005話 母と娘のティータイム(びにゅう)
▼その日の放課後
首都の中心部、高級住宅街の一角に建つイグニス侯爵家の邸宅。白い壁に赤い屋根の、管理の手間を省くため比較的質素な佇まいで、その分外観や庭園は手入れが行き届いている。
この日の授業と課外活動を終えて帰宅したセレスティナとクロエの二人を、丁度コスモスの花畑に水遣りをしていた薄桃色のドレスの貴婦人が出迎えた。
「ただいま帰りました。母様」
「帰着しました。若奥様」
「あら、二人ともお帰りなさい。今日は新作のガトーショコラ焼いてみたのよ。これから皆で食べましょう。感想も聞かせてね」
花の咲くような笑顔を見せたのは、セレスティナの母親にして魔国軍参謀長ゼノスウィルの一人娘、セレスフィア・イグニス。御歳は200歳を少し超えた辺り。
背丈や体格や顔立ちはセレスティナによく似ているが、母親の方が全体的に線が柔らかい。ふわふわした鮮やかな金髪にほんわかした笑顔、紅玉のような両の瞳は温かい光をたたえ、胸や腰のラインも母性的な優しさに満ちている。
セレスティナと並んで立つと親子と言うよりは双子の姉妹のように見え、思わず脳内に泉の精霊が顕現しそうな錯覚を受ける。貴方が落としたのはこの金の美乳ですかそれともこちらの銀の微乳ですか? 両方下さいっ! そんな感じだ。
「あ、では、あたし先に着替えてお茶の用意してきます」
クロエが一礼して風のように屋敷の中へと消えた。両親を流行り病で亡くした彼女は6年前の事件以来この家で使用人見習いの待遇で引き取っているのだ。年齢的に学業が最優先だが家の中では侍女服を着用し雑事を手伝い、そして同年代の勤労学生が羨むぐらいの額のお給金を貰っている。
「あらあら、クロエもたまにはのんびりすれば良いのにねえ」
口元に手を当てて上品に微笑みつつ、母セレスフィアが言う。平日の午後にガーデニングしているところから判るように、彼女は言うなればキャラメイクの際にボーナスポイントを女子力に全振りしたようなタイプで、家系的に魔力の高さには恵まれているが軍務省や内務省で活躍する類の人材ではなかった。
だが社交界の華として彼女の存在感は高く、当時彼女を妻にと望む若者は一個大隊を形成する程だったと言う。
そんな中、軍務省のエリートとの縁談を推し進めようとしたゼノスウィルの反対を押し切り、内務省勤務の地味だが実直な幼馴染の青年を彼女は夫に選んだ。立場的には婿養子になる。
セレスフィアの言い分は「わたしを勲章とか戦利品の一つとしてではなく、一人の個人として見てくれる人でないと嫌です」というもので、あわや駆け落ちまで選びかけたところを最終的に父ゼノスウィルが折れたのである。
「クロエさんは、真面目で義理堅いですからね」
勝手に論評しつつ、母の後ろを歩くセレスティナ。同じシャンプーを使っているはずなのに母の髪の方が甘く優しい匂いを漂わせているように思える。
そんなセレスティナは小さい頃から、料理やお茶よりも錬金術でポーション等を調合する方を好み、刺繍を嗜むよりも魔術回路をいじることを好み、庭いじりよりも祖父にくっついて各種素材の採取・採掘に出かける方を好むという、外見以外似ても似つかない娘で母からも女子力の低さを散々嘆かれた。
淑女の嗜みの一つであるダンスは母と一緒に楽しむが、優雅な動きの母に比べてセレスティナのステップは無機質で鋭く、やはり明確な対比ができてしまう。
「本当はね、ティナと一緒に作りたかったのよ。ティナは料理が下手だから花嫁修業の為にも練習させないと、って思って」
台詞と共に柔らかく微笑んで振り返ったセレスフィアが、娘の手を握り指を絡めてきた。彼女に限らず女の人は男性と違って何気なくスキンシップを仕掛けてくるのでいつもドキリと胸が跳ねそうになる。
自宅でも学院でも、小動物を愛でる感覚で気軽に手を繋いだり抱きついてきたり頬ずりされたりは日常茶飯事だ。ただ流石に彼女が前の人生で親しんだ漫画や小説のように胸に手を這わす人は滅多に居ない。“揉みニケーション”はどうやら都市伝説らしい。
「下手な訳じゃないですよ。ちゃんとした設計図と工程表があればちゃんとした料理が作れます。私が失敗するのはレシピの質が低いからです。“弱火でじっくり”とか“お塩を少々”とか、曖昧すぎて意味がわかりませんよ。仕様を定量的に数値化できなければただの雑なメモ書きレベルで、物作りの仕事を舐めてるとしか――」
「ああはいはい。相変わらずティナは理屈っぽいわねえ」
