016話 馬車で行く王都への道のり(熊出没注意)
▼大陸暦1015年、双頭蛇の月2日
翌日。
1台の乗り合い馬車が、レスト村から王都グロリアスフォートに至る街道を進む。
徒歩で約1日、馬車だと朝ゆっくり出ても夕方のまだ日が高い時刻に王都に到着するぐらいのゆとりある旅路だ。
「へぇ、仕事の事情でグロリアスフォートに行くのか。良い街だぜ、人は多いし活気はあるし物は何でも揃ってるし」
「そうなんですか。それは楽しみですね」
木の板のような粗末な座席を2列向かい合わせただけの簡素な構造の車内。自前で持参したクッションをお尻に敷いて座るセレスティナ達の対面に、拠点の街を自慢げに語る3人の少年少女達が同乗していた。
まだ若く、ともすればあどけなさが残るような印象で、セレスティナと同じぐらいかもっと若いかも知れない。
先程からよく喋っている少年がこの3人のリーダー格だろう。アルフという名の快活な剣士で、その身に似合わない大剣を今は座席に立て掛けている。
彼の右側には、重そうな金属製の盾と痛そうなメイスを持った寡黙な戦士バートが穏やかな笑みを浮かべて座っている。
左側に座るのは抜け目なさそうな軽装の少女で、弓使いのシアだった。
「それにしても、弓使いはまだ分かるけど魔術師は珍しいな。王都に着いたらやっぱり探索者登録するのか?」
セレスティナの杖を物珍しそうに見つつ、アルフが聞いてくる。
馬車の道中で彼から聞いたところによると、探索者とは町の人や当局からの依頼を受けることで報酬を得る職種で、ゲームで言う冒険者とかハンターとか傭兵のような物だ。
主には危険な箇所にある植物や鉱物の回収、街を脅かす魔獣や野生動物の駆除、旅行者の護衛のような、危険の伴う内容が多い。
アルフ達3人もそろそろ中堅になりかけの探索者で、パーティ名は『トライデント』と言うらしい。ここ数日間は村からの依頼で周囲の害獣を退治してその帰路なのだと言う。
3人共レストとは別のとある村出身の幼馴染で、立身出世を夢見て上京してきたと言う。
「そうですねえ……本業がありますからちょっと様子見になるでしょうか。薬草や魔獣素材なんかを売り買いする場合は登録者じゃなくても大丈夫ですよね?」
「そりゃあ勿論。でないと騎士とかが遠征で魔物狩った時にタダ働きになっちまう」
魔獣狩りや薬草摘みをしてお金が貰える探索者生活は魅力的ではあるが、それにかまけていると本来の任務が疎かになってしまう。
他にも魔術師なら稼げそうな仕事もあるだろうし、まずは街に入ってから一通り調べてみよう。そう思うセレスティナだった。
「ところで、王都の周辺って結構整備されてるようですが、そんなに狩る程の魔獣が――」
居るものなんですか? そう彼女が尋ねようとした矢先。
馬車を牽く馬が大きくいななき、座席ががくんと揺れた。
「うわっ!?」
「ひゃ!?」
「何だ!? 敵襲か!?」
トライデントの3人が素早く武器を掴んで馬車の外に出る。セレスティナとクロエも邪魔にならないよう一呼吸遅れて外に飛び出し、ふわりと着地した。
「って、熊!?」
「まさかこんな所に」
「大きい……」
青黒い毛並みの大きな熊が、茂みを掻き分けてこちらに近づこうとしているところだった。
アルフが驚愕し、バートが困惑し、シアが息を呑む声が聞こえる。
「この辺りだと結構よく見かけるものですか? ……って、これは後から聞きましょうか。質問です。熊の毛皮とか肉ってさっきの話の探索者ギルドで高く売れますか?」
「肉はまあまあ、皮は状態が良ければ高く売れるが、オレ達の武器だと難しいな」
剣と鈍器と弓という物理一辺倒、そして彼らが自己の実力を客観的に見たところ勝てはするだろうが一撃必殺という訳にはいかず、その分余計な傷が増えてしまい商品価値が下がるということだ。
