024話 はじめてのこうしょう・2(交渉材料)
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「『金鹿の尖角』対応の主導権……?」
宰相クリストフ・オーウェル公爵が、訝しげに眉間に皺を寄せた。国宝の返還を交換条件に提示するかと思っていたら予想外の搦め手が飛び出して来た為、少しの時間をかけて思考を整理する。
やがて、紅茶に口をつけると宰相は続きを促してきた。
「ふむ。続けてくれたまえ」
「では詳細を説明させて頂きます。このファイルはとある信頼できる筋から入手したもので、中には『金鹿の尖角』のこれまでの裏取引履歴が載せられております」
そう言うとセレスティナは、ファイルの中から適当に2枚程選び出して取り出し、宰相の側に向けてテーブルの上に置いた。
重要な取引材料になるので今のこの場で全部を見せる訳にはいかない。続きは交渉が成立してからという体験版戦法だ。
勿論昨日のうちにファイルの写しは作成して“隠れ家”の中に保管してあるが、情報の価値が変動するのは取られた時ではなく見られた時であるので、セレスティナとしても過敏なまでに慎重になっているのである。
「なかなか興味深い資料だ。して、この紙切れが本物だという証拠はあるのかな?」
試すような宰相の言葉に、セレスティナも慌てずに応じる。
「お渡しした首飾りが本物かどうか、その結果を元にご判断頂ければと思います。それと、もし今後同様に落し物を発見した場合も同様にお届けさせて頂きますので、補強する材料にはなりますかと」
要は今回の首飾り以外にも国宝を幾つか確保していることを仄めかし、相手の関心を逸らさないようにする作戦である。
「それで、この裏取引履歴の中には獣人、つまり我が国の国民である魔族も入っていまして、私どもとしてはどうにか故国に帰してあげたいと思ってる訳です」
目を伏せて話を続けるセレスティナ。演技ではなく、自分自身や友人が攫われかけた過去を持つ為、運悪く攫われた魔族が人間の国でどのような生活を強いられているのか考えると胃と心が重くなる。
「正直なところ、手段を選ばずに……と言いたいところですが、貴国の立場としましては犯罪組織でも木っ端微塵に粉砕してしまうと困りますよね?」
「なっ……!? そ、それは……!」
セレスティナの乱暴な質問に、宰相が思わず息を呑む。
彼女がこの王都で今までに調べ上げた内容から推察する限りでは、犯罪組織『金鹿の尖角』は“必要悪”としての側面、つまり他の犯罪者集団に対する抑えの役割も果たしていると見ており、恐らく王城側としてもその点をある程度理解していて存続を許している、そういう力関係なのだろう。
それはすなわち、お節介な外部犯がある日突然『金鹿の尖角』を完膚無きまで叩き潰したりすれば、それまで抑圧されていた連中の活動が活発化して却って面倒臭い事態に陥る事を意味している。
ここまで見越した上で、彼女はこれを交渉のテーブルへと乗せてきたのだった。
もし王城が主体で『金鹿の尖角』に対処するなら、裏取引のリストを精査することで今まで尻尾を掴ませなかった悪徳貴族や腹黒商人を追い詰めつつ、王城側の都合の良いように『金鹿の尖角』も含めて“処罰”し“再編”させることができる。
城内の政治勢力的な、そして首都や国内の治安維持的な観点でもダメージコントロールが容易になり、交渉材料としても美味しい部類に入るのだ。
「私どもとしては目指すところは犯罪者撲滅の正義感でも盗品売買による利益を奪おうというのでもなく、人身売買部門のみ摘発して壊滅させたいだけですので、協力の余地は十分にあると思ってます」
「ふむ、言わんとすることは理解した……」
宰相はしばし瞑目し沈思し黙考する。脅迫と言えば脅迫だが元々は人間の側が不法に連れ去った被害者を同様に不法に奪還するだけなので正当防衛の観点だとそこまで強くは言えない。
更には、彼女達が脅威度の高い魔獣であるマンティコアを倒したという噂が広がっているのもこの場合は実力の裏づけとして有利に働いていた。
「それにしても、顔に似合わず随分と過激なお嬢さんだな」
「私は出来るだけ平和的に解決したいと願っておりますが、国内には短気な方が多いですから、外務省としても対応に苦慮してるのですよ……」
ちくりと皮肉を言ってくるのを苦味のある笑顔で受け流し、セレスティナは続けた。
