002話 研究室の5人(男女比2.5対2.5)
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侯爵家令嬢セレスティナ・イグニスはいわゆる転生者である。
地球と言う星の21世紀日本で電気・電子工学を学ぶ男子学生がなんか死んだら、異世界で魔族のお嬢様になっていたという、まあこの業界では割とよくある話だ。
電気工学がまだ学問として発達しておらず、その代わり魔術の存在する世界。
昔から工作が好きだった彼が目指していた電気回路技術者の夢は呆気なく絶たれ、代わりに彼女は魔術回路、いわゆる魔術の行使や魔道具開発という新たな研究対象を見つけることになる。
しかし、彼女が望む研究型の魔術師を目指すには緊迫した世界情勢が障害となった。
人間と魔族との確執。いつの時代からか、人間側は魔族側の人と国との尊厳を認めなくなっていた。人間側にとって魔族は討伐すべき、或いは素材を獲得すべき“魔物”であり、魔国は魔物の跋扈する“魔界”と見なされた。
そして魔族側にとっては、人間は身勝手な密猟者であり侵略者、戦うべき相手であり打ち倒すべき敵だ。
小競り合いから戦争まで、大小さまざまな戦いがあり、大量の血が流れ大地に染み込んだ。
ここ100年程は大きな戦いは起きていないが、それでも少人数の人間たちが時おり魔国に侵入してきては、貴重な素材や資源を密猟し密漁し盗掘し盗難し、更に最悪の場合魔族の女性や子供を拉致することさえある。
勿論魔族側も黙って眺めてる筈がなく、警備隊や自警団や軍が出動し撃退したり殲滅したりする結果になる場合も多いが、こちらが気付かないうちにまんまと逃げおおせる事例もゼロにはならず、進入の阻止および奪われた人的・物的資源の奪回が魔国テネブラの悲願となっている。
そのような歴史を経た今、戦闘力つまり軍事力の増強は国の最優先課題であり、この情勢下で優秀な魔術師はまず第一に戦力として、次に兵器開発者として期待される。
だが、幼少期に起きたとある事件の影響でセレスティナは、この国際情勢を改善する為の糸口として、軍務省よりも外務省を目指すようになっていた……
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さて、学長との話を終えた彼女は、《飛空》の魔術で3階の窓から友人達の待つ研究室に帰還した。
「ただいま戻りました」
「って、徒歩じゃなかったのかよ」
竜の血を引く角と瞳と背中の翼と強靭な尾が特徴的な竜人族の少年、ヴァンガードが班のメンバーを代表して突っ込む。それに対して悪びれもせずに効率厨のような謎理論で答えるセレスティナ。
「あれは呼び出しの時だけでしたので帰りは対象外です。それに外交の仕事に就くならフットワークの軽さは必須ですし無駄に移動時間を費やすのも勿体無いですし」
「また問題起こしても知らんぞ……」
実は彼女は以前にも窓から窓に近道したら、誰も使っていない筈の教室で女教師と女生徒が密会している現場に出くわし、口封じとして百合の花園に引きずり込まれかけたことがある。
どうやら異世界の百合は蔦を伸ばして獲物を積極的に捕食するようで油断も隙も無い。
それで、その件が風紀的に大きな問題に発展し、学内での不倫行為に加えて半ばとばっちりを受けた形で学内での飛行行為も大きく規制されたという話だ。
「え、その件、私悪くないですよね? むしろ被害者ですよね?」
「その話題はいつも平行線になるから置いておくとして、進路相談はどうだったんだ? 希望は通りそうか?」
なんだかんだで一応は心配してくれているらしいヴァンガードが尋ねると、セレスティナも真面目な顔になった。
「夏休み明けの建国祭で開かれる上覧試合で勝てば推薦状を下さるそうです。試合順は最終戦で私のお相手はヴァンガードさんになりますが」
「……ほう」
上覧試合。それは年に一度の建国祭で開かれるイベントの一つで、大勢の観客の見守る中、腕に覚えのある戦士達が戦闘技術を競い合う場だ。
特に翌年卒業を控えた上級学年5回生からなる学生の部は若い戦力発掘の場として軍関係者からの注目度が高く、軍務省への進路を目指す学生としても絶好のアピールの場なのである。
就職先としての軍部の人気が高まるにつれ本来あるべきお祭りの出し物としての目的を逸脱し、昨今では軍部の中でも特に人気の高い部署――例えば総司令部――への希望者を選別するための一次試験の場と化しているのだった。
「意味が分かりませんよね……軍務省希望者が集まる中に放り込んでおいて、軍に行きたくなければ戦って勝てだなんて」
自分の席に座って机にぺたんと突っ伏しつつ、セレスティナが愚痴る。学長にも同様の苦情は申し立てたのだが、「未来は戦って切り拓くものよ」と謎の魔族理論で押し切られた。
「それに、私が無駄に出場枠を食い潰すことで誰か一人が上覧試合に出られなくなるのも申し訳ないですし……」
「いや、そこは気にしないで良いと思う。ヴァンと戦いたがる奴なんてどこにも居ないわ」
続く彼女の台詞を、健康的な褐色の肌に黒猫のような耳と尻尾を生やした獣人族の少女がばっさり否定した。
