036話 対策会議・2(激論)
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外務省からの協力要請二つ。この内一つ目のルゥの同行については至極あっさりと許可が取れた。
あえてルゥを指名した理由について聞かれたが、セレスティナは正直に、「闘技場で戦う事を考えると獣人族が最適で、その中でベヒモスと渡り合える実力がありクロエ諜報官とのコンビネーションに慣れている者だからです」と答えた。
同期の中では戦闘力が頭一つ抜きん出ているヴァンガードも可能なら来て欲しかったが、流石に司令部所属のエリートなので簡単には動かせないようだった。
そしてもう一点、王国からの遠征部隊の生け捕りについては、大いに紛糾することになる……
「ふざけてんのか? 捕らえた人間をどう扱うかは軍に一任される。外務省が軍に指図できる立場か!?」
「指図ではないです。“お願い”するしかできない立場なのは重々承知していますが、遠征部隊はアルビオンにとっても重要な人材ですので交換条件にこちらから要求を呑ますことだって可能だと思います」
口火を切ったのは虎獣人のバルバス伯爵だった。コルヌス侯爵程ではないが筋骨隆々の巨体に金色と黒の混じった髪を短く刈り上げたいかにも軍人という凄みのある風格をしており、セレスティナも真っ向から意見を戦わせているが睨み合っていると猛獣の檻に入れられたかのような気分になる。
そのセレスティナの腰より太い腕で殴られたら、防御魔術が無ければ身体の半分が吹っ飛ぶのではないかとさえ思える。彼女が外見相応の中身をしたお嬢様だったら、今頃泣いて逃げ出しているだろう。
「要求を呑ます? 必要ねえな。殴りつけて屈服させりゃ良いじゃねえか」
獣人らしい野生の王国の住民のような言い草だった。思えばクロエも以前に似たようなことを言ってたのを思い出し、ふと彼女の方を見るとふいと目を逸らされた。自覚はあるようだ。
「……軍部って、皆さんこういうお考えなのですか?」
どうもバルバス伯爵とは話が合いそうにないのでセレスティナは一旦アークウィング総司令官に会話のイニシアチブを預けた。バルバス伯爵はいわゆる主戦派側に属するのは間違いないだろうが、それが多数派なのか少数派なのかは知っておきたい。
「交渉に持ち込むにしても、こちらの要求を無条件で相手側が了承するとは思えぬからな。ならば一戦交えるのは道理だろう」
要はどこかの会戦で大打撃を与えて有利な状況で講和を結ぶ、という意味合いだろう。バルバス伯爵は「手ぬるい」と言いたげな目をしているが、現実的に考えるなら司令官としてはそのような結論に落ち着く訳だ。
「ですが、外交上の最大の命題である拉致された国民の奪還、それを考えるなら戦争はお金も時間もかかりすぎます。交渉で取り戻せるならそちらにリソースを振り分けるのも手ではないでしょうか?」
「ふむ、ティナ嬢は……いや、セレスティナ外交官は捕らえた遠征部隊の身柄と引き換えにかの国に虜囚とされた国民の解放を要求するつもりか」
「ええと、外務省の一存で決められる事柄ではないですのでこの場で議題に、と思っておりましたが……」
実際のところ、生け捕りにした遠征部隊を交渉材料にするなら対価はまず何を差し置いても拉致された国民の奪還が先になるし、その条件ならある程度の修正案は出るだろうがこの場でも理解が得られるに違いない。セレスティナは当初そう考えていた。
だが、その目論見は甘かったと思い知らされることになる。
「ならば、悪いがそのような条件の交渉は許可できない」
「――っ!」
アークウィングの冷徹な言葉が会議室に硬く響く。
一瞬言葉に詰まるセレスティナだったが、気を取り直して再度口を開いた。
「それは……拉致被害者の返還に一切の条件を認めるべきではないということでしょうか……?」
「その通りだ。そもそも捕虜と拉致では立場が全く異なる。本来は無条件で迷惑料をつけて国へ返すのが筋というものだだろう」
こちらから対価を持ちかけるとすればそれは営利誘拐と同じで、一度身代金を支払うなら相手側がそれに味を占めて次以降の交渉に重大な悪影響を及ぼす。彼の言い分としてはこうであった。
