015話 空の旅(さむい)
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▼大陸暦1015年、双頭蛇の月1日
アルビオン王国へと赴き、外交会談のテーブルを無条件で設置せよ。
その命令を受けたセレスティナは、クロエと共に魔国テネブラを発ち、西のアルビオン王国へと文字通り“飛んで”いた。
目指すは、アルビオンの首都であり、大陸最大の都市グロリアスフォート。魔国外務省の資料の通りなら今も尚、富と繁栄と栄光の満ちる大都会の筈だ。
自在に空を飛ぶ《飛空》の魔術を使い、陸路だと1ヶ月以上必要な距離をたった1日で進むつもりだ。朝日と同時に出発し、夕日が沈む頃に王都の隣村近辺に入ることを目標にしている。
さて、その《飛空》であるが、通常では生身では飛ばずに何らかの物品に付与して魔道具化した状態で飛ばす場合が殆どである。
主な理由は、魔道具化する方が制御が安定するからである。生身で飛ぶと少し集中が乱れただけで魔術の効果が霧散して落下する危険が発生するのだ。
また一部の魔術師にとって重要な副次的理由として、生身に《飛空》を掛けると身体全体に浮力がかかる為、水の中に入った時のようにスカートが広がったり捲れたりして、少々あられもない格好になってしまう。
それで、その《飛空》を掛ける対象になる飛行物体であるが、最もよく見かけるのがやはり杖である。
魔術師の定番の装備品をそのまま使い回せる為、携帯性に優れているのだ。事実、セレスティナも何かあれば杖を使って空を飛ぶことが多い。
但し安定性に問題があり、特に他人を乗せる時は今日みたいな長時間飛行には向かない。
安定性を重視するなら空飛ぶ絨毯が選択肢に入るが、空の旅は未経験者が思っている以上に寒い為、丸一日飛び続けるような長時間移動にはやはり向かない。
空飛ぶ船のように生活空間を丸ごと空に浮かせる技術も研究されてはいるが、飛行体そのものの重量が重過ぎて効率が悪くなる為、まだ実用化には至っていない。
そんな訳でセレスティナが今日の移動の為に考え出した秘密兵器。それが――
――空飛ぶコタツ。
空飛ぶ絨毯の上にふかふかの敷布団を広げ、更にテーブルを絨毯に固定させて掛布団で覆い、中に潜り込んで温まりながら空を飛ぶという荒業だ。
合理的だがちょっと人様にお見せできない姿なので、今朝の出発の際は一旦杖で飛んで人目の付かない場所まで降りてそれからこのコタツを起動した訳だ。
暖房部分もセレスティナお手製の魔道具になっているが、こちらは初歩的な魔術なので《飛空》に比べると製作コストも消費魔力も微量なオマケのようなものである。
ただ、唯一の欠点を挙げるならば……
「クロエさん、起きてますか?」
「……うにゃー」
頭だけを布団の外に出したクロエが、ゴロゴロしながら生返事を返す。半分寝てる顔だった。
快適な空の旅と言っても完璧に安全が約束されている訳ではなく、空を飛ぶ大型の魔獣は勿論、小型の鳥でも高速で衝突されると危険である。
前方は飛行を制御するセレスティナ本人が見張っているが、周囲にまで気は回らないのでそちらをクロエに索敵を頼んでいたのだが……
「まあ、気持ちは分かりますけれど……」
セレスティナ本人も、胸から下を布団に入れて頬杖をついたあまりお行儀の良くない格好だ。
空の広さを考えると他の生物との遭遇率は極めて低く、そろそろ昼になろうとする時間だがそれまでに見たのはかなり遠くを飛ぶ茶色い鳥の群れ1回きりだった。退屈になるのも無理は無いのだろう。
「この辺りで、一度着陸してお昼にしましょうか」
「……ふにー。あたしもう食べられないにゃー……」
休憩を提案したセレスティナに、何とも古典的な寝言が返って来た。
