042話 旅路の終着点(慣用句的なデッドエンド)
▼大陸暦1015年、堅蟹の月20日、夜
場所は変わって、更に時間も少しだけ撒き戻り、ここは魔国テネブラ。アルビオン王国との国境近くにある深く暗い森の中。
アルビオン王国の密命を受けた7人の遠征部隊はこの日遂に魔国領へと侵入を果たしていた。
王都から徒歩や馬車だと1ヶ月以上かかる遠い道のりである。それを、魔道具の空飛ぶ絨毯を使って2週間でここまで来た。
本来は7人乗って多少飛行速度が鈍ってもグレゴリー術師の魔力なら最短で5日、ある程度の安全性を考慮した標準日程で1週間から10日あれば詰められる距離であるが、遠征隊の中の一部のメンバーの強い要望により行く先々の街で良い宿を取って良い物を食べている内につい日数を消費してしまったということだ。
「あー、それにしても柔らかいベッドに慣れると夜営はキツいなあ」
遠征部隊の面々は鬱蒼とした森の中の少し開けた場所に火を焚き、その周囲にテントを設置して夜営を張っている。思えば遠くまで来たものの、木々の隙間から見上げる星空はアルビオンの空と同じ模様だ。
森の中で夜営は危険があるが、魔獣や魔族の跋扈する魔国領では見通しの良い平地で休んでいるのを目撃された方が却って危ない。その為、あえてリスクを負ってまでも視界の悪い森を選んだのだった。
勿論見張りを立てずに全員で熟睡するなどという無謀な真似はせず、2人ずつ3交代で周囲を警戒しており、その最初の組は探索者ギルド長推薦の筋骨隆々で重装備の戦士と王城専属の探索者パーティ『黄金の翼』に所属する斥候のペアであった。
遠征部隊で紅一点である城勤めの薬師のみ、体力的な不安により見張りは免除になり、今はテントの中ですやすやと寝息を立てている。
「だけどまあ、この“虫除け”のお陰でちったぁマシだな。鬱陶しい虫だけじゃなく小型の魔物まで追い払うんだもんな」
斥候の男が自分の背負い袋に結び付けられた小型の袋を摘み上げながらしみじみと呟く。
今回の遠征の為の探索者ギルドから特別に支給された《容量拡大》の施された背嚢の付属品で、大抵の虫の接近を防ぐ優れものだとのことだ。
おかげで彼らもこの行軍が始まってから虫刺されとは無縁に過ごせている。
「これを作った奴に会ってみてえもんだな。作り方を聞き出して独占すれば結構良い金に――」
重戦士が欲にまみれた笑みを浮かべつつ焚き火に枝を放り込んだ時、彼の背後でがさりと音が聞こえた。
「な、何だ! ありゃあ!?」
「でっけえ、虫、か!?」
見ると、毒々しい紫色の斑点を浮かべた、人の腕程の大きさの芋虫が、頭上の木の枝から彼らの荷物へと落ちてきたのだった。
「何だこいつ!」
「クソッ! 俺の荷物を喰ってやがるだとっ!?」
各種道具を取り出しやすいようテントの側に転がしておいた背嚢に取り付き、その芋虫はしゃくしゃくと虫除けのはずの匂い袋を齧り出す。
この魔物は魔国領内の一部の森で見られる毒芋虫で、他の生き物が手を出さないような毒の蜜さえも美味しそうに啜る貪欲な生物である。
この時期に栄養を蓄えて、夏の終わりごろになるとそれはそれは美しい毒アゲハとして羽化するのだ。
尚その毒アゲハも、弱そうな外見から舐めてかかった危機感の無い探索者を何組も毒の燐粉で葬ってきた危険な魔獣である。
「このっ! くたばれ!」
重戦士が愛用の大剣を抜き、毒芋虫へ向けて斬りかかる。
「――やめたまえ!」
騒ぎを聞いてテントから起き出した精悍な男性、グレゴリー術師が警告の声を発するが、時は既に遅かった。
彼の振るった大剣は、無骨な外見に似合わずに荷物を傷つけないよう絶妙の軌跡を描き、切っ先で毒芋虫の胴体を両断する。