何がツボに入ったのか、華やかな笑顔でセレスティナを引き寄せて空いた方の手で銀色の頭を撫でくりする母。
「理論派と言って下さい。むしろ母様が感覚派すぎるんですよ」
理系特有の拘りを見せるセレスティナだったが、軽くあしらわれつつ食堂へと引きずられて行った。
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結論から言えば、母セレスフィアの作るガトーショコラは絶品の一言だった。女子の舌が甘味に敏感なのか母の料理の腕か、恐らくその両方だろう。
高級感のある濃厚な甘さが口の中で溶けていく様は、芸術家が丹精込めて削りだした氷細工を彷彿とさせる。
「美味しいです。これ、店に並べればお金が取れるんじゃないですか?」
「あらあら、ティナったら。そんなに褒めても何も出ないのに……あ、お代わり要る?」
「……いえ、これだけ重いと1個で十分です。というかどれだけ作ったんですか」
クロエも含めた家中の使用人を集めて、皆でテーブルを囲みつつチョコレートケーキとお茶を愉しむひと時。恐縮する使用人が居てもセレスフィアは「これもお仕事の一つだと思って」と押し切るので今では日常風景の一つだ。
そもそも“強い者が偉い”を主要な価値観とする魔族の国では、爵位や家格そのものがあまり重要視されない。元々は人間族の国と交流するのに便利だからと人間の文化に合わせて導入された制度で、むしろ対外的な箔付けの意味が大きい。セレスティナが知る日本の歴史の中だと、華族制度に近いか。
実際、クロエもセレスティナやヴァンガードのことを遠慮なく呼び捨てにしているし、誰もそれを咎めることも無い。
「そりゃあ、夫やお父様にも食べて欲しいもの」
ふわふわとした笑顔で母が答えた。テーブルの上には重厚そうな漆黒のケーキが1ホール半ほど鎮座しており、「夕食後にまた会おう!」という強い自己主張を感じる。渋みのある重低音で。
「……………………」
濃紺のワンピースに真っ白いエプロン姿のクロエも黙々と手と口を動かしている。クールぶってはいるが侍女服から伸びる尻尾が嬉しそうに揺れている様子が愛らしい。
やがて、皆が食べ終わり感想も上申したところで、セレスティナが今日の学院での出来事を口にした。
「そうだ、母様。建国祭での上覧試合の参加が決まりました。詳しい事は皆が揃った夕食の席で報告しますが」
「あら、凄いわね。女子でしかも魔術師があの場に出るのなんて何十年ぶりかしら?」
凄いのか凄くないのか分かってないようなのほほん口調でセレスフィアが返す。
だが実際に、広さ制限のあるフィールドでの戦いは近接戦闘が得意な戦士系の方がどうしても有利で、更に戦士にしても魔術師にしても戦闘は男性の方が得意な傾向にあるのは間違いない。
筋力や耐久力や体格の不利は勿論のこと、男女では脳の構造や戦闘勘なども大きく異なる為、魔術師でも主に攻撃力的な要素で女性が不利になる。
母セレスフィアの在学時も、魔力だけなら学年で文句なしのトップだったにも関わらず、動く的には当てきれない稚拙な技量が災いして試合出場からは満場一致で外されたのだ。
魔力の高さがそのまま戦闘力の高さに結びつく訳ではない、生きた事例である。
「流石はお父様の孫だわ。怪我しないように頑張るのよ」
なのでここで“流石わたしの娘”と言わない辺り、自分の実力を正しく見切っていることがよく分かる。
「勿論全力を尽くします。試合に勝てば進路希望の件も推薦が貰えるようになりますし」
真面目な顔でセレスティナが告げた。周囲が軍務省への入省を強く推す中、彼女の両親は外務省行きの数少ない理解者なので決意表明にもつい力が入る。
尤も母セレスフィアの場合、「平和に解決してみんなが仲良くなれるならそれが一番よね」というとても甘々とした理由であるが……。
「……とは言いましても、あまり派手に勝ちすぎると却って軍務省の注目を浴びてしまいますから、目立たないようになるべくショボく勝つことにします」
「呆れた。あのヴァン相手に勝てるかどうかさえ怪しいと思ってたのにその上更に勝ち方を選ぶような余裕あるの?」
ぬるくなるまで冷ましたお茶を傾けつつ、問いかけるクロエ。攻防共に同世代でも突出した正に生ける要塞とも言える彼を切り崩す程の火力はセレスティナには用意できない、そう踏んでいるようだ。
それに対しセレスティナは、日課の魔術訓練に向かうべく席を立ちつつ一言。
「ハードルが高いのは重々承知ですが、外交官を目指すならこのくらいの駆け引きは制して見せないと、ですよ」