124話 食事会への誘い(息抜きのようでこれも外交の場)
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アルテリンデ皇女の爆弾発言は応接室に大混乱を引き起こした。
「ひ、姫様! 御気を確かに!!」
交渉団のノルドハイム伯爵とオズヴァルト子爵が悲鳴にも似た声を上げる。
「そうです! 早まってはいけません!」
そしてセレスティナとしても皇女が処刑台の露となるのは色々な意味で人類にとっての大きな損失であり、どうか考え直すよう訴える。ともすれば帝国側のお付き二人よりも必死な形相に見えなくもない。
だが、アルテリンデの側も翻意する気は全く無いらしく、決意と覚悟を秘めた目で宣言してきた。
「皇族に二言は無いわ。私自身の身の安全だけに拘泥して帝国臣民がこれから経験する苦境に目を瞑るなんて、そんなのは皇帝の娘としての誇りが許さない」
「ご立派なお志ですが……少し前のめりすぎませんか? 見た所帝国内でも意志統一がまだみたいですし、少し時間を置いて考えてみられては如何でしょう?」
本心はもっと強く反対したいセレスティナだったが、あまり強硬に出ると却って『魔国が嫌がるのなら帝国側の国益に沿う筈だ』という考えに至りかねない。
駆け引きの道具にさせない為にもここは一旦棚上げして帝国内で説得と阻止をして貰うのが一番都合が良いということだ。
「うむ、その者の言う通りですぞ。姫様は連日の慣れない交渉で疲れておられます。少し休養を取られて心身共にリフレッシュされるのが宜しいかと……」
そんなセレスティナの目線を受け、帝国の文官組も連携プレーに参戦した。通常であればここでセレスティナが見せた隙を逃さず攻勢に出るところだろうが、皇女を交渉カードに据える程には図太くも命知らずでもないということだろう。
こうして重要案件が一旦帝国預かりになってしまったことで今日この場で話すべき議題も無くなり、会談の為に用意された応接室に珍しく弛緩した空気が流れる。
すると、そうなるのを見越していたかのように、控えめなノックの音と共にゼクトシュタイン邸の使用人頭である老執事が入室を求めて来た。
「許可するわ。どうぞ」
「重要な会談の最中に、まことに申し訳ございません。先程、アルビオン王国大使館から使いの者が見えられて、アルテリンデ姫殿下とセレスティナ外交官殿に、食事会の招待状を、と……」
そう言うと老執事は銀のトレイに乗せられた招待状を恭しく差し出してくる。差出人名は勿論、駐在大使のギルバート伯爵夫妻だ。
丁度息抜きの話をしたタイミングでの展開に二人とも受け取るより先に妙な連帯感で顔を見合わせた。
「もしかして、そろそろ交渉が行き詰まる頃合と見越して送ってきたのでしょうか? だとすると相当な曲者ですね」
「あの御仁の場合、ただ単に皆で集まって食べるのが好きなだけ、というのも否定できないわね……」
二人揃って眉根を寄せるが、ここで悩んでも答えが出るものではない。それゆえ直接会って真意を探るべく、それと少しの息抜きや休養も兼ねて、両者とも参加の返答をしたのだった。
それを見たクロエが久々の美食の気配にこっそり拳を強く握ったのはここだけの秘密である。
▼大陸暦1015年、轟弓の月27日
翌日の夜。迎えの馬車に揺られてセレスティナは約2ヶ月ぶりにアルビオン王国大使館へと招き入れられた。今度は正門から。
前回訪問時にギルバート伯爵から要望を受けたのもあり、お土産にテネブラ国産のベヒモスと大海蛇とキラーライオンの希少部位を渡したところ大層喜ばれたので、とりあえず前回訪問時にアポイント無しで一泊させて貰った恩は返せたと言って良いだろう。
「いやあ、突然の招待にも関わらずお越し頂き喜ばしい限りですな。ささ、では遠慮なく召し上がって頂きたい。国も文化も違う者同士、堅苦しいマナーなど気にせず無礼講でいきましょうや」
上座下座の区別の無い大きな円形のテーブルに、伯爵夫妻を挟む配置でセレスティナが右側、アルテリンデ皇女が左側に座る。そのテーブルの上には世界各国の料理が山盛りになっており、晩餐会と言うよりどこかの酒場の宴会メニューのように雑然とした活気が感じられる。
皇女の装いもいつもより色が鮮やかでデザインも華やかなドレス姿だが、寒い地方ゆえか夜会用のドレスも腕や首回りや胸元をしっかり覆うデザインなのがセレスティナには残念だった。だがその彼女も弱点の背中を保護するべく露出度としてはどっこいどっこいな慎ましい装いなので文句を言う権利は無い。