テロリストとは交渉しない、この原則はこちらの世界でも一定の共感を得られているようだ。
だが、セレスティナは諦めずに食い下がる。
「ですが、だとすると、救出を待たされる獣人の方々の時間がどんどん少なくなっていくと思うのです。彼らの、若い時の5年10年がどれほど貴重な時間なのか、気に留めてあげて下さい。形式よりも時間の方が大切だと私は思います」
国の上層部には寿命の長い種族が多く居る為、100年生きるかどうかの人間族や獣人族とは“時間感覚”が異なる場合が多い。
長命種たる彼らにとって「近い内に何とかする」は10年スパンの計画になることも常態であるが、それを待っていると獣人の、特に若い女性であれば人生で一番大事な時期を永久に失うことになりかねない。
例えば、15歳で連れ去られた子が10年経って25歳で帰国したとするなら獣人の世界では立派な行き遅れになる。思えばサツキ省長も最近は社交の場で結婚相手探しに焦りが見え始めているようで、時間の大切さを説けば理解を示してくれるだろう。
そう考えて省長の方に目を向けるセレスティナだったが。
「……ティナ、あなた来期のボーナス査定にマイナスね」
「私まだ何も言ってないのですがーーー!?」
どうも触れてはならない部分だったらしい。だが同じ獣人ということでこれまで強硬姿勢だったバルバス伯爵の追求が少し軟化したのは収穫だと言えよう。
そして、それを好機と見たセレスティナは矢継ぎ早に進言する。
「と、とにかく、身代金に相当する物をこちらから出すのが駄目だとするなら、生け捕りにした遠征部隊の身柄と引き換えに外交的譲歩を迫るのとは別枠で拉致被害者にこれまでの被害の補償をつけて返して貰うような二段構えの交渉なら可ということでしょうか?」
セレスティナの強気な提案に、会議室がざわめきに包まれる。
「出来るの!? そんな事が!?」
これまで彼女の奇行蛮行を間近で見ていたクロエまでもが驚きに目を見開き、つい素で聞き返した。
「難しい交渉であることは承知していますが、やる前から諦めたくはありません」
覚悟と決意を感じさせる眼差しでセレスティナも返す。その面持ちには少女に似つかわしくない凛々しさが感じられた。
「気持ちの程は伝わったけど……では、セレスティナ君はもしこの交渉に失敗したらどう責任を取るつもりかな?」
ひょいと手を上げ、飄々とした口調でデアボルス公爵が問う。重要な内容であるが世間話をするような気軽な雰囲気で、彼女も一瞬答え方に迷うのだった。
「それは、勿論、外交官としての進退を預ける覚悟で望みます!」
ここは言葉を濁しても却って逆効果になる。あくまで前のめりに挑みかかる姿勢を見せるセレスティナだったが。
「そっかあ。だったら、僕はセレスティナ君の意見には反対だ」
「え……」
「だって、交渉の成功率はお世辞にも高いとは言えないから、こんな事で有能な外交官を失うのは勿体無いよ。まあ、外交官クビになったら内務省で働いて欲しいとも思ってるけどさ」
どこまで本気かは分からないが、交渉が失敗する前提で言っているのは確かだった。実際のところ、セレスティナ本人にも大きな賭けだと思っていたところだ。
「いや、そんな時に備えて軍務省の参謀府も席を一つ開けてある。セレスティナは軍こそがベストな職場だろう」
「おおっと、有能だけど戦闘に向いてない者を預かるのは内務省の公益に即した役割の一つ。実際セレスティナ君のお父さんだって――」
「あの上覧試合の中身を観て苦手だと判断するのは目が節穴な連中だけだ」
「え、えーと……」
思わぬところで人事の話が始まってしまい、セレスティナは助けを求めるように上司の方を向く。
「こほん。ティナにはあたしが結婚退職した後の外務省長を任せられる人材になって貰わないといけませんから。それより、話を進めましょう」
そんな彼女の助け舟により異動の件は一旦終了して議論が本筋へと戻る。
最終的な結論としては、外務省の要請した遠征部隊を捕縛して交渉材料に使う件は見事に否決された。
理由は、アークウィング総司令官が述べた内容が一番大きいが、他にもヴェネルムが主張した「生け捕りに拘ると防衛難易度が高くなる」という点、そしてバルバス伯爵が力説した「現場で戦う者達の士気」の問題もあった。
