142話 療養中の風景(先生!熱のせいでティナさんがおかしいです!)
▼大陸暦1016年、走牛の月9日
コゼットを救出し誘拐犯の取り調べを終えた後、それまでの無理が祟ったせいかセレスティナは熱を出して倒れてしまった。
ルージュ家に仕える医師の診察によると普通の風邪とのことで、栄養を摂ってゆっくり寝ていればすぐに元気になるだろうとの話だ。
そのような事情により、冒険者稼業も少しの間休業してセレスティナは療養モードに入ることとなるのだった。
「やっほー。ティナ、起きてる? 具合どう?」
「……ぁれ? アリアさん、何故ここに……?」
湯気の昇る深皿を載せたトレーやその他諸々を抱えて客間に入って来たアリアを見て、セレスティナはベッドの中で目を擦る。
そうやって二度見してみたが彼女の姿は高熱による幻ではなく現実のもので、やがて椅子を引っ張り出してベッドの脇に腰掛けた。
「婚約の件でアーサー王子様がしばらくここで詳細詰めるみたいだから護衛のあたし達も滞在することになったのよ。で、ティナに聞きたいことがあってついでにお見舞いもって思って。まずはお昼ご飯食べる?」
「ありがとうございます。あとクロエさんが休んでますので声を落として頂けると助かります」
「おっと」
上半身を起こしたセレスティナの視線の先には、窓際で気持ち良さそうに毛布にくるまり丸くなっているクロエの姿。夜通し看病してくれた後の貴重な休み時間とのことだ。
クロエに向けて顔の前に片手を上げて謝罪の意を示し声のトーンを落としたアリアからセレスティナはパンを浸したミルク粥を受け取り、ゆっくりと口に運ぶ。
「ま、食べる元気があれば大丈夫よね。デザートに桃も用意してるわよ? 他に何か欲しい物とか無い?」
会話しながらアリアは、ぬるくなった氷嚢に手を添えて魔力を注ぎ、適度に凍らせる。水と氷の魔術が得意な彼女にはこの程度は片手間仕事だ。
「……そうですね。額の上に氷嚢よりもアンジェリカさんのお胸を乗せてくれるともっと元気になりそうな気がします」
「うん。お医者の先生にはティナの頭がおかしいって伝えとくわ。熱のせいか元からかは知らんけど」
尚、この問題を解き明かす為のヒントとして、テネブラの魔術師は特殊な訓練を受けているのでこの程度の熱で思考力が乱れることは滅多に無い点を補足しておく。
「この程度の風邪なら、“聖杯”を飲めば一発で完治するのですが、勿体ないからやめろと周囲に止められてしまいまして……」
「そりゃあ、値段考えたら当たり前よね。売りに出せば庶民の年収よりも高値になるんでしょ? 風邪ごときで浪費したら暴動起きるわよ」
慣れた手つきで桃を剥きながら、アリアは「それにね」と言葉を続ける。
「みんな今までティナに助けられてきたんだから、こんな時ぐらいティナの看病して少しでも借りを返したいのよ」
「うう……皆さん、律儀すぎます……」
クロエやアリア以外にも、午前中にコゼットやここに来て顔見知りになったメイド達が見舞いや世話に顔を出してくれたことを思い出し、セレスティナの表情が和らいだ。
「だから今日ぐらいは何も気にせず一日中ぐーたらしてれば良いのよ。着替えも預かってきたから食後にでも汗拭いてあげようか?」
「そこは、お気持ちだけ有難く頂戴しておきます……って言いますか、可愛くなくてデキる大人な外交官の私には似合わない桃のバックプリントぱんつをどうしろと……」
「ん、風邪のお見舞いには桃が定番だからね。しかも香料つきだからお尻叩くと甘酸っぱい青春の香りがするんだって」
「……どういう層に需要があるんですか……」
クロエが寝てる手前あまり勢いよくツッコミができず、代わりに大きな溜め息をつくセレスティナ。
「それで、桃尻ぱんつ見て思いついたんだけど、確か“聖杯”って劣化が早いのよね?」
「どういう流れでそう繋がるのか意味が分かりませんが……水薬は大抵足が速いですね。資材部の友人も保存に適した粉薬とか丸薬の開発にも着手してますが、高級感が薄れるのがネックだと言ってました」
