130話 ルミエルージュ公国へ行こう・2(王都発、空と陸の旅)
▼大陸暦1016年、白毛羊の月29日
暖かく優しい春の日差しの降り注ぐ中、ルージュ家の紋章を掲げた豪華な二頭立ての馬車が街道を滑るような動きで走っている。
あれから王都でシャルロットの帰国準備を手伝ったセレスティナ達は、公国から派遣された外交官のジャンヌ・シャロン伯爵夫人そして護衛の騎士達と合流し、昨日王都を出発した。
馬車のみだと本来は王国領2週間、公国領2週間で合計1ヶ月の旅になるところだが、昨日セレスティナが《飛空》で大型絨毯に全員乗せて国境付近のキャナルゲートタウンまで飛ぶという暴挙をやらかした為、長旅は早くも後半の道のりに差し掛かっているのだ。
「凄い、腰が痛くならない。今までの馬車と比べようがないくらい快適だわ。流石ティナ先生、他はポンコツでも魔術を扱わせたら天下一品ね」
馬車の中にも関わらず優雅にお茶を飲みながらシャルロットが褒めちぎる。先週セレスティナが暇に任せて魔改造したこの馬車の客車部分の二重構造になった床の間に《浮遊》の回路を描いた銀板が仕込まれており、浮力を掛けて馬への負担を軽くすると同時に上下運動に対する抵抗を付与してサスペンションのように車体の安定性を向上させていた。
長椅子が向かい合って配置された車内には、セレスティナの正面にシャルロットと公国外交官のジャンヌとが座っており、横手にはエマという名の侍女が携行した木製の椅子に座り背筋を伸ばした美しい姿勢で控えている。手狭ながらもまるでお茶会の席だ。
「驚きました。お嬢様が卒業後も『先生』とお呼びするのも納得できます」
そのジャンヌも目を丸くして、殆ど波立たないカップの水面を凝視している。ブラウンの髪を短く切り揃えたパンツスーツ姿の女性で、華やかなシャルロット対照的な外見だが、仕事のできる秘書といった佇まいで存在感では決して負けていない。
「えぇ。まぁ、最近銀板が大量に手に入る機会がありましたのでお裾分けみたいな感じです。動作の為の魔力は乗員から供給するタイプなので私が降りると浮力が少し落ちると思いますが《浮遊》は省エネ魔術ですのでシャルロットさんお一人でもだいぶ快適になる筈です。あとポンコツではありません」
褒められたセレスティナが照れたように早口で捲し立てる。お尻の防御力の低い彼女としても馬車の振動は死活問題なので優先的に対処したのが真相なので恩を売るつもりは無かった。
「それにしても、《浮遊》だけでここまでできるのならもっと一般に広まっても良さそうなものだけど」
「あー、車体を軽くするだけだとかえって振動が響いて大きく跳ねるようになりますから……馬に優しくても中の人のお尻に過酷だと誰も使いませんし。なので試してはみたもののお蔵入りになったパターンかと思われます。あとは振動を吸収するには車軸と床が直結しない構造にする必要があるのですが、元々床下に簡単なバネ仕掛けが施されていましたので物理的構造に手を入れる必要が無かったのも大きいでしょうか」
「原理は知らないけど気に入ったわ。ねぇ、この技術売る気ないかしら? 公都では定期的に各商会が威信を賭けて馬の速さと車体の性能を競う馬車レースが開催されるんだけど、そろそろ我が家が懇意にしている商会にも勝たせてあげたくて」
扇で口元を隠しながらシャルロットがそう言った。彼女の目には鋭さが宿っており、いつもの冗談ではないことが見て取れる。
商談モード――それは公国流の戦闘モードへの切り替わりを意味しており、セレスティナも思わず身構えた。
「そうですね……技術を教えて独占製造権と販売権を売れ、という話でしたら、残念ですがご縁が無かったものと。公国の文法ではそれをすると発明者本人でさえ自由に作ったり売ったりできなくなりますから……」
「そんなのは契約書の内容を理解できない間抜けが悪いって思うわよね?」
「論評は控えますが、個人的には好まない手口ですね。なので、知財ではなくサンプル品としてレースで良い結果が残せそうな馬車を一台納品する、というのだと如何でしょうか? 勿論代金次第にはなりますが」
