018話 容量拡大バッグのひみつ(ものづくり回)
▼その日の夜
あれからセレスティナ達は更に何箇所かの建物や観光施設を見て回り、日が傾いてきた頃に王城を間近から眺めて宿へと戻った。
深い堀と高い城壁に囲まれた白亜の城。雪のように白い高級な石材を惜しげもなく浪費した建造物は優雅ながらも威風堂々とした佇まいで聳え立っており、ここアルビオン王国が軍事力のみならず経済や文化や技術力においても高い水準であることを伺わせるものだった。
堅牢な門と堀にかかる跳ね橋で固められた守りは厚く、セレスティナのように仕立ての良いドレスを着ていても面識や約束の無い者は城門から先には入れなかった。
「いつかあのお城の中に招かれる日が楽しみですね」
お風呂上がりにシルクの寝間着姿でセレスティナはベッドの上でうにょーんと柔軟体操をしつつ、疲れた足を揉みほぐす。相変わらず無駄に身体が柔らかく、しなやかさに自信があるクロエも時折目を見張る程だ。
「そうトントン拍子に進めば良いんだけどね」
対するクロエも色気の無いジャージもどきを着てお風呂上がりの冷たい牛乳を飲みながら返事をする。とは言っても二人で一緒にではなく別々の場所で入浴してきたのだった。
セレスティナは憧れの共同浴場でゆったりと楽しみ、クロエは耳と尻尾があるので人前で脱ぐ訳にはいかず“隠れ家”の方のお風呂で作業的に身体を洗濯していたのである。
「それにしても、あの結界は凄かったです」
「ああ。飛行対策の? 仕組みはあたしにはさっぱり理解できなかったけど、ティナの得意技が封じられるのは痛いわね」
王城を取り巻く魔術的な防衛装置を思い返しつつ、会話を続ける。《飛空》の魔術が存在する以上、王城のような重要施設ではその対策を施すのもある意味当然と言えよう。
「見たところ、《飛空》固有の魔術回路の紋様をサーチして、検出したらそれを打ち消す逆位相の魔力波を飛ばすことで魔術の効果を強制的に終了させる原理みたいですね。魔術に長けた魔族に対抗するのに人間族が長い年月を経て開発した独自技術と思われますが、ネックになるのは材料費を含めた製造コストで、王城のような重要施設に配置するだけで恐らくは精一杯……」
「……ぐー」
セレスティナがまた何か眠くなる呪文を唱え始めたので本能に逆らわずベッドに突っ伏したクロエ。
推測の根拠としては実際に彼女が一度、人目の無い場所から足元の小石に《飛空》をかけて飛ばすことで結界の効果を確認していた。その結果、城壁の近くまで飛んだ小石が空中で透明な壁に弾かれるように叩き落されて堀へと落下したのだ。
「あれだけの広さを覆う結界ですから相当巨大な術式を組んでるのでしょうね。堀の底とかを使って一周ぐるっと魔術回路で囲んでるんじゃないかと私は睨んでます」
「……潜って調べるなら一人でやってね」
「はい。趣味の領分ですのでクロエさんに迷惑は掛けません」
未知の技術は調べないと気がすまない性質のようで、その為には例え火の中水の中も厭わないセレスティナの学術根性に、つい溜息が出るクロエだった。
「さて、ではカールさんのお店に卸す背負い袋の作業もしてしまいますか」
柔軟を終えたセレスティナは壁際に立て掛けた全身鏡へと向かいそのまま“隠れ家”の中へと入って行き、少しして愛用の魔道具作成用の工具一式を抱えて戻って来た。
尚、カールさんとは昼間に立ち寄った道具屋の主人の名前で、店の名前もそのまま『カールの道具屋』と言った。捻りが無いネーミングだった。
「んー、じゃああたしは念の為に入り口見張っとくわ」
「はい。心強いです」
セレスティナの作業はクロエが手伝える類のものではないので、クロエはベッドから起き上がると椅子を入り口近くまで移動させてそこに座り武器の手入れを始める。
鍵はしっかりかけていても常に最悪の事態に備えるのは軍人としての彼女の思考パターンに深く染み付いているのだ。
セレスティナも、宿に備え付けられた木製の机の上に製図用テーブルによく似た作業台を設置し、その脇に一抱えある程の大きな本を開く。《容量拡大》を含めた各種魔術のサンプル回路を集めた書物だ。
続けて、15センチ四方程の純銀の板を作業台に固定させ、七色に輝く羽根ペンを手に取り特殊なインク壺に浸し、銀板に羽根ペンを走らせた。
このように魔道具は、実際に金属板の上に魔力を込めたペンとインクで魔術回路を描き込むことによって創られる。
