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魔物の国の外交官  作者: TAM-TAM
第8章 武人の国々の和平交渉
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127話 『アルテリンデの宝石箱』(アルテのアトリエ禁止)

▼大陸暦1016年、光鱗魚(第2)の月25日


 年が変わり、水鏡(第1)の月の初日からいよいよ『ゼクトシュタイン講和条約』が発効された。


 それから約2ヶ月。新年と太陽の精霊王の復活を祝う“神聖太陽祭”が賑やかに開催されたり大雪で屋敷に閉じ込められたり『アルテリンデの宝石箱』の開業準備に帝都内を奔走したり猛吹雪で閉じ込められたりと、なんか色々やっている内に時間は剛弓から射られた矢のように飛翔し過ぎ去っていく。


 そして連日続いた大雪の合間に珍しく太陽の光が差したこの日、真っ白に染まった帝都の町並みを優雅に見下ろしつつ空の旅を終えたセレスティナが旧ゼクトシュタイン邸宅の玄関へと降り立った。


 かつてこの館で帝国との外交会談が行われた時からお世話になり続けている使用人達に帰還の挨拶をして、セレスティナはここの今の主人であるアルテリンデの居る執務室へと向かう。

 元はゼクトシュタイン公爵の書斎だった執務室には、アルテリンデと護衛に残していたクロエ、そして雑務を手伝っているエーファの姿があった。


「戻りました。新しい紋章も無事に紋章官のサインを頂戴して、これで遂に開業準備完了です」


 着込んでいたベヒモスの黒毛皮のマントを脱ぎ余所行き用の黒いドレスと黒タイツ姿になったセレスティナが、机で事務作業中のアルテリンデに一枚の紙を手渡す。

 その書類に描かれた宝石と薔薇の花の意匠は、これまでの皇族としての紋章が使えなくなった彼女の新しいトレードマークにしてこれから始まる商会『アルテリンデの宝石箱』のシンボルマークでもあるのだ。


「そう、ご苦労様。これでいよいよね」


 眼鏡をすちゃ、と整えて書類に目を落とし、紋章官の署名と今日の日付を確認して顔をほころばせるアルテリンデ。ちなみに伊達眼鏡だ。作業場に視察に行く事もあるので眼球保護の用途も兼ねているが、主には「なんか仕事できそうに見えるから」という理由で最近好んで掛けているのだ。


 ついでに補足すると、今のアルテリンデは皇女ではない為、見慣れたドレス姿ではなく新鮮な民族衣装姿だった。

 白いブラウスに腹部をぎゅっと締めて胸部をぎゅむっと押し上げる胴衣を締めて人工的な乳袋構造を作り出し、ボトムはピンクのエプロンスカートに白タイツで冬場でも暖かくその上で華やかさとも両立している。


「それで、雪が溶けて馬車が走れるようになったら早速初回の賠償金支払いに訪れたいと帝城側から打診がありました」

「まあ、早いのね」


 目を丸くしながらも洗練された所作でアルテリンデはセレスティナから封蝋の押された封書を受け取る。

 一応書類上のアルテリンデの立場は“テネブラ外務省付き客員店長”でありセレスティナの部下になるのだが、端から見る限りではアルテリンデがこの場のトップに見えてしまう辺り生まれ持った気品の差だろうか。


 ともすればアルテリンデの世話役としてこちらに一緒にやって来たエーファでさえも、調子に乗って「神聖なる帝国の男爵令嬢は不浄な魔界の侯爵令嬢より格上なのよ」とでも言いたげに振る舞う事がある。

 尤も彼女の場合はその都度アルテリンデやクロエに締められているので無害なお笑い提供枠だが。


「やはり炎の聖剣(レーヴァティン)を一刻も早く取り戻したいみたいです。相当強引に金貨をかき集めたようですね」

「そう。大丈夫かしら……」


 帝国からの今年分の賠償金の支払猶予は一応年内一杯まで待てるのだが、初回支払いと引き換えに聖剣レーヴァティンを皇帝に献上(・・)するという約束があるので帝国側が早期の支払いを申し出て来たということだ。