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「はあ……面目ないわ……」
「いえいえ、可愛かったので問題無しですよ」
あれから日が暮れるまで飛び続け、先の大戦争の爪痕の残る危険地帯“滅びの砂漠”上空を迂回し、アルビオン王国の首都グロリアスフォートの威容を空から確認して、一つ隣の村まで降り立ったセレスティナ達。
結局クロエは最後までコタツの魔力に勝てなかった。だがクロエを責める資格があるのは今までコタツでうたた寝したことのない者だけだ。
そしてその空飛ぶコタツセットは既に然るべき場所へ収納済みである。
「夜間飛行は危険ですからね。上下感覚が無くなって気が付いたら斜めに傾いてたりするんですよ。日が暮れる前に着いて良かったです」
流石の彼女も丸一日飛び続けると魔力がごっそり削れるらしく、疲れた様子で安堵の息を漏らす。
小回りの利く杖での単独飛行なら夜間でも平気だが、消耗した中を絨毯で他人を乗せた状態で傾くと洒落にならない。
「じゃあ、身だしなみを整えて村に入りましょうか」
言いつつ軽くドレスと髪を整えるセレスティナ。クロエも頭をすっぽりと覆うタイプの白いメイドキャップを装着して豹耳を隠す。尻尾は最初からロング丈のエプロンドレスの中に収納済みだ。
カモフラージュも完了し、どこから見てもお嬢様と侍女の珍道中である。
王都でなくこの村で一泊するのは、例えばこの組み合わせで直接王都入りすると、護衛が居ないことや徒歩でやって来たことを疑問視されて面倒な事になりそうだったので、その対策の為のプランだった。
一旦隣村で一泊して翌日に馬車か何かで王都に向かうことで、怪しまれず自然に国の中枢に入り込めるという寸法だ。
そういった事情によりこの日は、ここ、レスト村と呼ばれる村へと足を踏み入れる。村とは言っても王都のお膝元だけあって魔国の辺境の町よりも人が多く賑わっていた。
「……思ったより、普通の村だわ」
最初は敵地ということで随分険しい目線で周囲を探っていたクロエだったが、魔族の国と同じように、人々が歩いたり騒いだり働いたり食べたり恋をしたりしている光景を見て拍子抜けしたように呟いた。
どんな魔境を想像していたのか気になりつつも、セレスティナは馬車の時間表を確認して適当に宿へと向かう。
「あらまあ! 女の子二人だけで旅行かい!?」
宿の女将さんは栄養状態が良くて声が大きく人情もある、所謂“おかん”だった。
「はい。ちょっと訳ありで、王都グロリアスフォートを目指しています」
「そうかい。何があったか知らないけど、苦労したんだねえ。その若さで髪も真っ白になっちゃって、可哀想に」
「あ、あはは……」
セレスティナの銀髪は人間の国では珍しい色のようで、若白髪と見られる一幕もあったが、ともあれ2人用の部屋を予約して食事も取り、宵闇が外を多い尽くした頃にあてがわれた部屋へと入った。
宿泊料金は夕と翌朝の食事込みで2人分が銀貨1枚。勿論、魔国の通貨と王国の通貨は意匠が異なる為、出発前に省を通して活動資金としてこの国の外貨を支給されている。出所は密入国者からの鹵獲物資だ。
ただ、硬貨のデザインは違えどそれぞれの価値はどの国でも大体共通だ。
一般的な労働者の1日分の賃金が銀貨1枚で、銀貨10枚が金貨1枚に相当する。月給に換算すると金貨2枚半ぐらいが平均か。
銀貨より下には小銀貨、銅貨、青銅貨が補助通貨として流通し、日々の買い物等で使われる。
ちなみにセレスティナの外務省からの初任給は月あたり金貨2枚半で、他の省に比べると安い。例えばクロエは敵国活動手当て込みで金貨3枚半貰っている。セレスティナよりも高給取りだ。世知辛い話である。