話に上がった馬車レース終了後はリバースエンジニアリングも構わない、暗にそういった妥協点を示すセレスティナにシャルロットは少し悔しそうに眉を寄せる。
「前向きに検討してみるわ。それで、報酬の方だけど……」
ただそれでも他社に一歩先んじた技術を手に入れるのは価値がある。両者共その認識は共通なので気まぐれにここで交渉を打ち切るような軽挙に及ぶ事は無かった。
「ティナ先生なら、金貨よりも公国での冒険者証と魔獣狩猟免状とか如何かしら?」
「乗っ……っ!! ……こほん、失礼しました」
一瞬凄い勢いで立ち上がろうとして慌てて取り繕うセレスティナ。
最近公国では魔獣の資源的価値が注目されており乱獲防止の名目で魔獣を狩るのにも許可証が必要という困った状況になっているからだ。
その様子にシャルロットはどこか勝ち誇った笑みを浮かべている。餌に釣られそうなことに少しの悔しさが湧き上がるが、こういう場面こそ表面上は余裕を見せて悠然と構えていなければならない。
「なかなか素敵なご提案です。是非とも斜め前向きに検討させて頂きます」
「……不安なのか頼もしいのかよく分からないけれど……とりあえず公都に着いたらパパも交えて詳細を詰めましょう」
「はい。あとはレースのルール確認やコースの下見なども必要ですね」
早くもガチ勢として参戦する気満々の言葉を返すセレスティナ。一つ前の人生でも学生が自作のロボットを持ち寄って競い合う祭典を楽しんでいただけあってこういったイベントが大好物なのだ。
早速わくわくした笑顔で更なる改造案を考え始め、浮かんだアイディアを無意識に独り言のように口に出す。
「何は無くともまず滞空時間をもっと伸ばさなければいけませんね。高台から湖に向けて馬車を飛ばして飛行距離を競うコンテストがもしあっても優勝できるように」
「……やっぱりティナ先生は前だけ真っ直ぐ見て。頼むから」
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さて、快適に馬車の旅を続けるセレスティナ達だが、公国領をあえて《飛空》で一っ飛びせずに比較的時間のかかる陸路を進むのには勿論理由がある。
あれからしばらく雑談を続けていると、いつ減速したか分からない程に滑らかにそして静かに、馬車が街道の真ん中で制止した。
何が起きたかと顔を見合わせるシャルロットとジャンヌだが、その時既にセレスティナは立ち上がり荒事向けの空気を纏っていた。
戦闘面では見かけによらずかなりの数の修羅場を潜っているだけあって、向かいの淑女二人のように緊張で固まることもなく、ごく自然体でまずは愛用の杖を準備する。
すると次の瞬間、馬車の扉が開き、御者席で周囲の警戒をしていた筈のクロエがにゅっと顔を見せた。
「ティナ、起きてる? “狩り”の時間よ」
「了解です。“釣り”の時間ですね。ではエマさんはここでお二人の警護をお願いします」
セレスティナの言葉に侍女のエマが護身用ナイフを片手にやや青い顔色でどうにか頷いた。
それとは逆に、釣りを嗜むお嬢様のシャルロットは腕を組んでふんぞり返りつつ表面上は悠然とセレスティナを見送る。
「もし強盗とか誘拐の類だったら倒すのに狩猟許可証なんか要らないから心配しないで。でも話聞きたいからまだ皆殺しにはしないでね」
「……野盗の扱いの悪さが少し不憫になってきました……」
ある意味魔獣の方が優遇されている現実を当の本人達は知っているのだろうか。そんな無益な考えを浮かべつつセレスティナは鮮やかな蒼いドレスを翻して馬車から身軽に飛び降りた。
公国用に母から贈られた衣装はスカートが短いので、戦闘が予想されるこの場面ではまだクローゼットに温存されている訳だ。
尚、今日のクロエはセレスティナと一緒に仕立てたパンツスーツ姿で、その装いはセレスティナが悔しがる程によく似合っている。本人もかなり気に入ったらしい。
「革靴で歩く音がするから魔獣の類じゃないわ。まあありきたりな野盗ね。数は15から20」
姿が見える前にクロエが相手の正体を看破する。その言葉にセレスティナとこの馬車を護衛していた騎士の3人が黙って頷いた。
