030話 人脈の交差点(スクランブル)
▼大陸暦1015年、堅蟹の月1日
月が変わり、夏を間近に控えた太陽が少しずつ本気を出してくる時期。
この大陸では夏は乾季にあたるので、多少の夕立や通り雨はあるが全体的にカラリと気持ちよく晴れた比較的快適な暑さが続く。
そんな訳でセレスティナとクロエも今日から衣替えを行い、薄手で袖や裾も身軽な夏用のドレスやワンピースに身を包みだした。
銀髪が陽光を反射し精霊が降臨したかのように周囲に光の粒を纏わせており外見だけだと神秘的に見えなくもない令嬢セレスティナと、褐色の肌に艶やかな黒髪をした健康的で生命力溢れる侍女クロエ。この二人の組み合わせは互いが互いを引き立てる好対照を成しており、夏服になって更に彼女たちの輝きを増し加えている。
そして、服装以外にも、彼女達の生活に堅蟹の月から新たな変化が加わろうとしていた。それは――
「ええ!? ティナが王立学園の臨時講師に!?」
「はい。一昨日、学園から宿に直接使者の方が見えられまして」
最近のお気に入りの店の一つであるこの食堂で、大雑把な肉野菜炒め定食を食べながら、大きな丸テーブルの向かいで驚きの声を上げる少年にセレスティナが返した。
丸テーブルは探索者のパーティを想定していると思われる大きく頑丈なもので、今はセレスティナとクロエを含め5人の男女で囲んでいる。
残りの3人はここ王都グロリアスフォートに向かう途中で知り合った、『トライデント』という若い探索者のパーティの、アルフ、バート、シアだった。
探索者通りで偶然再会したので、情報交換も兼ねて昼食を一緒に、という流れになったのである。
「そっかあ。王立学園と言えば貴族サマとか大商人とか雲の上の人たちの社交場だから、生徒も教師も余程の立場じゃないと入れないんだけど……大出世じゃねえか!」
「聞くところによりますと、グレゴリー先生という方が長期不在になりまして、その穴埋めで明日から週1回の臨時講師待遇で魔術を教えられる人材が急遽必要になったみたいです」
パーティリーダーのアルフが自分の事のように目を輝かせて聞いてくるのに対し、セレスティナは一昨日に学園の担当者が語った事情をそのまま告げる。
すると、そのグレゴリーという名前に3人が食いついた。
「グレゴリー術師って、王城の専属探索者の中でもほぼ最高位の魔術師じゃないか!」
「そ、そんなに凄い方なのですか?」
セレスティナが聞き返すと、3人は口々にそのグレゴリー講師を賞賛する言葉を紡ぎ出す。
「凄いも何も、探索者として数え切れない程の魔物を退治した、次期の宮廷魔術師長候補の筆頭だぜ!?」
「この国でも戦闘なら3本の指に入る魔術師だと思う。残りの2人は今の宮廷魔術師長と勇者パーティの“氷姫”だろう、と言われている」
「それなのに、後進の指導も重要視してて自分から望んで学園の教師をしてるんだって。憧れるわよね~」
「なるほど。教育を重要視されてるのですね」
余談であるが、今の3人が国内のトップ3と“言われている”というのは、人々の勝手な予想であって実際に戦って順位を決めた訳ではない。魔術師同士が戦って勝敗を決めるというのは非常な危険が伴うので滅多に行われないからだ。
魔術師同士の戦闘は基本的に攻撃力の高い飛び道具を撃ち合う展開になる為、手加減とか寸止めが難しく、“試合”ではなく“決闘”に近くなるのが主な理由である。
その為、単純に攻撃魔術の火力で強さが語られる事が多くなる。
「そうすると、火力的に不利なのに女性の身でトップ3に名を連ねるその“氷姫”さんは、相当規格外なのでしょうね。機会があれば一度お手合わせとかしてみたいです」
自分と同じように火力不足を技術や発想で補うタイプだろうか。考えるだけでワクワクして顔がふにゃっと綻びそうになるのを慌てて引き締める。
「それで、グレゴリー術師が学園を空けるってことは、きっと遠征に選ばれたんだろうな。魔界の火吹き山に姫様の――」
「ちょ、馬鹿っ!」
何か言いかけたアルフの口をシアが慌てて塞いだ。前にも見たパターンだが今回は聞き逃せない単語が入っており、セレスティナもクロエも顔つきが変わる。
「火吹き山ですか!?」
「あ、いや、えっと、今の無しで……」
「すみません、そこを曲げてお願いします。決して情報の出所は口外しませんし情報料もお支払いしますからっ!」
珍しく食い下がるセレスティナに『トライデント』の3人も押され気味だ。そして最終的には危ないところを助けられた恩があるのが幸いし、「そんなに詳しく聞いてる訳じゃないけど……」と前置きしてからアルフが語り出した。
「フェリシティ姫――あぁ、この国の年下の方の姫様が、最近姿をお見せにならずに、まぁ、噂でしかないが病で臥せっておられるみたいなんだ。それで、詳細は伏せられててオレ達も知らないけど最近ギルドの方で遠征部隊の募集があったらしくて」
“らしくて”と言うのは、このような依頼は張り紙で堂々と公開されたりしないのでギルド長直々に熟練者をスカウトしていたということだ。