「それに、国交が正常化していないこの状況で、人間の皆さんは私どもを魔界だ魔物だと蔑んでおいでですし、なのに人間の国の法や常識には従えと言うのは些か虫が良すぎるご要望ですよね。これから貴国が我が国に対してどのように接するのか、良きご判断を期待します」
先の親書の件と結びつけ、二択の選択肢を突きつける。これが今後の両国、いや大陸全土の国家戦略に大きく関わる重要命題となり、暫くの間各国首脳を大いに悩ますことになるのである。
「国として、人として、対等の存在と見て下さるのでしたら、不当に拘束された国民の早急な救済を国家的規模で要求するものでありますし、あくまで魔物扱いするつもりであればこちらとしても真に不本意ながら、それこそ卵を奪われた竜の如く動くしかなくなります」
竜種の圧倒的な破壊力は人間の国でも恐怖の象徴として伝わっているようで、宰相やお付きの騎士までも言葉を無くす。高位の竜は知性があり意思の疎通ができることは知られているが、だからと言って竜の理不尽な暴虐を裁判官が裁いたり、竜の棲む山に外交官を派遣して苦情を申し立てたり出来ないということだ。
「……ちょっと先走りましたかね。この辺りの国際条約に絡む重要案件は私ではなく外務省長が担当することになると思います」
あくまでこの場でのセレスティナの外交官としての仕事はサツキ女伯からの親書を渡して外交会談の席をセッティングするところまでだ。
犯罪組織を潰したり目の届く範囲での拉致被害者を救出したりというのは、現時点ではまだオマケに過ぎないのである。
それに、ハッタリ半分で言ったはいいが本当にこの王都で暴れて魔物らしく勇者に“退治”されるのも御免だ。これから少しずつ双方が歩み寄って最適な落とし所を模索していく方が、きっと優れた道だと信じている。
伝えるべきことは伝えたと、セレスティナは黒ファイルの資料を回収して、一つ息をつく。
「今日この場で回答がお聞きできるお話ではないと思いますし、また近いうちにお邪魔させて頂きますね」
「ああ。こちらでも関係者に話は通して対応を決めておこう」
「それでは、宜しくお願い申し上げます」
セレスティナが母親仕込みの柔らかい動作でお辞儀するのを見て、一瞬だけ娘を見る父親のような優しい表情になるクリストフ宰相。人は中身が重要だとよく言われるがそれでも外見を疎かにしてはならない良い教材である。
「あと、もし何かお困りごとがありましたら、外交官としてではなく一人の魔術師としてお手伝いすることもできます。害獣退治とか薬草探索とか魔道具の調整とか」
「それは有り難い話だな。優秀な魔術師はどこの部門も喉から手が出る程欲しがってるからな」
ほぼ探索者の営業のような文句になってしまったが、人間の国では魔術師は貴重な為、売り込みしておけば今後のチャンスにも繋がるだろう。
マンティコアを倒した話も王城まで出回っているようなので、無理に隠そうとも思わない。
「さて、では話は以上かな」
「あ、最後にもう一点だけ」
立ち上がろうとする宰相にセレスティナがはいと手を挙げた。これまでの議題に比べると些細な事だが彼女にとっては重要な問題があるのだった。
「私の、と言いますかこのバッジを着けた者の外交官特権につきまして、他国の外交官と同等の扱いを要求しますので関係各所に通達の程をお願いいたします」
この世界でも外交官に対しては任務遂行上の安全や権利がしっかり守られるよう規定した国際協定が存在している。それは彼女にとっても当然保証されるべきものであり要求して然るべきという訳だ。
「差し当たり移動の自由やそれに伴う税の免除、不逮捕特権、住居不可侵、あとは王城を訪れた際の面会優先枠、この辺りは当然持ってる物として今後振る舞いますので、以降宜しくお願いします」
「むう……」
「お互い職務に忠実で礼節を守る限りは、トラブルになる事はありませんよ」
良い笑顔で一方的に告げて帰り支度を始めるセレスティナ。多少強引だと自分でも思ったが、この件については国家の主権と尊厳に属する問題なのでアルビオンの許しを得るまで待つ方が外交的に下策になるのである。
早い話が、ウチは属国じゃありませんので! という意思表示ということだ。
そのようにして、当初想定していた程の波乱も無く、セレスティナのアルビオンでの最初の外交交渉は終わりを迎えた。
帰りは王城側が馬車を出してくれるという話になり、一旦クロエと合流して馬車に乗り込むのであった。




