028話 新たなる任務(一歩ずつ着実に……)
▼大陸暦1015年、双頭蛇の月22日
それから1週間後――
アルビオン王城の応接室にて今、一つの契約書に署名がなされた。
条約ではなく、契約書である。つまりは王城側が、魔国の外交官ではなく一人の魔術師の立場としてのセレスティナと個人的に結ぶに過ぎない約束なのだ。
内容は、甲――王城側が、犯罪組織『金鹿の尖角』の人身売買部門を厳しく処罰し、その被害に遭った獣人達を保護し解放すること。
そして乙――セレスティナ側は、『金鹿の尖角』に対し襲撃を受けた際の正当防衛以外での一切の手出しを差し控えること。および獣人達の解放度合いに応じて元々王城所有の国宝を届けること。
期限は今日この日から数えて3ヶ月間を見ており、それまでに獣人達の保護に関して進展が無かったなら改めて契約を更改するなり破棄するなり協議を執り行う予定である。
その点でセレスティナの見立てでは早くも宰相の護衛騎士の顔ぶれが一人代わっていたりして、王城側は改革する気に満ち溢れている印象だ。
「契約成立、ですね。それでは、このファイルは宰相閣下にお預けいたしますので、どうか有効にご活用下さい」
「ああ。必ずや、セレスティナ殿の仲間の行方を突き止めて見せよう」
犯罪組織による闇マーケットでのこれまでの裏取引リストが収められた黒いファイルをクリストフ宰相に手渡し、硬く握手を交わす。
そして王城に勤める書記官の手により3枚作成された契約書の1枚を受け取り、彼女は大事そうに封筒に納めた。残りの2枚は、宰相と書記官本人が保管することになる。
他国要人と初めて交わす契約の書類。セレスティナが目指す国際条約を結ぶにはまだまだ道のりは遠いが、それでも確かな一歩を踏み出した手応えを感じ、彼女は顔を綻ばせるのであった。
「さて、セレスティナ殿はこれから後時間は空いているかな。先日の約束を果たそうと思うのだが」
「ううっ、そうですね……先延ばしにしても意味が無いですし今から済ませてしまいましょうか……」
約束とは、先日の襲撃その他で酷い格好になったことの補填として新しいドレスを王城の経費で補填する話のことである。服の仕立てはじっとしている時間が長くセレスティナはあまり好きではなかったが、渋々と女官に連れられて別室の方へと移動する。
そしてその後はクロエ共々お針子さん達に散々着せ替え人形のような扱いを受けたり、特にクロエの耳と尻尾が大人気だったりしたが、それはまた別の話だ。
▼大陸暦1015年、双頭蛇の月25日
場所は変わって、魔国テネブラ外務省、その省長室。
「――以上が今回、アルビオン王国の宰相と契約を結んだ件の報告になります」
重厚な執務机の向こうに座るサツキ女伯とついでに横に控える秘書官のジレーネに、セレスティナは事の顛末を報告し終えた。
この報告と今後の相談も兼ねて、彼女とクロエは一旦テネブラに帰国していたのである。帰路は恒例の《飛空》で昨日1日かけて移動し、出発は明日の朝一番と、結構なハードスケジュールである。
クロエの方も今頃は軍務省に出向き、諜報官としての中間報告と後セレスティナから頼まれたポーション等物資の補給を行っていることだろう。
尚、先日セレスティナが宰相に渡したサツキ女伯からの親書、つまり外交会談のセッティングの要望についてだが、最近王城側で大きな問題が持ち上がっているようで今はそれ所ではなく、少々棚上げになっているようだ。この件も3ヶ月中に進展を期待するものとなっていると今回の報告に含めておいた。
「……………………」
対するサツキ女伯は9本の立派な尻尾をふりふり揺らしつつ沈黙していたが、やがて大きな溜息をつく。
「え? あれ? あれれれ? 何ですかその面倒な仕事を持って帰りやがってみたいなお顔は? もしかしてツンデレですか? デレの発生条件はどこですか?」
「お昼寝とかおやつの時は大抵デレ~ってしてるかな!」
それはダラけてるだけだとも言うが、さておきサツキ女伯は「休み明けから働きたくなーい」と我が侭を言いつつ上質の机に突っ伏す。その拍子にぽよよん、と胸が柔らかく衝撃を吸収する。
この時、セレスティナは生まれて初めて机が羨ましいと心から思ったのだった。
尚、「休み明け」というのは、昨日がいわゆる安息日つまり週に一度の休日だったということである。この世界でも1週間は7日で構成され、内1日が公的機関を含めた大抵の職場が休みになる公休日なのだった。
