032話 水上の初授業・1(魔術の使い方教えます)
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「まずはルールを決めましょう」
透き通った水をたたえた屋内プールを前にして、セレスティナが用具入れから何かを抱え出して来た。
初夏のこの季節にプールサイドの空気はひんやりとした清涼感があり心地良い中、これから始まる戦いの熱気を感じさせる声で実戦形式の“授業”の説明を行う。
「プールの上で浮島を足場に距離を取って向かい合って、得意な魔術の撃ち合いをして、先にプールに落ちた方が負けです。先生は危険な魔術は使いませんが皆さんは炎でも氷でも好きなだけ使って下さい。あと、自力で水上に足場を用意できる人は浮島じゃなくそちらを使っても構いません」
「え? 本気で言ってるの!?」
セレスティナの説明に生徒達はおろかクラリス教諭まで戸惑いを見せる。当然のことながら教育現場においては攻撃魔術は人に向けて撃たないよう口を酸っぱくして教え込まれているからだ。
「咄嗟の時に判断が鈍らないよう、あえて人に向けて攻撃魔術を撃つ練習も良い経験になると思います。と言うか一定以上の力量になれば、回避も防御もしない的だと物足りなくなってきませんか?」
説明を続けつつ彼女は、「これくらいのハンデは必要ですね」と可愛らしいイルカの浮島を選んでプールに浮かべる。普通の平べったい浮島に比べると安定性が悪そうだがビジュアルを重要視したらしい。
それから、ヒールの高い靴と靴下を脱ぎ捨てて素足でぴょこんと浮島に飛び乗った。色気は無いが細く綺麗な生足が眩しい。
「ちょっ、ティナさん、まさかその格好で!?」
「大丈夫ですよ。落ちませんから。それでは挑戦者は好きな順番で来て下さい。ついでに自己紹介もお願いします」
クラリスが慌てた声を上げる。今日のセレスティナの服装は夏用の白い薄手のワンピースドレスで、濡れるときっと大変なことになる。
そんな魅惑の濡れ透けへの扉を前にテンションが高まる男子達に、彼女は更にトドメの餌を撒いた。元男ゆえか男心の掌握は得意分野なのだろう。
「あ、でも私が勝ったら今後は私の事を先生と呼んで敬うこと。その代わり私を負かせばその時はお望みの呼称で呼んであげます。ご主人様でもお兄ちゃんでもシャルロット・アンリ・ド・ルージュ姫殿下でも淫語でも何なりとどうぞ」
勝てば美少女の濡れ透け姿を拝める上に好きな呼び方で呼んでくれる。そして負けてもプールに落ちて運動着が濡れるだけ。あまりにローリスク・ハイリターンな勝負に男子生徒達の目には映っていた。
尚、生徒達の運動着は上流階級の集まる学園だけあって高級感のある優雅な装いで、男女ともに上は清潔な白いポロシャツで、ボトムは男子がジャージ、女子が短いプリーツスカートにガードの固いスパッツかレギンスだ。
「よし、まずは私からだな。エドガー伯爵家のフェルディナンドと申す」
「はい。初手はお譲りしますので遠慮なくどうぞ」
挑戦順を決める厳正なクジの結果、地方貴族の三男坊というこの学園では微妙に影の薄い少年フェルディナンドが一番手となり浮島に降り立った。
「行くぞ――我が高貴なる魔力よ、全てを貫く矢となりて仇敵を貫け。《魔力弾》!」
詠唱と共に彼の持つ木の杖の先に少しずつ魔術回路が組みあがり、完成と同時に光の矢となって射出される。《魔力弾》はその名の通り魔力を純粋なエネルギーに変換して撃ち出す初級の攻撃魔術のことだ。
派手さは無く他の攻撃魔術に比べると属性特有の付随効果も無いので、渋い玄人かでなければ他の攻撃魔術に手を広げる前の初級者が好んで使うタイプの魔術といった位置づけだ。
迫り来る光の矢を、だがセレスティナは少しも慌てずに身を捻って回避した。魔力の矢はそのまま後背の壁へと突き進んで行くが、実技棟だけあって壁の強度を増やしているのか着弾してもヒビ一つ入らない。