そうすることで生身のまま魔術を使う場合に比べ、より大型で複雑な術式を安定させて扱えるのだ。
ベースとなる金属板の中でも銀は魔力との親和性が高いので最も頻繁に使われる。勿論ミスリル銀を使うと更に質の高いものが出来るが、非常に希少な物資なので幼い頃から祖父に連れられて様々な素材のコレクションを持つセレスティナでも滅多に使えないのだ。
ちなみに彼女の持ち物の中だと、愛用の雷竜の杖と長距離飛行用の絨毯と“隠れ家”への入り口になる鏡がミスリル銀製だ。
今回は予定は無いが長持ちさせたい魔道具を創る場合、銀の代わりに金板を用いることもある。性能自体は銀よりも劣るが錆等で劣化し難く故障が少ないのだ。
ペンやインクについても、当然ながら特殊な素材が使われている。
羽根ペンは魔国に棲むとある魔獣の羽毛から作られており、魔力の徹りが良く見た目も綺麗なのでセレスティナのお気に入りの一品だ。
インクは特殊な薬草や銀粉等を混ぜて調合したもので、調合が得意な学友のマーリンから買ったものを使っている。今回作る容量拡大バッグは比較的簡単な部類なのでインクも安い低品質のものを使っているがそれでも一瓶に金貨1枚ぐらい出している贅沢な品だった。
上下や左右に平行移動する定規のような補助具を使い、細かい所は拡大鏡で見ながら、セレスティナは次々と線を入れていく。
まず最初に銀板の四方を囲むように魔力供給線を太く引き、そこから中央部に向かって何本かの補助線を延ばし、細かい線や模様を書き込んでいくのだ。
その線の一本一本にも膨大な魔力が込められており、彼女は時折息をついては額の汗を拭う。
線のたった一本が掠れて途切れたり、インクが滲んで隣の線と繋がったりするだけで、その魔術回路は使い物にならなくなる。気の遠くなるような細かい作業だ。
集中力と手先の細やかさと、そして何より物作りへの愛着が無ければ到底続かない。
「いつかは、魔道具の量産化を成功させたいですね」
この世界の印刷技術では魔術回路を機械的に量産するにはまだ色々と足りない。一つ一つ丹精込めて人手で作っているので特に魔術師人口の少ない地域だと供給が追いつかないのだ。
「もしそれが出来たら、億万長者になれるわね」
「それもありますが、魔国主導で量産化の技術が展開できれば外交的にも凄く有利な位置に立てるんですよ」
宝くじ当たったら何買おうか、レベルに近い益体も無い会話を交わしつつ、セレスティナが魔術回路を描き終えた銀板を掲げた。
これを暫く置いてインクを乾かした後、錆止めやインク掠れ防止も兼ねた定着液を塗布して、最後に背負い袋の底へと取り付けて魔力を送り、起動させる。
「よし、成功です」
「あたしにはさっぱり理解できないけど、ティナが凄いことしてるってことだけは分かるわ」
袋の内部が一気に広く、深くなったのをクロエにも見せつつ、セレスティナが笑顔を浮かべた。これがカール店長の眼鏡に適えば大口受注に繋がり、この街での生活費の心配がほぼ要らなくなるだろう。
内部空間の広さは10倍に設定してある。5倍品だと効果が弱すぎて彼女にとってはつまらない仕事で、20倍品は難易度に問題は無いが高級品なので本当に売れるかどうか不安がよぎり、安全策を取る事にしたのだ。
この時点でのセレスティナには知る由も無いが、彼女が1時間程費やして作成した《容量拡大》の袋は、この国の平均的な人間族の魔道具製作者には丸1日か2日を要するものだったりする。
道具や技術の差もあるが特に大きな違いは魔力量で、本来魔道具を作るのに必要な魔力量が非常に多く、普通は1人の魔術師が複数日かけて魔力を込めるか、または複数人の魔術師が交互に注入するかして作られるのだ。
それ故に魔道具は必然的に高価に、そして品薄になるのである。
余談であるが、彼女達が持ってきた旅行鞄は、背負い袋よりも元の容量が小さい分倍率を上げ易いおかげもあるが、見た目の100倍もの積載能力を誇る。
銀板だとこのくらいが今の彼女にとっての限界値である。ミスリル板にすれば更に大容量にできるが今のところ荷物に困っておらずそこまでする必要も感じない。
「さて、ではこの勢いでもう一つのも作っちゃいましょうか」
疲れも見せずにセレスティナは“次”の素材、赤く美しい宝石と先程のよりも小さい銀板を取り出す。
「これにちょっと細工をして、明日はこれを持ってスラムの方に行ってみましょう」
そして、次なる一手に向けてニヤリと悪い笑顔を浮かべた。




