126話 講和条約締結(サブタイトルで積極的にネタバレしていくスタイル)
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その後もセレスティナとアルテリンデ皇女は協議を重ね、双方の粘り強い交渉と現実的な譲歩を幾度も繰り返した結果、講和条約は遂に実務者レベルでの妥結へと至る。
「……長い道のりでしたね……」
テーブルの上で燦然と輝くかのような存在感で鎮座する紙束を目に、セレスティナは力尽きたかのようにぺたんと突っ伏した。
それを見て苦笑するアルテリンデ皇女も、内心ではきっと彼女と同様なのだろう。
最終的な結論としては、テネブラ側が最初に提示した十ヶ条の内、部分的な物も含めると次の八項目が通り、総評としてテネブラの完全勝利に近い形で決着したことになる。
一、拉致された魔族の民および略取された資源の返還。
二、今後の密猟や盗掘や侵略を禁止する不可侵条約の締結。
三、正式な国交回復に向けた作業部会の設置。
四、戦争責任者の処罰。但し帝国軍の指揮官オトフリート・フォン・ゼクトシュタイン公爵が戦場で戦死を遂げた事、加えてその妻となる予定だったアルテリンデ・フォン・シュバルツシルト皇女の身柄をテネブラに引き渡す事、これらをもって責任を果たしたと見なす。
五、皇帝ヴォルフラムによる公式の謝罪。
六、一部鉱山採掘権のテネブラへの割譲。およびアルテリンデ皇女に課す労役として鉱物資源を活用する目的の商会を帝都に興すことを帝国側が容認すること。
七、アルビオン金貨1200万枚相当の賠償金の支払い。金貨20万枚ずつ60年での分割払いとすること。
八、国境の河上流の水門を含む、国境付近の帝国側軍事施設の解体。もしくは平和利用への転用。
付帯、炎の聖剣レーヴァティンは、第1年目の賠償金支払いと引き換えに帝国に“献上”する。
補足で説明が必要なものを順番に見ていくと、五の皇帝直々の謝罪については、皇女が代理で謝ったとしたら魔国民のメンタリティとして「自分は何もせず罪の無い娘に頭を下げさせるのか!」と却って反発を引き起こしそうなので避けた方が良いというセレスティナの主張を通した形だ。
「まあ、ここは形だけの雑な謝罪で構いませんのでどうにかお願いします。私が先日軍部に頭を下げさせた経験で言うと『悪い、許せ』で済ませられましたのでそれと同レベルで十分かと……」
「軍に謝らせるとかどういう人生送ればそうなるのよ……」
反面、四の責任者の処罰については実行部隊の指揮官を含めて大勢の兵士が戦死しており、セレスティナとしてはそれで十分だろうとの判断を示した。これも皇女が前面に出ると逆効果になりそうなのでゼクトシュタイン公爵に最後の働きをして頂くことで落ち着いた。
七の賠償金については交渉中の数字から更に金貨100万枚減額されているが、この分は六で挙げた商会を帝都に立ち上げるに際しその費用や物資を帝国側が負担することで相殺となる。
差し当たりその商会の本部として、戦死したゼクトシュタイン公爵の帝都での邸宅をそのまま使う事が確定している。
また邸宅の使用人についても、このままでは主人が居なくなった結果路頭に迷う未来図になりそうなところを、アルテリンデ皇女の強い希望でそのまま継続して雇い入れる流れになった。
尚、テネブラ軍部が提示した賠償金の最低ラインは金貨1000万枚であり、セレスティナの戦果は要求値を大きく上回っている。その功績を押し出せば鉱山と商会の利権は外務省管轄として認められるであろう。
「婚礼に備えて家具とか調度類を大量に発注したのがまさかこんな形で役に立つなんてね……」
「私もここまで上手く運ぶのはびっくりです……あ、侍女さんとか護衛の騎士さんなんかも費用は帝国持ちですから今の内から信頼の置ける方を探しておくと良いと思います」
そして、この度双方の主張を纏める上で大きな効果を挙げた講和条約の中心核とも言える商会について、まず名称は『アルテリンデの宝石箱』に決定した。
「……やっぱり、凄く恥ずかしいのだけれど……」
商会の名称に自分の名前が冠せられることに不満を表すアルテリンデ皇女に、セレスティナは困ったような顔で諭す。
