ、人聞き悪いですっ!」
並の魔術師相手であれば遠距離の撃ち合いでも押し勝てる自信はあった。だが魔力よりもむしろ技術的な部分でセレスティナは彼の遥か上に居るようだ。
「悪いが、近接戦で勝たせて貰うぞ」
しかし皮肉にも、彼女の技量の高さがヴァンガードの本気を引き出すこととなる。
「行くぞ! 《防壁》!!」
魔術による防壁を張り、突進するように間合いを詰めて来るヴァンガード。
「《氷槍》!」
それに対し、セレスティナは氷の魔術を連続で撃ち出して対応するが防壁を少しずつ削っていくのみでその向こう側には届かない。
このペースだと《防壁》を砕くより早く捕まってしまう、誰もがそう思った時――
「《雷撃》!」
「ぐおっ!?」
セレスティナの足元から放たれた《雷撃》が石畳を伝い、ヴァンガードを襲った。
『出たわね。ティナのえげつない必殺技の一つ。爪先から床越しに撃つ事で相手が《防壁》を張っていても床との間に少しでも隙間があればそこに潜り込んで着弾する。靴下と靴も魔力伝導率の高い素材で出来てるのでしょうけど何より魔力のコントロールが上手くないと使えない高等技術よ。名づけて“生足雷撃”ってところかしら』
「生違います! あとえげつなくもないです!」
説得力に欠ける反論をしつつも彼女は動きを止めたヴァンガードの横を機敏なステップで回り込み、台上の空いた場所へと逃げる。
便利そうに見える生足雷撃(仮称)だが電気には地面に吸い込まれるという特性がある為、この使い方だと通常時より威力が弱く射程も短い。ヴァンガード相手には僅かな時間稼ぎがせいぜいだろう。
「それでも大抵の相手ならこの一撃で勝負が付くのですけどね……」
ぼやきつつも対戦者の次の出方を伺うセレスティナ。彼の方は先程の反省か、亀裂の入った《防壁》を張り直すこともなく床を蹴ると、今度は翼を広げて滑空して来た。
『気付いたみたいね。地を這う《雷撃》は相手も地に足をつけていないと当たらないから、ティナに接近するには空中からが正解よ』
「っ! 《氷槍》!」
再度氷の魔術で迎撃を試みる。既に耐久力の大半を失っていた《防壁》を粉砕してその勢いでヴァンガード本人にも氷の槍を叩きつけたが、彼は突進の勢いを緩めることなくセレスティナの至近距離へと降り立った。
「被弾覚悟ですか……強引ですね」
「竜の巣に踏み入らねば竜の卵得ること為らず、と言うからな。今がリスクを取る時だ」
「……ここからが本番って訳ですか」
これまで以上のプレッシャーに身を晒され、セレスティナの背を冷たい汗が伝い落ちた。