039話 キャナルゲートタウンの戦い・1(ベヒモス狩り)
▼大陸暦1015年、堅蟹の月20日
アルビオン王国の南部、ルミエルージュ公国との国境付近に位置する河沿いの都市、キャナルゲートタウン。
広大な河のほとりで発展した街で、そこを通過する船に対する関所のような役割を果たす交通の要所である。
滅多に使われる事は無いが有事の際には船の通行を制限する為の通船門を閉じることが可能であり、町の名の由来にもなっている。
そして陸路からも河からもアクセス可能なことからルミエルージュ公国との交易の要所の一つとして機能し、人やお金の集まりも良く経済的に豊かな街であった。
上空から見下ろした際に特に目を引いたのが、街の外に建設された巨大な円形闘技場だ。危険な魔獣を扱うため街の中に設置する訳にいかなかったのがその理由だろうが、わざわざ魔獣の暴れっぷりを見たくて闘技場を一つぽんと建てるところがお金持ちの発想である。
「さて……いよいよですね」
昨日のうちに空を飛んで半日かけてこのキャナルゲートタウンまでやって来たセレスティナ達は、闘技場にクロエとルゥを出場させる為の事前登録を終えて宿を取り、この日の夕方に闘技場へと訪れた。トラブル防止の為に変装して今日はシルバーソードと名乗っている。
ついでに賭けを扱っている券売所で奴隷側の勝利に金貨300枚を賭けてきた。これまでの魔獣退治や魔道具販売で稼いだセレスティナが自由にできるほぼ全額だ。
「本当に良いんですか? 知りませんよ?」とでも聞きたげな券売所受付の視線を気にせず、彼女は笑顔で金貨をうず高く積み上げていく。その無謀さと金貨の量に周囲からもどよめきが起きた。
賭けのレートはベヒモスが圧倒的有利すぎて、もはやどちらが勝つかの予想は賭けが成り立たずに「ベヒモスが何分で奴隷を全員食い散らすか」を予想する有様であり、そんな中奴隷側の勝利は最高倍率の9.9倍にまで跳ね上がっているのだ。
きっとベヒモスの強さが分からない世間知らずのお嬢ちゃんなんだろう、そんな偏見に似た反応を肌で感じつつ賭けの引換券を受け取るセレスティナ。しかしその周囲の人々こそクロエとルゥの強さを知った時どんな反応を見せるだろうか、その瞬間を楽しみにしつつ彼女は悠々とした足取りで観客席へと向かうのだった。
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「さて、貴様らはこの戦いに勝てば晴れて自由の身だ。良かったな、お優しいご主人様で」
闘技場の選手控え室、石造りの殺風景な部屋に詰め込まれたクロエとルゥを含む“出場者”に、係員が“説明”を行っていた。
勝てば奴隷身分から解放されて自由になれると言うが、以前にセレスティナが聞いた通りこれから行われる試合は奴隷の公開処刑に等しく、自由という僅かな希望を抱いて死に物狂いで戦う矮小な人間や獣人を強大な魔獣ベヒモスが圧倒的な破壊力で踏み潰し、蹴散らし、噛み砕く。そんな凄惨なショーを観客が期待している訳だ。
説明を続ける係員がこちらを見る目も、奴隷に対する侮蔑が半分とこれから希望が砕かれて死に向かう者への哀れみが半分で、クロエには気に入らない。
今回出場する奴隷はクロエとルゥを入れて16人だ。足を引きずる老人や顔に痛ましい火傷の跡を刻んだ少女、不機嫌そうに顔をゆがめた青年や怯えて泣き出しそうになっている女性等、年齢も性別も様々だ。
それからもう一人。全身が傷だらけの獣人の少年が控え室の隅で目に怒気をはらんでいた。狐によく似た三角形の耳にモフっとした尻尾をした、茶色い髪に後ろ毛の一房が黒のアクセントを入れたジャッカルの獣人だ。
彼は全身傷だらけで左耳も先端が破れており、人間の住まう国で想像もつかないほどの虐待を受けてきたように思われる。
「では、しっかり励むと良い。貴様らの頑張りを観客は皆応援してるからな」
言うだけ言って係員は闘技場へと続く扉を開く。
「勝つことは全然期待してない癖に、悪趣味なものね」
つまらなさそうに吐き捨て、クロエが音も無く立ち上がった。今日は動き易い服装で耳も尻尾も全開にしており、携帯性よりも威力を重視した愛用の長弓もきちんと手入れして戦闘準備万端だ。
「よーし、オレ達も行くぜ。あ、オレはルゥってんだ。宜しくな」
人懐っこい笑みを浮かべてルゥは物怖じせずにジャッカルの獣人少年の手を引いて立ち上がらせたが、少年はにべもなくその手を振りほどく。
「やめとけ、なまじ他人に関わると目の前で死なれた時にきつい……俺はもう、そんな気持ちは御免だ」
数多くの理不尽と苦難に遭遇した者のみが発する、やりきれない怒りと諦めの入り混じった声音だった。
「そっかあ。じゃあ続きはベヒモスをやっつけてから改めてな」
「奴の恐ろしさを知らないのか……いや、その方が恐怖で心が潰される前に即死できて幸せかも知れないな……」
「まあ、見てなって」
やがてルゥ達に引き続き他の奴隷達も重く沈んだ足取りで闘技場まで出てくると、背後で扉が閉まり退路が絶たれた。
遮蔽も段差も何も無い剥き出しの地面は逃走防止の円形の石壁に囲まれており、その壁の上に階段状の観客席が用意されて8割方埋まっている。
