031話 魔術実技の臨時講師(15歳)
▼大陸暦1015年、堅蟹の月2日、午前
王都の南エリア、白亜の王宮を北に見上げる位置に堂々と座す、王立グロリアサクセサー学園――
“栄光の後継者”の名を冠する通り、王都のみならず国中の大貴族や大商人やその他要職に就く者の子弟が次世代を担う為の教育を受けるべく通う、学問の府である。
将来この国を担う若者に向けて、人文学や自然科学や社会学、更には剣術や魔術や組織運営等、その教育カリキュラムは多岐に渡る。
そんな中、本日よりセレスティナが講師を勤めるのは魔術実技。つまり実際に魔術を使用してみて威力や精度の向上を目指した教育や訓練を施す授業になる。
当然、ある程度の魔術を使えないと授業にならないので必修ではなく選択式の授業であり、そして魔術の素養を持つ者がごく小数なことから全部でおよそ500人居る学園の最上級生でも受講人数は約20人と最も少ない授業である。
週に1日の勤務で、講義以外にも打ち合わせやら採点やらその他魔術師でないと務まらない雑務やらで忙しく朝から夕方まで拘束される。
その報酬は1日に銀貨2枚半と比較的高い部類だ。魔道具作成とは比較対象が悪いので比べてはいけない。
「それで、グレゴリー先生はどのような形式で授業を進められてたのでしょうか?」
魔術実技が行われる実技棟へと向かう廊下を歩きながら、セレスティナはこの学園における彼女の監視役にして直属上司に相当するクラリス教諭へと尋ねる。
セレスティナを案内して歩く彼女は歳の頃は二十代半ばぐらいの、ゆったりとしたローブ姿にセミロングに伸ばした豊かな焦げ茶色の髪をして銀縁の眼鏡を光らせる理知的な女性で、この学園で魔術理論を教えている。魔術が使えない生徒でも知識としては重要になるので、実技に比べると授業の単位数も受講者数も多い。
そのクラリス教諭は眼鏡を指で押し上げると、教壇に立つ時のような澱みない口調で答えた。
「そうね。グレゴリーさんは派手な攻撃魔術を好む人だったから授業も攻撃魔術を的に向かって撃たせる威力重視の教育だったわ」
「うへ~」
予想以上に脳筋だった前任者の授業内容に思わずげんなりした声を上げるセレスティナ。その様子にクラリスはくすりと微笑むと言葉を続ける。
「大丈夫。ティナさんはティナさんの思うように授業を進めれば良いのよ。男と女に同じものを要求するのは愚かしいから」
聞くところによるとクラリスも、以前は宮廷魔術師を目指していたが女性ゆえの火力不足に悩まされてその道を諦めなければならなかったとのことだ。それでも魔術に関わる仕事に携わりたいとの熱意を捨てず、このように学園で教鞭を振るっているのである。
「一応、火力的なアドバイスをすることもできますが、火力だけに頼ってると自分より火力が優れた敵に当たった時に勝てないですからね……」
教育方針に頭を悩ませつつ、かつんかつんと踵が石畳を叩きつつ歩みを進める。生徒達に侮られないようヒールの高い編み上げのブーツを履いているが、その上げ底込みでようやく平均的な身長のクラリス教諭と同じぐらいの目線であった。
「後は……私が魔国から来た魔族だということは、伏せた方が良いですか?」
セレスティナとしては、宰相を通して少しずつ国の要人にも彼女の正体が知られ始めているという話も聞き及んでおり、そろそろ素性や立場を明らかにしていく段階に移行するべきと考えていた。
なのでクラリス教諭を始め学園の教師陣には自分の正体や立場を伝えてある。あまり驚かれなかったのは恐らく、王城側からも予め同様の情報が流れていたのではなかろうか。
勿論それでノーマークになる訳ではなく、あちこちから監視や好奇の視線を感じており、だらしない姿を晒すまいとセレスティナもつい背筋に力が入る。
そしてクラリスの考えでは学園の生徒はまだ精神的に未熟だったり直情的でいきなり行動に出たりする子が多く、余計な刺激は与えるべきではないという立場だった。
「そりゃあ、無用な混乱は誰も望んでないから絶対秘密にしてよね。下手すると学園内で“魔物狩り”が始まってしまうわ」
「承知しました。田舎育ちの魔術師末裔的な設定でいきます」
クラリスの言葉にびしっ、と敬礼して返し、セレスティナ達は実技棟の扉をくぐるのであった。
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「本日より臨時講師として魔術実技の授業を受け持ちます、セレスティナ・イグニスと申します。気軽に“ティナ先生”と呼んで下さい」