その様子を見届けて、彼女は教師の顔になるとアドバイスを始めた。
「さて、まずは狙いが甘いです。漫然と撃つだけだとある程度実力のある相手には当たりません。避け難いのは重心のあるお腹の辺り、あとは移動中に体重のかかる側の脚を狙うのも良いですね。ただ部位狙いは精密なコントロールが必要になってきますから練習を重ねて下さい」
そこまで言うとセレスティナは「もう一回どうぞ」とばかりに手で合図を送る。その様子に地味貴族は再度詠唱を開始した。
「なら今度こそ……我が高貴なる魔力よ、全てを貫く矢となりて仇敵を貫け。魔力――」
「《水球》」
「――ぶばっ!?」
彼が魔術を解き放つより一手早く、セレスティナの撃った小型の《水球》が顔に命中。割れた水風船のように大量の水を撒き散らしてバランスを崩させ、地方貴族家の少年は水柱を上げてプールへと転落した。
「男子は普通、一度に一つの魔術しか扱えませんから攻撃用の魔術を撃とうとする瞬間が無防備になります。その隙をどうやって埋めるか、実戦を視野に入れるなら各自考えてみて下さい」
集中処理に優れた男性脳だと魔術的には威力重視の傾向が高く、その分複数の魔術を同時に展開するのが難しいということだ。
もっとも、その威力にしてもセレスティナの見立てではわざわざ避けなくても防御力強化したドレスの表面で霧散する程度に思える。勿論ここの学園が魔術師育成の場ではなく一般教養を教える中でカリキュラムのごく一部として魔術を教えているだけの場ということもあるが、彼女が生まれ育った魔国テネブラに比べると魔術の威力にしても使い方にしても大きな差がありそうだ。
「次はオレだな! ゴールドスミス商会のラルフだ!」
二番手として浮島に立つのは、この王都でも有数の商人の跡取りの、黒髪の活発そうな少年だった。
「めくるめく風と嵐よ、全てを巻き上げる竜巻となれ! 《突風》!!」
掛け声と共にラルフの持つ銀製の短杖の先から圧縮された空気の塊が発射させる。
余談であるが強風を発生させるこの魔術の正確な原理はまず自分の手元から高密度の空気を撃ち出し、特定の地点で指向性を持たせて解放することにより任意の方向に風の流れを起こさせるもので、魔術回路の仕組みとしては《爆炎球》に近い。
そして彼が射出した《突風》の着弾地点はセレスティナの足元、風向きは真上。バランスを崩させて水に落とすのみならず、思春期の少年特有のめくるめく悪戯の意図があるのは明白だ。
「ふおっ、と」
しかしセレスティナは下からの突風に逆らわずその場で半回転するように飛び上がり、イルカの浮島の背ビレ部分を掴んだ。
傍目には片手で逆立ちするような格好で、それでも《突風》の影響で髪や服も上に流される為に重力の影響を受けない、男子達の期待を大きく裏切る対策方法だった。
やがて風が収まる頃、身軽な動作でひょいと着地した。
「狙いは悪くないですね。風の魔術も使い慣れているようでしたが……もしかして常習犯ですか?」
気になってクラリス教諭や他の生徒達に向けて尋ねると、女子の集団から「最低ー!」「このエロガキ!」「死んじゃえー!」などと罵声が次々と浴びせられていた。
その様子を見てセレスティナは「なるほど」と得心する。
「気持ちは分からないでもないですが、そんな若いうちから風で無理やり豪快に捲り上げる力技に慣れていると情緒の無いつまらない大人になっちゃいますよ」
「そうだそうだ! 見えそうで見えなくてたまに見えるチラこそ至高!」
「それは違う! モロにはモロの良さがあるんだ! 情緒でメシは食えねえ!」
セレスティナの言い分に男子は賛成派と反対派の真っ二つに分かれる。それはさておき勝負の途中なので風には風で反撃の魔術を展開する。
「まあ、後がつかえてますのでサクサクと行きましょう。――《突風》」
「うわっ!? 魔力の壁よ、オレを護る盾にへぶううううぅぅっ!!」