そして、真っ二つになった芋虫の断面から噴き出したのは紫色の体液。
「ぐ、ぐわああああああああああああっ!?」
その体液を至近距離から浴びた重戦士が、苦痛に転がり回る。
「その芋虫の体液は毒だ! 無闇に傷つけると危険ぞ!」
「何だと!? じゃあどうやって!?」
斥候が弓につがえた矢を緩めながら問い返す。視界の端では宮廷薬師の女性が重戦士の毒を毒消しで洗い流しているが、そうしている間に第二第三の毒芋虫が荷物へと齧り付こうとする。
「凍らせるのだ! 行け、《氷槍》!!」
グレゴリー術師の構えた杖の先に青い光が収束し、大きな氷の槍となって高速で撃ち出された。その魔術は1匹の毒芋虫を貫き、だが傷口周辺を凍らせることで体液の飛散を防ぐ。
この調子で1匹ずつ凍らせれば。難局を切り抜ける希望が見えたその時、上空から人の声が降ってきた。
「毒と美は似ているとは、良く言ったものじゃ。毒一つ持つだけで、理不尽に憎まれ、蔑まれ、疎まれ、拒絶され、攻撃される。人の世はかくも残酷で満ちておるのう」
芝居がかった台詞を歌うような優雅さで発したのは、ゴスロリ風のドレス姿の魔族の少女だった。真っ白い髪に赤い瞳、背中に羽ばたかせた蝙蝠のような翼に口元から覗く鋭い牙、そして下から見上げるとどうしても目立つ純白のドロワーズ。吸血族の少女、ルーナリア・サングイスだ。
「何だ貴様はっ!」
斥候の男が素早く弓から矢を放ったが、ルーナリアは《防壁》を張るまでも無く空中でひょいと動いて回避。そして返す動きで手に持った鞭を一閃させた。
「それは妾の台詞じゃ。野蛮な侵入者どもよ」
「ごはあっ!? い、痛えええっ!!」
鞭に手の甲を直撃された斥候の男は弓を取り落としその場で悶え苦しむ。まるで灼熱の炎が体の中を暴れまわるような、鞭一発のダメージにしては異常な激痛だった。
「そうそう。妾はこの鞭を通して《苦痛》の魔術を仕掛けることができるのじゃ。天にも昇る程の激痛、体験したくなければ大人しくしておれ」
「ぐっ……!」
ルーナリアの言葉に歯噛みする一同。既に重戦士と斥候が戦力外になっている現状でこのような高位魔族との戦闘は分が悪い。
「さて、侵入者どもよ。今すぐ立ち去るなら妾の庭先に無断で立ち入った無礼も見逃してやろうぞ」
「ま、待ってくれ! こちらは人命が掛かっているのだ! 魔界の住民に危害は加える気は無い! だからどうか見逃してくれないか!」
「ほぅ、お主達の国では人命を盾に取ればどんな犯罪行為でも許されるのか? とんでもない人治国家じゃのう」
酷薄な笑みを浮かべつつルーナリアが遠征部隊の隊長と思しき中年の兵士へと言葉を返す。
一方で彼女が遠征隊の注意を自分に引き付けている間にも毒芋虫の群れは荷物を齧り続け、やがて皮が激しく割ける甲高い音が鳴り響いた。
「やばっ! 荷物がっ!?」
中に物資を満載した容量拡大鞄が破壊されると、空間の大きさが元通りに戻るのでその結果溢れた内容物はその場に勢いよくぶちまけられることになる。
散乱した荷物に毒芋虫達が群がり、特に食料品や着替え等の繊維質を食い荒していく。
「させるか! 氷――!」
「誰が動いて良いと許しを与えたか?」
「ぐああっ!!」
グレゴリーとは別の、『黄金の翼』メンバーのまだ若い魔術師の男性が芋虫を凍らせるべく杖を振るおうとしたが、それより早く、目にも止まらない速さと見切りが不可能に近いトリッキーな軌道で襲い掛かった鞭が彼を討つ。
乾いた小気味良い破裂音と共に全身を激痛が貫き、彼はその場に崩れ落ちた。
笑みを深めつつも、ひゅん、と風きり音を残して鞭を手元に引き寄せたルーナリアは、2週間前にセレスティナと交わした会話を思い出す。