講義初日ということで見届け人のクラリス教諭に先導されて実技棟に入り、大きな体育館のような訓練場に整然と並ぶ運動着姿の20人の生徒を前にそう挨拶したセレスティナを迎えたのは、戸惑いと失望の入り混じったどよめきだった。
元々この授業を担当していたグレゴリー講師が長身で厳つい顔つきの経験豊かな魔術師だったので、後任に現れたのが見た目だけで言うなら彼と正反対の少女とあっては期待外れと見なされるのも無理のないことだろう。
「講師!? 転校生かと思った!」「白髪すごーい!」「でも結構可愛い!」「あんな子供が魔術師!?」
口々に好き勝手な感想を述べる男女を前に、セレスティナは手に持った雷竜の杖をかつん、と床に打ち付けた。皆魔術師の卵なだけあって、その杖の発する膨大な魔力や存在感を今更ながらも感じ取ったらしく、次第にざわめきが沈静化していく。
「はい静粛に。先生はこう見えても15歳ですので皆さんより一つ年上で大人です。くれぐれも子ども扱いしないようにして下さい」
この魔術実技の講義を受けるのは学園の最上級生、つまり今年度中に満15歳になる予定の者達だ。生まれが早い者は既に同い年になっているし、成長期真っ盛りの男子は勿論のこと大抵の女子と比べてもセレスティナの方が発育が宜しくない。わざわざグレゴリー講師と比べずとも貫禄の無いことおびただしかった。
「お言葉を返すようだけれど」
すると、少年少女達の列からずずい、と一人の女生徒が前に出た。合わせて左右の生徒達がざざっと引いて道を作るあたり、彼女のクラス内の立ち位置が伺える。
美しく輝く黄金の髪をウェーブ状に背中に流し、職人の手による人形のように整った顔立ちには自信たっぷりの笑みを浮かべ、そして最高級の食材による贅沢な料理にあずかって何不自由無く育てられたことをこれでもかと主張する発育の良い体形。
セレスティナも事前に受講生達のリストには目を通しており、その中でも特に異彩を放つ人物の一人。シャルロット・アンリ・ド・ルージュ大公爵令嬢だった。
名前が示す通り、彼女は南のルミエルージュ公国からの留学生で、この国のアーサー王子の将来の后候補として送り込まれたとの噂も聞こえている。
公国は元々は小国家群に分かれていたのを主に5つの王国が中心となり同盟国家として纏まった成り立ちがあるが、その王国の中でも旧ルミエール王国と双璧を為す国力の旧ルージュ王国王家の末裔ということだ。
余談であるがルミエルージュ公国ではその5つの王国の旧王家が今ではそれぞれ大公となっており、その5家の中から国家の指導者となる公王を選ぶシステムである。ちなみに現在の公王はルミエール家の当主が担っている。
ともあれ、そのシャルロット嬢は強気に吊り上がった瞳に青い炎を燃やしながら傲然と言い放つ。
「ティナとやらがどこの馬の骨か知らないけど、ここグロリアサクセサー学園は大陸でもトップクラスの教育を施す場。既に下手な魔術師よりもわたくし達の方が高い実力を有していると思うのだけれど、それでもわたくし達に何か教えられるつもりかしら?」
「そうですか、魔術師を見かけで判断するのは戦場では死を招く油断に繋がりますので正したいところですが、お気持ちは分からないでもありません。他の皆さんもシャルロットさんと同じ疑問をお持ちですか?」
質問と共にセレスティナが見回すと、明確な返事は返ってこないものの微妙にシャルロットに追従する空気が見られる。
その様子に彼女は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて挑戦的な台詞を口にした。
「では、最初の授業は実戦形式にしましょうか。お互いの実力を知るにはそれが一番手っ取り早いですし」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい!」
実戦形式と聞いて慌てた様子でストップをかけるクラリス教諭。魔術師にとっての実戦とは当然向かい合った状態での攻撃魔術の撃ち合いのことを指す為、上流階級の子女を教える場としてはそのような危険な行為は看過できないのだ。
だが、セレスティナは落ち着いた様子で心配要らないことを告げる。
「大丈夫ですよ。遊びの延長ですから誰も怪我しないようにします。それでは、プールに場所を移動しましょうか」
実技棟の中でもこの訓練場とは別に、水場での戦いを想定したりただ単に水遊びしたりする目的で水を張ったプールが存在する。これからの授業の為、そちらに向かって皆を先導するように歩き出すセレスティナ。
だが自分の身長より長い杖をひょこひょこ揺らしながら歩くその後姿は、やはりどう贔屓目に見ても威厳の欠片も無いものだった。