騎士達の内訳は重武装で馬に乗った見るからに本職の者が男女一人ずつ、そして平民の服を着て御者に扮している青年が一人。
皆ルージュ領に仕える者達で美男美女揃いだ。公国の騎士登用試験には外見審査もあるのだろうか。疑問は尽きない。
「相手が弓を持っていたら馬が危険ですし、先に守りを固めましょうか。《石壁》」
そう言うとセレスティナは杖の先で足元を叩く。すると馬車を挟むように左右に2枚、広く厚い石の壁が砦のようにせり上がった。
前後が空いているのは舗装された道路を荒らさない為だ。もし危なそうなら別の方法で塞ぐ予定も立てつつ、騎士達のリーダーを務める重装の男性と軽く打ち合わせを行う。
「これがティナ殿の魔術……噂通りの実力なのだな」
「噂の方は話半分ぐらいでお願いします。それで、私達はどう動きますか?」
「そうだな。ティナ殿はお嬢様達の護りに、クロエ殿は攻撃役を頼む」
「承知しました」
適材適所の配置を指示したところで、ようやく“獲物”が到着したらしい。左手方向の林の中からひゅんひゅんと多数の風切り音が響き、しかし悉くセレスティナの立てた石壁に弾かれるのが気配で分かった。
「チッ、魔術師が居やがるのか……だかこれだけ大きな壁だ。もう次の魔術は使えんだろう」
壁を攻略するのは諦めて、取り囲む代わりに馬車の前方の道を塞ぐように集まったのは、見るからに山賊といった風体の男達。その人数もクロエの推測どおりだ。
荒れ放題の髪や髭にいつ洗ったかも分からない汚れた服を纏い、剣や斧など統一感の無い武器を見せびらかす彼らに、目と耳だけでなく嗅覚も鋭いクロエがつい顔をしかめた。
対峙するセレスティナ達は馬車を護るように位置取りをしつつも攻める気配を見せない。
その真意は一人たりとも逃がさないよう敵が近寄るのを待っているに過ぎないのだが、それを怖気と受け取ったか山賊たちが下卑た笑いを浮かべながら包囲を狭めてくる。
「矢もタダじゃねぇからその分は取り返さないとなあ。さあて、金と荷物と女を寄越せ。男共は殺す」
「――半分同感ね。不潔で臭い男は殺処分で良いと思うわ」
クロエの冷たい声が聞こえた瞬間、一陣の黒い風が駆け抜け、それまで喋っていた頭目を含む数人の首が飛んだ。
山賊達にとってはまだ飛び道具の距離なのだろうがクロエにとっては既に刃の届く距離まで入り込んでいたという訳だ。
クロエが大振りの軍用ナイフを振って付着した血を払うと同時に、首から上を失った被害者達の身体が血を噴き上げながらゆっくりと傾いていく。
「お、お頭っ!?」
「よし、制圧せよっ!」
混乱したところに騎士達三人が突入。少人数だが錬度と装備に圧倒的な差があり山賊達を鮮やかな手並みで次々と叩き伏せる。
残ったセレスティナも馬車に気を配りながら《雷撃》をぺちぺち撃ってインベーダーゲームのように山賊たちを端から順に気絶させていく。
途中でこの場から逃げようとした者も現れたがクロエが追いかけてあっさり首を刎ねており、予定通り一人も逃さすことなくこの地域を脅かす野盗退治は無事終了したのだった。
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「――お嬢様、尋問終了しました」
あれから、視界から外れて追随していた予備の騎士団約20騎と合流し、《石壁》を土に還したセレスティナが客車の中で待っていると、騎士達の隊長が報告に現れた。
犯罪者相手なので拷問まがいの取調べを予想したセレスティナは早々に馬車に避難しておりその内容は見ていないが、思ったより早く終わったのでこっそり息をつく。
ちなみにクロエは残虐シーンにこれっぽっちも抵抗の無い荒事系女子だが、今回は「臭いから」という理由で御者席で休憩していた。
「そう、ご苦労様。それで“革命団”との関わりは?」
「はっ。身代金目当ての模倣犯のようではありますが関わりは無いと言い張っております。全員別々に尋問しましたから恐らくは真実かと」
「ふぅん、愚かな連中ね」