 ただ昨年の敗戦で帝国の国力は弱っているのは確かなので、この状況でそんな事をして逆に父親である皇帝の身に危険が及ばないかと、彼女は不安げに眉根を寄せた。


「あー、その話長くなりそうなら休憩室に行かない? あたしはコタツが恋しいわ……」

「そうね。時間も丁度良いし少し休憩にしましょう」


 クロエの提案にアルテリンデが笑顔で頷くとエーファに目線だけでお茶の指示を出す。

 背筋を伸ばしたエーファが厨房へと急ぐのを見送って、3人は休憩室へと移動することにした。





 休憩室を土足禁止にしてコタツを設置したのはアイディアも技術もセレスティナから出たものだったが、その試みは大当たりで上は店長から下は新人メイドまであらゆる層が代わる代わるこの部屋を利用しているとのことだ。

 その為、休憩室の入口には“コタツは1日に小半刻(30分)まで”という貼り紙がされており、次の冬が来るまでに第二休憩室の設営が必要かとセレスティナを悩ませる。


「はー。生き返るわー」


 真っ先にクロエがコタツに入り込んで丸くなる。侍女服を着ているが実際には軍務省所属の諜報官で侍女ではないのでセーフだ。ちなみに下はジャージだ。


「……クロエさんのぬこ化が止まりませんね……」

「何言ってるか分かんないけど猫扱いよりムカつく気がするのはなんでかしら」


 軽口を叩きつつセレスティナも足を崩してコタツへと入った。見られたら恥ずかしいおっさんみたいな座り方をしているが量子学的には観測できないものは存在しないので問題にはならない。


 そこにお茶と茶菓子を準備したエーファも入って来た。彼女もアルテリンデとお揃いのデザインの民族衣装姿で、ブラウンの色合いと控えめな乳袋に主人より目立つ訳にはいかないという強い意志が感じられる。


「はい、姫様、お茶をどうぞ」

「ありがとう。でも私はもう姫じゃないしこの場のトップはセレスティナなのだから先に彼女にお茶を出さないと」

「で、でもっ、姫さ……お嬢様を差し置いて魔物なんかに……っ、し、仕方ないわね。ほらお茶よっ」


 悪態を吐こうとしたところクロエが拳を握ったので慌ててお茶を配るエーファ。セレスティナが色々な用件で留守にしがちの間に力関係が出来上がってきたらしい。


「ありがとうございます……時々忘れそうになりますがこういう時エーファさんが実は良いとこのお嬢様だと思い出しますね」


 態度はともかく彼女の煎れるお茶は味と香りが良い。更には多種多様な茶葉それぞれに適した煎れ方に熟達しており、強大な帝国の皇女お付きなのも頷ける。


「そうね。今ではもうエーファの方が家格が上なんだから私のこともアルテ、って呼び捨てでも良いのに。ふふっ」

「んなっ!? お、お嬢様のことをそんな馴れ馴れしくお呼び奉ったりすれば恐れ多すぎてあたし死んでしまいますよっ!? あわわわわ……」


 笑顔でエーファの頬をぷにぷにつつくアルテリンデにエーファは固まってあわあわしている。

 そんな麗しい主従愛を純粋に(よこしま)な瞳でじっくり観賞していたセレスティナだったが、じゃれ合いがこれ以上エスカレートしそうに無いので話を本筋に戻すことにした。


「……それで、さっきの話の続きですが、帝国政府は国庫や好戦派だった貴族の資産を切り崩したのに加えて、技術庁の予算と人員も大幅に減らして今年分の賠償金をご用意したとのことです」

「技術庁を!? それって……大丈夫なの!?」


 問い返すアルテリンデの顔色が悪い。だがセレスティナは落ち着いた口調で心配要らないと告げた。


「技術庁にはほぼ無理矢理連れて来られた民間出身の職人さんも多かったですから、その方達に(いとま)を出したそうです。希望退職を募ったところ志望者が殺到しましたから技術庁側としても表立って抗議や反発はできないみたいですし……」