『追い返すじゃと? 何故その場で殺処分せぬのじゃ?』
『あまりやり過ぎると仕返しが仕返しを呼んで最悪戦争が始まってしまいますし、この件を交渉で解決できたら今後の交易の足掛かりになって一気に国同士の話し合いが出来るようになるかも知れないのです。魔国と対話することが人間の国にとってもメリットになる、そういう状況を作り出さないと向こうも国交を結ぼうという流れにならないでしょうし』
『なるほどのぅ……じゃが、殺さずに追い返した者共がいずれ再び来訪して悪さを働くことは許せぬ。トラウマになるくらいまで痛めつける分には構わんのじゃな? 妾としてもあまり気は進まぬのじゃが心を鬼にして苦痛を与えねばならぬとは……かくも人の世は悲しみで満ちておるのう』
『取り繕っても顔は嬉しそうに見えますが』
そんな訳で、彼女はさも楽しそうに鞭を振るっているかのように見えるが、国を護る為に仕方なくやっている事であって、嗜虐的な趣味趣向を満足する為という訳では……あんまりない。
「さて、早く返事をせぬとみるみる状況が悪化してゆくぞ?」
彼女の警告する通り、底無しの食欲を誇る毒芋虫の群れは目に見える範囲にある荷物を食い荒し、次なるご馳走を目指して遂にテントにまで噛み付き始めた。
「くっ…………」
食料にしても寝具等の生活用具にしても遠征の際の必需品。このままこれらを全て失うならこの先に進むのは勿論、自国に帰ることすら絶望的になってしまう。
しばし重い沈黙が場を支配し――
「…………分かった。これ以上進むのは不可能だ。引き返すことにしよう」
そして遂に、隊長が悲痛な表情で決断を下した。
「賢明な判断じゃ。一応伝えておくが必要な素材があるなら正規の外交ルートで正式な取引を申し出れば無下にはせぬじゃろうよ」
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「ここまで上手くいくとはな……人の事をあれこれ言う癖にティナの方が数段性格悪いじゃろう」
残った僅かな荷物を手早く纏めて重苦しい足取りで元来た道を引き返していく遠征部隊を見送り、ルーナリアは散乱した容量拡大鞄の残骸からある物を拾い上げた。
親指の先ぐらいの大きさの、赤く輝くルビーのような宝石。セレスティナが巧妙に隠していた魔獣カーバンクルの額の魔石だ。
この魔石には《追跡》の魔術が仕掛けられており、先日セレスティナが帰国した際にこれの位置を割り出すのに必要な判別コードもルーナリアに知らせていた為、彼女は他の軍務省の哨戒組より早く遠征隊を発見することができたという訳である。
その際、マンティコアの毒を溶かした蜜をも気にせず口にする毒芋虫をけしかけたことで機先を制し、相手側が十全の実力を発揮する暇も与えず勝負を決めたのだった。
「あとは報告書の作成か……ああ面倒じゃ」
ルーナリアの所属する情報室は独立性の高い部署で、『極秘任務中に侵入者を発見したので捕縛しても任務の邪魔になるしその場で追い返したのじゃ』という内容の紙切れ一枚提出すれば済むことではあるが、それでも久しぶりに報告書は煩雑なものらしい。
「その分の埋め合わせも含めて……次にティナと会う時には約束どおり成功報酬を取り立てねばのう……」
引きこもり気味の彼女にとって、首都から国境付近の辺鄙な森まで飛んで侵入者に対処するのは重労働であり、それ相応の対価――平たく言うとセレスティナを“美味しくいただく”約束を取り付けてある。
そのご馳走に想いを馳せつつ、ルーナリアは背中の羽根を大きく羽ばたかせ、昼間の移動が困難な関係上この森の近くの町に取ってある宿へと帰って行った。