そう言うとシャルロットは、話について行けず口も挟めないセレスティナに向けて解説をしてやることにした。
「“正義の革命団”……ここ数年、公国の体制を転覆させようとする反社会的勢力よ。なんでも貴族政治は間違ってるんですって」
「そういうのが居るんですね……民主化でも推し進めてるのでしょうか」
「みん……? 何それ? 知らないわよそんなの。だけど頭にくるのは、その“革命団”に同調したり応援したりする愚民が結構な数居るってこと。統治する難しさも考えずに、身勝手なものね……!」
不機嫌そうに吐き捨てるシャルロット。
続く彼女の話によるとその“正義の革命団”は最近貴族や富豪の子女を狙った営利誘拐に手を付け、身代金として莫大な金額を要求し、そうして得た金額の一部を庶民に還元しているとのことだ。
庶民の立場としては余程人気のある人格者で無い限りは貴族や富豪に及ぶ災難など酒を美味くする肴に過ぎないし、時々そのお零れに預かるともなれば支持する側に回るのも当然で、公国の上層部としては邪魔なことこの上ない。
また、その営利誘拐の実行犯には借金奴隷や犯罪奴隷を使い捨ての駒にしており、なかなか尻尾が掴めないという。
金銭で売買できる借金奴隷はともかく、本来犯罪者に刑罰として強制労働させる趣旨の犯罪奴隷は国が認めた機関や組織でないと所有できないのだが、それについても特殊な裏ルートを持っていることは確実で、国のあちこちに根を張る厄介な集団であることが伺える。
「――そういう訳だから、犯罪者として引き渡してもいずれ回り回って“革命団”の手駒になる可能性も大きいし、ここで全員首を刎ねておしまいなさい」
「はっ。畏まりました」
「一応、騎士の何名かをアジトの捜索に当たらせて盗品や人質があれば保護すること。それと野盗の首は街道の脇に並べて晒して看板立てておいて。ルージュ家の騎士が征伐したと。善良な民なら安心するでしょうし同類の輩に対する警告にもなるわ」
その指示に一礼して扉を閉める騎士隊長を黙って見送るセレスティナ。過激な決断を下すお嬢様だとは思ったが他国の事情もあるし代案も特に思い浮かばないので口を挟む余地も無い。
するとシャルロットが大きな溜め息とともにがっくりと項垂れた。慌てて侍女のエマが彼女の額に浮かんだ汗を拭き取る。
「やはり処刑を命令するのは気を張るのですね」
「……そうね。ただ実際にそれを遂行する騎士達の手前、わたくしが弱気な顔を見せる訳にもいかないし」
一気に乾いた喉を潤す為、シャルロットが紅茶のおかわりをエマに要求する。そして新たに注がれたお茶で口の中を潤して、落ち着いた頃に話を再開した。
「公国の事情ではあるけれど、ティナ先生にも関係が無いとも言えないから教えておくわ。“革命団”の誘拐の手口で実行犯を使い捨てるのは話したけれど、そいつらから人質を受け取って運ぶ鷲獅子に乗った魔獣使いの存在が確認されてるのよ」
「鷲獅子……ですか!?」
鷲獅子はその名の通り、鷲の頭部と翼と爪、そして獅子の胴体と後足を併せ持った魔獣で、本来テネブラの空に生息しており人に飼い慣らせるような温厚な性格ではない。
ただ、魔獣を使役するテイマーと呼ばれる特殊な技能者も存在するので、シャルロットの言う魔獣使いもその技能を持った魔族である可能性も考えられる。
「だからわたくし達としてもティナ先生には早めに魔獣狩猟免状を発行しておいて鷲獅子への対策を手伝って貰いたい、そういう下心があると伝えておくわ」
確かに魔獣や魔族が絡むならセレスティナの管轄だ。むしろ彼女の知らない内に反政府勢力に与する犯罪者として処理される方が彼女の希望にそぐわない。
「そんな訳で、残りの期間の護衛もしっかり頼むわね。報酬はジャンヌ外交官と10日間じっくり会談ができる権利。破格でしょう?」
「足元を見られてる気はしますが……乗りかかった船、もとい馬車ですので公都までお供いたしますよ」
公国での活動も、これまでの例に漏れず一筋縄では行きそうにない。にも関わらず、不敵な笑顔で受けて立つことを宣言するセレスティナだった。
次回は9月30日頃(努力目標)に投稿予定です。