「じゃあさ、坐薬にして“聖槍”とかどうかしら?」
「……アリアさんは世界中の槍使いさんに全裸靴下土下座で謝罪すべきだと思います……」
例えて言うなら熟練の剣士が新しい必殺技を閃いた時のような得意げな笑顔で告げるアリアに、セレスティナは先程よりも大きな溜め息で返すしかなかった。
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「で、ここからは真面目な話なんだけど」
昼食を食べ終わり、デザートの方の桃も二人で分けて美味しく頂いた後、不意にアリアがそう切り出した。
途中の雑談で胸派対尻派の大激論が勃発したりもしたが本筋に関係ないのでここでは省く。
「マクシミリアンって奴が持ってた杖って、やっぱりあたしのひいお婆ちゃんの邪皇眼なのかしら?」
「……ですから重ねて申し上げておりますようにただの魔眼ですが……まず間違いなくアリアさんの曾祖母アイスさんの眼でしょう」
情報の早さに驚きつつも律儀に答えるセレスティナ。先日交戦した“堕ちた勇者”マクシミリアンが使っていた杖の先に組み込まれた宝玉に宿る膨大な魔力と、そして見覚えのある水と氷の魔術から考えれば当然の結論だ。
「ふっ、アイスとは仮の名前で、ひいお婆ちゃんの真名は“水葬凍殺”デスアイスなんだって。お婆ちゃんが本人から直接聞いた話だから間違いないわ」
「……そこは忘れて差し上げて下さい」
死してなお“二つ名”が語り継がれる悲劇にセレスティナが沈痛な面持ちになりつつ、深入りは避けて強引に話を戻す。
「それで、前提として魔眼族の眼には生前得意にしていた魔術の回路パターンが残ってることが多いのですが、昨日受けた《氷棺》はアリアさんの時よりも展開が速くて威力も強かったです。テネブラから離れた地であれ程の使い手が居るとしたら、アリアさんのご親族以外に考えられません」
「んー、あたしよりも速くて強いのかー……悔しいような嬉しいような微妙な気分ね」
「アリアさんはまだ若いですから、推定数百年魔術の研鑽を重ねたベテランと比べるのも……私も爺様には存命中に勝てる気がしませんし……」
共通の、そして客観的には贅沢な部類の悩みにお互い苦笑しつつ、この話は一旦横に置くことにした。
「ってか、そんなに威力の上がった“永劫の氷棺・四式”を受けてよく無事だったわね。やっぱり《瞬間転移》で? でもあれは身体への負担が半端ないんじゃなかったの?」
以前、セレスティナがアリアと魔術の試合をした時に、彼女の《氷棺》をやはり同じように《瞬間転移》で躱した反動でセレスティナが瀕死の重傷を負ったことがあった。
そのことを思い出して尋ねたアリアに、セレスティナはまるで新しいおもちゃを見せるお子様のような笑顔で答える。
「あの時は魔術回路が肥大化したせいで端から端の配線が長くなり過ぎて魔力伝達にタイムラグが起きたのが原因でしたので、ちょっと対策してみました。魔術回路を立体にすることで伝達路を大幅に短くできるんです」
「……やっぱりティナって頭おかしいわ。さっきとは違う意味でだけど」
「うむぅ……魔術回路の立体化そのものはそこまでおかしい発想じゃないと思います。きっと過去にも何度か研究はされた上で、手間の割に効果が薄いという結論が出てお蔵入りになったのではと……マイクロ秒単位の高速化が必要になる局面って歴史上殆どなかったでしょうから」
「技術的には面白そうな話だけど、ティナが元気になってからゆっくり聞くことにするわ」
放っておくといつまででも喋り続けそうなセレスティナをアリアは押し留め、そのままベッドに寝かせて布団をかけてやる。
そして、風邪が伝染る前に、と食器を手にして立ち上がった。
「じゃ、ゆっくり休んでるのよ」
「はい。あの、色々とありがとうございました」
「どう致しまして、お安い御用よ。でも――」
気にするなとばかりに笑顔で軽く手を振ったアリアは、最後に一つ自分の要求を伝えた。