「そこはまあ、皇女殿下のネームバリューを考えると諦めて頂くしかありません……ここでブランドイメージを高めておくと商会単体の売り上げだけに留まらず、在野の有望な職人や商人達が追従して第二、第三の『宝石箱』を立ち上げ易くなってひいては帝国の平和と発展に寄与しますから」
「くぅ……」
言い返せず悔しそうに歯噛みする姿もどことなく高貴で女子力の高さを感じる。
流石お姫様は違います、と素直に敗北を認めたセレスティナは、帝国交渉団の気が変わらない内に会談を閉じるべく話を戻した。
「さて、では以上の条件で合意になりますね。これで帝国の皇帝陛下や魔国の軍部が土壇場でゴネない限りはこのまま両国の新しい関係がスタートすることになりますが、ノルドハイム伯爵とオズヴァルト子爵も宜しいですか?」
「む……」
本音を言うと皇女の身柄を引き渡さねばならないのは古い英雄譚によくある竜に連れ去られた姫君と同様、国にとっては大いなる屈辱と悲痛を伴うのであまり宜しくないのだが、では彼らにもっと有効な代案があるかと問われると黙るしかないのが現状だ。
それに当初皇女自身が提示した案に比べると、帝都内に住居も用意される分状況は好転している。これ以上の成果を望むとなれば戦争を継続して逆転する他に方法は無いだろう。
「では、今から本国に飛んで議会にサインを貰って来ますので、1週間程お待ち下さい」
「……1週間で往復できるものなの……?」
驚きを通り越して呆れ果てた声音のアルテリンデ皇女。夏場だったら3日あれば戻って来れるとか余計な事は言わないことにしておいた。
ともあれ、こうしてテネブラと神聖シュバルツシルト帝国との間に、会談に用いられた邸宅から『ゼクトシュタイン講和条約』と名付けられた書類が交わされる運びとなった。
▼大陸暦1015年、老山羊の月15日
あれから宣言通りに1週間でセレスティナは、講和条約にテネブラ議会から最終承認のサインを貰い帝都アイゼンベルグへと舞い戻り――
その後、数日の準備期間を経て、年末も間近に控えたこの日、遂に終戦を宣言し講和への調印を行う式典が開催されることになった。
終戦宣言は帝城から帝都の臣民に向けた皇帝ヴォルフラムの演説という形で行われたが、その中では実際の終戦宣言以上に次の一文が後の歴史書ではより多く引用され結果として有名になってしまう。
『――先の戦争におき、勇敢に戦い力尽きた者、災禍を被り未だ苦難のうちにある者、そして家族を失い悲しみに暮れる者に、神聖シュバルツシルト帝国も魔族の国テネブラも問わず全ての者達に、余は深い哀悼と軫念を表明し、心より詫びるものとする!』
皇帝直々のこの言葉はテネブラ外交官としてのセレスティナの立場から見ても、対象に帝国臣民も加えて薄めたとは言えバルバス伯爵の雑な謝罪よりはずっと誠意のあるもので合格点だ。
次に帰国した際に議会に報告して軍部からの文句も封じて謝罪文を正式に受諾して手続き完了できるだろう。
一方、冷たい雪の降る中広場に集まった帝国民にとってもこのことは非常に大きな衝撃となり、呆然と立ち竦む者やへたり込んで泣き出す者が続出したり、中にはこれを機に帝国への不満をぶち撒けてそのまま衛兵に連行された者も現れたりした。
それは一つの時代の終わりを象徴する大事件であり、先の国民の反応に見る通り総じて困惑や混乱が帝都を覆い始めている。
『だが案ずることなかれ! 一つの時代の終焉は次の時代の始まりも意味するからだ! 余の不徳の致す所はいずれ余の後に続く者達が克服し、帝国を更なる強国へと導くことを固く信じる! 臣民の諸君も引き続き忠義を示し帝国の躍進に尽力することを願う! 帝国万歳!!』
何やら良い話っぽく演説を締めたが、帝国の精神的支柱である皇家に、折れるとは行かずとも無視できない傷が入ったことは事実で、恐らく今後暫くは帝国の内部が揺らぐことになるだろう。
外交的観点だと国内問題にかかりきりで国外に向けて悪さをできない状況は歓迎すべきことなのだろうが、無辜の民が巻き添えになって苦しむのを見て喜ぶ趣味は無いし、何より心労でアルテリンデ皇女がお痩せになってしまわない為にも、自分にできるフォローは精一杯しようと決意するセレスティナだった。
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その後、調印式も滞りなく執り行われ、それから日没後に帝城の食事会へと招きを受けた。