晩餐の進行としては、長々とした挨拶もなく早速乾杯だけ宣言して酒と料理に手を伸ばす所がとてもギルバート伯爵らしい。
クロエを含む護衛や侍女の面々も少し離れた使用人用のテーブルに付いてご馳走に預かっており、ここにも彼の大雑把で寛容な性格が現れていると言えよう。
「それで、お嬢さん方が聞きたそうな顔をしているから先にこの場を設けた理由から説明しておきましょうか」
「うむぅ」
考えが顔に出易いことに定評のあるセレスティナが慌ててポーカーフェイスを取り繕った。そこにアルテリンデが生暖かい笑顔を向けてくるのを感じつつ、ギルバート伯爵の言葉の続きを待つ。
「本国からの指示だとまず可能なら両者の交渉を決裂させて戦争を継続させること、次善策としてアルビオンが間に入って両者の交渉を纏め上げて恩を売ること、なものでして。前者はどうも趣味じゃないので後者の手を採った、まあこんな所です」
「それ、正直に言っちゃうんですか!?」
「あらあら、この人ったらまた」
「はっはっは。腹芸は苦手なものですからな。腹の肉は厚いですが」
そう悪びれずに笑いながら、ギルバート伯爵は自慢の太鼓腹をぽんぽんと叩いて見せる。
「まあそんな訳でありますから、若い人達はたんと食べて気持ち良く交渉を続けて頂きたい。ふむ、セレスティナ殿から頂戴したベヒモス肉にスペアリブは絶品ですな」
「お気に召して幸いです。ですが初めて扱う食材の味をここまで引き出された料理人の方々の功績が一番大きいかと」
先程の小細工を纏めて真正面から粉砕する一撃を食らったことで、すっかり交渉の気力が抜け落ちてしまったセレスティナ。帝国近海で獲れた海の幸をもきゅもきゅと味わいつつなし崩し的に飯談義への参加を余儀なくされる。
「この切り身も新鮮で美味しいですね」
「社交辞令は結構よ。帝国が臣民に小麦も満足に用意できないような貧……っ、経済的に質実剛健で成金趣味を嫌う国だってことは良く知ってるから……っ」
「何だか拗らせていませんか!?」
ぷいと顔を背けるアルテリンデ皇女にはセレスティナのツッコミも届かないようであわや闇堕ちかと思われたその時、ギルバート伯爵がフォローに動いた。
「まあまあ。安くても美味い物は美味いですぞ。私が帝国の料理で特に気に入ったのがコレなのですがな……」
そう言って彼は、貴族の食卓には普通上がってこない何の変哲も無い芋料理を一つフォークに刺して口へと運ぶ。
「ホクホクに蒸かした芋に北海で獲れたイカの塩辛を乗せて食べる。帝都の労働者に人気のメニューなのですが、貴族以外でもこのような美味い物が食べられるというのは素晴らしいことと私は思いますな」
「それ、絶対お酒が進む奴じゃないですか」
「お、分かりますかねセレスティナ嬢」
皇女が知る尊大で庶民を見下す貴族とは全く違う反応を見せた目の前の二人に毒気を抜かれたか、やがて彼女も好奇心に負けるようにその芋料理を取り、お淑やかな所作で小さく一口齧った。
「…………本当。美味し――」
「はんっ! ここに来て芋料理? こんな貧乏人の餌が男爵家令嬢たるあたしの口に合うと思って、って何これ美味しいっ!?」
表情を僅かながら綻ばせ、独り言のような小声で口にしたアルテリンデ皇女の感想をかき消すように、離れたテーブルで絶叫が轟いた。
確かエーファと言う名の皇女付きの侍女で、声の出所を確認した主人が顔を手で覆い崩れるように項垂れる。この光景を切り取った絵画に題をつけるとしたら“うちの侍女がマジ恥ずかしい件”と言ったところだろうか。
「ははは。美味い物を食べて喜ぶのは悪い事ではあるまい。私の個人的な見解ではあるが戦争など大抵は腹が減った時に隣の庭の作物が美味そうに見えるから起きるものです。皆が腹いっぱい美味いものを食べられれば争いなど起こりようもないと思われませんか」
「極論に聞こえますがあながち間違ってなさそうなのが何とも……」
「……やめて。今はその優しさも辛いわ」
俯いたまま弱々しく頭を振る皇女。
しかし彼女は思う。いつか、帝国の一般庶民に至るまでもが上等な小麦粉を贅沢に使った食事をお腹一杯楽しめるような日が来れば、今日の事も笑い話にできるだろうか。
それはそれとしてエーファは暫くデザート抜きの刑になった事をここに追記しておく。いつの時代も政策の理想と現実はかけ離れているものなのだ。
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ギルバート伯爵主催の食事会終了後は寒さが厳しくなる前にとすぐに解散となり、宿に戻ったセレスティナは紺のジャージへと着替えて寛ぐ姿勢になった。
