052話 “鹿狩り”に向けて(隙あらば外交)
▼大陸暦1015年、炎獅子の月6日、午前
丸2日かけて、ギルドの未達成依頼を全部で20件近く片付けたセレスティナ達。
勇者リュークも含めた戦闘力は勿論のこと、セレスティナの突出した移動速度や素材知識が大きく貢献したのもまた事実で、即席パーティとは思えない戦果だった。
依頼料は4人で等分とし、一人につきおよそ金貨50枚ずつぐらいを稼いだ。
これまでの収入に比べると一見大したことのない金額のようにも見えるがこれは一般的な労働者の年収を越えるもので、未だに大金の扱いに慣れていないクロエなどは困惑を隠せずにいる。
それはそれとして、特効薬が完成するまでの間、手持ち無沙汰になった彼らはここイストヨークを含む周辺地域を治めている領主のリチャード辺境伯へと皆で訪れることになった。
「すみません。私の我が侭に付き合って頂いて……」
街の中心部にそびえる領主の豪邸へと赴き、何部屋か並ぶ応接室の一室に案内されたところでセレスティナがアンジェリカに頭を下げる。
対するアンジェリカは聖女の微笑で「いえ、困った時はお互い様ですわ」と返した。
元々、この日に面会を求めて屋敷を訪れたのはセレスティナの希望で、この街に巣食う人身売買組織を叩くのに領主の力を借りたいというのがその目的だ。
だが彼女が単身で乗り込んで素直に面会に応じて貰えるかどうかは未知数なので、こうやって勇者リュークやこの国の貴族令嬢アンジェリカの肩書きとコネを借りたというのが真相であった。
勿論、無料で労力だけ借りようなどと都合の良いことは考えておらず、セレスティナの側からは洗濯用に《洗浄》と《修復》を付与した魔道具を一つ提供する約束になっている。
アンジェリカの着ている純白の法衣は旅や戦闘に身を置いていると汚れ易いし新調するにしても一般に流通していない分どうしても高価になるので、彼女としても労力以上のリターンがある取引なのだ。
正装姿――と言っても礼服のリューク以外は皆いつも通りの服装だが――の4人が上質なソファに包まれるように寛いでいると、そこへノックも無しにドアが大きく開かれた。
「あっ、おきゃくさんだー! いらっしゃーい! どうぞごゆっくりー!」
現れたのは、子供用のエプロンドレスに身を包んだ6、7歳ぐらいの女の子だった。もちもちした白い肌に肩の辺りで切り揃えられた白銀の髪、ただ前髪だけは一房茶色いものが混じっている。そして三角の形に鋭く尖った耳が、彼女がただの人間の子供ではないことを如実に表していた。
「……エルフ……? ……いえ、ハーフエルフ、でしょうか……?」
「ほぅ、これはまた将来有望そうな美少女だな」
エルフ族とは本来は深い森に住む美しい容姿と尖った耳が特徴的な種族で、自然を友として鎖国同然で暮らすためまず人里に姿を見せることは無い。
セレスティナが目を丸くするのにお構いなく、推定ハーフエルフの少女は物怖じせずにとてちてとセレスティナに駆け寄り、その流れるような銀髪を掬い上げる。
「わぁ、おねーちゃんのかみ、すごくきれいー! ねぇねぇ、ママのおともだち?」
「え? お母さんがいらっしゃるのですか? それは是非一度お会いしたいです――」
人間の街にエルフが居る理由は大きく二つ。好奇心旺盛な若者が自分から訪れたか或いは自分の意志に反して捕らえられて連れて来られたか。そしてこの街特有の事情を考えると残念ながら十中八九後者だろう。
本来国際的にはエルフの森は人間・魔族どちらの国にも属しておらずセレスティナにとっての助けるべき“国民”には含まれていないが、だからと言って放っておけるものでもない。セレスティナが少女の母親について尋ねようとした時、開けっ放しの入り口の扉から鋭い声が響き渡った。
「ポーチカ! 人間なんかに近寄っちゃダメ! 早くこっちに来なさい!」
続いてお茶のカートを転がして入室したのは、ポーチカと呼ばれた少女と似たデザインのエプロンドレス姿のエルフの女性だ。ほっそりした体型に短いながらも美しい銀髪に尖った耳を持ち、そして切れ長の目にはありありと敵意が浮かぶ。
「……お茶です。ではごゆっくり」
がしゃがしゃと乱暴な手つきでお茶とお菓子を並べると、勇者リュークに頭を撫でられて目を細めていたポーチカの手を引いてそそくさと退出していく。
その際エプロンドレスの襟元から、彼女の首に禍々しい模様の刻まれた首飾りが巻かれているのが見えた。恐らくはセレスティナが以前に装着したことのある魔封じの腕輪と同様の魔術対策品だろう。
「あ、あのっ! 少々お聞きしたいことがっ!」
「話すことなんて何もないです」
事情を聞こうと引き止めるセレスティナだったが、つーんと擬音すら聞こえてきそうな素っ気無さだ。引きずられながらも笑顔で手を振る娘との温度差が著しい。
「……あそこまでのツンデレさんはなかなかお目にかかれないですね。攻略のし甲斐がありそうです」
「また訳の分からないこと口走ってからこの子は」
顎に手を当てて熟考モードに入ったセレスティナを隣のクロエがこつんと小突く。
そのまま暫く待っていると別の使用人が領主の来訪を告げ、会談が始まった。
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領主のリチャード辺境伯は茶色の髪によく整えられた立派な髭を生やした長身痩躯なナイスミドルで、話してみた印象としては悪辣ではなさそうだが流されやすそうな人物という印象だった。