『ゼクトシュタイン講和条約』の締結を記念した立食パーティだ。高位貴族の婚礼にも使われることがある格式の高いホールに帝国基準でよく頑張った美食が並べられ、着飾った男女が所々で談笑している。
また、この食事会は、今年一杯をもって帝城を去るアルテリンデ皇女のいわゆる壮行会も兼ねており、ピンク色の豪華なドレスを着た今日の主役の彼女の周囲に人だかりができていた。
同じ帝都内に居を構えることにはなるが、身柄をテネブラへと引き渡すに際し、彼女の皇位継承権を筆頭とした皇族としての立場が喪失される取り決めになった為、皇女としてパーティに参加するのはこれが最後となるのだ。
そんな中、セレスティナとクロエの周辺はあまり人が寄りつかず過疎化が進んでいる。
顔見知りのノルドハイム伯爵とオズヴァルト子爵とは二、三挨拶を交わしたが、初対面の帝国貴族にとって彼女達は戦場で帝国軍を蹂躙した恐るべき魔女とその使い魔。わざわざ友誼を結ぼうなどとは思い至らないのが普通だろう。
「ま、その方がゆっくり食事できて快適だわ」
「いやあ、相変わらず良い食べっぷりであるな」
帝国自慢の魚料理に耳と尻尾を上機嫌で揺らすクロエに、よく通る太い声が投げかけられた。一体どこの命知らずの猛者かと思って振り向くと、そこには恰幅の良い身体を礼服に包んだギルバート伯爵と婦人がにこやかに笑いかける。
「これは、ギルバート閣下夫妻。おかげ様で講和も結べて、ご飯がいつもより美味しいです」
令嬢の皮を5枚ぐらい被って優雅に挨拶するセレスティナ。対するギルバート伯爵は豪快に笑うと、隣で豚肉の揚げ物入りのサンドイッチを手にしたクロエに目を向ける。
「クロエ嬢、であったか? ドレス姿も健康的で美しいですな」
「あらあら。貴方が食べ物以外を褒めるなんて珍しいわね」
ストレートに褒められるのに慣れていないのか、クロエは「うにゃ……」と低く呻ってぷいと顔を背けた。
そんな彼女の今日の装いはタイトな藍色のドレスに大きなサファイアを嵌め込んだ金のブローチを身に着けている。
そのブリリアントカットの施された上質のサファイアは先日の交渉の席での宝石研磨実演でセレスティナが加工したのを譲り受けた物で、最近は金銭感覚が麻痺してきた自覚がありつつも気に入ったので手放す気は無い自己矛盾に悩むお年頃だ。
さておき、照れて黙ってしまったクロエに代わりセレスティナがお礼を述べた。
「ありがとうございます。なかなか素直になれなくても根は優しいツンデレのクロエさんに代わってお礼を申し上げます」
「やかましいわ」
それから少しの間、ギルバート伯爵と雑談と情報交換を進める。尚、アルビオン王国大使である彼らが招待されている以上当然ルミエルージュ公国の大使もこの場に招かれているが、そちらはアルテリンデ皇女を取り囲む輪に加わっており此方には近寄ろうともしない。
あえて自分から皇女に近づいて反応を見るのも面白いかも、セレスティナがそう考えた時、周囲にさざ波のような人の声がざわめいた。
見ると、人垣が綺麗に二つに分かれ、その間にできた道をまるで無人の野を進むがごとき足取りで近づく、護衛の聖盾騎士に護られた煌びやかな衣装の中年男性。
「皇帝陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「嫌味のつもりか、セレスティナ外交官」
片膝をついて挨拶を述べたセレスティナに、皇帝ヴォルフラム・フォン・シュバルツシルトが不機嫌そうな声音と表情で返す。
とは言うものの、彼女が予想していたような憎しみに満ちた視線はとくに感じず、むしろ顔に刻まれた深い皺からは疲労や憔悴に似た印象を受けた。
実際の人物像は噂程に暴君でも戦争狂いでもないのだろうか、もしくは手痛い敗戦が皇帝の中の何かを変えたのか……
「まあ良い。立ってついて参れ。貴殿に伝えたい話がある」
そう言って返事も待たずに隣の個室へと移動する皇帝。この辺りはやはり命令慣れしている故の無意識な行動だろう。
その皇帝は道中でアルテリンデ皇女にも同じように声を掛けたことから、危険な罠は無いと判断し、セレスティナはクロエを残して隣の部屋へと向かった。
