136話 春の嵐(本日は雷を伴う強い雨と風、所によりグリフォンにご注意下さい)
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今年相次いだ台風や大雨により被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
一日も早い被災地の復旧をお祈り申し上げます。
今回から数話に渡り、暴風雨描写が続きます。
予めご了承頂くか読み飛ばし頂きますようお願いいたします。
▼大陸暦1016年、走牛の月20日、パーティ当日
昨夜から降り始めた雨は激しさを増し、昼前には暴風雨へと発達した。
大粒の雨が叩きつけられる窓から見える外の風景は、夕暮れ時のように暗く、だが時折輝く雷光が皆の不安を煽っていた。
今夜のシャルロットのパーティに向けた準備室兼セレスティナ達の待機場所として使っているのこの部屋は、晴れた日はバルコニーから中庭を見下ろせるシャルロットのお気に入りの談話室だ。
だが流石にこの日は窓を閉め切って更に雷光を直視しないよう遮蔽を立てており、その内側でシャルロットがメイド達に囲まれて身嗜みを整えていた。
時折響く雷鳴に彼女達が「きゃあっ」と悲鳴を上げて無防備に胸を押し付けて抱き合うのは、不謹慎ながら眼福だ。
セレスティナもクロエに向けて「怖かったらいつでもどうぞ」と言わんばかりに手を広げてハグ待ちしてみたが、冷たい目で首を横に振られた。雷を恐れないタフな女子も困りものだ。
「一応お伝えしておきますと、光と音には伝達速度に差が有りますから、空が光ってから音が聞こえるまでの時間差を計る事で発生源の遠さを判断できるのですが……さっきのだと公都よりも外、“底無しの森”ぐらいでしょうから心配には及ばないかと」
「……その冷静な態度がなんかムカツクのよね。見てらっしゃい、いつかティナ先生の苦手な物を探し出して悲鳴上げさせてやるんだから」
今日は乳サンドが怖い気分だったが空気を読める子なので黙っておく。
代わりにセレスティナは、窓の外の豪雨を眺めつつ懸念を口にした。
「ところで、雨の日は“正義の革命団”が活発になるそうですが、備えは万全ですか?」
「そうね。つい先日襲われた裁判官も雨の日の襲撃だったらしいし、マクシミリアンの持っている杖は周りに水が多ければ力を増す水属性の魔道具という話だけれど……当然今日招待したのは皆私設の戦力を持ってる立場の方々ばかりだから何かあっても返り討ちにするわよ」
誰の挑戦をも拒まぬ王者のような笑みでシャルロットが豪語した。元より“正義の革命団”の主要な資金源が誘拐の身代金であることは周知の事実なので、このようなパーティに招待される際は私兵や冒険者を護衛に就かせて万全の防御体制で移動するのが常道だ。
更には今日は公都のあちこちに衛兵を増員しており、磐石な防衛体制を敷いている。
但しどれだけ守りを固めても、鷲獅子による上空からの奇襲は脅威で、先程シャルロットの話に出てきた裁判官もその方法で上から氷弾の雨を撃ちつけられて絶命したそうだ。
彼の“罪状”は賄賂を受け取って金持ちに有利な判決を下したとのことで、あまり惜しまれずに旅立ったようだが、これ以上は余計な話だろう。
「どっちにしても、パーティの開始は日没後だから招待した人達もそれまでは動かないわ。日が沈めば鳥目の鷲獅子なんてロクに動けないから襲われることなんて――」
生態的な事情により鷲獅子は日が高い内しか活動しない。シャルロットがその事に言及しようとした時、雨音に混じって、ピィーーーーッ、と甲高い笛の音のような猛禽特有の鳴き声が微かに聞こえた。
「――まさかっ!?」
音の大きさと高さから、鷲獅子や大怪鳥のような大型魔獣であることは間違いない。弾かれたようにセレスティナが窓の外へと目をやるが、さすがにこの悪天候では遠くの空は見通せなかった。
「安心なさい。大公爵家の招待客じゃないわ」
「ですが、襲われてるのが誰であっても魔獣被害なら私の管轄になりますし…………あ、コゼットさんが見えられるのはいつ頃ですか?」
杖を握り締め今にも外に飛び出しそうな体勢でセレスティナが問う。シャルロットがお付きのメイドの一人に尋ねると手元のメモを見た彼女の顔から血の気が引いていく。