「では、私が魔術で動きを止めますからその隙に首を狙って下さい。それなら毛皮の傷も最小限で行けると思います。クロエさんはもしもの時のフォローをお願いします」
黙って頷くと、クロエは愛用の長弓に矢をつがえ、熊の眉間に照準を当てて引き絞る。
馬がパニックになりかけるのを御者が必死に抑える中、熊が後足だけで立ち上がり前足を振り上げ、威嚇の呻り声を立てた。立ち上がった際の背丈は3メートル程あるだろうか、身体が大きく腕力や耐久力もそれ相応にあるに違いない。
その強大な敵に向かって、アルフとバートが馬車の前に護るように進み出て、次の瞬間セレスティナが氷の魔術を放つ。
「――《氷槍》」
静かだが力のある声に反応し、彼女の杖の先にいつもの魔術回路が輝く。そこから4本の氷の槍が撃ち出され、狙い通りに熊の両手両脚の先をそれぞれ貫いた。
悲鳴のような大声を上げ、熊の両前足が地に落ちた。見ると、着弾点の周囲も大量の氷に覆われており、それが重しとなったようだ。
「今です!」
「おおっ!」
「分かった!」
彼女の声を合図にアルフとバートがそれぞれの武器を振るう。
アルフの大剣は切っ先の鋭い部分が熊の首に食い込んでいた。骨で止まっているが頚動脈までは断ち切ったようで、真っ赤な血がしぶく。
続いてバートが叩きつけたメイスは反対側から熊の首を打ち据え、この一撃が止めとなったようで熊は動きを止めてずんと倒れ伏した。
「お見事でした」
熊が完全に息絶えたのを確認して、セレスティナが前衛2人をねぎらう。クロエも一つ息をついて弓を下ろした。
「いやいや、ティナの方こそ凄かったって。魔術師ってすげーんだな。オレ達のパーティに入って欲しいぐらいだぜ」
「それで、この熊どうする? 折角倒しといてあれだけど、馬車には乗らないよね、こんな大きいの」
さりげなく勧誘を始めるアルフに、シアが訊いてきた。兎や狼なんかだと丸ごとギルドに持ち帰ってそこで解体して貰うこともできるが、これ程の巨体をそう易々と運べるとは思わない。
そんな彼女の言葉にセレスティナは、荷物から一振りの剣を取り出して抜き放ちつつ事も無げに応える。薄く鋭い片刃の剣で背の部分がノコギリ状になっており、戦闘よりもむしろ終了後に役に立つタイプの道具である。
「あ、私解体できますよ? 良い時間ですしついでに此処でお昼にしますか? 持ちきれない分は熊鍋にでもしてしまいましょう」
「「「ええええええええっ!?」」」
良いとこのお嬢様然とした身なりには似合わない単語に、アルフ達3人は今日一番の驚愕の声を上げるのだった。
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料理の腕は母親から嘆かれるばかりの彼女だったが、魚をおろしたり鶏肉をバラしたりだけは合格点で、要は分解したり組み立てたりが好きな子だったのである。
そんな訳で、綺麗に剥がした皮は丁寧に広げて荷台に置き、その横に血抜きを済ませた後から氷の魔術で軽く冷凍した熊肉をブロック状にして積み上げている。
骨や内臓やその他食べるのに適さない部分は後々の問題にならないようきっちり埋めてきた。
昼食後に出発した馬車の中では、先程の会話の続きが繰り広げられていた。隣ではシアがクロエの弓に興味津々だったりして微笑ましい。
「王都に近い街道は探索者もよく通ってるからな。熊なんて滅多に出て来ないんだが、森で何かあったのかもな」
アルフの言うとおり、1日にかなりの数の探索者、つまり害獣駆除を生業にする専門家が行きつ戻りつするのである。ごくまれに今みたいな野性動物やゴブリンのような魔獣が現れるが大抵出現した瞬間に討伐されるのだ。
勿論人間の盗賊なんかも非常に少ない。魔獣に勝てなければ人里を離れて生き残れないし魔獣に勝てるのなら探索者を目指した方が大抵の場合稼ぎになるから。