本当はこのように腕さえあれば誰彼構わず誘うというのも良くないのだが多人数引っ張って来ればその分多額の予算を融通して貰えるという裏事情による。
「それで、遠征先が魔界の火吹き山って話だから、きっと姫様のお薬の材料だろうと思って……」
「なるほど、ありがとうございます……」
話を聞き終え、形の良い顎先に手を当ててセレスティナは難しい顔で考える。魔国の領内にある火吹き山には何度も登ってそこでしか取れない素材を集めたことはあるが、薬の材料になる物があるかというと少なくともセレスティナの知識には無かった。
彼女が知らないだけなのか人間族の文献か何かに特別な知識があるのか、はたまた本当は薬の材料ではなく違う物を求めているのか、現時点では判断がつかない。
もう少し調査が必要と、こっそりクロエと頷き合う。
「分かるのはこれだけだ。本当に噂程度の話だしティナは命の恩人だから、情報料とかは要らないぜ」
「じゃあせめて、ここのお昼ぐらいは私に奢らせて下さい。それとご希望でしたらウェイトレスさんの胸元にチップをねじ込む権利もお譲りしますが」
「いやいや、そういうのは良いから!」
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あれから食事代とチップを支払ってセレスティナ達は、午後から近場に薬草を摘みに出かけるという『トライデント』と別れ、カールの道具屋へと足を運んだ。
アルフ達は先日の敗戦で打ち砕かれた自信を少しずつ積み上げ直している最中のようで、堅実な依頼を着実にこなしているところらしい。
こればかりは探索者でないセレスティナ達がアドバイスできる問題ではないので、心の中で応援しつつ時間が解決するのを待つのが得策だろう。
「遠征部隊かあ。お嬢ちゃんは耳が早いねえ。本当は秘密にしておかなきゃいけない話なんだけど、次の容量拡大鞄の納期に関わることだからねえ」
この店は冒険者や王城とも頻繁に取引があるのでもしかすると情報が聞けるかも知れない、というセレスティナの思惑通り、カール店長も遠征部隊の準備に一枚噛んでいるようだった。
先程のアルフ達の件も含めてこれまで地道に行ってきた営業活動やら人助けやらがここで返って来たのを実感し、やはり持つべきものは人脈だ、とセレスティナは心の中で今までの出会いに感謝する。
「内緒で頼むよ……その遠征部隊は今月の5日に出発予定で、それまでに次の容量拡大鞄が間に合えば全部買い取りたいって話が来てるんだ。もし間に合えば3日後……今月の4日までに出来た分だけでも良いから納品してくれるととても助かるよ」
「分かりました。何とかしてみます……えっと、師匠が」
相変わらず非実在師匠に責任も名誉も押し付けて快諾した。
その後は最近の売れ筋の商品や新作の魔道具などといった世間話で時間を潰し、店を出て帰路に就く。
出発時のお出かけ気分は何処へやら、セレスティナは眉間に皺を寄せた難しい表情で呟いた。
「火吹き山に遠征して素材泥棒ですか……近いうちに一度、本国に報告に帰った方が良さそうですね……」
「そうね。特に通り道になる町や村なんかは、小さい子を一人で外に出さないよう警戒を呼びかけないと」
人間族が密入国するとなれば、まず第一に気をつけるべきなのが人的資産の保護、つまり人攫いへの警戒だ。
それに加えて、行き先と予想到着日時が明確なら殲滅するにしても捕縛するにしても対策が立てやすい。
「……それにしてもあの宰相もとんだタヌキよね、律儀そうな渋いおじさまの顔で油断させておいて裏でその計画進めてたとすると」
「国際関係は冷徹に損得で考えないと最悪国が滅びますから。同盟国ですら利用するくらいじゃないとこういう大国の宰相は務まらないのでしょうね」
つまりは同盟国どころか国として認められてすらいない魔国の扱いは、さしずめ便利な素材が眠っている危険な迷宮と言ったところだろうか。
それはさておき、情報を整理して持ち帰り対応を協議するべく、今の予定をある程度先んじて進めて今週の後半に帰国の為の日程を空けたいところである。
「でもまずは、明日の臨時講師が差し当たりの山場でしょうか。学園側がどういう思惑で私を招聘したのか少し気になりますが……」
「んー。貴族の子供どもを預かってるって話だから、防犯を考えるとただ単に実力のある魔術師ってだけで呼ばれるとも思えないわね」
二人して彼女が今回学園の臨時講師に招かれた真意を類推しようとするが、如何せん判断材料が少なすぎて絞り込めない。
「魔族側の魔術の秘伝を盗む目的で、とかだったら用心しないといけませんね」
「そうよ。ティナが調子に乗って人間側の戦力を大幅に底上げなんてしたら利敵行為として軍の情報室に報告しなきゃいけなくなるわ」
「気をつけます……ただ、逆に人間側の現在の魔術教育水準を知る良い機会でもありますから……それに、また新しく人脈を広げるチャンスですし、疎かにはできません」
子供達に囲まれて先生と慕われる未来図を思い描いたか「えへー」とだらしなく顔を緩ませる彼女は、クロエの目から見ても先生に指導される側の人だった。