彼女が瞬時に発動させた《突風》に煽られ、商家の少年ラルフは防御魔術の発動が間に合わずプールの藻屑へと消えた。
「はい、次の方どうぞ」
「では……僕の出番のようだな。デルタ・フラムロア、未来の大魔術師だ」
三番手に立ち上がったのは、燃えるような赤毛をした少女と見まがうほどに線の細い美少年だった。彼の父親は王城に勤める宮廷魔術師のうちの一人で、彼自身も幼少期から英才教育を受けていて将来は探索者にしても宮廷にしても魔術を生活の糧にすることを目指している職業魔術師タイプの人物だ。
「初手はこちらが貰う、ということで良いのかね?」
「はい。生徒の皆さんの実力を見るのに必要ですので」
「心得た。後悔するでないぞ……」
外見からは想像できない低い声で呟くと、彼は早速最も得意な攻撃魔術の構築を始める。
「炎の王たる我が願う。全てを焼き尽くす灼熱の業火、我が手に集い我が前に立ち塞がる者を全て焼き尽くす力となれ……」
彼の掲げるルビーの嵌め込まれた杖の先に炎が灯り、次第にその大きさと熱量と明るさを増していく。ぶつけると大爆発を起こす中級攻撃魔術《爆炎球》だ。
仮にセレスティナが強固な《防壁》を張ったとしても、足場の不安定な浮島の上だと爆風で《防壁》ごと吹き飛ばす、そういう算段のようだった。
初手は貰うという言質を得ている為、先に攻撃を受ける心配も無く準備に専念できるという訳だ。
「さあ、濡れ透けの恥ずかしい姿を晒すが良い! 《爆炎球》!!」
魔術実技を受講している学生の中で最も魔力の高いデルタが絶対の自信を持って放つ、灼熱の火球。セレスティナは火球が彼の杖の先を離れる瞬間、しゃがみ込んでプールの底に杖を当て、防御魔術を発動させた。
「《氷壁》!」
杖からプールの底を伝い魔力が流れ、セレスティナとデルタの丁度中間点の辺りで青く輝く大きな壁が隆起した。地面から氷の壁を立てる、原理は《氷刺棘》に似た氷属性の防御魔術である。
「なっ!? うわっ!?」
デルタの放った《爆炎球》は当然ながらその氷の壁に勢い良く衝突し、本人の想定よりも手前の位置で大爆発を起こす。
爆音が空気を震わせ、火の粉が辺りを舞うが、氷壁に阻まれた側に居るセレスティナには涼しい風が銀髪を揺らす程度の影響しかなかった。
そして爆風が収まり、セレスティナが一つ指を鳴らして氷の壁を自壊させた時、相手側の浮島の上にはデルタの姿が無かった。爆風に煽られて半ば自滅気味に転覆したのである。
「ご覧の通り、《爆炎球》は強力かつ派手で人気も高い魔術ですが、爆発物ですので扱いを間違うとこのように自分に牙を剥いてきます。例えば今の《氷壁》をもう少しデルタさんに近い側に立てていれば、爆風だけでなく爆炎にも巻き込まれていたと思います。強力な魔術程、扱いは慎重を期す事が必要です」
セレスティナが勝利を収める度に、学生たちの顔から余裕と侮蔑の色が無くなっていく。特にデルタ程の魔術師がここまで一方的に負けるのは性質の悪い悪夢を見せられているかのような衝撃だった。
「それと、皆さん魔術の発動が遅いです。せめて得意な魔術一つと《防壁》ぐらいは瞬時に回路を組み立てられないと実戦で通用しませんよ」
元々、魔術回路の構築に呪文のようなものの詠唱が必要になるということは一切無く、魔術の威力などにも無関係だ。
では何故彼らがわざわざ長い詠唱を行っていたかと言うと、複雑な魔術回路を覚える際の関連記憶の道具として、つまり他の授業で言うと数式や年号を覚えるための語呂合わせのようなものである。
勿論回路の構成を完璧に覚えて瞬時に構築できるようになれば無用の長物だ。
「特に、デルタさんの《爆炎球》の詠唱は、“全て焼き尽くす”が2回出てきて少し冗長だと思います」
彼女の残酷な指摘に、生徒一同は「そこはやめたげてよぉ!」と心の中で一斉に突っ込むのであった。