上覧試合ではより多くの出場者の試合を観戦することが優先される為、トーナメントのような連戦ではなく実力の近い者同士での試合が組まれるからである。尚、学生の部は参加者20人で10試合が組まれる。同じ人数でトーナメント戦を開く場合の約半分の試合数だ。
それで、今年の試合の組み合わせで問題になっているのが、竜人族であるヴァンガード・フォルティスの相手を努められそうな人材が居ないことだった。
フォルティス公爵家の当主にして現軍務省長であるアークウィング・フォルティスの息子。この国では爵位が高い者は戦闘力も高く、中でもアークウィング公爵は単体戦力で国内最強と言われており、その息子であるヴァンガードも当然ながら同年代の中では頭抜けて強い。
白金のような色合いの金髪に瞳孔が縦長に細まった黄金色の竜眼を持つ背の高い少年で、腕力、運動力、耐久力、魔力共に高いレベルを維持した生まれつきの戦場の覇者。特に槍を振るった近接戦闘が得意であるが遠距離からの魔術の撃ち合いでも高い火力を誇る。
彼の希望進路は当然のように軍務省の総司令部、将来は父親の跡を継ぎ次代の軍務省長の座がほぼ確実視された、生粋のエリートである。
勿論これまでの学院生活中に何度も腕自慢の少年達から試合を挑まれたことはあったが、彼はそのことごとくに力の差を見せ付ける形で勝利し、挑戦者達の自信を木っ端微塵に粉砕してきた。おかげで今は学内に試合相手が見つからない状態だ。
「あぁ。お嬢ならヴァンの兄貴相手でもそこそこ良い勝負にはなりそうだよなぁ」
黒猫耳の少女の言葉に、灰色の髪の活発そうな獣人族の少年が追従する。
獣人族は魔国では比較的ポピュラーな種族で、獣の特徴を持ち身体能力に優れ、平均的に闘争心が強い。
褐色の肌に黒猫耳の少女の方は名をクロエといい、実際は黒豹の獣人で身のこなしが軽く、近接戦も弱くはないが隠密行動や射撃攻撃の方が得意な斥候タイプの中衛である。
つややかな黒髪を動きやすいショートカットに切り揃えており、吊り目で口数も少なめ。一見クールな近寄り難い印象だが、実際に話してみると外見ほど冷たくない常識人だったりするのだが。
灰色の耳と尻尾を持つ少年の名はルゥといい、狼の獣人で脚が速い。両手に持った双剣で高速の連撃を繰り出すスピード特化タイプの前衛だ。
伸ばした灰色の髪を首の後ろで縛っていて、移動と共に第二の尻尾のようにぴこぴこ揺れる様子は動物好きなお姉さま方に大人気の、明るくてよく喋るムードメーカーである。
尚、上覧試合ではクロエとルゥとの対戦が決定済みで、どちらが勝つのか熱い予想合戦が学内のあちこちで繰り広げられている。
つまりは獣人組は二人とも同学年で相当に強い方ということだが、それでもヴァンガード相手だと二人がかりでも勝てない。竜という存在の理不尽さを思い知らされる。
「でも、ティナお嬢様が戦うならあの手狭な闘技場はなんとかならないものかしらね~」
間延びした声を上げたのは、腰から下が魚の胴体とヒレになっている人魚族のマーリン。普通の椅子には座れないのでソファに横たわって器用に論文を書いている。
深い海のような群青の髪と瞳を持つ穏やかな雰囲気の少女だ。姿が姿なので陸上での戦闘はからっきしで上覧試合も早々に見学が決定したが、水系の魔術と錬金術の成績が良く各種ポーションの調合が得意な後方支援として活躍している。
「せめて、あの闘技場の中に海のゾーンとかあれば、わたしだって~」
マーリンの不満は極端だとしても、実際に上覧試合の際の闘技場の仕様に関しては不公平さを指摘する声がちらほら挙がっている。20メートル四方の無機質な床を戦闘エリアとして区切っており地上での近接戦が圧倒的に有利ということだ。
このルールだと距離を置いて戦う魔術師や狙撃手が自分の得意な形に戦いを運べないまま敗北してしまうケースが多く、それゆえ魔術師や飛び道具使いは滅多に上覧試合に参加しない。水中以外では戦えないに等しい人魚族などもっての外だろう。
セレスティナとマーリンが世の不条理について目と目で通じ合っていると、ヴァンガードが念押しをしてきた。
「言っておくが、試合で手加減はしないからな。自分としては、ティナも軍務省に来るべき人材だと思っている。外務省なんかでその才能を無駄に浪費して欲しくない」
「買いかぶりすぎですよ」
「いや、ティナが過小評価しすぎなんだよ。お前みたいな優秀な参謀が居れば自分……じゃない、軍としても大いに有用だ」
ヴァンガードの熱のこもった言葉に周囲が「おおー」「ひゅーひゅー」と囃し立てる。自身が軍部の中で出世すること前提なのはご愛嬌。
「こら、茶化すなよ」
「まあまあ~。それに、わたしとしても今までずっとこの5人で居たから、このまま一緒にみんなで軍務省に入れたら嬉しいよね~」
にっこりと笑顔を浮かべて胸の前で手をぱちんと打ち合わせるマーリン。セレスティナ以外の4人は皆軍務省への就職を志望しているのである。人魚族のマーリンも前線に出てくることは無いだろうが医療や調薬や経理等の後方支援として優秀な人材であるのは疑いない。
「そうですね、考えてみればあの時以来ずっと5人一緒でしたよね。丁度今日みたいに暑い真夏の日でしたか、懐かしいです……」
遠い目になって想いを馳せる。あの時、セレスティナとヴァンガードが、密入国した人間に攫われかけたクロエ達と出会った事件のことを。
そしてそれは、セレスティナが外務省行きを目指すきっかけとなった出来事でもあった。