014話 出発の時(ティナの冒険はこれからだ!)
▼大陸暦1015年、走牛の月下旬
魔国首都の中心に位置する大宮殿、その大広間。
遥か昔、この場所で魔族の王である“魔王”が人間の“勇者”と大激戦を繰り広げたとされる場所。
そして現在では、シーズン中は社交の舞台として着飾った男女の為のダンスホールと化す場所。
その場所で今日、セレスティナの叙任式が厳かに執り行われた。
一応自由参加ではあるが、数百年ぶりの外交官というもの珍しさのためかホールには大勢の各省職員が立ち並んでいる。
また、合議体である三公四侯のメンバーもほぼ勢揃いし、一段上がったステージの上に参列している。
そのメンバーは、軍務省長であり軍の総司令官でもあるアークウィング・フォルティス公爵に、軍参謀長のゼノスウィル・イグニス侯爵。
内務省長、青い金属質の肌に鋭い角と爪と蝙蝠のような翼を持った、獄魔族のデアボルス公爵。
軍務省都市警備隊の隊長、鍛え上げられた肉体を誇る鬼人族のコルヌス侯爵。
法務省長、鬣のような立派な髪と髭が特徴の獅子獣人、レークス侯爵。
財務省長、黒い肌に対照的な銀髪と尖った耳と持ったダークエルフ、ノックス侯爵。
以上6名である。
もう一人、諜報や防諜を主に担当する軍務省情報室長を務める吸血族のサングイス公爵という人物が居るが、彼は夜型なので承認のサインだけ貰ってこの場は欠席である。
さて、やがて通り一遍の式次第を終えた後、合議体を代表しアークウィング公爵がサツキ女伯に任命状と共に美しく輝く金属片を手渡した。
合議体の承認を得て、直属の上司であるサツキ女伯が任命する、それが現在の外交官叙任の正しい流れということである。
ステージ上から、赤地に満開の花が咲き誇る艶やかな着物姿の彼女が、普段の様子からは考え難い張りのある声音で、こう告げる。
「汝、セレスティナ・イグニスをテネブラ筆頭外交官に任命する。今後とも職務に精励し国の繁栄に貢献することを期待する。外務省長サツキ・ノエンス」
「はっ。謹んで拝命いたします」
片膝をついたセレスティナが恭しく任命状と、そして外交官バッジを受け取った。魔国外交官の身分を保証するこのバッジはミスリル銀製で、先を見通す慧眼や世界中を飛び回る移動力を象徴する鷹の意匠に魔国のトレードマークである7本の武器を交えた精巧なものとなっており、偽造はほぼ不可能に近い。
光の加減でプリズムのように虹色に輝くそのバッジを手に、思わず顔がにやけそうになるのをぐっと堪える。
ちなみに筆頭外交官という名誉な役職になっているが、どうせ国内に一人しか居ないので今のところは割とどうでもいい。
参列者の側を向いて一礼すると、ジレーネが我が事のように嬉しそうな笑顔で手を振ってくれた。
「では、セレスティナ外交官に最初の任務を与える」
続けて、外交官としての最初の命令が下る。
「西のアルビオン王国へと赴き、外交会談のテーブルを無条件で設置すること。貴方の権限範囲だとまだ条約そのものを結ばせる訳にはいかないからね」
疲れてきたのか、段々とサツキ女伯の口調が砕けたものになっていく。
尚、無条件という言葉の意味は、外交会談を開くことそのものに対して何かの交換条件をつけさせるのを認めないことだ。例えて言うなら『何カ国協議に参加して欲しければ食料援助を』というような対等でない条件には決して応じないということである。
そして会談そのものの段になれば外務省長や或いは三公四侯が直々に出張ってくるのだろう。
「さて、最初の目的地がアルビオンなのは何故か分かるかしら?」
その彼女の問いに対し、セレスティナは淀みなく答えた。
「はい。人間族の治める主要三国――この国から西のアルビオン王国、北の神聖シュバルツシルト帝国、南のルミエルージュ公国――の中でも盟主的存在だからです。国力が高く、彼の国と条約を結べば他の二国も追従する見込みがありますので」