 予算を確保しつつ危険な技術庁の影響力を落とし、更には市井の産業に人材を投入する、なかなかの妙手だとセレスティナは評価した。

 黒い噂もある技術庁だが、敗戦直後で国力が全体的に落ちていることもあり、暫くは大人しくしているだろう。


 追い詰められた好戦派が暴発する危険も全く無いとは言えないが、そのリスクも受け止める覚悟で皇帝が今回の決断に至ったのは想像に難くなく、一瞬アルテリンデが唇を噛んで俯いた。

 だが元皇女として弱音は封印し、固く乾燥した声を絞り出す。


「だから、私とジーク兄上を中央から遠ざけたのね……」


 後継者不在のままこの世を去ったゼクトシュタイン公爵領にこの度めでたく婿入りすることが決まったジークバルト第二皇子に言及して彼女は、納得はいかないまでも理解の様子を示した。

 実際に移動するのは雪が溶けて春になってからだが、これで事実上次期皇帝争いはエドヴィン第一皇子に正式に確定したことになる。弟のマルクハインツ皇子も帝城には残っているが政治の世界に踏み込むにはまだ幼すぎる。


「エドヴィン皇子は技術庁とウマが合わないですから、多少いざこざはあっても現皇帝派と頑張って関係を維持していくのが得策でしょうし、大事には至らないことを願ってます」

「そうね……」

「ご心配でしたら私の方でもフォローを……と言いたいところですが、来月からルミエルージュ公国の方に飛ぶことになりましたので、残念ですがしばしのお別れです……」

「今度は南の国なの? 外交官って本当に休む暇も無いのね」


 公国との会談の話は帝国と一戦交える前から出ていたが、戦争が終わり冬が明けることでようやく実現の具体的展望が見えてきた。

 そのことを申し訳無さそうに告げるセレスティナに労わるような声をかけるアルテリンデ。


「でもアルテリンデさんの身辺警護も続けたいですし今ではもう『宝石箱』もテネブラの大事な資産の一つですし、代わりの担当者を手配する予定です。一人で二人分働いてくれる凄腕の方に打診中でして」


 今度はどんな奇人変人が登場するのか少し不安になるアルテリンデだったが、そんな彼女の思いには気付かずにセレスティナは話題の軌道を修正する。


「それで賠償金の話題に戻りますが、足りない分は先日『宝石箱(ウチ)』から皇家に献上した宝石をそのまま使い回すそうです」

「……一応聞くけど査定額は?」

「勿論末端の販売価格相当で査収します」

「…………鉱山での採掘から加工まで全部自社で連結管理していると利益率が途方も無くて、まるで禁断の錬金術に手を出しているようで不安になってくるのだけれど……」


 そう言って彼女は戸惑いとも感嘆ともつかない溜め息を一つ吐き出す。

 『アルテリンデの宝石箱』の看板が掛かる直接の販売店舗はまだ準備中であるが、元皇女としての人脈から貴族の令嬢やご夫人に直接会って営業ができるのが大きな強みで、その方法で既に開業後すぐ欲しいという予約注文を何十件も受けており、開業記念に帝城へ献上品を渡して尚余りある利益が出る見込みなのだ。


 経営については生産量の1割をテネブラ外務省が貰って行く条件の他は赤字が出ない範囲で完全にアルテリンデの手腕に一任しているのが現状だ。その彼女は早速鉱夫や加工職人や館の使用人達の給与と待遇を改善することにしたが、今の利ざやを考えると更に特別ボーナスを出しても良いだろう。

 錬金術工房という評価も、実はそれほど大げさでもないということだ。


「一応釘を刺しておきますと、本来は沢山のお金と時間を費やして育て上げた職人さんにそれ相応の人件費を支払って一つ一つ丁寧に仕上げてもらう作業を高度な工作機械で代用している訳ですので、便利な技術や道具はタダみたいな考え方は少し困ります……」