「あの……コゼット殿の出仕は昼過ぎ、丁度もうすぐ到着の予定になっております…………」
「っ! 迂闊でした……っ!」
その答えを聞いて思わず歯噛みする。考えてみればコゼットも政府が任命した勇者の一人娘なので、誘拐のターゲットにされてもおかしくない立場だ。
「悔やんでもしょうがないわ。それにコゼットの性格だと要介護扱いは絶対嫌がったと思うし」
「そ、そうですね……とにかく、まずは様子を見に行きます。あ、陽動の可能性もありますからクロエさんはシャルロットさんの警護続行でお願いします」
「了解」
大雨の中を連れ出されずに済んだクロエが良い笑顔で親指を立てて見送る。それを受けてセレスティナはバルコニーへの扉を開けて《飛空》を起動した杖に乗り外に飛び出した。
「――わぷっ」
滝のような風雨を浴び、一瞬で全身が水浸しになる。更には肩掛けとスカートが風を受けて大きく翻り、飛ばされないよう慌てて手で押さえた。
「……これがモーレツな風という奴ですか」
おっさんじみた呟きを残しつつ、鳴き声のした方に向けて進路を取る。
通常は白いブラウスは濡れると大変危険なことになるが、丁度良い面積の肩掛けのお陰で透けブラは防止できており、ここまで予想して対策済みだったかと思うと作成者の母親の女子力に感服する。
スカートの方は布地を腿に挟んで足を閉じることで何とか形にはなった。流石に下着丸出しで空を飛ぶのは風情が無くて自分でも許せなかったのだ。これは女子力よりむしろ男の浪漫の問題である。
▼
「くっ! 何なのよ! もうっ!!」
上級貴族の邸宅の立ち並ぶ中央区へと伸びる大通りを歩いていたコゼットは、突然上空からの襲撃を受けた。
襲撃者の姿をざっくり描写すると前半分が鷲、後ろ半分が獅子になっている鷲獅子で、上空から急降下しては人ひとりぐらい簡単に掴んで引き裂けそうな大きさと鋭さを兼ねた爪を振るう。
コゼットも持っていた向日葵柄の傘に《防壁》を重ねて防ぎつつタイミングを合わせて槍で突き刺そうと試みるが、鷲獅子に乗ったフードにマント姿の人影による的確な指示によりいずれも空振りに終わっていた。
そのコゼットの反撃にも普段の鋭さが現れておらず、その原因は彼女の服装にあった。
富豪の娘が着るような黄色い上質のワンピースの上から雨除け用のマントを羽織っており、パーティを前にしてその金貨2枚もかけた衣装を台無しにされたくないというのはごく普通の乙女心だろう。
相手は図体が大きいから素早く裏路地や物陰に隠れてしまえばもう追って来れない。そう思ったコゼットが周囲に目を走らせ、駆け込む先を決めたその瞬間――
一際大きい閃光が辺りを真っ白に塗りつぶし、ややあって激しい落雷の音が轟いた。
「うあきゃああああああああああぁぁぁっ!?」
耳を塞いで目を瞑り、その場に蹲ってしまう彼女。だがそれは戦闘中に見せるにはあまりにも大きすぎる隙であり、
「……ごめんなさいっ」
「――へぶっ!?」
コゼットが鷲獅子に気を取られている隙にこっそり背後に忍び寄っていたフード姿の人物が、フードの奥から覗く黒い瞳を気弱そうに揺らすとコゼットに大きな袋を被せる。
そして抵抗する間も与えず袋の上から縄でぐるぐる巻きに縛り、そのまま抱えて鷲獅子に乗り込み空へと舞い上がった。
眼下の路上にはコゼットの槍と鷲獅子の爪で大きく破損した向日葵の傘、そして騒ぎを聞きつけて駆けつける公都の衛兵達の姿があったが、既に剣も槍も届かない距離であり、弓もこの暴風雨ではまず当たらないだろう。
鷲獅子と同じように空を飛べる存在で無い限り手出しはできない。そう考えてフードの人物がほっと息を吐いたその時、後方から高速で飛来する気配を感じた。
「っええええええええええ!?」
安全な筈の空で、更には鷲獅子の飛行速度よりも速く飛べる追跡者の存在に、フードの人物はこれまでの余裕の無くなった恐怖に近い声を上げた。
その勢いでばさりとフードが外れ、その人物の容貌が明らかになる。鉄色のように緑がかった黒髪に黒目の丸顔で人懐っこそうな女性で、頭には狸のような丸っこい獣耳を髪から覗かせていた。
見るとその獣人の首元にも鷲獅子の首にも、無骨な首輪が嵌められており、何者か――まず間違いなく“正義の革命団”――の奴隷或いは所有物扱いであることを伺わせ、セレスティナの小さな胸に痛みを与える。