「おっけー。理解が早くて嬉しいわ。それで、期限は半年……って言いたいところだけど、まあそう簡単に行くとは思えないし4ヶ月後の建国祭辺りを目処に一旦報告会開いてその時の進捗度を見てまた目標の修正をするってことで」
「はっ」
びし、と敬礼するセレスティナ。そしてそんな彼女を参列者達は、初めてのお使いに出る子供のように優しくも生暖かい目で見守る。
この時は本人を除いてまだ誰も、4ヶ月で何とかなるとは夢にも思っていなかったのである……
「それと、今回の任務に軍務省から、諜報官として情報部所属のクロエが同行するものとする」
「……は?」
最後のサプライズには、さすがのセレスティナも理解が追いつかなかった。
▼大陸暦1015年、走牛の月30日
名目としては、クロエは軍務省からの特別任務で『敵国の情勢や戦力や国力や地理地形等の調査』ということになっているが、セレスティナの護衛兼サポートという意図は明白で、アークウィング総司令官達による粋な計らいに素直に感謝した。
それから1週間ほど、二人で出発の準備を進めたり友人に挨拶して回ったりしつつも何とかあれこれの用事を済まし、
遂に、人間の住まう国、アルビオン王国への出発前夜を迎えた。
卒業後は自立しなきゃというクロエ本人の希望で軍務省の寮に寝泊りしていた彼女だが、この日ばかりはセレスティナ達に誘われてイグニス邸で一泊することになる。
クロエの好物の魚料理で彩られた夕食を楽しみ、久しぶりに会う人たちとの語らいにも花を咲かせ、そして、母セレスフィアの強い希望で女性3人でお風呂に入るのだった。
「女同士でしかできない話もあるものねえ。久しぶりよね、こうやって一緒に入るなんて」
花や石鹸の香りが漂う脱衣所で、セレスティナとクロエが恥ずかしがる中、セレスフィアはうきうきした様子で小娘どもを脱がしにかかる。
「それにしても、二人とも、下着が可愛くないわよねえ。もうちょっと自分に合ったのを選びなさいよ」
そして案の定、女子力が必要になる特定のコンバットフィールドにおける特殊戦闘用装備品について駄目出しをしてきた。
「わ、私はもう大人なんですから、可愛い下着なんて必要ないんですよっ」
黒い総レースの上下を身に着けたセレスティナが抗弁するが、「お子様が背伸びしてるようにしか見えないわよー」という追撃の前に轟沈した。
「あたしは、動き難いのは戦闘の邪魔になりますから……」
クロエは伸縮性の高い紺色のスポーツブラに、下も同色の色気のないショーツだった。尚ショーツの後ろ部分は尻尾を囲んでウエストの高さでホックを留める構造になっている。
極めてどうでもいい余談であるが、獣人の女性用のショーツはこの尻尾穴を用意するタイプと尻尾より下で締めるローライズタイプとの大きく2種類があり、人気も二分している。
尻尾穴タイプは動き易くお腹が温かく脱げにくい利点があり、ローライズタイプは安くてお洒落でそして脱がせやすい利点がある。
「二人とも、もっと自分のチャームポイントを自覚しないとねえ。こんなことなら何枚か縫ってあげれば良かったわ……」
そんな困り顔のセレスフィアの下着は、ピンクのフリルがふんだんにあしらわれたもので、本来はもっと若い子向けの筈なのに彼女が着ると妙な色気があって特にセレスティナなんかは目のやりどころに困る。
何しろ母親で人妻だ。手を出すのはおろか視線を向けることさえ許されない罪のように感じてしまい、セレスティナは回れ右しつつ下着も脱ぎ去った。
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「……はふぅ」
「……にゃー」
紅い顔に熱い吐息を漏らしながら、セレスティナとクロエの2人がぐったりと体を投げ出す。
あれから「旅立つ貴女達にわたしからの餞別よ」と身体中を徹底的に磨かれたのだった。そして今は皆で湯船の中に浸かっている。
といっても、妖しい行為によって白い花が咲き乱れたり塔が建ったりということでは決してなく、セレスフィアは実はエステティシャンとしての技術も習得しているので、お肌をケアしたり髪を整えたりマッサージしたりと技能の範囲で最善を尽くしただけである。