「……あたしが言うのもなんだけど、ティナはそんな野暮ったい服で良いの? 一応若奥様からティナの女子力がこれ以上落ちないように監視と指導を頼まれてるし」
「こんな寒い地方でネグリジェなんか着たら朝には足とお腹が凍って死んでしまいますよ。命を守る為にはしょうがないのです。いやー、ジャージでいるのは辛いですねー」
「そこは寝相を改善しなさいよ」
弛緩しきった様子でソファに寝転がるセレスティナをクロエのジト目が射る。ただその視線にいつもの鋭さが無いのは先程の食事会の満足度の影響だろう。
「帝国の海鮮料理は……まあ合格だったわね。ベヒモスと大海蛇の肉も久しぶりに食べたし。キラーライオンなんか要らなかったのよ」
「こちらのテーブルでは好評でしたよ。『足を踏み入れる者を拒む魔界の大地の味がする』って」
「金持ちの味覚はさっぱり分からないわ……」
食後に出てきたキラーライオン――砲弾のような種を武器とする巨大なタンポポの魔獣――の根を煎じたコーヒーの味を巡り対立するセレスティナとクロエ。ちなみに食事会の時の様子だとアルテリンデ皇女が肯定派、ギルバート伯爵が中立派、「砂糖とミルクを出しなさいよ!」と吼えたエーファが否定派だった。
勢力的には互角なので平行線を辿る前に話題を変えることにする。
「まあ、アルテリンデ皇女殿下の想いも少し聞けましたし、意義深い食事会でした」
「そういえば意外よね。あんなこと言われたらティナなら喜々としてあのお姫サマの身柄を引き取って色々こう、好き勝手しそうに思ったけど……」
皇女が戦争責任を取るべく自分の身を差し出す申し出をした事を言っているのだろう。そんなクロエの純粋な疑問にセレスティナは「見損なわないで下さい」と勢い良く上半身を起こした。
「そりゃあ私だって、皇女殿下のあのご立派なロイヤルお胸様を自由に出来るなら一緒にお風呂入って撫でたり揉んだり洗ったり洗われたりしたいですよ! でもあんな悲壮な覚悟を浮かべた相手にそんな事してもお互い全然幸せじゃないんです! だから男らしくやせ我慢してるんじゃないですか!」
「…………うん。ティナがなんか急に頭おかしくなくなったんじゃないかって少し心配したけどいつも通りでほっとしたわ。じゃあこの話もう終わるわね」
「自分で振っといてそれですか!?」
クロエの冷遇にもめげず、ソファに座り直したセレスティナは真面目な表情を作った。
「それに実際の所、皇室とか王室関連は国の逆鱗になりますから下手につつくと危険なんですよ。特に皇女殿下は国民人気も高いですし、それが魔国に連れて行かれたとなると……生死に関わらず下手すると戦争で負けた事以上に国民の怒りが高まって次の戦争の火種にもなりかねない、かなりの毒饅頭になりそうで……」
「うわあ面倒臭そう……」
皇女自身は天然で言っているのだろうが、外交的に鋭い妙手を次々と打ってくる強敵なのは間違いない。もしセレスティナが彼女を素人と思って侮っていれば今頃相当な深手を負っていただろう。
「でも、もしあのお姫サマが自分で責任を取るって言い張れば、ティナも何かしら対応しないといけないのよね?」
「その通りです。和平を目指して帝国の国民の心情を考えると皇女殿下の身柄にはそれなりの値段と待遇を保証しなければいけません……」
「……ある意味嫌がらせよね」
クロエの心底嫌そうな顔に苦笑しつつ、セレスティナも形の良い顎に手を添えて熟考モードに移った。
「つまり、皇女殿下の身柄というジョーカーを手札に加えた前提で、帝国と和平を結び、帝国民の生活を壊さずに魔国の賠償金要求も達成して、好戦派な帝国上層部と技術庁の面々にはダメージを与えて戦争の継続を諦めさせつつ、皇女殿下も不幸にさせない。そんな内容で今回の交渉を纏めたいですね」
「…………がんばってねー」
あまりに無茶な条件にクロエは思考を放棄した。そのぞんざいな態度を気にせずセレスティナは、難問を前にしたゲーマーか技術者のように生き生きした目でクロエに告げる。
「それで、次回交渉が週明けなので週末は部屋に篭もって魔道具を作りたいと思いまして。なので食事とか細々した雑事は任せ切っても良いですか?」
「構わないけど、今度は何を作るつもりなのよ?」
セレスティナの諦めが悪いのはいつものことなので、クロエはさして驚かずに了承の意を示す。
ただこういう時は油断すると知らない内にトンデモ兵器を作ってしまうのがセレスティナという存在なのでもしもの時は釘を刺すべく問い尋ねたクロエに、彼女はニヤリと笑ってこう返すのだった。
「ちょっと、平和を一つ」