「もし恩に着るつもりがあるのなら、マクシミリアン退治の時はあたしも誘ってね。前にも言ったけどひいお婆ちゃんの眼はあたしが自分の手で取り返したいから」
▼大陸暦1016年、走牛の月15日
若さと周囲の手厚い看病のおかげもあってか、セレスティナの体調は寝込んだ翌日にはほぼ回復し、翌々日から冒険者の活動を再開した。
そうしてコゼットと共に公都周辺の安全確保に寄与していると、数日後に彼女の待ち望んでいた情報が到来を告げることになる。
魔獣使いの獣人ラクーナが捕らえられていると思しき施設についての情報だ。
この日の冒険から帰還したセレスティナとクロエとコゼットが多人数向けに用意された広めの応接室へと通されると、そこにはジェラールとシャルロット、そして賓客のアーサー王子とその護衛のリューク、アンジェリカ、アリアと豪華メンバーが勢揃いしていた。
尚、シャルロットの兄エリックはパーティの翌日に領地へと帰還したので既に公都から離れている。
「あわわ……し、失礼します」
初対面ではないにしても大公爵に王子に勇者に聖女と雲の上に居るような面々に囲まれ、コゼットが煙を上げて倒れそうな勢いでぎこちなくお辞儀をする。
セレスティナも外交官らしく丁寧な所作で一礼してソファに腰掛けると、お茶を用意した屋敷のメイドが退室するのを合図にジェラールが状況の説明を始めた。
「セレスティナ嬢の睨んだ通りだったな。調査の結果、グリス伯爵家の領地フェールーム地方にそれらしき施設があったよ。登記上は農場となっているが周囲は農業用水路と言うには些か深い堀と高い壁に囲まれているようで、もはや砦だろうな」
言いながら地図を広げ、該当の場所に駒を置く。公都から見て北東の方角に位置し、距離にすると馬車で五日程といったところか。
街道や町からは大きく外れておりアクセスは良くなさそうだ。
「それから、こちらは不確定情報だが、既に大宮殿つまりルミエール家にも同様の情報が入っており、近隣の冒険者を集めて大規模な討伐隊を編成中らしいという話も聞いた」
「ふむ……パトリクさん達は思ったより早く口を割りましたね。それだけ苛烈な尋問……を通り越して拷問レベルの取り調べだったのか、でなければ実は知られても良い情報でその農場に罠を仕掛けて待っているとか……」
考えられる可能性を並べるセレスティナだが、ここで結論が出せる筈もない。
そんな中で最悪の事態――即ち、功を焦ったルミエール家が過剰戦力を差し向けて魔獣もろともラクーナを葬り去ってしまうことを想定すると普段は冷静な彼女もやはり気が急いてしまう。
「本当は今すぐにでも出発したいところですが……」
「残念ながらもう冒険者組合も閉まっている時間だからな。依頼書は明日の早朝に組合職員を呼びつけてサインさせるしかないだろう」
暗くなった窓の外を見上げながらのセレスティナの言葉に、ジェラールが待ったをかける。
もし現地でルミエール家に雇われた冒険者と対立した場合、魔国式の交渉方法で蹴散らすのは今後の大宮殿との交渉に支障が生じかねない。なのでルージュ家からの依頼で動く形にすることで対策するという訳だ。
その依頼内容も既に打ち合わせ済みで、『魔獣使いラクーナおよび配下の魔獣を国外追放すること。報酬はクロエと二人で金貨1枚』となっている。
セレスティナの立場から言うなら無理やり誘拐されて望まぬ働きをさせられたラクーナが犯罪者扱いされるのは不満が残るが、政治的な落とし所としてはここが上限一杯だろう。
「承知しました。では明日の朝一番で私とクロエさんが現地に“飛ぶ”ということで……あ、コゼットさんは現地の冒険者さんとトラブルが起きる危険がありますので今回はお留守番でお願いしたいのですが……」
「なんでよ。勇者学校に通っただけで勇者面してるような紛い物連中に一泡吹かせてやるチャンスなんでしょ? コゼットも行きたい」