プロ級の手つきがとてもすごかったが、動機は純粋な母の愛なので全くもって問題無い。
「うふふー、お客さんはこういうのは初めてだったかしら? 女の子なんだからキレイにしなくちゃねえ」
その言葉に偽りは無く、両者共肌も髪もピカピカに輝いている。
「……さて、ここからはちょっと真面目な話」
そう言うと、セレスフィアは小娘2人の頭を後ろから抱き寄せた。丁度2人の頬が左右のお胸に当たる体勢だ。
「ふおおおっ!?」
「……にゃ」
美しい形の胸が頬に直接当たり、その優しい感触にセレスティナが思わず奇声をあげたが、空気を読んですぐに黙った。
「二人共、暫く会えなくなるからねえ。ちょっとだけ、このままで居させてね」
あっという間に大きくなってこの家から巣立っていく子供達に、セレスフィアの声は嬉しさ4割と寂しさ6割ぐらいの比率だ。
「外国って、危険な所なのよね。わたしも本当は凄く心配で、できる事なら引き止めたい気持ちもあるんだけど……」
「大丈夫です。ティナはあたしが何に代えても守りますから!」
「そこなのよ。クロエの一番心配なところは」
勢い込んだクロエに、セレスフィアが優しく諭す。
「クロエがティナのことを大事にしてくれてるのは知ってるわ。だけど、自分のことももっと大事にして良いのよ」
「で、ですが、あたしはティナに命を救われましたから……」
「恩返しのつもりなら、もう十分返して貰ってるわよ。ほら、わたし達って子供が生まれにくいから、クロエのことも、もう一人の娘ができたみたいで嬉しかったのよ。うちの子になってくれてありがとう、ティナと一緒に育ってくれてありがとう、ってね」
「若奥様……」
「だから、もしピンチになることがあっても、自分を犠牲にするんじゃなくて二人で力を合わせて二人で切り抜ける道を選びなさい」
クロエの髪と耳を、セレスフィアの手が柔らかく撫でていく。
「二人はタイプが違うから、協力すれば大抵何でもできるしね。良い? 分かった?」
「は、はい」
クロエの返事にセレスフィアは「よろしい」と笑顔を見せて、次にセレスティナに向き直った。
「ティナは……正直あんまりピンチになるところが予想できないのだけれどね。わたしなんかよりも、魔術も戦闘も上手いし頭だって良いし、昔から大体何でも一人でやってきたし」
「母様……」
「でもね、そんなわたしでも、絶対にティナに負けないものが一つあるわ。誰かを愛する経験よ。お父様に生まれて初めて逆らってウェールを愛して、命懸けで貴女を産んで……ふふっ、意外とわたしだって大冒険してるじゃない」
当時のことを思い出したのか、恋する乙女のような愛おしさをその真紅の瞳に浮かべる。
「だからね、対人関係で悩みがあればいつでも帰って来てわたしのところに相談しなさい。それならわたしでもアドバイスしてあげられるからね」
「ありがとう……ございます……」
母の胸に寄りかかり、心も体も温かさに包まれたセレスティナは、他に言葉が見つからずお礼だけ言うのが精一杯だった。
「まあ要は遠慮せずいつでも帰っておいでってことだけど。その時はまた今日みたいに胸枕してあげるからね」
「え!? い、いえっ! こういうのは今日だけで良いですしっ!? 私ももう大人ですし父様にも悪いですしっ!?」
「うふふー、隠さなくても良いのよ。ティナが遠慮深くて可愛いのも背中が弱くて可愛いことも魂が女の子の色をしてなくておっぱい大好きで可愛いのもみーんな分かってるから。……母娘だものね」
「おっぱ!? そ、そ、それは自給自足できないから仕方なく! 人は自分に無い物に惹かれるって保健の教科書にも書かれてあったじゃないですかっ!」
そう。だからこそ男性は女性の柔らかさに惹かれ、女性は男性の逞しさに惹かれ、セレスティナはおっぱいの弾力に惹かれる。見事な論理的帰結である。Q.E.D.