入った部屋は、今回のような密談によく使われるのか、豪華絢爛な調度品の立ち並ぶ風格溢れる空間だった。
皇帝ヴォルフラムは高価そうな革張りのソファに無造作に座るとそのまま足を組む。
「ご苦労。まずは座るといい」
「は、はい……」
壊すと幾らぐらいになるだろうと思いつつ彼の対面におっかなびっくり座るセレスティナ。一方アルテリンデ皇女は堂々とした所作でセレスティナの隣に腰を下ろす。
「さて……まず最初に言っておくがこの場で恨み言をぶつける気は無い。しかし実際に我が目で見て、話に聞く以上に貧相な小娘が我が軍勢を焼き滅ぼしたとは信じ難いな……前線の兵達もその貧相な見た目で油断したのが命取りだったのだろうとは思うが、講和が結ばれた以上そこは置いておく」
「その貧相なって修飾語、二回も必要ですか!?」
皇帝相手にもツッコミの調子は普段と変わらないセレスティナ。プレッシャーに晒されるのは魔国の軍部高官相手に慣れているからか、怖い物知らずに磨きがかかっているようだ。
「くく、まあこれくらいの意趣返しは許せよ。それで話の内容だが……我が娘アルテリンデの処遇について、外交官としての立場からはどう思った?」
「皇女殿下の皇族としてのあらゆる権利や立場を返上なさり、平民同然の身分に身をやつすという話ですか……? 正直、外交的にはそこまで望んでいませんし誰にとってのメリットも見えない気がしますが……」
率直な答えを返したセレスティナに、皇帝は「そうだろうな」と頷くと声のトーンを一つ下げた。
「我が帝国では……平和を望む皇族は早世することが多い。と言ったら……?」
「――っ!?」
変な声が出そうになり、慌ててそれを呑み込むセレスティナ。
隣のアルテリンデも初耳なのだろう。驚いた顔で口を押さえていた。
「だからこそ、アルテは早めに中枢から遠ざけたかった。帝都から遠く離れたゼクトシュタイン領に嫁がせようとしたのもその為だ」
「そういう裏事情がおありだったのですね……」
その言葉の意味する帝国の闇に思考の照準を合わせつつセレスティナが呻る。そう言えば帝国に向かう前、サツキ省長からも『穏健な政策の先帝が若くして病死した結果、更に若かったヴォルフラムが帝位を継いだ』と聞いたのを思い出した。
それらが人為的なものであるのなら、皇族を暗殺できる力を持った存在が居てそれらが帝国を裏から操ろうとしていると、そういうことだ。
黒幕は高位貴族か技術庁か、或いは併呑された国の生き残りかそれとも他国の勢力か……
「ああ。犯人探しは別に望まぬ。勿論貴殿が自分の時間や資金だけを使って勝手にやる分には止めはせぬが……」
どうやら考えが顔に出ていたらしい。慌てて表情筋をきりりと引き締めるセレスティナ。
「それよりは、アルテのこれからの生活の安全に気を留めてくれ。皇位継承権が無くなった以上危険は無かろうが念には念を入れたいのだ。これは皇帝としてではなく一人の父親としての願いだ。アルテを……娘を頼む」
そう言って、座った姿勢のまま軽くではあるが、確かに頭を下げた。
「――ち、父上!?」
「あ、頭を上げて下さい! 言われずとも、アルテリンデさんは今後はテネブラ外務省所属の大事なスタッフというお立場ですから、全力で護ります!」
慌ててわたわたと手を振るセレスティナ。その様子に皇帝はつい含み笑いを零した。
「くくっ、この程度のパフォーマンスで効果が出るなら頭を下げた甲斐があったというものよ。まあ親としての気持ちに嘘偽りは無いゆえ、改めてアルテのことを宜しく頼むぞ」
「良いように操られた感はありますが……アルテリンデさんは両国間の平和と発展の象徴となる重要人物ですから、テネブラの威信を賭けてしっかり警護を勤めさせて頂きます」
「すまんな。代わりに警備に必要な追加コストが発生した場合は帝城に回してくれ。常識の許す範囲で支払おう」
「承知しました。では一応見積もりを取った段階で相談に伺いますと言う事で」
それから詳細は事務担当の文官と詰めることになり、この場はお開きとなった。
一部不穏な情報もあったが、セレスティナの予想以上に平時の皇帝ヴォルフラムは話の通じる人物という印象で、アルテリンデの感想としてもあんな生き生きした様子の父上は久しぶりとのことだ。
やはり戦争は人をおかしくさせるのかと勝手に納得するセレスティナだった。