「あ、やはり獣人さんなのですね! すみません! 敵対する者ではありませんので良ければ地上に下りて少しお話などを――」
「嫌あっ! 怖い! 来ないでっ!!」
銀髪と肩掛けを風になびかせつつセレスティナが鷲獅子の横に並走し、コゼットを抱えた獣人へと大声で呼びかけた。
だが獣人は冷静さを失っており、悲鳴を上げながら鷲獅子を上下左右へと無軌道に操り、追跡者を振り切ろうと試みる。
それでもセレスティナは鷲獅子の無茶な動きに追従し、ピッタリと獣人の隣に相対的な位置関係を固定したままで言葉を続けた。
「あのっ! 私はテネブラから来た外交官ですので! 魔族の方の現地のトラブルがあれば調査して解決する任務を負ってまして! つまり味方ですっ!」
「し、信じられないっ! 来ないで! 変態っ!」
「そんなっ!?」
怯えきった表情で獣人は手にした何かを投げつけてきた。
視界が悪い中を持ち前の動体視力で見切ったセレスティナが《防壁》で受け止めたそれは、ぬらりと黒光りする液体を纏わせた大きな針だ。刺さるとロクでもない事になりそうな悪い予感をひしひしと受ける。
混乱しているとはいえ酷い対応ではあるが、獣人側にも言い分はある。
女子の癖に雷鳴を怖がらないし高価そうな服が濡れるのも気にした様子は無いし短いスカートで平気で空を飛ぶし鷲獅子の動きを完全に読んで先回りするし、どう見ても変態による変態機動だ。こんな変態がテネブラ外交官と言われても信用できる筈も無い。
「――あっ」
今の攻防に気を取られてつい足を閉じる力が緩んだセレスティナ。途端にスカートが風に煽られて大きく跳ね上がるが、片手を杖に添えて魔術を行使しもう片手で肩掛けを抑えている状況ではどうしようもない。
「……むぅ、潮時でしょうか」
パンモロ状態のまま飛び続けて色仕掛けの近隣窮乏化政策を仕掛ける是非はさて置くとしても、このまま高速飛行で追いかけっこを続ければ焦燥感に駆られた獣人側が大事故を起こしかねない。特に獣人が抱えているコゼットが一番危険だ。
そう危惧した彼女は、一旦《飛空》の速度を落とし鷲獅子との距離を開くことにした。
「魔力切れ? ぐりたん! 今がチャンスよ! 逃げるのよ!!」
どうやら追跡が緩んだのを魔力切れと判断したらしい獣人が鷲獅子に活を入れて逃げ切りを図る。
しかしセレスティナの方も、このまま何もせずに相手を見逃す訳つもりはない。体勢が不安定になるのを承知で杖から一旦手を離し、腰の道具入れから真っ赤に煌く宝石を一つ取り出した。
帝国産の質の良いルビーをブローチに加工し《追跡》の魔術を仕込んだそのGPSを髣髴とさせる魔道具を手にしたセレスティナは、激流のような暴風雨に押されて杖から振り落とされながらも、空中で器用に前方へ向けてそれに魔力を付与して飛ばす。
「――っ! 当たって下さい、《飛空》っ!」
死角から放物線の軌道を描いて空を切ったブローチは、見事に獣人が抱えた袋に巻きつくロープの一本へと引っかかる。
これでコゼットが隠されたアジトに運び込まれても場所を特定することができるし、仮にアジトでブローチが見つかってもデザイン的にコゼットの私物と判断されるだろう。
「……すみません。すぐに助けに行きますから少しの間だけ耐えて下さい……」
杖を呼び戻して《飛空》を掛け直す間にかなりの距離を落下したセレスティナがコゼットに向けて謝意を表す。
このまま一人で追跡することも可能だが、コゼットを安全に奪還するには潜入や隠密のプロの力が欲しいところだ。
皮肉な話だが、“正義の革命団”が営利誘拐を資金源にしている関係上、人質の安全については却って信頼できる。なのでセレスティナは一旦ルージュ家に戻り、クロエやルージュ家の家臣達に協力を要請することにした。
「……はふぅ。何とか撒いたみたいね……」
追跡者の姿と気配が完全に消えたことで、獣人の女性は脱力して鷲獅子の首筋にもたれかかった。
鷲獅子が労わるようにピィと一声鳴く。
「……疲れたし怖かったわ。早く帰って濡れた服とか全部洗いたい……」
洗い物をしている間は無心になれる。そんなささやかな気晴らしに思いを馳せるアライグマの獣人である彼女は、鷲獅子を駆って公都の南西方面に位置する広く深く暗く野獣と湿地が開拓に入り込む者を阻む森林地帯、“底無しの森”へと降りて行った。
次回は11月15日頃(努力目標)に投稿予定です。