「そもそも、揉めば大きくなると言いますけど、揉む事が可能だというスタートラインに立ってる時点でもはや勝ち組だと思いますっ」
誤魔化すように自分の胸に手を沿え、ふにふにとマッサージを始めるセレスティナ。
これまでに出会った知り合いを格付けしていくなら、学長フォーリウムと外務省長サツキ女伯が富豪、クロエが中の上の平民、セレスフィアとマーリンが中の中の平民、ジレーネが中の下の平民、そしてセレスティナは大貧民、といったところか。彼女の理論で言えばセレスティナ以外は皆勝ち組だ。
「大丈夫、心配いらないわ――」
セレスティナの前に回りこんで、母が笑顔で両肩に手を置いた。その勢いで彼女の美乳が上品にふるん、と揺れる。
その自信たっぷりの姿にセレスティナの目に光が戻る。そう、この遺伝子があれば私だっていつかは……!
娘を元気づけるべく、母は確信を込めて言葉を続けた。
「――きっと需要はあるから」
「そっちですか!?」
▼大陸暦1015年、双頭蛇の月1日、早朝
翌日の早朝。
西方に位置するアルビオン王国は同じ大陸なので陸続きではあるが、国交が無いので有効な移動手段が自前以外に存在しない。その為、日の出と共にセレスティナの《飛空》の魔術で長時間移動することになる。
そのような事情により早い時間にも関わらず、見送りには結構な人数が来てくれた。
「二人共、身体には気をつけるんだよ」
「何かあったら、変な意地を張らずすぐに帰って来なさいね」
「良いか、情報を無事に持ち帰るまでが任務じゃ。それは軍務省も外務省も変わらぬ基本中の基本じゃ。それを忘れるでないぞ」
今まで一緒に暮らしていた家族と、しばしの別れの挨拶を交わす。
「あー、オレも一緒に行きたかったなー。ま、頑張ってこいよ」
「ティナ……えー、その、あれだ。諸事情により自分はついて行けないが、無理とか無茶とか無謀とかするんじゃないぞ」
「なんか青春よね~。ティナお嬢様もクロエちゃんも元気でね、わたしの特製ポーションもいつでも補充できるように用意して待ってるから~」
学生時代を共に過ごした戦友と、これからは違う道を歩む。
「ちょっと寂しいけど、お仕事だもんね! 戻ったらお土産話沢山聞かせてね!」
同じ職場で仲良くなった先輩の元気な声も、当分は聞けなくなる。
尚、同じ職場の省長はこの場には居ない。朝は昼まで寝てるのだ。ちょっと意味が分からないが文字通りである。
「ありがとうございます。皆さんも、どうかお元気で」
「みんな、ありがとう。あたしなりに精一杯頑張ってくるわ」
しんみりとした様子で言葉を返すセレスティナとクロエ。どちらも見た目の荷物はお洒落重視の旅行鞄が一つずつと、一見すると避暑地に向かうお嬢様とその侍女のような軽装だ。
だが当然のようにその鞄には細工がしてある。具体的には《容量拡大》の魔力付与が掛けられており見た目より容積が遥かに大きいので長旅や現地の活動に必要なものは一式入っている。
「では、セレスティナ外交官、行って参ります!」
「クロエ諜報官、出撃します」
敬礼のポーズを取り、出発を告げるセレスティナとクロエの二人。同時に、セレスティナの胸に掲げられた外交官バッジが輝きを増した朝日の光を反射し、七色の光が弾けた。
セレスティナの外交官としての活動、そして未知なる異国での生活の、これが幕開けであった。
第1章 魔物の国の就職事情 ―終―