仕事帰りの労働者を中心に暇な老人や主婦層、果ては子供や観光客までがこの残虐ショーを楽しみにしているのかと思うとこの街の将来が心配になる。
また、一際豪華な一角のスペースはきっと貴賓席だろう。貴族らしい面々がワインを飲みながら悠然と見下ろしている。
その貴賓籍を見上げたジャッカルの少年がぐるると不機嫌な呻り声を上げた。彼を含め、ここに居る奴隷達の持ち主達があそこに居るのだろう。
正面に目を戻すと、向こう側の巨大な扉が重い音を立てて開き、中から強烈な威圧感と殺気が吹き付けてくる。
そして奥の闇の中からじゃらりと鎖を引きずる音と共にそいつは現れた。
小型の竜並に大きな体躯の、見事な角と鬣を持つ、漆黒の毛並みの狼によくにたシャープなシルエットの四足獣だ。
人間を容易く踏み潰せるほど大きく強健な脚、馬さえも丸呑みに出来そうな口、それに並の武器では傷一つつけられなさそうな鋼の皮膚に剛毛、正に獣王と呼ぶに相応しい力強く、そして美しい魔獣だった。
「ベヒモスの黒毛か――まあまあね」
「足の鎖が余計なハンデだよなあ」
その威容を前に舌なめずりをして冷静に論評するクロエとルゥ。ちなみに黒毛は黄金色の毛並みの種類に次いで2番目に強く、そして美味しいと言われている。
足を縛る鎖はきっと、観客席に飛び込まないためと試合終了後に檻まで引きずるのに必要なのだろう。
「お二人とも、油断はせずにいつも通りに頑張って下さーい!」
観衆の熱気が無軌道に叩きつけられるような大歓声に混じって、セレスティナの清涼な声が二人の耳に届く。観客席の真ん中程から手を振っているのが見えたのでルゥも大きく手を挙げて応えた。
ちなみにクロエは恥ずかしいので無視した。割と薄情である。
「さて、奴はあたし達が二人で倒すから、他の奴らは邪魔にならないように壁際でじっとしてて」
「なっ、ちょっと待て! いくら何でも無茶――!」
「待たない。奴も待ってくれないし」
この時のために餌を控えさせてお預けを喰らわされていた魔獣ベヒモスが久々のご馳走に歓喜の咆哮を上げる。
気の弱い者が正面から受けたら即死しかねない程の迫力と音量が、観客の野次すらを吹き飛ばし、その勢いで前衛のルゥへと飛び掛かってきた。
「おっと!」
紙一重――で避けようとして思い直したルゥが大きく横に跳んだ。叩き付けられたベヒモスの前足が地面を穿ち、粉砕された石の破片が周囲に飛び散る。
距離を取っていたので石の礫もあっさり避けると、続いて繰り出された噛み付き攻撃も回避し、その駄賃とばかりに持っていた長剣でベヒモスの首元を浅く切り裂く。
「へっ! これならお嬢の方が強かったな!」
「……吼え声以外ね」
実際セレスティナとは金毛の固体が出ても大丈夫なようにそれの強さを想定した模擬戦を行っていたので、黒毛程度だとこうなるのは自明の理と言える。
本能的に不利を悟ったベヒモスは低く呻ると与し易いクロエの方に向かって跳躍してきたが、鎖の分だけ動きが重いのと“予習済み”のクロエがその動きを想定していたのとあってあっさり避けられた。
「さて、一気に終わらせるぜっ!」
そこへ走り込んで来たルゥの双剣が、ベヒモスの左前足の付け根部分をX字に斬り裂く。高い防御力を誇る皮膚と筋肉であるがそれでもルゥの高速移動からの斬撃は弾き返すこともできず、皮膚が破れ血がしぶいた。
そしてその時には既に、練習の時通りにクロエが愛用の弓に矢をつがえて狙いをつけていた。その矢尻の先には冷気が青い光のように渦巻いており、ただの量産品ではないことが感じ取れる。
セレスティナが「もし肉が厚くて心臓まで貫けないと思った時はこれを使って下さい」とクロエに持たせた、氷の魔術を封じ込めた魔道具だ。巨体を貫くにはクロエの弓といえど不安があるので出し惜しみせずここで使う事にしたのだ。
「……撃ち抜く!」
ルゥの牽制がベヒモスの気を逸らせた一瞬の隙を見極めて、クロエが矢を射る。青い光の軌跡を描き、その矢は狙いを違わずにルゥが刻み付けた傷口へと命中、ベヒモスの肋骨をすり抜けて肺を突き破った。
だがそれでも心臓までは届かない。口から血を吐き出して苦しそうに息を荒げながらもベヒモスが鋭い眼光をクロエへと向けた、その時。
突如、魔獣の身体が弾けて血と氷の華が咲く――
「うにゃっ!?」
「おわあっ!?」
予想以上の威力にクロエとルゥが素っ頓狂な声を上げた。てっきり氷の槍か何かが控えめに飛び出す仕掛けかと思っていたが、セレスティナが矢に込めた魔術はどうやら《氷刺棘》のようだったのだ。
つまりベヒモスの体内で《氷刺棘》が炸裂した結果、無数の氷の棘が身体の内部を荒れ狂い、大部分が皮膚を突き破って外に飛び出したということだ。
その結果ベヒモスは氷の剣山に突き立ったかのような姿にされ、当然即死していた。
「びっくりしたわ……でもまあこれで、作戦の第一段階は終了よね」
観客席も後ろに居た奴隷達も言葉を失い呆然とする中、クロエがふうと息を吐く。
それから、ジャッカルの少年の方を振り向き、こう言うのだった。
「さて、貴方はこれで自由の身ってことだけどちょっと会って欲しい人が居るから一緒に来てくれないかしら。ついでにベヒモスの肉も焼くから食べてって」