仮に生きたまま捕縛できたとしても、情報を聞き出す際の尋問で“うっかり”死んでしまうのもよくある話なので、そんな所にまで気を遣って制限すると現場の兵士の不満が溜まるということだ。
コルヌス侯爵は終始無言で、意見を聞かれた際も「我は武人で頭も悪いから、難しい政治の話には口出ししないと決めている」と淡々としていた。
「ではセレスティナ外交官はこれまで通り相手国の担当者と被害者返還や外交会談開催の交渉を継続すること。その際は先程述べた通り国として対価は一切出さないが、これまで通りセレスティナ個人として何か助力することを取引材料に乗せる程度の裁量権は与えよう」
「……はっ」
アークウィングの言葉に敬礼して返すセレスティナ。あまり良い結果とは言えないが、それでも例えば先日の宰相との個人的な契約のような取引について本国からお墨付きが出たのは大きい。
あの契約の内容は拉致された獣人に対して盗まれた国宝を提示するものなので、一応はどちらもあるべき場所に戻すという対等な条件だったとセレスティナは思っているが、もし頭の固い人に突かれたらと思うとちょっと悩ましいところだったのだ。
「それから、現時点をもって火吹き山周辺を封鎖。以降は軍属だろうと外交官だろうと議会の承認が無い限り立ち入りを禁止する」
「むぅ……」
この立ち入り禁止の措置は防衛上の理由と同時に、セレスティナが勝手に入山しないよう釘を刺す目的があるのは明白だ。
遠征部隊が火吹き山にある素材を狙っている関係上、その素材が何かが分かればセレスティナがそれを取得することで交渉材料にする展開も十分考えられる。
ある程度の裁量権は渡してあるものの、無制限に濫用させる訳にいかない。そういう暗黙のメッセージを感じるのであった。
「そういう事だ。女子供は安全な場所で大人しくしてな」
意地の悪い笑みを浮かべるバルバス伯爵にセレスティナは思わず睨みつけるような目を返したが、彼女が何か言うより早くコルヌス侯爵がフォローを入れる。
「いや、セレスティナ殿は自分の戦場で自分なりに戦っておられる。頭の悪い我らにはできない戦い方だ。それには十分に敬意を表するべきだ」
「けっ! くだらねえ」
もし仮に乙女心が標準装備されていれば惚れてしまうようなコルヌス侯爵の台詞にセレスティナは深く一礼する。同性として見ても尊敬に値する立派な漢だ。
「さて、じゃあ最後に僕からも一つ良いかな? セレスティナ君は結果を急いでると言うか、生き急いでる感じがしてちょっと心配になるんだよね。さっきは獣人の時間感覚の話が出てたけど、まるでセレスティナ君自身も同じ時間に生きてるような、ね」
会議が纏まったところで、最後に口を開いたデアボルス公爵の鋭い指摘に、セレスティナの心臓がとくん、と跳ねる。
事実、彼女の時間感覚は人間だった頃のそれが抜けておらず、また若くてもちょっとの不運であっさり人生が終了してしまうことがあるのを身をもって知っている為、つい焦りが出てしまっているようだった。
「十分戦えるのに軍に入らず外務省を希望したり……まあこれは僕も人の事言えないんだけど。とにかく、僕達の常識からするなら異質な行動パターンが見られる訳で、だけどお爺さんは模範的な軍人だし、お父さんもお母さんもマイペースなところはあるけどそこまで破天荒な人柄じゃないし、小さい頃からクロエ君と一緒に育ってきた影響なのかな?」
「うっ、それは……」
どう切り抜けるべきか一瞬迷ったセレスティナは思わずクロエの方を向くが、彼女は「あたしのせいにしないで」とばかりに頭を横に振って無関係を決め込んでいた。意外と薄情だった。
「まあそこは話したい時に聞かせてくれれば良いけど、まだ学院卒業して2ヶ月のヒヨッコなんだから結果を急がずに、何もできなくて当然と割り切ってじっくり時間かけて進めて行けば良いんじゃないかな。あまり焦ると却って失敗するよ」
「は、はい。肝に銘じます」
デアボルス公爵とはこれまでもあまり個人的に話をしたことはなかったが、それなのに自分の存在の奥深い所まで的確に切り込んできた。優れた観察眼を持っているようで油断がならない人物のようだ。
母親と同じく隠し事ができなさそうでちょっと苦手かも、と思うセレスティナであった。