「私達と違って公国民のコゼットさんだと大人の事情で難しい立場にさせられたりもしますし……あ、ええと、それはそれとして私が居ない間シャルロットさんの護衛役をお願いしたいのですが。コゼットさんしか頼れる方が居なくて」
「そ、そう? ならしょうがないわね」
危険を説いても逆効果になると見て、持ち上げていい気にさせる作戦に切り替えた。コゼットの操縦にもだいぶ慣れてきたセレスティナであった。
「あ、じゃあ代わりにあたしがついて行きたい! そこにマクシミリアンも居るかも知れないんでしょ?」
そこで、これまで沈黙を保ってきたアルビオン組のアリアがはーいと手を挙げた。
だがそこにアーサー王子が慎重な答えを返す。
「数ある拠点の内の一つに過ぎぬだろうから果たして首領が直接出張るかどうか……それにアリアがセレスティナ外交官に同行するのは職能的観点から無駄が大きくないか?」
「わたくしもそう思うわ。二人とも凄腕の魔術師なのだから分散配置がセオリーよ」
「むー」
王子とシャルロットの連携攻撃についむくれた顔になるアリア。そこにジェラールの言葉が続く。
「先程話に挙がったように仮にパトリクが意図的に情報を流したのだとすれば、フェールームに人を集めるのは実は陽動で手薄になった公都を狙うという可能性もある。むしろ残った方がマクシミリアンに近づけるかも知れんぞ」
「いずれにしても可能性の話ですので私としては無責任な事は言えません……勿論同行して下さるならとても心強いですが……」
当たり障りのないコメントでお茶を濁して、セレスティナは人事権を持つアーサー王子に結論を投げることにした。
「うむ。アリア含めアルビオン王国所属の戦力の配置は明朝までに決めておこう」
「了解いたしました。ところで、アーサー殿下は職能的観点での効率に触れられましたが、だとしたら仮にアンジェリカさんにご同行をお願いするなら聞き入れられるということでしょうか? 治癒魔術の効果が高くて社会的立場の点からも話を聞いて貰える見込みが大きいですので、平和的に事態を収拾させたい私としては非常に頼りになる人材なのですが……」
“殺戮外交官”や“首狩り令嬢”などと呼ばれ恐れられる魔族であり、女子力が低く治癒魔術が苦手な上に貧乳の彼女が現地の冒険者と対立したなら、交渉が纏まるどころか始まる見通しすら薄い。その点アンジェリカが同行してくれればセレスティナに足りないものを全て兼ね備えているので話ぐらいは聞いて貰えると期待できる。
「良いんじゃない? 神官が居れば死人が出てもその場で葬式できるし」
「そちらは極力出さない方向でお願いいたします……」
物騒なセリフを口走るクロエにセレスティナが微妙な表情になる中、少しの間を置いてアーサー王子が答えを返す。
「そうだな。公都はリュークとアリアが居れば戦力的には十分だろうし、アンジェリカの自由意志に任せよう」
「未熟者ながら、私が平和のお役に立てるのでしたら、是非お供させて頂きたいと思いますわ」
慈愛に溢れた母親のような風格さえ滲ませて、アンジェリカが強い意志を表す。未熟どころか文句無しの完熟だ。
「んー。理屈は通ってるように聞こえるけど、実際の本音は?」
だがそこに、自分の時との対応の違いに拗ねたようなアリアの声が割り込んだ。
対するセレスティナは不躾な質問に気を悪くしたりせず、目を輝かせて答える。
「はい。私の方から頼み込んでパーティに入って貰うならアンジェリカさんに対して借りが一つできるので、どこかで返さないといけなくなります。そうしたらお返しにどんなにえっちなご奉仕を強要されても断れないじゃないですか。そんなドキドキするシチュエーションの下ごしらえをと思いまして」
「アンジェのエロい命令に絶対服従か……浪漫だな。なんか俺もワクワクしてきたぞ」
「……やっぱり同行のお話は考え直させて頂きますわ」
盛り上がるセレスティナとリュークに、《氷槍》もかくやと言わんほどの冷たく鋭い視線が突き刺さるのだった。
大変申し訳ございません。次回更新予定は「未定」とさせて頂きます。詳細は活動報告をご覧下さい。