「……そうね。セレスティナが居なければ成り立たないのは確かだわ」

「技術立国を目指すなら、直接の製品そのものではなくそれを作る為の製造機器を抑えてそこで稼ぐというビジネスモデルも有りということです」

「貴女の話を聞いていると、魔族の国に今まで抱いていたイメージがどんどん崩れていくわね」

「……大丈夫。アルテが思い描いたおかしな国はティナのおかしな頭の中にしか存在しないから……」


 セレスティナみたいな人物が広い工房に大勢並んでこれまでの常識を覆しかねない物品を凄い勢いで量産していく悪夢のような光景を思い描くアルテリンデだったが、どこか疲れたクロエの声に呼び止められて現実へと戻ってきた。

 今の所、技術立国とやらの国民はセレスティナ一人きりのようで安堵する。


「さて、では技術立国の臣民らしく次は献上に備えて聖剣レーヴァティンの鞘でも作っておきましょうか」

「そういえば、鞘が遺失したと帝国の伝承では聞いたわね」

「恐らくですが、剣が大きすぎて鞘から抜けずにそのまま使われなくなったのではないかと……真っ直ぐ抜こうとするとよほどの巨人でもない限り鞘が引っかかりますからね……まあ、設計ミスかバグのようなものだと思います」


 精霊神のテストプレイ不足疑惑まで出たところで、セレスティナは技術者の思考を発揮して鞘の構想を練り始める。


「でもUの字型にサイドを大きく開ければ金具を外して斜めに振るようにして抜けますから問題は解決します。あとは弾みで鞘を斬らないように強度を上げつつ……」


 聖剣を納めるには鞘も相応の素材が必要だ。特殊な処理を施すと鉄より固くなる霊木のリストから炎にも強い物を彼女は脳内で合否の印を押しながら選んでいく。


「それで《容量拡大(キャパシティアップ)》を使えば普通の長剣と同じぐらいのサイズと重さにできますから持ち運びも楽になりますし、何より抜き身で献上するのは危険ですからね。ちょっと間違って取り落としたら受け取り担当のオズヴァルト子爵の腕がばっさり――」

「やめて聞きたくない!」


 両手で耳を塞いだエーファの絶叫がセレスティナの言葉を遮った。心に傷を負った彼女に頭を下げて謝罪を示しつつセレスティナはアルテリンデへと向き直る。


「まあだいたいそんな感じですので、実際に献上なさるお役目はアルテリンデさんにお任せいたします。その方が私が出るよりも帝国側のプライドが傷つかずに済みますし以降の交渉も円滑に進んで譲歩も引き出せそうですから」

「ちゃっかりしてるわね」

「あ、交換条件次第では分解しない範囲で調べ尽くした聖剣のデータも展開にも応じられますよ? 正直今の人類の技術では同じ物を作るのが無理だと分かって、精霊神から賜った贈り物と言う話の信憑性が増しただけではありますが……」

「色々看過できない単語は出てきたけれど、なんだか嫌な予感がするから貴女はもう黙ってた方が良いと思うわ」

「……ぐむぅ」


 極めて直感的な理由でセレスティナの申し出を封じたアルテリンデだったが、彼女の判断のお陰で「レーヴァティンで焼いた目玉焼きは炭の味しかしなかった」という帝国の威信に関わる情報が表に出ずに水際で阻止されたことをここに正当な功績として記しておく。





「――で、ティナのことだからただお節介で鞘作ってあげるってのは建前で、どうぜ何かロクでもない小細工してるんでしょ?」


 その夜、彼女達にあてがわれていた客室で、周囲に人の気配が無いことを確認してクロエがそう切り出した。

 早速机に向かって聖剣の鞘の設計を始めたセレスティナは、悪戯を見咎められたお子様のような困った顔を浮かべて振り向く。


「それはまあ、勇者も聖剣も野放しにするのは危険そうですから《追跡(トレース)》を仕込んでおいて有事の際に位置を補足できるようにしようかと……」

「ん。ま、予想の範囲内ね。軍務省(うえ)にはちゃんと報告するから情報の共有頼んだわよ」

「了解しました」


 慣れたもののようで短い会話で手早く確認と相談を終えると、セレスティナは聖剣の鞘の装飾用に赤く輝く魔石を取り付け、クロエは愛用の武器の手入れを始め、各々の作業に没頭するのだった。






 第8章 武人の国々の和平交渉 ―終―



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