商店や食堂なんかはそういう日の方が書き入れ時なので別の曜日に休みをずらす事が多い。
「あ、おやつと言えば一応お土産用意しておりますので……」
気持ちを切り替えてセレスティナは、旅行鞄を開けて中から大量のお菓子やお酒やお茶等を取り出し、積み上げる。
いずれも大陸最大の都市であるグロリアスフォートで買い込んで来たもので、娯楽と言えばバトル三昧の魔国テネブラとは違い嗜好品の類も充実している訳だ。
「省の職員みんなにと思って持ち帰ってきましたので、独り占めはしないで下さいね」
「えぇー」
早速一番高級そうな酒瓶を抱きかかえるサツキ女伯に釘を刺す。そんな様子を見てジレーネが一言。
「じゃあ今から一緒に皆に配りに行こうか! 適当に休憩所に置いとくだけよりも直接手渡した方がティナのイメージアップにも繋がるもんね!」
「え? イメージアップって、別にそんなつもりは……」
「でも、こういう所で顔を売っておけばティナの仕事を手伝ってくれる人も誰か出てくるかも知れないし!」
ジレーネの言うセレスティナの仕事とは、彼女が今後の必要課題として先程の場でサツキ女伯に上申した事柄二つを指す。国内の行方不明者のリスト作成と、拉致被害者が帰国する際の受け入れ態勢だ。
前者は、軍務省や内務省の方で纏められている資料が既にあるが、それを外務省内で確認できる情報として写しを作成したり、また可能ならば地域ごとや年齢ごと等に情報の分類分けをしたいという事。
そして後者は、今後他国に攫われた魔族が交渉の結果帰国することを想定し、行方不明リストとの照合や一時的に住める場所の確保や、そういった諸々の手続きをスムーズに進める為の手続きをしっかり考えておく事である。
普通ならこういう仕事は外務省の職員が分担してやるべき内容だが、勤労意欲の点でも仕事の経験値の点でも不安があり、最悪自分一人でやらなければとセレスティナも覚悟をしている所だったのだ。
「そうですね。ではちょっと買収の行脚に出ることにしましょうか」
「だね! お菓子で釣れれば安いものだと思うよ!」
「えっと、では、サツキ女伯、次の指令は何かありますか?」
遊んで欲しい犬のように透明な尻尾をパタパタと振りつつ次の仕事を待つセレスティナ。ぐうたらなサツキ女伯には理解できない感覚だ。
「そうねえ……帰国者の受け入れ態勢については他の省と足並み揃えた方が絶対に有利だとは思うけど、実績が無いとまず動いてくれないと思うから……」
執務机の上でダラけて早速お土産のお菓子を口に入れながら、サツキ女伯が考えを口にする。
受け身な姿勢ではあるが、その理由は単にサツキ女伯が働きたくないことに留まらず、国家戦略上の外務省の発言力の低さにも起因しているのだ。
具体的に言うと、国家の意思決定機関である三公四侯に外務省長は入れられておらず、外交方針についてもその議会の決定を得ないと動けないしそれに向けて票の動きに介入する事も難しい状態ということだ。
従って、外務省が独自に動ける極めて狭い範囲で少しずつでも着実に効果を出していくのが、今執れる唯一にして最善の方法なのである。
「まずは実績作り、かしらね? 連れ去られた魔族同胞を少人数で良いから一度、ここに帰国させること。それを成果に掲げて軍務省と内務省の協力を仰ぐ。こんな所かしら?」
「はっ。精一杯頑張ります」
セレスティナは背筋を伸ばしてびしっ、と敬礼を一つし、サツキ女伯からの指令を承った。
「それから、もし会談であたしも王都に出向く事になった時に備えて、かあいい男の子が酌をしてくれる店チェックしといて~」
「し、しませんよっ!? 何でそんなお店に行きたがるんですか!? 意味が分かりませんっ!」
上司のあんまりな要望に、うがー、と吼えるセレスティナであったが、もしこの場にクロエが居たならば「胸の大きい女の子がゆさゆさ揺らしながら料理持ってくるお店に行きたがるティナも同類よ」とばっさり斬り捨てられていたことだろう。
それはともかく、拉致被害者の奪還という新たな任務を受けたセレスティナは大量のお土産品を抱えて意気揚々と省長室を後にする。
その後姿を、サツキ女伯は随分前に失った熱いものを懐かしむような眼差しで見送るのだった。
第2章 西の王国での初仕事 ―終―