尚、学生時代のセレスティナの月々のお小遣いは金貨10枚であった。酷い話である。
それはともかく、当面必要な分の王国用通貨は既に貰っており、追加分として帰国した際にそれまでの分の給料を代わりに外貨で貰う事も可能ではあるが、足りない場合は現地調達――つまり、何でも屋みたいなことをして依頼料を稼ぐなり狩りや採集をして素材を売るなりが必要になってくる。
特に外交官として情報戦を見据えると、お金は幾らあっても足りないぐらいだ。
「王都に入ったらお仕事探しつつ交渉の糸口も探りつつ、それにクロエさんの分の情報収集もありますから、忙しくなりそうですね。纏めて達成できる事件とかあれば良いのですが……例えば国の王女様が不治の病で特効薬となる薬草を危険な崖の上に採りに行くとか」
「子供向けの御伽噺じゃないんだから」
夢のある希望的観測を口にしたが現実派のクロエに一刀で斬り捨てられた。
「さて、このお宿にはお風呂は用意されていないみたいですね。大浴場とがあればちょっと楽しみでしたが」
「入ることが? 観ることが?」
「……このくらいの規模の村だとやはり採算が取れないんでしょうか」
クロエの冷静な追求は聞こえなかったことにし、真面目に分析するフリを見せるセレスティナ。
魔術先進国のテネブラのように住民の多数が魔術で手軽に水を出したり暖めたり可能な訳ではない為、お風呂は贅沢な高級品扱いなのだろう。
特にこの村は王都グロリアスフォートが目と鼻の先という立地もある為か、お風呂は1日ぐらい我慢すれば首都で好きなだけ入れるということもあり、わざわざこの村で追加料金を払ってまでという旅人も少ないという訳だ。
そうすると選択肢としては、我慢するか村人用の共同浴場や水場を紹介して貰うか自前で用意するかの三択となり、セレスティナは迷わず最後のを選んだ。
「では、“隠れ家”でお風呂の準備して来ますね」
言うとセレスティナはまず《容量拡大》のかけられた旅行鞄を開け、中から優美な縁取りの施された大きな全身鏡をにょきっと取り出して部屋の壁際に設置する。
それから鏡の表面に手を当てて魔力を流しながら起動キーワードを唱えた。『好きなお菓子は?』の問いかけに対し「ラズベリーのパイ」と回答。
すると鏡面に一瞬、光の模様が咲き乱れた。
銀膜の代わりに塗布されたミスリル銀の反射膜に縦横の線や複雑な図形がひしめくように描かれた魔術回路が輝き、光が収まったかと思うと鏡の表面に水のような波紋が立つ。
「んー、何回聞いてもその鞄と鏡の理屈の違いが分かんないわ」
「それはですね、鞄の方の《容量拡大》は魔力で空間を“薄める”ことで容量を増やして重量を減らす、時空系の中ではポピュラーな技術なんですが、こちらの鏡に仕込んだ“隠れ家”はちょっと空間座標に虚数成分を足すことで裏側の隠し空間を活用しようという全然別物の技術体系なんですよ。あ、虚数というのは負の数の平方根の事なんですが。それで時空魔法は距離が近い程魔力効率も上がりますから複素数でも数値上の差分さえ少なければ近距離扱いで……」
「うん。さっぱりだからさっさとお風呂入ってきて」
セレスティナが唱えた妙な呪文をクロエが華麗にインターセプト。隙あらば説明したがるのは理系の性か。
この世界の学問事情として普通の学校では虚数など習う筈もなく、セレスティナが昔通っていた工学系の学校での知識の欠片であり、色々試してみたら空間系の魔術と相性が良かった新発見の一つだ。
さて、話の腰を折られた少女は「はーい」とつまらなさそうに返すと、ブーツを脱いでそのまま水に入るかのような滑らかさで鏡の中へと踏み込んで行った。