まずは初対面のセレスティナが外交官バッジを示して自己紹介を行い、しばしの世間話を経て本題を切り出す。
「……率直に申し上げますと、ここイストヨークを拠点とする探索者が多数テネブラへと密入国して物的・人的資源を奪い取っていく問題につきまして、それらの元締め業者への対処につきまして相談させて頂きたく存じます」
セレスティナの言葉にリチャード辺境伯は、口元の髭に手をやると慎重な様子で返した。
「そうは言うがだね……領民を守るのは領主たる私の務めであるからして、何の罪も無い者を捕らえたり処罰したりは無理である。ご理解召されよ」
「……確かに今現在のアルビオン王国の法では取り締まれない部分もありますが、この問題をこれ以上放置しておくと取り返しのつかない事態になると思います」
セレスティナとクロエがこの街の闇を知った以上、国の上層部に報告しない訳には行かず、そうした場合はまず間違いなく軍部が動き出す。
その結果予想されるのは、魔族軍によるイストヨークへの大規模侵攻とそれに対するアルビオン王国の報復措置。国の威信が掛かっている以上、こうなれば双方とも容易く兵や主張を引っ込めることはしないだろう。
「私といたしましても、両国の為にも全面戦争は何としてでも回避すべきと思っておりますわ」
優雅な手つきで紅茶のカップを置き、アンジェリカがセレスティナの援護に回った。
仮に大規模な武力衝突が生じた場合アルビオンに所属するリュークやアンジェリカはセレスティナ達と敵対する事になる。セレスティナとしては能力的にも人物像としても彼らを敵に回したいとは思わないし、そこは彼らにとってもきっと同様だろう。
「ふむ……」
勇者組がセレスティナの肩を持ったことに、辺境伯は不満げに表情を歪める。だが領民の安全を考えるなら大規模な紛争を未然に防ぎたい彼女の立場は決して間違っていないため、文句を言う訳にもいかなかった。
「勿論、辺境伯閣下に表立って動いて頂くことまでは望みません。両国間の平和を乱す不穏分子は私の方で対処したいと思っていますので、その正当性を保証する紙切れを1枚頂ければそれで十分です」
アンジェリカのトスを継いで、セレスティナが次弾を装填する。
彼女の見立てでは、先ほど会ったエルフ族の使用人は恐らく犯罪組織『金鹿の尖角』の“戦利品”の一つだ。その彼女をあてがうことで辺境伯を共犯者に仕立て上げ、捜査の手から逃れているのだろう。
であれば、外から見て分からない範囲でこっそり援助をして貰うのは可能と、彼女はそう踏んだのである。
「私が欲しいものは、仕事の依頼書を1枚。魔族売買組織を調査して、他の犯罪にも手を染めてる証拠があれば捕縛するような内容が理想です。その際、私としては皆殺しを希望しましたが辺境伯閣下の口添えで助命して王都に送還して裁判にかけて貰う、と。こういう流れでどうでしょうか? あ、依頼料は銀貨1枚でも貰えれば十分ですので」
「むう……」
犯罪組織『金鹿の尖角』への捜査や処罰はアルビオン王宮側主体で行うという宰相との約束がある以上、なかなか身軽には動けずこうやって大義名分を得る必要がある。
些細な問題に見えるかも知れないが、約束を守らない外交官が居ると国そのものの信用も大きく損なわれるのだ。
それでもまだメリットとデメリットを天秤に掛けているのか、難しい顔で呻るリチャードに、セレスティナは駄目押しともなる一手を指した。
「それに、今ここで魔族売買組織を潰しておくのは辺境伯閣下にもこの街の住民にも利のある事柄です。公にはなっていませんが最近テネブラとアルビオンは国交の再開を模索している最中でして、もしそれが実現しましたらここイストヨークの街の持つ役割が一気に変わると思います」
国交再開に関してはまだトップ会談も実現していない状況だが、ここはハッタリを交えて押し通す。
「街の規模や立地条件から見ても、これまでアルビオンに連れ去られた魔族同胞がテネブラに帰国する際の引き渡し場所に選ばれる可能性が高いということです。今までは密猟者の隠れ家のような場所だったのが、これからは平和と友好を象徴する都市に生まれ変わるんです。そのような街の領主ともなれば、さぞ名誉なことかと思いますが」
「名誉……」
リチャード辺境伯の目の色が変わり、好機と見たセレスティナはそのまま畳み掛ける。
「王都からも人の流れが多くなりますし、もしかするとテネブラからも外交使節が頻繁に訪れるかも知れません。人通りが多くなれば宿や歓楽施設や交易の収入も上がりますし、税収とか利権なんかもガッポリですよ」
「税収……利権…………うむ」
「私もこの街は大きくて宿も快適だと思いますし、本国にも返還式は是非ここでと推薦させて頂きたいですが、その為には魔族売買を一掃することが絶対条件になりますので……」
「……そうだな。今後領民が安全で豊かに暮らす為にも、平和を乱す要素は排除しなければいかんな」
そして遂に辺境伯が陥落した。交渉の基本は相互利益と言うだけあって、こういった名誉や税収を前面に押し出すのはやはり効果が高い。
利権の単語が出た辺りからそういうものを好まないアンジェリカの視線がとても冷たく感じられたが、セレスティナと辺境伯の二人は気付かない振りをしつつ笑顔で依頼書の作成に取り掛かるのであった。