「なるほど、レアな現場に居合わせたんですね。そう言えば、話は変わりますが……」
熊の売却益は半分ずつという約束を取り付けて予定外の収入に相手の気が大きくなった所を狙い、セレスティナは少々際どい話題を投下する。
「魔族、えっと、獣人とかを捕まえて売り買いしてこう……奴隷にしたりする人が居るという話を聞きましたが、そういった人攫いみたいな依頼もあったりするんでしょうか?」
その話題に隣のクロエの視線が鋭くなり、必要以上の殺気を飛ばさないようこっそりと彼女の手をさする。
「いや、そういうグレーな依頼はギルドの依頼所には張り出されないな。『金鹿の尖角』みたいな裏の組織の専属とかだと話は違うんだろうけど」
彼が言うには、ギルドを通す依頼は法律や良識の範囲内のものしか許可されないそうだ。そういう訳で、ギルド側が弾くのか依頼者側の良心ゆえか、そのような依頼は表には出てこない。
但し、この手の取引の話が裏で進められるのはお約束で、アルフが今述べた“専属”という制度にも関係してくる。
中堅以上の名の知れた探索者は王城や貴族や大商人等に召し上げられる事があり、衣食住が保証される代わりに雇用主からの依頼を最優先で果たすよう専属契約を結ぶケースがあるのだ。雇用主側の依頼が無い時はギルドに向かい通常の依頼をこなしたりもできる。
そしてその専属契約を結ぶ先には裏家業に通じた悪徳商人や犯罪組織なんかもあり、そのような道に進む場合は人攫いのような依頼もきっと避けて通れないのだろう。
「けど、たとえ張り出されたとしてもオレ達はそんな正義の欠けた仕事は絶対に受けないけどな! オレ達は困ってる人を助ける為に探索者になったんだ。困る人を増やすようなことはしたくない」
現実の厳しさ、汚さを知らない少年らしい凄く真っ直ぐな理想論かも知れない。しかしだからと言ってセレスティナ達はそれを一笑に付すことはしなかった。
「立派ですね、そういう心意気は茶化したりでなく本当に応援したくなります」
「おう、照れるなあ。それで、いつか必ずあの勇者パーティみたいに王城の専属探索者になって、都市を襲う魔物達をばったばったと薙ぎ倒してやるぜ!」
「ゆ、勇者!? 本当に居たんですね……」
魔族には不吉なワードを聞き、セレスティナの笑顔が引きつる。この世界で言う勇者とは、人間側の国で時々誕生する、人類の決戦兵器とさえ言われる希少個体のことだ。
過去に魔王と互角かそれ以上の戦いを繰り広げたと言われており、そのあまりの強さから非実在論まで囁かれたことがあるが、どうやら御伽噺の住人ではなかったらしい。
セレスティナとしても人間の国で会いたくない相手ナンバー1だ。
「なんだなんだ? 勇者リュークを知らないのか!? どんだけ田舎から来たんだよ!」
続く彼の話を総合すると、その勇者リュークと呼ばれる人物は、探索者を含めたこの国の少年少女達から極めて高い人気を得ているようだ。
王城を護る騎士団長をも凌ぐ国内最強と言われる程の戦闘能力。しかもその実力は人々を苦しめる魔物や獣を退治するのに専ら向けられ、か弱い女性や薄幸な未亡人や小さい女の子には滅法優しいのだそうだ……
彼を支える仲間も“聖女”と呼ばれる美しい神官に“氷姫”と呼ばれる美少女の魔術師と、勇者本人に負けず劣らず華がある。
「だけど最近は、姫様が臥せっておられるのに関係あるのか、姿を見な――」
「ちょ、馬鹿っ!」
何か言いかけたアルフの口をシアが慌てて塞いだ。どうやら一般には知られてはならない情報が含まれているらしい。
「あはは。今のは聞かなかったことにしておきますね」
将来“天敵”になる可能性のある勇者が王都に居ないのは好都合。この話は心の奥のメモ帳に注意深く記録しておいて、彼女はいよいよ間近に迫った王都グロリアスフォートの象徴、真っ白く堅牢な城壁と白亜の大宮殿とを見上げた。