見ての通り、この鏡の中は別の空間が広がっている。小さな家ぐらいの広さで、居間兼寝室の生活空間、各種素材や魔道具の収納部屋兼工房、二人分の衣裳部屋、それからバスルーム等の水回りに区切られているのだ。こういった専用空間で定番の台所が用意されてない辺りが彼女の特性を如実に表している。
極端な話、この鏡一枚あれば旅には困らないのだが、カモフラージュ用として鞄を持ち歩いているということだ。鞄の中身はダミーの着替えと携帯食とどこでも買えるような冒険セット一式。
物盗り対策も勿論施しているが、仮に何かあっても鞄の方に先に目が行くし、鏡は旅のお嬢様が持っていても不思議ではないのでスルーされる効果も見越してある訳だ。
手持ち無沙汰なクロエが武器の手入れをしていると、きっかり30分後、清潔な香りを纏わせて白い寝間着姿のセレスティナが鏡から顔と腕を出す。
「出ましたよー。お湯張り替えておきましたので次どうぞ。あ、靴は先に脱いで下さいね」
「うん、ありがと」
セレスティナの手を握り、端から見れば鏡の悪魔に引きずり込まれるかのようにクロエも“隠れ家”の内部に侵入する。
プロテクトを掛けているので、鏡の中の空間へはセレスティナ本人か彼女と一緒の者のみしか入れない。
中が土足厳禁なのはやはり元日本人の感性と言ったところか。
色々と過剰な程のセキュリティではあるが、ここがある意味敵地扱いであることを考えると念には念を入れるのも納得である。
過去にクロエが「軍に売れば絶対良いお金になるのに」と言った事があったが、それに対するセレスティナの答えが「技術流出で回りまわって自分達に使われたら困りますから対策を確立させるまでは秘密でお願いします」だったことから、本人もこの技術の危険性を相当高く見積もっていることが伺える。
「あ。脱いだ服は一緒に洗いますから出して下さーい」
「了解ー」
“隠れ家”の内部を仕切って設置されたバスルームの扉から手だけ出すクロエから侍女服一式を受け取り、セレスティナが纏めて《洗浄》と《修復》を付与した洗濯用の魔道具へと放り込み、魔力を込めた。
どちらがお世話係だか判らなくなりそうな光景だが、ここにある魔道具の数々は術式が複雑だったり要求される魔力量が大きかったりしてほぼセレスティナ専用なので仕方がないのだ。
やがて、洗濯を終えた服と下着を物干しに吊るしていると、黒いスウェットのようなシャツとズボン姿のクロエが出てきた。濡れたつややかな黒髪を布で拭いているのがなんとも色っぽい。
「あれ? クロエさんその格好で寝るんですか? 母様から貰った寝間着があったと思ったのですが……」
セレスティナの言う通り、旅立ちの前に二人は母セレスフィアにお揃いのデザインのシルクのネグリジェを貰っていた。セレスティナが清楚な純白でクロエには大人びた真紅だ。
母が言うには「シルクは長く着てるとお肌が磨かれてすべすべになるから寝間着に丁度良いのよー」だそうだ。相変わらず母の女子力が眩しい。
「夜間に襲撃が無いとも限らないから、動き易い格好じゃないと落ち着かないのよ」
「プロですね……」
どうやらクロエの勝負用寝間着姿のお披露目はまだまだ先になりそうで、軍人としての自覚溢れるジャージ族な彼女の言葉を聞きつつ二人で鏡の外側へと出る。
セレスティナにとっては硬い寝床で寝るのは久しぶりで、場違いとは思いつつもなんだか少しわくわくしてきた。
念の為に武器は枕元に置いておきベッドに潜り込んで、二人の国外生活初日の活動は終わりを告げるのだった。
一応設定上の貨幣価値のイメージは以下の通りです。
作中では基本大きい買い物がメインなので、ほぼ金貨と銀貨だけしか描写しないと思います。
金貨≒10万円相当
銀貨≒1万円≒日当相当
小銀貨≒千円≒時給相当
銅貨≒100円≒子供のお小遣い
青銅貨≒10円≒端数処理




